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七話 西苑の茶会



王宮の西苑には、春の光が満ちていた。


朱塗りの回廊の向こうには、白い梨の花と薄紅色の桃の花が幾重にも咲き、風が通るたび、花びらが雪のように舞い上がる。


庭の中央には、広い池があった。


澄んだ水面には青空と金色の屋根が映り、その間を赤や白の魚がゆったりと泳いでいる。

軒下に吊るされた玉飾りが風に揺れ、触れ合うたびに涼やかな音を響かせていた。


「わあ……」


星揺は、王宮の女官に案内されながら、思わず声を漏らした。


「星揺。前を見て」


隣を歩く鈴花が、小声で注意する。


「見ているわ」


「今は池の魚を見ていたでしょう?」


「だって、とても大きいのよ。あれほど大きな魚、裴府の池にはいないもの」


「帰りにも見られるわ」


「帰りに同じ道を通るとは限らないでしょう?」


言いながら、星揺は今度は回廊の屋根を見上げた。


金色の瓦の先には、龍や鳳凰をかたどった飾りが置かれている。陽を受けるたびに眩しく輝き、空へ飛び立とうとしているように見えた。


裴府も、王都の中では決して小さな屋敷ではない。


父は将軍であり、客を迎える正堂も、宴を開くための庭も、兵や家人が弓や剣を学ぶ広い稽古場もある。


けれど、王宮とは何もかもが違っていた。


裴府の朝に聞こえるのは、剣を打ち合わせる音と、馬のいななき。

廊下を歩けば、壁には父や兄が使う弓や槍が掛けられている。

柱も家具も、華やかさより丈夫さを重んじて作られていた。

一方、王宮では、どこへ目を向けても花や鳥、雲や瑞獣が描かれている。


回廊の手すりにまで細かな透かし彫りが施され、足元の石には一枚ずつ違う花模様が刻まれていた。


「同じ人が暮らす場所とは思えないわ」


星揺が声を潜める。


「聞こえるわよ」


鈴花も辺りを見ながら答えた。


「悪い意味ではないの。ただ、裴府へ帰ったら、急に何もないように見えてしまいそう」


「母様が聞いたら、悲しまれるわ」


「何もないとは言ってないでしょう?裴府には武器がたくさんあるもの」


「慰めになっていないと思う」


二人が小声で話しているうちに、先を歩いていた女官が足を止めた。


「こちらでございます」


女官が頭を下げる。

左右に控えていた宮女たちが、二枚の扉へ手を掛けた。

静かに扉が開かれる。

星揺は鈴花と共に一歩、中へ入った。


そして、その場で立ち止まった。


「……わあ」


先ほどよりも小さな声が、高い天井の下へ響いた。

床には、牡丹と雲を織り込んだ厚い敷物が敷かれている。

朱色の柱には金の蔓草が描かれ、壁際に置かれた翡翠の衝立には、尾を広げた二羽の孔雀が彫られていた。


窓辺には、淡い紅色と白の薄絹が何枚も重ねて吊られている。

外から差し込む春の光は、絹を透かして柔らかな色へ変わり、室内全体を薄紅色に染めていた。


星揺は天井を見上げた。


青空を思わせる淡い色の上へ、雲の間を舞う鳳凰と、咲き乱れる花々が描かれている。

一枚一枚の羽や花弁には金箔が使われ、星揺が動くたび、光の角度を変えて小さく輝いた。


「上まで綺麗……」


星揺は、天井を見上げたまま呟いた。


「上?」


不意に、部屋の奥から声がした。

星揺は驚いて顔を戻す。

開け放たれた窓の前に、一人の娘が立っていた。

薄桃色と金を重ねた華やかな衣。

艶やかな黒髪には、紅玉と真珠を連ねた簪が挿されている。


弓競べの日に会った、昭華公主だった。

星揺と鈴花は慌てて姿勢を正し、深く頭を下げた。


「公主殿下にご挨拶申し上げます」


「堅苦しくしなくてよいわ」


昭華は二人の前まで歩いてくると、星揺が見ていた天井を自分でも見上げた。


「上まで見る者は、あまりいないのよ」


「申し訳ございません。あまりにも美しかったので……」


「なぜ謝るの?」


昭華は不思議そうに首を傾げた。


「美しいと思ったのでしょう?」


「はい」


「なら、もっと見ていてもよかったのに」


昭華は少し得意そうな顔で天井を眺めた。


