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美少女天使(中身おじさん)は、できるだけ頑張らず楽しく生きたい  作者:


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第40話 筆の先にのせるもの

 日曜の朝。

 目が覚めた瞬間に、昨日のことが頭をよぎる。


 四角い窓。空欄みたいな丸い形。

 そして――“ぬ”


 ほんの一音しか拾えていないのに、その一音があるだけで、次にやることが決まっていた。

 宗一さんの言葉どおりだ。次は、筆にのせて書く。






 鳴瀬へ向かう車の中は、静かだった。

 静かだけど重苦しくはない。段取りが決まっているからだ。


 社務所の裏手に車を入れ、外に出ると、空気がひんやりして、森の匂いが濃く感じられた。

 早い時間だからか参拝客も少ない。けれど“表”に出るときは、黒髪黒目で通さなければならない。




 社務所の戸が開いて、由奈が顔を出した。

「おはよ! 早いね! 今日は“札を書く”ってやつ、やるんだよね?」

「やるよ」

 結衣が即答すると、由奈は口をぎゅっと結んで、珍しく真面目に頷いた。

「了解。それでね、見たいの。 いや、見届けたい!」


「見るだけな」

 低い声がして、奥から宗一さんが出てきた。

 手には、風呂敷に包んだ道具一式。


「来たな。天気は持ちそうだ。先に書くぞ」

 その物言いは、さすがに迷いがない。

 



 作業場は、住居側の一角。落ち着いて作業できそうな場所だった。

 硯。墨。筆。札の下地。白い布。糸。社伝を閉じたまま、宗一さんが横に置く。


「書くのは、短くていい。軸は“ぬ”。形は空欄」

 宗一さんは、昨日のメモを机に置いた。そこに、鉛筆で書かれた“ぬ”と、小さな丸がある。

「この丸は、“書かない”という記号だ。空欄のまま残す」

 

 私は頷き、椅子に座った。

 宗一さんが墨をすり始める。シュッ、シュッ、という音が妙に落ち着く。


「シエル。筆を持つ前に、息を置け」

「はい」

 息を吸って、吐く。次に吸い込むまでの短い間に、体を置く。


 筆を持つ。

 手が震えていないのが、自分でも意外だった。

 宗一さんが札を一枚、私の前に滑らせる。

「一枚目は練習でいい。二枚目から本番にする」

 私は頷いて、筆先を墨に含ませた。


 ――その瞬間、視界の端に、あの“四角い輪郭”がうっすら重なった気がした。


 胸の奥が冷える。でも、追わない。


(息)

 吸って、吐く。間に意識を置く。

 四角い輪郭が薄れる。机の木目がちゃんと見える。


 私は、ゆっくり“ぬ”と書いた。

 最後の払いを強くしない。宗一さんが言った通り、雑に勢いをつけない。

 次に、小さく丸を描く。

 “空欄”の印。


「できました」

 声が少し震えた。

 宗一さんは札を持ち上げ、目を細める。

「悪くない。二枚目行くぞ」


 由奈が、机の端で手を握りしめている。

「え、いまのが練習? もう完成じゃん!」

「黙って見てなさい」

 宗一さんの一言で、由奈が口を塞いだ。


 二枚目。私はもう一度、息を置いてから筆を入れた。


 “ぬ“ “○“


 今度は、胸の奥の冷えはなかった。代わりに、札の上に走った墨の匂いがはっきり分かった。

 三枚目も同じように書いて、宗一さんが札を三枚並べた。

「これなら十分だ」


 結衣が私の肩を軽く叩く。

「さっき一瞬、顔が固まってたけど、今は大丈夫そう。目、ちゃんとこっち向いてる」

「うん。ありがとう」

 そして、私は息を吐いた。

 手順として。






 祠へ向かう道は、昨日と同じ。落ち葉を踏む音が柔らかく、森の匂いが近い。

 祠の前に着くと、宗一さんは手早く道具を広げた。

「今日は大げさにはしない。掃除して、注連縄を掛け替えて、札を戻す。――作法を戻すだけだ」


 お父さんが周囲を見回す。

「人の気配はないな」

 宗一さんが頷く。

「今のうちだ」

 

