破綻した恋人
[××××年12月24日××時××分 地球 ××××]
街灯と数多の光が揺らめく夜の街を、少年は静かに歩く。そこは活気に満ち溢れていて、すれ違う人々全てが顔に笑顔の表情を浮かべている。少年は、制服のポケットへと手を突っ込み、その全てを無視して進む。
そんな彼の姿を、人々は気にしない。少年は、涙が自分の頬を流れていることを無視して歩く。
明るい、とても明るい夜のはずなのに、少年の周りには光が寄らず、影が渦巻いていた。
歌が聞こえてきて、少年は足を止める。何処となく単調なギターのメロディ、何処かで聞いたことのあるような歌詞、声。決して会ったことがある訳でもないし、話した事がある訳でもない。それでも、不思議と懐かしい感じがした。
少年はその歌を奏でる男を見る。客は疎らで、その大半が体を寄せ会う男女。甘い雰囲気に酔っている彼らには、そんな聞いたことのない誰かの歌ですら、ムードを盛り上げるための触媒となり得るのだろうか。
そんな上の空で聞いている客たちのために、男は熱を込めて歌っている。その姿は少年に、孤独を連想させた。
やがて男の声に今まで以上に大きくなり、その曲が終わる。
少しばかり聞こえる拍手に、男は懸命に頭を下げる。周りに釣られるようにして、ささやかな拍手を送る。
ふと、少年は男が自分を見つめていることに気が付いた。そういえば頬が涙で濡れていたのを忘れていた。何となく悪いことをしたような気分になって、少年は男の元を去った。
未だ活気溢れる夜は終わらずに、人々は街を徘徊していた。少年はその中に影を落として、色気立つ人々の間を縫って進む。とはいえ、とくにする事もなく、ここにいればする事が出来るわけでもない。自分自身も、他の人々と変わらないのではないかと、少年は考えた。
街の光の中でも、目を引き付けられるものは限られている。ここで言えば、色とりどりの鮮やかな装飾を施された巨大な樹と、それと同じくらい煌々と輝いている、大きな電光掲示板だろうか。
掲示板には、最近この区域で人気を博している歌手の映像が流れていた。それを見た少年は、街の隅で一人歌っていた孤独な男を思い出した。
少年は音楽に詳しくはないし、詩に関しても良く分からない。だから、結果を見て判断することしか出来なかった。
あの歌手は、"遂げられた人"で、あの男は"遂げられなかった人"なのだと。
自分はどっちになるのだろうか。そう考えると、憂鬱になる。
もうそろそろ聖夜が終わりを告げ、朝が訪れる。
少年は、それまでに頭の中を巡る憂鬱さが晴れるようにと、強く願った。
[2204年5月12日10時26分 月 EAF基地 居住区画]
「りっくん、起きて」
眠っていた黒鉄理駆斗は、自分がとんでもなく恥ずかしい愛称で呼ばれたような気がして、目を擦る。
理駆斗の1人部屋であるはずのここに、名前を呼ぶような人がいるとも思えない。防犯対策も万全なはずだ。理駆斗は呼ばれたをただ勘違いだと判断し、再び目を閉じて布団を顔の上まで覆いかぶせる。
今までの軍の施設内に設置されていたものの中でも、最も品質が良いであろうこのベッドに包まれていると、何もかもを忘れ、そのまま微睡みの中へと落ちていってしまいそうだ。
「りっくん」
そんなことをまどろみの中で考えていた理駆斗を再び誰かが呼んだような感じがして、薄らと目を開ける。しかし、誰かが部屋にいるような感じはせず、白を基調とした天井のみが、視界の中に映っている。
名残惜しいことではあるが、そろそろ起きなくてはならないだろう。どんなに今日が1日中暇な日とはいえ、規則正しい生活は心がけるべきであるのだから。理駆斗は自分の心に言い聞かせながら、未だ完全に開いていない瞼を数度擦る。
「ん、起きた?」
「え?」
予期していなかった声に、理駆斗急いでベッドから体を起こす。起き上がった理駆斗の前に立っていたのは、黒い髪を指でくるくると掻き回している彼の従姉弟、オペレーター制服姿の黒鉄沙夜だった。
