第7話
清潔で排他的な白。時間の概念を忘れた長い廊下には足音がふたつ。国際魔法機関――――通称【WMO】本部に続く道のりは、世界中のどこにでもあってどこにもない。並の人間だとそうだ。しかし魔法少女だけはこの回廊に招待されることができる。
(監視は56個⋯⋯⋯可視光線を限界まで削った監視カメラ、狩猟魔法、地縛呪術⋯⋯やっぱり、前より増えてる)
ツムギの伏せた睫毛が悲しげに光った。全人類の味方である限り彼女は救世主として崇められるが、裏を返せばツムギは人類最悪の敵となり得る可能性だってある。民衆の信仰は結構だが、人間界の重鎮は魔法少女をよく思わないものも多い。
隣のミツルが心配したようにツムギを見た。大丈夫だよ、とツムギが笑う。
(知ってるよ、最初から。私はみんなから見たら化け物だ)
化け物が人の皮を被って生活してるなんて怖いよね。恐ろしいよね。だからツムギはあえて足音を演出して、ハピネス学園の制服を来ている。少しでも人間に見えるように。
「ツムギ、僕はもう妖精じゃない。人間として生きることを決めた。だからこんなこと言うのは卑怯だけど、WMOの妖精側になんて言われるかまだ、わからない。もしかしたら君のことまで悪いいわれをされるかもしれない」
ミツルが震えるほど拳を握りしめた。己の選択肢に後悔はないが、それで愛する人が傷つけられるなら別だった。
それでもツムギは断言した。
「大丈夫だよミツル。なにがあっても大丈夫。だって私が付いてるんだよ? 大舟に乗ったつもりでいてよ」
「⋯⋯ふふ、あはは。ふ、もう⋯⋯叶わないな。ね、結婚しよ?」
「それは結構です。ほら、もうすぐだよ」
この回廊は悪意の持つ者を通さない。魔法の始祖たる初代妖精王がかつての魔法少女のために作り上げた秘密の部屋。故に当代管理者の魔法局長のみがこの道に終わりを作ることができる。
神殿にも似た観音開きの扉がゆっくり開け放たれる。プレッシャーと高濃度の魔力を浴びて、彼らは一歩足を進めた。
「名を」
「魔法少女キラリブルー・日花里ツムギです」
「四葉ミツル、ただのミツル」
局長がメガネの奥で二人を射抜いた。
そこは果てしなく天井が広がる神聖な議会だった。最も高い位置に鎮座するのが局長。その隣が局長補佐。下にある両翼の席には各国の魔法委員会と魔法少女の長老会がいる。その誰もが件のバディを目に焼き付けていた。その囁き声の全てをツムギは拾っていた。
「随分幼いな」
「あれが伝説のキラリブルーか」
「隣の青年はかの大妖精では?」
カン! 重厚なガベルが鳴った。一突きで静まり返る教会。
「では、始めよう。魔法少女キラリブルーの処遇と、今後の待遇を」
国際魔法機関局長・常磐ミヤビ。名門常磐家の一人娘。魔法少女としての任期を終えてすぐアメリカに渡り、スタンフォード大学を飛び級で卒業。その後は機関にて数年の任期を経て局長まで上り詰めた鬼才の28歳。
そんな彼女の望みはひとつ、魔法少女の効率化。
「まず今回、世界最悪の敵、ラストが出現した件に関して。原因は現在も調査中。もっとも、一番簡単に考えられる理由はキラリブルーが今年2月14日に取り逃したことだが、その件に関して聞こう」
「ないですね!」
ツムギは大きな声で返事した。どよめく観衆。疑念と興味の視線。
「私はあの日ラストをたしかに塵も残さず消滅させました。明確に手応えを感じたんです。この世から魔力の残滓が残る感覚もなかった。その後の後処理と調査はそちらの方がお詳しいんじゃないんですか?」
「ではラストに対する所見を聞こう。能力、思想、二つ語りなさい」
「一言で言うなら『変わらない』ですね。倒したことによる能力の低下、思想の改善はありません。それが貼り付けのものであっても⋯⋯⋯」
「あの場には僕がいた。魔力と心を見破る『妖精王の眼』を持つ僕がね」
それは妖精王の末裔であるミツルが受け継いだ、青い流星の瞳。この眼でミツルは規格外の魔力総量を持つツムギをスカウトすることができたのだ。
「あいつの心の中はとんでもないよ。この僕の瞳をもってしても底が見えない。黒い煙みたいなのに覆われてるんだ。局長さんならこの意味がわかるでしょ?」
「呪術か」
「ピンポン! 大正解!」
並の魔法より高次元かつ危険性の高い術を呪術と呼ぶ。前述の地縛呪術のようにそこらの魔法少女では対応できない禁忌。
ツムギは歯噛みした。最終決戦でも大変苦労したラストの呪術。おそらくミツルの眼のことを知って己の呪術で心象風景を誤魔化したのだろう。
「ラストの底を暴いて倒したと思ってたけど⋯⋯違ったみたいです。あの人はこれから戦争をすると言いました。だからまだ私たちの知りえない悪意がある」
