第2話
ツムギは痛む頭を抑えながら、見覚えのない毛布を退けた。
窓の外はスパンコールを縫いつけた紺の空。時計の針は深夜一時を指していた。あのあと泣き疲れて寝ていたらしい、とツムギはアタリをつけた。
溢れんばかりのぬいぐるみ。天蓋付きのベッド。プリンセスに相応しい調度品。マイルドなホワイトとピンクの差し色で出来た部屋。
博士がツムギのために作ってくれた、夢の詰まった個室だ。博士はああ見えて実の娘のようにツムギを可愛がってくれている。金だけは余ってるのよ、と鼻高々に自慢した彼女の顔。
寝起きのふわふわな脳みそで、ツムギはなにか忘れてるような⋯⋯と心のザラつきを感じた。
「────あ! ママに連絡!」
ばち! ツムギのただでさえ大きな瞳がより丸くなった。
ポッケの中のスマホを取り出す。この時間まで連絡もせず家に帰らない不良娘。いくら母娘共通の知り合いたる博士の家とはいえ、さぞかし母のお怒り具合は凄まじいだろう⋯⋯と意を決してメッセージアプリを立ち上げ目にしたのは。
《ママごめん! 今日博士んち泊まる!》
《了解。博士さんのとこに泊まるのね。そういうことはもっと早く言いなさい怒。学校の荷物は届けたからちゃんとお礼言うこと!》
《えーんありがと泣》
「え⋯⋯⋯」
ツムギの背筋に冷たいものが走った。脳の裏側を大きな舌で嬲られた錯覚。
なにこれ、こんなメッセージしてない、いったいだれが。記憶にない、なんて話じゃない。だってこの時間、ツムギは呑気に寝こけていた。これでもツムギの中学の成績は万年トップ、記憶力には自信がある。夢遊病という可能性は現実的では無い。
なら、いったい何故?
「ツームギ! 起きてる?」
ガチャリ。自室のドアが開いた。
金箔をまぶした髪、星屑のオッドアイ。王子の美貌を持ったミツルは愛する姫を起こしにやってきたようだった。
「ミ、ミクルン!」
「どうしたのツムギ」
急に立ち上がろうとするツムギに手を伸ばしたミツル。ベッドの端から崩れ落ちるようにへたりこんだ青い少女は、震える手でスマホの画面を見せた。
「ね、ねえ! 私こんなの打ってない! 幽霊の仕業じゃない!?」
絶対お化けのせいだ。こんなのってないよ!
ぐるぐるの目で泣き出すツムギに、ミツルはポカン⋯⋯と口を開けっ放しにして固まった。
「えっと、そんなことで?」
「そんなことなんかじゃないよ! お化けは実態がないと言われてる! 私は最強だけど、もしかしたら魔法じゃ倒せないかもしれない!」
「ふ、ふふっ、あはははは!」
「な、なんで笑うの!」
赤らめた顔でミツルをかわゆく睨んで、ツムギはその大きな手をより強い力で握った。男の人の手だ。あのふわふわのちまこい前足じゃなくて、骨と筋のあるオスの手のひら。
次の一言に、ツムギは心臓が破裂しそうになる。
「幽霊なんかじゃないよ」
「だって、そのメッセージ打ったの僕だもん」
至極当然のように、ミツルは笑って跪いた。呆然とするツムギをベッドに座らせ、優しく片頬をなぞる。
「パスワードは指紋からわかったよ。妖精の目だからね、色んなものが見えるのさ」