「この絵は、私が八歳の時に描き直させたのよ」


「公主殿下がお決めになったのですか?」


星揺の目が輝く。


「ええ。以前は鶴と雲だけだったの。あまりに寂しかったから、花と鳳凰を増やさせたわ」


「とても素敵です」


星揺は取り繕うことなく答えた。

昭華の顔が明るくなる。


「そうでしょう?」


褒められたことが、素直に嬉しいらしい。

星揺は、もう一度天井を見上げた。


「裴府では、上を見ても梁しかございません」


隣にいた鈴花が、星揺の袖をそっと引いた。


「梁も大切よ」


「分かってるわ。でも、鳳凰は飛んでいないでしょう?」


昭華が、小さく吹き出した。


「あなたの家には、何が飾られているの?」


「弓や槍が多いです」


「部屋にも?」


「客間にはございませんが、廊下を歩けば、大抵何かの武器があります」


昭華は興味深そうに目を丸くした。


「落ち着かない屋敷ね」


「慣れれば普通です」


「ここも、私には普通よ」


星揺は室内を見回した。


「こちらが普通だと思えるなんて、少し羨ましいです」


昭華は星揺をじっと見た。

世辞を言っているのではない。

本当にそう思っていることが、顔を見ればすぐに分かる。


「やはり、あなたは面白いわ」


昭華は満足そうに言った。

星揺は褒められたのか分からず、鈴花を見る。

鈴花は微笑んだだけで、何も言わなかった。


     ◇◇


茶は、部屋から池へ張り出すように設けられた水亭で用意されていた。

白い石造りの卓の上には、透き通るような茶器と、色鮮やかな菓子が並んでいる。


桃の花をかたどった菓子。

木の実を蜜で固めたもの。

白い餅の中へ花の餡を包んだもの。


薄く切った果実には、細かな氷が添えられていた。

星揺は席へ着きながら、卓の上へ目を向けた。


「食べてよいのよ」


昭華が言った。


「見ているだけではなく」


「見ていたわけでは……」


「先ほどから、その桃の菓子を三度見ていたわ」


星揺の頬が少し赤くなった。

鈴花は何も言わず、静かに茶器を手に取る。

星揺も桃の形をした菓子を一つ取り、一口かじった。

柔らかな皮の中から、甘酸っぱい果実の餡が出てくる。


「美味しい……」


思わず声にすると、昭華は嬉しそうに笑った。


「それは西方から取り寄せた果実を使っているのよ」


「裴府でも作れるかしら」


「同じ果実がなければ、難しいでしょうね」


星揺は残りの菓子を見て、少し残念そうな顔をした。

その様子を見ながら、昭華は自分の茶碗を持ち上げる。

最初こそ、弓競べで見た変わった娘を近くで確かめてみたいと思っただけだった。

掴み合いの騒ぎを起こしたと聞いていたのに、実際に話してみれば、星揺は思ったことが顔へ出やすく、少し落ち着きがなくて、妙に素直だった。


昭華へ取り入ろうとする様子もない。

それが、かえって気楽だった。


暫く菓子や庭の話をしたあと、昭華は星揺を見た。


「あなた、昊然に助けてもらったことがあるのでしょう?」


星揺の手が止まった。

鈴花は口を挟まず、静かに茶を飲んでいる。


「はい」


「一度ではないと聞いたわ」


「はい、…二度ほど」


「二度も?」


昭華は確かめるように瞬きをした。


「韓家の宴でも、その後にも助けていただきました」


「昊然が?」


「はい」



昭華は卓へ少し身を乗り出した。


「どのように助けてもらったの?」


星揺は僅かに目を伏せた。

黒い日傘の下で、腰へ回された腕の温かさが脳裏を過ぎる。

けれど、そこまで細かく話す必要はない。


「困っていたところを、助けていただいただけです」


昭華は星揺の顔を見つめた。


「それだけ?」


「それだけでございます」


「何だか、隠しているように見えるわ」


「隠しておりません」


星揺が真面目に答えると、昭華は少しだけ目を細めた。

それ以上は追及せず、茶碗の縁へ指を添える。


「でも、人に助けてもらうと……」


言葉を選ぶように、少し間を置いた。


「しばらく、そのことを思い出すものなのかしら」


星揺は昭華の横顔を見た。