「なっ、今度こそ世界が終末に向かうことがあれば、ラストは阻止できてもWMOは終わりだ!」
「信用がさらに地の底に落ちるぞ⋯⋯!」
「静粛に」
ミヤビの声が観衆の声帯を拘束した。そんな錯覚に陥るほどのカリスマ。
「ラストは一年前、当時の最強たる魔法少女、アメリカのファーストピンクを抹殺した。その後米軍を壊滅させ、日本に至っては陸地の三割を滅ぼされている。そして世界をも破壊しようとした。この様な最悪の歴史を二度と繰り返す訳にはいかない」
その場の誰もが剣呑な目に変わった。見据えるはあの日の恐怖。終末のバレンタインと呼ばれた、世界が終わりに近づいた日。
「返上した魔法少女のコンパクト。もう一度その手に取ってもらえるか、キラリブルー」
「もちろんです!」
って、言いたいところなんですけど。
静かに青い睫毛を伏せたツムギ。
「ミヤビさんはラストジ・エンドを滅ぼしたあとの魔法界を、ご存知ですか?」
光る少女の緑眼。見るもの全てを守り癒す英雄が、確かな疑念を持ってミヤビだけを見つめていた。
◇◇◇
「ただいまぁーーー⋯⋯」
扉を開けて、ツムギは自室のカーペットに倒れ伏した。あの回廊は魔法少女であれば何処のドアからでも繋がるので、こうして次元を超えた渡り方もできるのだ。ミツルは今頃博士の家に帰っていることだろう。あの妖精は彼女の居候なのだ。
床を這いながらベッドまでこぎ着く。このまま寝てしまいたいがそうはいかない。時計は7時10分を指していた。
ツムギは意を決して起き上がり、制服から部屋着に着替えて階段を降りた。
「あら、おかえりなさい。お友達とはどうだった?」
「楽しかったよー! たくさん話せたからとてもまんぞく」
夕飯の出来上がった食卓に着く。中辛カレーのいい香りが鼻をくすぐった。ふたり揃っていただきますをして、ライスをルーに絡めて頬張る。ツムギは美味しい! 最高! と笑いながら足をゆらゆらさせた。
「そう? よかった、新しいルーにしたの。ほら、りんごのやつ」
「やっぱり? いつもと違うと思った! こっちも美味しい」
ああ、ママに気を使わせてる。
ツムギはいたたまれない気持ちでいっぱいになった。顔にこそ現れないけど、体の内側は静かに固まっている。
友達と遊びに行った、というのも嘘だった。都庁の近くに位置するWMOに喧嘩売ってきました、なんて言えないし。そもそも以前から上層部には口止めしていた。
『あなたたちの思想は母に聞かせないでください。連絡もしないでください。私が全て対応します』
ツムギはWMOのイレギュラーだった。保護者の同意書もすっ飛ばすことを許されデビューした彼女にもちろんミナミは激怒したが、一番怒るであろうツムギの使い潰しについては語っていない。
きれいな仕事だよ。みんなを守る仕事だよ。大変なことはあるけど、周りの人達が助けてくれるから大丈夫。そう言ってツムギは甘い嘘でコーティングした。これのどこが救世主なんだか、と自嘲することもしばしば。
それでも母のミナミだけは巻き込みたくなかった。女手一つで育てて愛して守ってくれた彼女を、今度は己が守りたいと思った。ミナミも、この世界も。
「ねえツムギ、なんでもママに相談して。難しかったら周りの友達でも、博士でもいいの。一人で抱えちゃダメよ」
「もう100回は聞いてるよ。わかってるってママ」
ヤカンの鳴き声とカトラリーの響きだけがこの沈黙を遮っていた。いつも付けてるテレビはツムギとラストのニュースでいっぱいだろう。通学すればマスコミで溢れかえっているはずだ。幸い我が家周辺だけはいち早く認識阻害魔法で隠せたのでその心配はない。
ツムギが本気になれば学校こと認識をズラすことができるが、そうなると周りの記憶に悪影響を及ぼすことも予測できたので厳しい。ツムギが悪人だったら割り切れたことだった。
「ツムギは大丈夫が口癖だからね、あんまりいいことじゃないわ」
「――――⋯⋯そっかあ」
ツムギは内心驚いた。演出している自分の笑顔には自覚的だったが、口癖までは気づかなかった。
大丈夫。その癖は良くないことだろうか。この言葉を言うとみんなほっとした顔になる。笑う。元気になる。だからずっと言ってるだけなのに。
「ママは色んなこと知ってるね」
「あなたのママだからよ」
「へへへ」
ツムギはもう一口カレーを掬って口に運んだ。いつもと一味違った手料理は、いつまで食べれられるものかわからなかった。
あの日あの戦場で、栄養だけを効率化させた携帯食はもう食べたくなかった。
◇◇◇
夜が明けて朝八時。家の桜の木の上で小鳥が囀っていた。ミナミに見送られ、ツムギが元気にドアを開けたそのとき。
「はよ」
「こ、ココロ!? おはよう⋯⋯?」
同じ制服に身を包んだ赤毛の青年、ココロが扉の前に立っていた。驚きを隠せないツムギにココロが頭を搔く。