「スマホってすごいね。ツムギのことがたくさん知れたよ。作った人に感謝しなきゃ」
「それにしても幽霊って⋯⋯ふふ、ほんとに人間って面白い」
「ツムギって、本当にかわいいんだねぇ⋯⋯⋯」
蒼と黄のオッドアイに宿る凶星。異世界より這い寄る愛の獣。四葉ミツルの瞳には、今世界で彼女しか見えていない。生唾を飲み込むツムギ。その喉の挙動すら愛おしいようにミツルの目が細まる。
「、ミクルン⋯⋯」
「もうミツルだよ」
ずい、とミツルの顔が近まる。毛穴や産毛ひとつ見えない陶器の肌が月光に透けて、ツムギは状況を忘れて見惚れた。
「俺、男だよ。ほら、ミツルって言って」
「み、」
「ミ?」
「ミツル⋯⋯⋯」
「よくできました」
薄い両手をしっかり握りこみ、下から除くように目を合わせるミツル。青髪の乙女は硬い唇で絞り出すように言葉を紡いだ。
「や、やめてよ。勝手にスマホ見るのとか、しちゃ、だめでしょ。怒るよ」
「怒るって、どうやって?」
ぐん、とツムギの視界が回転した。天蓋の桃色が見えたと思ったら、サラサラの金髪がこぼれ落ちてくる。手首をどちらとも頭の上に押さえつけられていることに気づいたツムギは、そこでやっと男女の力の差に気づいた。
「これじゃ変身するコンパクトも取り出せないね」
悪戯をする子供の顔で、ミツルは怯えるツムギを見下ろした。満月は窓から二人を傍観している。
「ほらがんばって、キラリブルー。負けちゃうよ」
「っやめ、」
端正な顔が近づく。少女が嫌がる。
長い睫毛が近づく。少女が仰け反る。
桜色の唇が近づく。少女の顔が歪む。
「なーんてね!」
ミツルの色香がさっぱり消えた。片手で纏めていた手首を解放して、ミツルは上体を起こした。ツムギの乱れていた髪を整えてやる。
「ごめんね、怖いことしたね。怖がらせたね」
「な、なに⋯⋯急に」
「あれ、続きして欲しかった?」
「なわけ!」
ツムギはぎゃん! と吠えた。ミツルにとってはチワワの威嚇に等しい。そんなブルーガールはミツルの手を拒絶して下を向いた。
「スマホ勝手に触ったの、許してないから」
それは多感な時期の少女の秘密を暴いた罪に等しい。例えるならば秘境の新雪を踏み荒らすようなものだ。
しかし人間になって間もないミツルにはそれがわからない。笑顔で口を開く。
「ねえ、これで少しは意識してくれた?」
「そんなわけないでしょ!」
ツムギは怒って毛布に包まった。拒絶の意である。いくら戦いを共に乗り越えたパートナーとはいえ、親しき仲にも礼儀ありだ。
「つ、ツムギぃ⋯⋯⋯?」
後ろでオロオロする気配が感じるが無視。ツムギはそのままシャワーを浴びて寝ることにした。博士の家にはよく泊まりに来ているのでパジャマや歯ブラシもろもろは置いてある。
「どこ行くの」
「お風呂」
「僕も」
「連れてくわけないでしょ!」
妖精時代ですら一緒に入ったことないのに、とツムギは頭を抑えた。ガックリ肩を落としたミツルは「おやすみ⋯⋯」と言い残し扉の奥に消えていった。ツムギが怒っているのがよっぽど堪えたらしい。
(しばらく反省するといい!)