「おはよう、りっくん」
沙夜の顔が満面の笑みを浮かべ、理駆斗は予想の斜め上を行く状況に驚きの表情を隠せずにいる。
「どうしてここに!?」
「ん? もちろん、りっくんを起こす為に決まってるじゃない」
「そうじゃなくて……」
沙夜の何一つ答えになっていない返事に呆れながら、理駆斗は強ばっていた肩の力を抜く。
「で、どうやってここに入ってきたの?」
理駆斗は自分が今、一番聞きたかったことを沙夜に訪ねる。
それはもっともなことで、この部屋に入るためには利用者、つまりは理駆斗の生体認証か、許可が必要なはずである。もしかしたら作戦管理担当のシルビィや、情報を登録した人なら入れるのかもしれないが、そのどれにも当てはまることのない沙夜に入ることが出来る理由があるとは、理駆斗には考えられなかった。
「ああ、そんなことね。私の知り合いに住居スペース管理担当の人がいるんだけど、その人にお願いしたら、『襲われないように気を付けなよ!』って言われてあっさり私の情報を登録してくれたの。ね、凄いでしょう?」
「そんなにあっさりと僕の部屋の鍵は横流しにされちゃうのか……」
理駆斗はどう反応して良いかわからず、大きくため息を吐く。
とは言っても、既に入られてしまっているために対策をすることは出来ないし、機械でのセキュリティさえパスできれば何でも出来るご時世だ。何かを言う気さえも理駆斗の心には沸き上がって来なかった。
「それで、何か用事でもあったの? 今日は休みだから出来れば本でも読んで過ごそうと思っていたんだけど……」
理駆斗のその言葉を聞くと、沙夜はいかにも不満そうな顔をしてため息を吐く。
(新しい住居に来て一週間も経たずに鍵を破られて、ため息を吐きたいのはこちらの方だと思うんだけど……)
そんな理駆斗の心情も知らず、鍵破りの従姉弟は口を開いた。
「もう、少しは外に出なさいよ」
「……久しぶりの休みなんだ。そんな時ぐらい自由にさせてよ」
沙夜は腰に手を当てて、理駒斗に詰め寄ってくる。豊満な胸を強調するようなその姿勢に、理駒斗は少しドキリとする。
「全く、そうやって過ごしてばかりだから友人が出来ないのよ」
「うぐっ……」
とても触れられたくないことを言われた気がした。視界の右上にある時間を確認しようとして、自分がARIVSを使用していないことに気が付く。
「……そんなことないって」
「自信ないことは言わないの」
理駆斗の強がりは早くも無駄になって、逆に肯定の意を強めてしまったようにすら思える。
(今のは失敗だったな……)
理駆斗は心の中で自分の失敗を反省し、ベッドから立ち上がる。
「……分かったよ。準備するから外で少し待ってて」
理駒斗は、沙夜が頷いて部屋から出て行くと、出かける準備を始めることにした。
理駆斗が準備を終えて部屋から出ると、外で少し離れた壁に寄りかかっていた沙夜はARIVSを操作していた。沙夜は視界に情報が表示されたのか、理駆斗が近づくと顔を上げて笑う。
「それじゃあ、とりあえず商業区画に行ってみましょうか」
理駆斗は沙夜の言葉に無言で頷く。
元々部屋でゆっくりしているつもりだった彼には明確なプランなど有るはずもなく、今日は言われた場所に素直に付いて行こうと考えていたからだ。因みに、沙夜が何一つ予定を立てていなかった場合は帰ろうとしていた。
「そういえばりっくん、今日も制服なんだね。別の服も着たらいいのに」
二人で並んで歩く中、沙夜が理駆斗に聞いてくる。
「軍の服装の規定は面倒が多いから、こういうしっかりした服装の方が過ごしやすいんだ。それに、沙夜姉だってオペレーターの制服を着てるだろう」
理駆斗は沙夜の問いに静かに答える。その答えを聞いた沙夜の姿はどこか不満そうだ。
「私は良いの。ほら、今日も後で仕事が有るしね。でも、りっくんだって年頃の男の子じゃない。ちゃんとおしゃれしないとダメでしょ!」
