王女の願い
もう何年でしょうか?
私がここから出られなくなって。光が閉ざされて。自分の足で満足に歩く事も美しい街並みを見る事も叶わない。そんな毎日には絶望しかありませんでした。
でも私は王女です。甘えは許されません。どんなに辛くても王族としての義務は全うしなければなりません。それが私たちを信じてついてきてくれる者たちへの在り方というものです。
もちろん足が動かなくなってから、目が見えなくなってから何もしなかった訳ではありません。お父様が国中から優秀な魔法使いを呼んで私を治療させようとしました。でも結果は散々たるものでした。
原因不明。
それが私の不自由に貼られたレッテルでした。普通の魔法使いでは駄目ならと、次は精霊使いたちを呼び出しましたが芳しい結果は出ませんでした。
祈祷魔法使いは呼び出しませんでした。何故なら私自身が世界でも有数の祈祷魔法の使い手だからです。だから祈祷魔法では治らない事は誰よりもよく分かっていました。
そして私は自室から出る事は無くなりました。お父様が私の病状がこれ以上悪くならないようにと配慮してくれた結果です。いくら目が見えないからと言っても外に出られないのは悲しい事でした。
だから私は窓からいつも街を見ていました。もちろん見ていたといっても実際に見えていた訳ではありません。ただ窓を開けて街に溢れる生活の音を感じていただけです。そんな活気のある人たちを見ていると私もなんだか元気になってくるような気がしたからです。でも感情とはそれだけの美しいものではありませんでした。ただ無邪気に街を歩く人たちが羨ましくもあり、妬ましくもあったのです。
私には自身を飾ることは出来ても、自らの足で歩く事はできません。その事実を思い知らされるたびに私は泣きました。何も見えない目からは涙が溢れるだけ。
そして今宵も窓を開けて静まり返った街の音を聴いていました。
「もし神がいるのなら何故私だったのでしょうか。毎日欠かさずに神に祈りを捧げていました。今だって欠かしていません。なのに何故……」
祈祷魔法は神への祈りの大きさで決まります。私は世界でも有数の祈祷魔法使いです。それはつまり私がそれだけ神へ祈っているという事です。
「私はもう一度、太陽が、アステリの人びとが見たいです。自分の足で大地を感じたいです」
私のそんな呟きはいつものように夜空へと吸い込まれていくはずでした。でも今宵は違いました。私の呟きに応える声があったのです。
「それがお前の願いか?」
いつの間にか私の部屋の隅に男の人が立っていました。私は目が見えないのでよく分かりませんが声に悪意はないように感じられます。
「だ、誰ですか!?」
私は慌てて脇に置いてある護身用の短刀を手に取ります。どうやってここへ侵入してきたのか。それは分かりませんが恐らく彼は相当な手練れです。何故なら目が見えなくなって他の感覚が鋭くなった私ですら声を掛けられるまで気付く事が出来なかったからです。
「橘四郎」
「え?」
「俺の名前だよ。こっち風に言うとシロー・タチバナかな」
彼は悪戯が成功した子供のように楽しそうに笑っています。本来なら不審者なのですから衛兵を呼ばなければなりませんが毒気が抜かれて私は思わず短刀を置いてしまいました。
「えっと…シロー様は私に何かご用なんですか?」
「そうそう。王族とのパイプが欲しくてね」
随分と率直な方ですね。
「それで素直に私がはいと言うとお思いですか?」
相手の真意を見極めるために私は少々棘のある感じで答えます。
「思ってない。だからお前に奇跡をプレゼントしてやるよ」
その言葉に私は思わず眉間に皺を寄せてしまいます。
「奇跡とはそう簡単に起きるものではありません。それに容易く口に出していいものでもありません」
私は神を信じています。だからこそ奇跡というものは信じていますし願っています。しかし例え奇跡が起こって欲しいと口に出しても奇跡を起こすとは口に出しません。奇跡とは人が起こしていいものではないのですから。
「建て前なんざどーでもいい。お前の本音を聞かせろ」
彼の言葉は私の意見をばっさりと切りました。建て前。確かにそうかもしれません。私は奇跡でも奇跡じゃなくても元気になれればいいと思っています。ただ奇跡という事に縋っているだけ。
「元気になりたいです」
「それが例え悪魔の誘いであったとしてもか?」
「はい」
建て前を崩されれば後は簡単でした。元気になりたい。街を、人を、家族を見たい。共に歩きたい。それさえ叶えば私にはもう何もいりません。
「なら見えないお前に魅せてやるよ。奇跡を」
彼はそう言って私の頭に手を起きました。思わず身体がビクリと反応してしまいました。彼の手から伝わってくる温もりはとても温かいものでした。
すると彼の身体から急激に<魔>のようなものに包まれていきました。<魔>のようなものと言ったのは私の知っている<魔>とは違うように感じたからです。それよりももっと温かい何か。
「<治癒>」
私の上から温かいものが降り注いできました。それはとても心地良く素敵なものでした。
「もう大丈夫だ。見えるし歩けるはずだ」
あまりの心地良さに恍惚としている私に彼は声を掛けてきました。半信半疑のままいつも閉じている瞼を開けると…。
「まぶしい…」
大量の光が私の中になだれ込んできました。夜のはずなのにそれはとても眩しく感じました。
「見えるだろ?」
そこでようやく私は彼の方を見ました。黒い髪に黒い瞳。そして整った顔立ち。失礼だと分かりながらも私は彼をまじまじと見つめてしまいました。
「おはよー王女様」
彼はその美しい顔を少しだけ意地悪そうに歪めてからそう言ったのです。