「あー、色々あったろ。昨日。なんかあったら癪だから、迎えに来た」
「え」
「あらあらあらまあまあまあ」
後ろからツムギの肩を掴んだ両手。おそるおそる振り返るとにこやかな笑みを浮かべた母の姿。喜色満面といった顔持ちである。悪戯心を覗かせたように悪魔の角が見えるのは気のせいだろうか。
「ま、ママ⋯⋯?」
「いつのまに男の子の友達なんかできちゃって! もう! ほらいってらっしゃい!」
ああああああ!!! ツムギは心の中で絶叫した。身内に男女ネタで茶化されるのが一番恥ずかしい。顔色にこそでないけど、ツムギの指先が赤く震えていることに気づいたココロは、照れたように顔を背けた。
「えっと、じゃあお預かりします。あ、自分四葉ココロって言うんですけど⋯⋯」
「四葉くんね! ええ! ツムギを頼んだわ! 」
母に背中を押され、ツムギはおたおたしながら一歩踏み込んだ。青色の毛先が朝日に透ける。
「じゃ、いってらっしゃい!」
ミナミは笑った。ツムギはそれに手を振って笑って返した。玄関先に植えられたチューリップが静かに揺れていた。
今日学校に行くのは少し憂鬱だったけど、ツムギは少し救われたような気がした。
◇◇◇
「日花里さん! テレビ見たよ! 凄かったね!」
「うち弟と応援してたんだ。無事でよかった〜」
「外のマスコミすごいね、大丈夫だった?」
「ん! 大丈夫だったよ!」
一年A組。ノノカを筆頭としたクラスの女子たちがツムギの机の周りを取り囲んでいた。入学して数日も経てば呼び名はキラリブルーちゃん、から日花里さんに変わっていた。
窓の外はフラッシュを焚くマスコミで溢れかえっている。認識阻害魔法でこっそり門を潜った、なんて言える訳もなくツムギは言葉を濁すだけだった。
「最初のやつもだけど、最後のすごい敵だったね。あのラストも蘇ってさ⋯⋯」
「ね、まじで怖すぎるんだけど」
「また地震とか津波とかやられるのかな⋯⋯」
不安に目を伏せる少女たちにツムギが大丈夫だよ、と声をかける前に激しく手を叩いた音が響いた。その音の正体こそ、茶色のポニーテールと気が強そうな瞳。
「もー! みんなったら暗くなりすぎ! 心配ないって、こっちにはキラリブルーのツムギちゃんがいるんだから」
ツムギはそこで初めて、影山ノノカという個人を意識した。博愛精神、誰もを愛しているからこその無愛。その中で限られた人数だけがツムギの浅い内側に入ることができる。
明るい子だな。ツムギはノノカを見て、次にみんなを見た。
「ノノカちゃんの言う通りだよ! 大丈夫、なにがあっても絶対助ける!」
わああっ! 少女たちが弾けるようにきゃっきゃした。キラリブルーの持つカリスマは折れはしない。
ただそれは本人の精神的な耐久性であって、客観的に作り上げらた【キラリブルー】という土塊の耐久性ではない。
「――――でもよー、ラスト生きてたのかよ。ちゃんと殺しとけっての」
ぼそり。教室の角、数人の間で微かに呟かれたセリフをツムギは聞き逃さなかった。
「魔法少女好きなやつってドルオタかロリコンだけだろ」
「てか暴力集団じゃね?」
一段、声が大きくなった。正体は素行の悪いクラスメイトだった。流石に気づいたノノカが声をあげようとして。
「あら、豚が喋ってる」
くすくす。天使じみた笑い声がやけに響いた。菫色の腰まであるロングヘア、ゾッとするほど整った顔立ち、すらりと長い手足と背。魔法少女ロイヤルパープルこと、矢見コトリはツカツカ不良の元へ近づいた。
「や、矢見さん?」
ツムギが慌てて駆け寄るも、コトリは問答無用でその生徒の襟を掴んだ。
「あなた、目に余るわ。守られることしか脳の無い豚がブーブー騒がないで頂戴。人語を喋るなら敵に立ち向かってからよ」
「ッんだテメ」
「私は矢見コトリ。盾の魔法少女よ」
教室がざわめいた。ニュースに映ったコトリの懸命な姿を思い出し、その場の誰もが口を閉ざした。わなわなと赤く震える不良生徒を手放し、コトリはツムギに振り向いた。
「お礼が言えてなかったわね。ありがとう日花里さん、あの時私を助けてくれて」
「えっと、んーん! こちらこそ!」
手を差し出されたのでツムギはコトリと握手した。このちいさな手が世界の命運を握っていることにコトリは陰ながら驚いたが、口に出すことはしなかった。
そろそろホームルームだ。誰かがそう言って、ツムギを囲んでいた周りが席に帰ったあと。
ツムギは教科書を机の中に入れようとした。しかしできなかった。なにか入ってる? と机を覗いて引っ張り出したし、ツムギは絶句する。
死ね。消えろ。魔法少女辞めろ。
罵詈雑言が書きなぐられたツムギのポスターが、くしゃくしゃに入っていた。