「そうかもしれません」


「あなたも?」


「はい。時々」


黒い日傘、夜のように黒い瞳、低い声。


思い出すたび、胸の奥が僅かに落ち着かなくなる。

けれど星揺には、まだそれが何なのか分からない。


昭華は茶碗へ視線を落とした。

彼女にも、最近よく思い出すことがあった。

弓場で矢が飛んできた時。

何が起きたのか理解する前に、身体を強く引かれた。

そして気づけば、景雲が自分の前に立っていた。

肩から血を流していたのに、まず昭華の怪我を確かめた。


あの時の目、腕の強さ。

安堵したように僅かに細められた目元。

何度も思い出すつもりなどないのに、ふとした瞬間に蘇る。


「公主殿下にも、どなたかに助けていただいたことがあるのですか?」


星揺が尋ねた。

昭華は顔を上げた。


「私も、景雲に助けてもらったことがあるだけよ」


返事が少し早かった。


「あ、弓競べの、時!?」


「ええ」


昭華は何でもないことのように答え、自分の茶を飲む。


「それだけよ」


自分から星揺へ尋ねておきながら、詳しく話すつもりはないらしい。


星揺も、それ以上は聞かなかった。


ただ、昭華が昊然の名を口にした時より、景雲の名を口にした時の方が少し落ち着かなく見えた。

昭華自身は、今でも昊然が好きなのだと思っている。

幼い頃から知っている、誰よりも強く美しい青年。


冷たくされるほど、自分だけは振り向かせたいと思ってきた。

けれど景雲に対して抱く気持ちは、それとは少し違っていた。


怪我はもうよいのか。

本当に無理をしていないのか。

次に会った時は、どのような顔で話せばよいのか。

考えようとしているわけでもないのに、なぜか気になる。


その理由を、昭華はまだ知ろうとはしなかった。


「ところで」


昭華は話を変えるように星揺を見る。


「あなたは、昊然を怖いと思わないの?」


星揺は少し考えた。

初めて黒い日傘の下から現れた昊然を見た時。


人々の声が止み。

風まで静まり。

夜の一部が、そのまま昼の庭へ現れたように思えた。


「最初は、怖いと思いました」


正直に答える。

昭華は意外そうに眉を上げた。


「ですが、悪い方ではないと思います」


「どうして?」


「二度も助けていただきましたから」


星揺は当たり前のことのように言った。

昭華は暫く星揺を見つめた。


「あなたは、昊然を随分と信用しているのね」


「信用というほど、よく知っているわけではございません」


星揺は慌てて付け加える。


「ただ、困っている人を見ても、何もしないような方ではないと思います」


鈴花が、茶碗の向こうから星揺を見る。

星揺自身は気づいていない。

昊然のことを話す時だけ、声が僅かに柔らかくなることに。



「随分と楽しそうだな」


ふいに、回廊の方から、明るい声が聞こえた。

三人が顔を向ける。

深い青の衣をまとった青年が、数人の侍従を伴って水亭へ歩いてきた。


玉冠の下には、快活さを感じさせる整った顔。

弓競べの日に王族席の中央へ座っていた、この国の太子。


蕭凌川だった。


星揺と鈴花はすぐに立ち上がり、頭を下げる。


「太子殿下にご挨拶申し上げます」


「楽にしてよい」


凌川は穏やかに告げた。

昭華だけは、露骨に眉を寄せる。


「兄上を呼んだ覚えはないわ」


「ここは王宮だ。私が歩いていても不思議ではないだろう」


「西苑の、私の水亭まで?」


「天気がよいからな」


凌川は平然と答えた。

けれど、その視線はすでに星揺へ向いている。


「先日の、よく声の響く令嬢だな」


星揺の頬が赤くなった。


「あの日のことは、もうお忘れくださいませ」


「忘れようとはしたのだが、射場の端まで聞こえた声は、なかなか忘れられない」


「それほど大きな声では……」


途中まで言いかけ、星揺は口を閉じた。

周囲の者たちが何度も振り返っていたことを、自分でも覚えている。


凌川は楽しそうに笑った。


「兄君思いなのは、悪いことではない」


「ありがとうございます」


星揺は少し恥ずかしそうに頭を下げた。