「うん……まあ……」
理駆斗は曖昧に頷く。確かに沙夜が言っていることも間違っていないと思うし、自分の身を気遣ってくれる心は普通に嬉しいと思う。しかし、理駆斗は軍に所属する兵士だ。普通に学生として楽しい生活を謳歌している人たちとは余りに立場がかけ離れている。それに加えて、理駆斗は今までずっと兵士になるために生きてきた。だから、それ以外の生き方を知らないし、そんなことをしようとなんて、一度たりとも思ったことはなかった。
「僕にもそんな生活があるのかな……」
理駆斗の口から小さく呟きが洩れる。そんな理駆斗のまだ曖昧な心の声を、気配り上手な従姉弟は聞き逃さなかった。
「それじゃあ、まずはりっくんの服から見に行こっか!」
「えっ、あっ、ちょっと待ってよ沙夜姉!?」
気が付けば理駆斗の手は沙夜にしっかりと握られてしまっていた。
「大丈夫、私がちゃんとコーディネートしてあげるから!」
「だからそういう意味じゃなくて! 伸びるから制服の裾を引っ張らないで!」
理駆斗は沙夜に手を掴まれて、強引に引っ張られていく。抵抗しようとも考えたが、万が一にも沙夜に怪我をさせてしまう訳にはいかない。素直に従った方が良いだろう。
小夜は、口では色々叫んでいたものの、一度も抵抗しない理駆斗の姿を見て、小さく微笑んだ。
「それで、最近はどうなの? 宇宙での生活には馴れた?」
歩く沙夜が、理駆斗に訪ねる。
既に拘束されていた手は解放されていて、歩く速度も元に戻っている。別に何かがあった訳でもない。走り疲れた沙夜が息を切らしてその場で倒れそうになっていただけだ。
「まあ、普通だよ。でも、ここの基地は凄い便利で驚いた、かな」
理駆斗は少しおどけて答える。そんな理駆斗姿に、沙夜は笑みを作る。
「でしょう、ここは地球の中で最も死守しなければならない場所であると同時に、最も守りにくい場所でもあるんだからね」
「うん、だからここでの戦いは一戦の敗北も許されないんだよね」
今は平和なこの場所だって立派な戦場で、外には足を踏み込むだけで絶命するほどの死地が広がっている。資源の少ないここでの戦いは防衛ですら不利で、故にいつでも磐石な体制を敷かなければならないのだ。
「まあ、今日はせっかくの休日なんだし、仕事の話はなしにしましょう」
「うん、そうだね」
理駆斗は少々重い空気になっていた思考を、今日は休日なのだと心に言い聞かせて素早く切り替える。折角、沙夜が時間を持て余していた自分を気にかけてくれているのだ。せめて明るく楽しむことが、自分に出来る唯一の恩返しだろう。
『なあ、あれ見ろよ。噂の"死神"様だぜ』
『ああ、模擬戦で戦ってた黒い駆動鎧の』
ふと、どこかから男達の声が聞こえて来て、理駆斗は足を止める。そんな理駆斗の動きを見た沙夜も足を止め、心配そうに表情を伺っている。
今のは決して聞き間違いではなかったはずだ。そうだとすれば、彼等が言った言葉の中で疑問を向けるべきはたった一つ……
「……死神」
「っ!?」
理駆斗の呟きに、沙夜の体が少し震えたような気がした。
「ごめんなさい……私達も余り広まらないように頑張ったのだけど……」
俯いた沙夜の表情は窺うことが出来ないが、彼女の声は震えていて、何処か悔しさを堪えているような感じを思わせた。理駆斗はそんな彼女から視線を逸らし、呟く。
「いいんだ。多分、仕方ないことだったんだ……」
無機質な白の壁と、それを包むように輝く淡い照明の光。それを見ながら、理駆斗は静かに考える。
黒鉄理駆斗が先日の模擬戦闘訓練で負けた。そんな自分の認識が間違っていることは、数日前から薄々と感付き始めていた。もしかしたら、百合香が『村雨』を振り降ろして、視界が暗転したその先があったのではないかと、認めたくはないが考えていた。
しかし、最近の周りの対応を見れば一目瞭然だ。
もう認めなければならない。それは確かにあったのだ。