 ここでは黒を無理に維持しないようにと言われている。昨日もそうだった。

 由奈は、いるが、私は迷わない。息を置いて、黒をほどく。銀が戻って、視界が少しだけ澄んだ。


「……え」

 由奈が、足を止めた。

 目を大きく見開き、私の髪と瞳を一度、目を疑うみたいに見直す。

「ちょ、待って。え、今……? 染めじゃないよね? カラコンでもないよね?」


 私は、答える前に一呼吸置いた。ここで慌てると、また“窓”に引っかかる。

「うん。本当はこっち」


 由奈は「まじか……」と小さく呟いて、それ以上は踏み込まなかった。

 代わりに、結衣を見る。助け舟を求める目。


「あとで説明するから。今は作業続けないと」

 結衣が短く言うと、由奈はすぐに頷いた。

「了解。びっくりしただけ。続けて」


 結衣が小さく笑う。

「やっぱ、そっちの方が楽そう」

「うん。楽」


 掃除は短く、丁寧に。宗一さんが祠の周りの落ち葉を払って、結衣が紙垂の位置を整える。

 私は白い布で、木の面をそっと拭いた。削り取らない。形を戻すだけ。

 お父さんは、少し離れたところで見ている。目が合うと、頷くだけ。


 注連縄を掛け替える段になって、雪がぬるっと現れた。

「……雪」

 白い猫は、祠の脇に座って、こちらを見上げた。まるで「またやるの?」と言いたげな顔。


「今日も邪魔するなよ」

 結衣が小声で言うと、雪は「にゃ」と雑に返した。


 宗一さんが、新しい注連縄を掛け終える。

 紙垂が、風で軽く揺れた。


「札を」

 宗一さんが言って、私が書いた札を一枚手に取る。


 「ぬ○」


 宗一さんはそれを祠の内側、定位置に納めた。

 そして、社伝を開かずに――短い言葉だけを置く。


「迷いは境へ返る。道は一本。ここで止まれ」

 言葉は短い。

 でも、空気が変わるのが分かった。


 胸の奥がひゅっと冷えて、視界の端に四角い輪郭が浮かぶ。

 あの“窓”だ。


 でも昨日と違う。

 引っ張りが来ても、糸が勝手に伸びていく感じが薄い。どこかで留まっている。


(……息)

 吸って、吐く。

 間に意識を置く。


 四角の中に、意味の分からない文字列が走る。

 けれど――真ん中あたりで、昨日拾った“ぬ”に似た形が、札の“ぬ○”と重なって、すっと引いていった。


 窓が薄くなり、森の気配が戻ってくる。

 鳥が一羽、羽ばたいた。

 私は肩で息をしていたことに気づいて、ゆっくり深呼吸をした。


「来た?」

 結衣が小声で聞く。

「来たけど、戻った。札が、効いた気がする」


 宗一さんが短く頷く。

「効いた“気がする”でいい。今日は、まず一本通した。あとは観察だ」


 宗一さんが祠を見上げ、最後に一言だけ落とした。

「“名”はまだ全てではない。だが、一本あれば道は作れる」

 その言い方が、怖さをほどいていく。






 戻る途中、由奈がようやく息を吐いた。

「……終わった? 終わったよね?」

「終わった。今日はな」

 宗一さんが言う。


 由奈が、歩きながら私と結衣の間に顔を寄せてきた。声は小さいのに、勢いだけは隠せていない。

「ねえ、さっきの髪と目。あれ、何? どうなってるの?」


 結衣が、指を唇の前に立てる。

「声、もうちょい小さく。外で言う話じゃないから」


 由奈は慌てて頷いて、それでも目を丸くしたまま私を見る。

「だって、一瞬で色が変わったじゃん。染めとかカラコンとかじゃ、絶対ああならないし……」


 私は一回だけ息を置いてから、短く答えた。

「説明すると長いんだけど。私、色を切り替えられる。学校とか外では目立ちたくないから黒で通してる」


「え、じゃあ、私が今まで見てた黒髪のシエルって?」

「“余所行き”のほう。こっちが本当」


 由奈の口が、ぱくぱく動く。

「まじで漫画じゃん!? いや、でも、なんで? いつから? え、危なくないの?」


 結衣が即座に返す。

「危ないっていうか、負担がある。だから、長時間はきついみたいだし、無理させたくない。それに、人に知られると面倒が増えるでしょ」


 由奈は、さっと周りを見回してから、やっと現実に戻った顔になった。

「だよね。ごめん、興奮しすぎた。誰にも言わない」


 私は小さく頷いた。

「驚かせてごめんなさい」


 由奈は首をぶんぶん振る。

「謝るとこじゃないって! いや、すごい。ほんとにすごい」


 最後に結衣が念を押す。

「鳴瀬の中だけの話ね。うちのことでもあるし」


「もちろん! でさ、話変わるけど」

 由奈が結衣と私を交互に見て、今度は言い方を選んだ。

「来週の行事。学業と通学安全の祈願、やっぱ手伝ってほしい。無理ならいいけど」


 結衣が先に答える。

「日程くれたら調整するよ」

「よかった。よろしく」

 由奈が言って、笑った。“いつもの由奈”が戻った気がした。

 雪は、私の足元に擦り寄ってから、満足そうに先を歩いていく。

 今日の“作法”が、ちゃんとこちら側に戻った、と言っているみたいだった。






 帰宅した夜。

 お風呂上がりの髪を乾かしながら、思い出す。


 札に書いた“ぬ○”。

 空欄は、空欄のまま。

 でも、それでよかった。全部分からなくても、道は作れる――宗一さんがそう言っていた。


 私は呼吸を整えて、ドアの向こうへ声をかけた。

「おやすみなさい。お父さん。お母さん」

 胸の奥が、少しだけ熱くなる。

 でも今日は、その熱に置き場所がある。


 息を吸って、吐いて、間に言葉を置く。


(ぬ)

 あの四角い窓は、まだ消えていない。

 でも、こちら側には札がある。手順がある。呼べる名前がある。


 私は目を閉じた。


 明日は学校。

 普通の一日を積み上げる。

 その積み上げも、きっと“塞ぎ直し”の続きだ。

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