昭華は兄と星揺を交互に見る。


「兄上も、星揺と話したかったの?」


「ああ」


凌川は隠す様子もなく答えた。


「弓場で見て、少し興味を持った」


星揺が目を瞬く。

隣で鈴花は、口に手を当ててまぁ!と声を漏らし、昭華は、眉が上がった。


「星揺は私が呼んだのよ」


「取るつもりはない」


「その言い方が気に入らないわ」


「では、どう言えばよい?」


兄妹のやり取りを前に、星揺はどう反応するべきか分からず、鈴花を見る。


鈴花も困ったように微笑んでいる。

凌川は空いている席へ腰を下ろした。

女官がすぐに新しい茶器を運んでくる。


「兄君は、弓競べの後も稽古を続けているか?」


凌川が星揺へ尋ねた。


「はい。次こそは一位になると申しております」


「景明が、自分からそのようなことを言ったのか?」


「いえ。私が申しました」


凌川が一瞬黙る。


「兄君も大変だな」


「なぜですか?」


「二位を取った翌日から、次は一位になれと言われるのだろう?」


「兄上なら、きっとできます」


星揺は迷いなく答えた。

凌川は、その顔を見て目を細める。


「随分と兄を信じているのだな」


「兄上ですから」


ほかに理由が必要なのかと言うような顔だった。

凌川の口元に笑みが浮かぶ。

弓競べの日もそうだった。

周囲の令嬢たちが王族席を気にする中、星揺だけは兄の一射一射へ夢中になっていた。

今も太子を前にしているというのに、必要以上に自分をよく見せようとはしない。


「初めての王宮はどうだ?」


凌川が尋ねた。


「とても美しいです」


星揺はすぐに答えた。

それから少し考え、正直に付け加える。


「ただ、あまりに広くて、一人では門へ戻れない気がいたします」


凌川は目を瞬いた。

隣で昭華が吹き出す。


「私も大げさだと言ったのよ」


「公主殿下は、幼い頃に迷ったことがおありだと仰っていました」


昭華の笑顔が止まった。


「星揺!」


凌川が声を上げて笑う。


「昭華、お前は客人へ何を話している」


「幼い時の話よ!」


「俺の記憶では、ここ数年前も宮女が総出で捜していたと思うが」


「一度だけよ!」


「いや、三度はあっただろう」


「兄上は黙って!」


昭華の声が水亭へ響く。

星揺は笑いを堪えようと唇を引き結んだ。

けれど、肩が僅かに揺れてしまう。

昭華はすぐに気づいた。


「星揺まで笑ったわね?」


「申し訳ございません」


「笑いながら謝らないで」


鈴花も耐えきれず、口元を袖で隠した。

昭華は二人を睨んだものの、本気で怒っている様子ではなかった。


むしろ、先ほどより楽しそうに見えた。


     ◇◇


茶会が終わる頃には、陽が少し西へ傾いていた。

池の水面へ落ちる光も、昼の白さから柔らかな金色へ変わっている。

星揺と鈴花は、昭華と凌川へ別れの挨拶をし、王宮の女官に案内されて西苑を後にした。


「公主殿下は、思っていたより話しやすい方だったわ」


長い回廊を歩きながら、星揺が小声で言う。


「聞こえたら叱られるわよ」


鈴花が答える。


「悪い意味ではないの。少しわがままだけれど、可愛らしい方ね」


「それも、ご本人へは言わない方がよいと思う」


「どうして? 可愛らしいは褒め言葉でしょう?」


鈴花が何かを答えようとした時。

前を歩いていた女官が、足を止めた。

回廊の向こうから、二人の男が歩いてくる。


黒い衣をまとった昊然。

その半歩後ろには、濃紺の衣を着た景雲が付き従っていた。


屋内のため、昊然は黒い日傘を持っていない。

黒銀の冠の下から流れる髪。

春の光を受けた白い肌。

傘の影がない分、整った顔立ちがいつもよりはっきりと見えた。


星揺の歩みが、ほんの僅かに遅くなる。

昊然もこちらへ気づいた。

黒い瞳が女官から鈴花へ移り、星揺を見て一瞬止まった。



ほんの前夜。

その手は、銀の剣を握っていた。

瞳を赤く染め、同じ龍の血を持つ者を二人、跡形もなく塵へ変えた。

けれど星揺は、そんな事など何も知らない。


彼女が知る昊然は、母の簪を池へ落とされた時、見たものを正直に証言してくれた人。