それに、そのことがどんな意味を示しているのか、理駆斗には既に理解出来ていた。
「僕は蟷螂じゃない。絶対に水に入るものか……」
理駆斗は誰にも聞かれることがないよう、自らの決意を小さく呟く。
「りっくん……」
心配そうな沙夜の表情をみて、理駆斗は笑顔を作る。しかし、沙夜の曇った表情は晴れず、理駆斗の中を覗き込んでいるように見えた。
「心配いらないよ。僕はそんなに弱くない」
理駆斗は沙夜の目を見て言う。自分でもそんなことがないと分かっている。ただ、どうしても信じたかっただけだ。
「……うん、そうだよね」
沙夜は呟くと、顔に笑顔を作る。その顔が少し引き吊っていると知っていながら、理駆斗は何も言わなかった。
「それじゃあ、気を取り直して商業区画の方へ行きましょう」
「うん」
模擬戦を終えて、未だ少しの傷は癒えないものの、今は確かにあるものにすがりつくことだけが、理駆斗に許された選択肢だった。
[××××年××月××日××時××分 地球 ××××]
グチャリ、と。
何かが潰れる音がして、朱色の花弁が辺りに飛び散る。
そこは、紛れもなく地獄だった。周囲には既に逝ってしまった人々の死体の山。紅色に輝く蜜の池。それを踏み付けて歩く一つの影。
漆黒と蒼白い光を放つ一人の騎士が空に手を伸ばす。
瞬間、世界が歪んだ。
遠くにいた男の体が腰で直角に曲がり、ごみ箱に紙くずが投げられるように吹っ飛ぶ。その光景を、制止した他の男達が目だけを動かして見つめる。その光景から目が離せないようだ。
そこは戦場だ。火星人強襲で急遽発足した地球連合国には敵も多く、足並みを揃えない国も少なくなかった。中には武力抵抗に走る国もあり、AEFはその収束も任務に含まれていた。
『黒鉄小慰、既に敵に抵抗の意志はありません! 無駄な戦闘は避けて下さい!!』
通信を通じて、理駆斗の元にオペレーターの声が響く。この男はシルビィの前任だった人だ。その男の言葉に対して、理駆斗は無言で手を伸ばした。
『やめろ! それは!!』
黒き騎士を囲んでいた男達の銃が火を吹く。しかし、弾丸は理駆斗の鎧に穴を空けることはなく、空中で前にも下にも落ちずに制止する。
「邪魔だよ……」
『やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
オペレーターの絶叫を無視して、理駆斗は開いていた手を握る。
そして、紅色の花が、一面に咲き乱れた。
『どうして殺した……』
通信で理駆斗の耳にオペレーターの声が届く。その言葉には、味方であるにもかかわらず、紛れもない憎悪が込められていた。
「……」
理駆斗は無言で自分の立っている場所を見た。銃声は鳴り止み、静寂が辺りを包みこむ。やけに乾いていた大地は今は紅色の水で潤っていて、周囲には原形の分からないような死体が山のように転がっている。
『この死神が!』
「いいよ、死神で……」
オペレーターの罵倒に対して、理駆斗が言葉を発する。その声の冷たさに、男は息を飲んだ。
「お前はオペレーターだろ。兵士じゃない。人を殺していない温室育ちに何がわかるって言いたいんだ?」
「っ!」
理駆斗の声は笑っていた。どこか投げやりな、悲しい悲鳴を孕んで。
「っていうか抵抗の意思はないってどういうことだよ? 戦争には無駄しかないっての。この偽善者が」
「だが!」
男は反論しようとして、出来なかった。いつのまにか、理駆斗の視界を映したモニターに人差し指が向けられていた。
「逃げるなら逃げろよ、臆病者。戦場は人殺しの世界だ。温室育ちの屑共が気楽に足を踏み入れて良い場所じゃない。口を挟みたかったら……そうだな……お前もこっちに来たらどうだ?」
死神の顔が、誰にも知られずに歪んだ笑みを浮かべた。
こんにちは、烏悔糸柳です。第六部、お楽しみ頂けたでしょうか。
疑問などがあったら感想に書いて頂ければ、答えられる範囲で回答していきたいと思っておりますので、良ければどうぞ。




