37 哀の逃避行
シア原人が適当に辺りをぶらつき始めた時、後ろから物音がした。
そこには火おこし器ではなく、シア原人を凝視する原人達。
数人は依然として火おこし器に夢中なのだが、最初から警戒を解いていなかった三人の原人がシア原人の方に向かって歩きだしていたのだ。
徐々に距離を詰めてくる原人達に、言いしれぬ恐怖を感じて後ずさると、それがきっかけになったのか一気に距離を詰めてきた。
とっさに逃げ出すシア原人。
法も論理もないこんな時代に捕まったら何をされるかわからない。
「なになにっ!? そんなに私が魅力的だったのかな!? 残念だけど、私はそんなに安い女じゃないんだけど!?」
次の瞬間、シア原人の横を石が通り過ぎて行った。
追いかけている原人たちが拾った石を投げつけてきたのだ。
シア原人は完全に不審者認定されてしまったようだ。
知らない奴がいきなり来て火を点けていく、字面だけみたら完全に放火魔である。
いくら法のない原始時代とはいえ、当然の反応だ。
シア原人の命がけの追いかけっこは開始から五分ほどが経過していた。
原人たちはなかなか諦める様子を見せない。
『星の願いを』を使えば解決できるかもしれないが、対人用途で使ったことがなくヘタをしたら原人達に怪我をさせてしまう恐れもある。
医療の発達してないこの時代では、どんなに小さな傷でも細菌感染で死んでしまう可能性があり、シアは原人達に対して強硬策が取れないでいた。
必要に応じて星に息づく命を奪ってきたシアだからこそ、必要のない殺生はどうしても避けたかったのだ。
「はぁ……はぁ……! 本体に戻ろうにも止まって意識を集中しないといけないし、この距離じゃ集中する前に捕まって殴られるのがオチね……」
最初の分身体のように死亡すれば戻れるのだろうが、わざわざ痛くて苦しい思いなどもしたくないのも本心である。
もう少し逃げれば追いかけるのを諦めてくれるんじゃないか、という一縷の望みがある限りなかなか諦められないものなのだ。
原人達の集団から離れて草原のど真ん中まで来てしまったが、状況が改善する見込みもなく現状を維持するだけの手詰まりとなっていた。
そんな膠着状態を打破したのは一匹の獣だった。
草むらから飛び出したネコ科の大型肉食獣サーベルタイガー。
いつか見た景色のように、正確無比にシアの喉元へと長い牙が迫りつつあった。
この時シアが感じていたのは死の恐怖ではなかった。
命の危機に瀕しているというのに、鍛え抜かれた四肢と野生の強靭な生命力を体現した華麗な動きに見とれてしまい、『美しい』とすら感じてしまっていた。
サーベルタイガーが大きく口を開けてその牙が急所へと至らんとしたその時、耳をつんざく爆音とともに辺りに走った衝撃でシアの体は後方へと吹っ飛ばされた。
シアはすぐに体勢を立て直して今まで対峙してきた相手に視線を向けると、ゴトッという音を立ててサーベルタイガーの首が転がり、胴体も後を追うように地面へ倒れていった。
その横にはこの事態を引き起こした犯人が立っていた。
その姿を端的に表すなら、人の姿をした異形。
二メートルを超える体躯に、赤黒い光沢を放つ刺々しい造形の硬質な表皮は、全身鎧を纏う騎士のようであった。
人型ではあるが肩部が異常に大きく、その顔は武者とも騎士とも悪魔ともとれるような厳ついフェイスマスクに覆われていた。
そして何より目を惹くのはサーベルタイガーを屠った右手首のブレードである。
黒い刀身に赤い紋様の入ったジャマダハルのような刃は、手首外側の鎧に固定されているようだ。
サーベルタイガーの無力化を確認した赤黒き異形はシアへと近づいてきた。
シアはあまりに突然の出来事と居るはずのない生物の登場であっけにとられてしまい、気づけば目の前まで異形の接近を許してしまった。
無防備なシアに異形の無骨な左手が伸びてくる。
「ひぃっ」
殺される! そう思って小さな悲鳴を上げ、顔を両手で庇いながら怯えるシア。
だがその思いとは裏腹に、シアの体は片膝をついた異形の腕の中に優しく抱きとめられてしまった。
異形はシアを抱きしめた体勢のまま三人の原人へと視線を向けた。
原人達にとって死の代名詞とも言えるサーベルタイガーが現れた時点で恐怖により固まっていた原人達