そして困っていた自分を、二度助けてくれた恩人だった。


「龍国公様」


星揺と鈴花は足を止め、丁寧に頭を下げた。

昊然もその場で足を止める。


「王宮へ来ていたのか」


「はい。昭華公主にお招きいただきました」


星揺が答える。


「そうか」


言葉はいつものように短い。

けれど、すぐにここから立ち去る様子はなかった。

星揺は少し迷ったあと、もう一度頭を下げる。


「先日は、助けていただきありがとうございました」


「もう礼は受け取った」


「ですが――」


「何度も言う必要はない」


冷たい声ではなかった。

それ以上は気にしなくてよい、と言っているのだろう。



「王宮はいかがでしたか?」


昊然の後ろにいた景雲が、穏やかに尋ねる


「とても、綺麗でした」


星揺の顔がぱぁっと、花が咲いたように明るくなった。


「裴府とは何もかもが違います。天井には鳳凰が描かれていて、柱も金色で、池にはとても大きな魚がいて――」


話しながら、少し声が大きくなっていたことに気づく。

隣にいた鈴花が肘でつついた。

ハッとした星揺は、表情を戻すと声のボリュームを落とした。


「……少し、見すぎてしまいました」


その様子に景雲は、笑みを深めた。


「お気に召したようで、何よりでございます」


昊然の目元も、ほんの僅かに柔らかくなった気がした。

その時、後ろから華やかな声が響いた。


「星揺!」


振り返ると、昭華が数人の宮女を伴い、回廊を歩いてきた。手には、小さな花形の髪飾りを持っていた。


「忘れ物よ」


「あっ、申し訳ございません」


星揺は慌てて受け取った。


「公主殿下自ら、お持ちくださったのですか?」


「宮女へ持たせようと思ったのだけれど、まだ近くにいると聞いたから」


昭華は何でもないことのように答えた。

そして、すぐに昊然を見る。


「あら、昊然父上の所へ行っていたの?」


「はい」


昊然は僅かに頭を下げる。


「公主殿下は、まだ西苑にいらしたのですか」


「えぇ、私が開いた茶会ですもの」


昭華は当然のように答えた。

そのあと、視線が昊然の後ろへ。


「景雲も一緒だったのね」


「はい、公主殿下」


景雲が穏やかに頭を下げる。

昭華の目が、無意識に景雲の左肩へ向いた。

衣の下には、もう傷痕一つ残っていない。

それでも、あの日に矢が掠めた場所が気になるらしい。


「肩は……」


そこまで言いかけ、昭華は星揺たちがいることを思い出した。


「何でもないわ」


景雲はすべて分かっているように、小さく微笑んだ。


「ご心配には及びません」


「心配などしていないわ」


返事は早かった。

けれど、頬には僅かに赤みが差している。

景雲はそれ以上何も言わず、静かに頭を下げた。


星揺は二人を見比べる。

先ほど、昭華が言っていたことを思い出す。


――私も、景雲に助けてもらったことがあるだけよ。


詳しいことは何も聞いていない。

けれど昭華は、昊然へ話しかけている時よりも、景雲の小さな表情をよく見ているように思えた。


「行くぞ」


昊然が景雲へ告げる。


「はい、昊然様」


二人が星揺たちの横を通り過ぎる。


その直前、昊然が星揺へ目を向けた。


「転ばないように」


星揺の目が見開かれる。

言い返す前に、昊然はもう歩き始めていた。


「……もう転びません」


小さく呟く。

回廊の先を進む黒い背中は、振り返らない。

隣で鈴花が星揺を見る。

昭華も、同じように星揺を見ていた。


「何ですか?」


星揺が二人へ尋ねる。


「別に」


昭華が答えた。


「何も言っていないわ」


鈴花も同じ言葉を続ける。


「二人とも、顔が言っています」


星揺は不満そうに二人を見る。

鈴花は口元を袖で隠し。

昭華は堪えきれないように笑い始めた。

春の風が、長い回廊を吹き抜ける。

白い花びらが一枚、星揺の手の中にある髪飾りへ舞い降りた。

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