ツムギは何故かその日なかなか寝付けなかった。
◇◇◇
一夜明けて、通学二日目。
ツムギは博士お手製のフレンチトーストを頬張っていた。バターの香ばしさとマイルドな甘みが口の中でとろける。博士は料理が上手かった。
キッチンで洗い物を片付けながら、エプロン姿の博士が問いかけた。
「あの後ほんとになにもなかったんでしょうね。クマ酷いわよ」
「えっ!? な、なにもなかったよ!? ミク⋯⋯ミツルに押し倒されるとか、ないったらない!」
「は?」
ピアノの端っこを押したような重低音。一瞬にして博士の表情は真っ黒になった。顔をトマトのように赤くさせたツムギが、途端に青ざめる。脳内では未知の研究の実験体として腹をかっ捌かれるミツルの姿が上映されていた。
「おはようツムギ、博士⋯⋯え!?」
「四葉ミツルぅ!!! 貴様!!!」
「待って待って待って博士待って」
「ど、どういうこと?」
「お前のせいよ四葉ミツルよくも私のかわいいツムギに手を出してくれたわね」
「て、手は出されてないし! キスされかけただけだし!」
「ツ、ツムギの唇が、ファーストキスが⋯⋯⋯⋯!!!」
「博士止まってぇええ!!!」
びっくりして固まる元妖精。怒りのまま包丁を構える博士。博士の腹に縋る元魔法少女。
なんとも忙しない朝の一幕であった。なお、ミツルは初めての人生において初めてのゲンコツを食らうことになる。博士のゲンコツはとびきり痛いのだった。
「いやあ恐ろしいね、人間の成体メスって」
「メスとか言わない」
「ごめんごめん、つい癖が抜けなくてさ」
白い制服を纏い玄関を出たふたり。ツムギは背の高いミツルを見上げる形で腫れ上がったタンコブにドン引きした。
ミツルはツムギと同じくハピネス学園の新入生だった、という事実を知ったのはついさっき。ツムギはもっと早く教えてよ!とびっくりして、ミツルは「一緒に学校に通えるね」と喜んでいた。世界を救った妖精の特権をフルに活かしている。
「昨日寝れなかったみたいだね」
「だ、誰のせいだと!」
「あ、僕だった」
あはは! 屈託なく笑うミツルにツムギも毒気が抜けた気がした。そうだ、こんな感じだった。マイペースなミクルんに振り回されている魔法少女の私が昨日のことのように思い出せる。
そんな掛け合いを続けていれば、校門はすぐ前にあった。玄関で靴を脱ぎ、上履きに履き替える。ミツルはまだ人間の靴というものに慣れてないらしく、スニーカーの紐を解くのに一苦労していた。
クラスでは帰国子女ということで通しているらしいが、その設定にも無理があると思う、とツムギは思った。階段を上がりピカピカの扉に手をかける。標識のゴシック体は一年A組と書いてあった。
「じゃあ私はここで、またね」
「えっ」
「だってミツルはB組でしょ?」
「やだやだやだ! ツムギと一緒がいい!」
「ちょっと、大きな声出さないでよ」
ツムギをすっぽり抱きしめて駄々をこねるミツルは観衆の目を浴びている。その視線に気づいているツムギは慌てふためいて必死に宥めた。こういうところで素の真面目さが出ている。
「⋯⋯⋯おい、なにしてんだ」
「あっごめんなさ」
言葉は続かなかった。
はく、と声になりきらなかった吐息が溢れる。
「昨日は悪かったな。⋯⋯急に押しかけて」
燃えるようなピンク混じりの赤髪。不満げで冷たい表情はあの日より少し変わって。
かつて正義と悪で争い、ツムギに忘れられない傷跡を残した男が――――ハデス改め狂瀬ココロがそこに居た。
「こ、ココロォ!?」
廊下に響き渡る大声に、彼は耳を塞いで呆れた顔をした。見ればミツルと同じ制服を来ている。あの噂は本当だったのか。だとすればハデスと呼ばなくて大正解、危ないところだった。
「あれ? 君ハデ⋯⋯むぐっ!?」
「あ、あはははは。ミツルちょっと黙ってようね」
むぐむぐむぐ。口を抑えられたミツルはしゅんと大人しくなった。一石二鳥。
「あなたも新入生だったなんて⋯⋯不思議なこともあるんだね」
まるで、何者かに仕組まれてるみたい。
そんなツムギの呟きを拾ったが、ココロは投げ返すことはなかった。ツムギがコソコソ話で続ける。
(魔法界に帰ったんじゃないの? 魔法警察は?)
(ボスに洗脳されてたからって解放してもらった。もちろんペナルティはあったけどな)
(え、だからなんで人間界に)
そこで少し言い淀んだココロ。
視線を泳がせて三秒後、意を決して目を合わせる。
(俺はもともと人間界の男だ)
ツムギの優秀な頭は即座にココロの背景を理解してしまった。アンドジ・エンド社は魔法界からやってきて、人間を絶望に追い詰めてきた組織。そしてココロ(ハデス)は最初からメンバーにいた。そしてココロは洗脳状態にあった。
それはつまり。
(彼は昔、魔法界に誘拐されていたってこと――――!?)