しかしその猛獣を一瞬の内に屠った『暴力の塊』の意識が自分たちに向いたことを悟り、彼らは一目散に逃げ出した。
辺りから脅威がなくなったのを確認した異形は腕の中からシアを開放した。
シアは改めて異形へと向き合う。
地球にもましてやこの星にも存在しない初めて見る生き物だったが、シアは抱きとめられている間になんとなくの心当たりが付いていた。
「もしかしてラヴィー?」
シアが声を掛けると異形の胸部が左右に開き、可愛らしい顔がお目見えした。
「……そうだよ……シア様大丈夫だった?」
「ラヴィーのおかげで怪我もないし助かったよ」
「……よかった……」
「とりあえずお家に戻ろうか」
「……うん」
『星の願いを』を発動させたシア原人とラヴィーを淡い光が包みこみ、分身体が光に還るのと同時に二人の意識は神の部屋へと戻っていった。
「いやーまさかあんなことになるとわね」
「シア様が無事で良かった……」
「ラヴィーちゃんお疲れ様でした」
ラヴィーにルナがおやつを手渡す。
さつまいものように甘い芋を焚き火で焼いたものだ。
「ルナおねえちゃん……ありがとう……」
「それにしてもシア様は昔から微妙に抜けてますね」
「……おいかけっこで遊んでて……危ない所に入っちゃうなんて……おちゃめ……」
「いや遊んでたわけでは……でもラヴィーのおかげでほんと助かったわ。いいこいいこ」
「ん……」
シアに頭を撫でてもらったラヴィーは目を細めて幸せそうに微笑む。
「それで気になったんだけど、あの姿はラヴィーの身体操作能力の延長かしら」
「うん……外骨格を鎧っぽくしてみた……」
ラヴィーは先程の外骨格を部屋に生成して説明してくれる。
よくよく見てみれば甲虫の脚に見られるような刺々しい意匠が所々に出ており、巨鎧種の時の名残りが多く感じられた。
胸部だけでなく腹部など、正面の各部が開きそこから乗り降りできるようだ。
鎧と言うよりパワードスーツに近い構造のようだが、結論から言えば使いこなせるのはラヴィーだけだった。
装着した際に神経を接続して内側に張り巡らせた筋肉を動かしているとのことで、シアも真似してみたがあまりの違和感に歩くことすらできなかった。
ラヴィーに交代していろいろ説明してもらうと、大きな肩には副腕が折り畳まれているとのことだった。
外装が上に稼働して腕を展開するようで、展開しきった腕はかなりの大きさと可動範囲をもっていた。
背部の外装も稼働するようになっており、中には飛行用の翅が仕舞われている。
さらに呼吸器を発展させた圧縮空気噴出機構を利用して自由に空を飛べるというから驚きだ。
その能力を生かしてシアが火起こしを始めた頃から上空で見守っていたのだ。
もっとも、原人に追いかけられている際はおいかけっこと誤解していたが……
他にもジャマダハルのようなブレードは任意で外骨格に収納できたり、後付けで様々な機能を増やせるなど、かなり拡張性が高いものであった。
ラヴィーが強く願い『星の願いを』で生成された外骨格。
その組成は、現代地球でも未知の有機金属化合物が大半を占めている。
内部に張り巡らせてある筋肉も同様で、常識では考えられない動きを可能にする圧倒的なスペックを持つ未知の有機化合物だ。
地球に存在しない生命体は原則として生成できないのだが、ラヴィーにとって爪や髪の毛の延長のような外骨格は容易に生成と改造が可能なのだった。
「いやーラヴィーはすごいわね。私には全然無理だわ。なにかコツでもあるの?」
「……自然にできた……」
「うーん、やっぱりラヴィーはすごいわね!」
「昆虫が持つ完全変態が影響しているのかもしれませんね」
幼虫と成虫で完全に違う形なのにきちんと体を動かすことができる完全変態。
そういった特異性がラヴィーの外骨格制御にもうまく活かされているのではというのがルナの推測だ。
その推測はおそらく外れてはいないだろう。
「おや……。シア様、先程の原人達はちゃんと火おこし器で火を起こせたようですよ」
「私の全力疾走が無駄にならなくてよかったわ」
「ん……ルナおねぇちゃん……焼き芋おかわり……」
自力着火を可能とし火種消失の危険性から開放されたことで、原人達の生存能力はますます上昇していくことだろう。




