第五章 「穢れた友牙」二節
「 シルリア。お前なのか?」
アルバートは十数年ぶりに再会した友の名をもう一度呼ぶ。だかシルリアの表情は穏やかではかかった。
「グルルルルゥ……!」
シルリアは唸りながらアルバートを睨んでいた。アルバートはシルリアの気持ちが何となく分かっていた。
「シルリア、すまない。長い遠征からようやくり帰ってきたのに、俺はお前を置いて行ってしまった…」
自らの胸の内の後悔を伝えるアルバート。しかしシルリアの表情は変わらなかった。
「ワオオオオン!!」
咆哮が響き渡る。同時に彼女は背中の槍を宙に投げ、構えるように咥えた。
(あの槍…!)
アルバートはその槍を何か突っかかるものを感じた。だが考える間もなく、シルリアは後ろ足で地面を蹴り上げて、突進してせた。
「っ!?」
危機感を悟り、アルバートは咄嗟に身をかわす。そのまま後ろにあった木にシルリアの槍が突き刺さった。
単純だが鋭い突きにアルバートは目を疑う。シルリアの体から、普通ではない気が溢れているのを感区取れた。
(闇の魔力…理性が飲まれているのか?)
シルリアから放たれている闇の魔力にアルバートは戦慄した。シルリアを見ると、既に次の攻撃に出ようとしていた。
「やるしか…ないのか!」
躊躇う気持ちを押し殺し、アルバートは剣を引き抜いた。
「雷よ!」
その声と共に彼の頭上から一筋の落雷が降ってきた。そして彼の剣に雷の刃が宿った。刃にだけではなく、彼の体にも雷が走っていた。
「ガルゥッ!」
アルバートが構えるや否や、シルリアが槍を口で構えて飛んできた。その動きは滑らかで美しく、雨空に月を描くようだった。
「くっ!」
アルバ一ト避けながら反撃の隙を伺った。 しかしシルリアの動きはアルバートよりも素早く、彼は連撃を避けるので精一杯だった。
(こちらから行くのは無理だ…なら!)
何かを思いついたアルバートは一度距離を取った。それを追いかけるようにシルリアが空中から一文字を書くように垂直に飛びかかってきた。
(今だ!)
同時にアルバートの全身を走っていた雷光が収束する。そしてシルリアの槍が彼の鎧に触れた瞬間、彼の体から白い火花を散らしながら電流が放たれた。
「グルウウウッ!」
槍を伝って電雷が食らいつくようにシルリアに炸裂した。 彼女の全身に電流が放たれ、痙攣しながら地面に落ちた。
「やってしまったか…?」
帯電していた雷が消失し、アルバートは剣を持ち直す。刃にはまだ雷の魔力が残っていた。
トドメを刺すなら今が好機だった。だが彼は振り上げた剣を動かせなかった。
「バウッ!!」
突然声と同時に鋭い一閃が走った。アルバートの迷いを生じた際をシルリアは見逃かさず、立ち上がりと同時に斬り上げてきた。
「しまった!」
避けるのが遅れたアルバートの右目の視界に紫雷の一閃、彼は目から赤い血が流れ出していた。
「ワウウン!」
シルリアは追い打ちをかけるように振り下ろされた槍から闇の刃が放たれた。
「くっ!」
アルバートは咄嗟に剣身から雷の刃を飛ばして応戦した。 二つの刃が重なり、闇と黄金の剣刃が交差する。しかし直後に光の中からシルリアが闇の魔力を纏った姿で飛び込んで来た。アルバートは突進だと思い、剣で防御の姿勢を取った。
「うあああああっ!?」
突然言葉にならない激痛がアルバートを襲った。剣を構えていない、がら空きの右腕にシルリアの牙が彼の腕を鋭く深く抉っていた。
「くぅっ!!」
出血による激痛と本能がアルバートの腕を動かす。そのまま雷を纏った剣がシルリアを振り落とすように斬りつけた。
「ガルルゥッ!!」
素早い電撃を受けたシルリアが甲高い声を上げながら斬り払われる。転がりながらも立ち直る彼女の右足からは血が垂れ落ち、電撃の傷跡が刻まれてい。
「あ…!」
ハっとしたアルバートは剣を下ろした。だがシルリアはその傷ついた足で走り出し、 闇の魔力を全身に纏いながら跳躍した。
(その足で動くのか!?)
アルバートが驚いていた時にはシルリアは真上に居た。
「ワオオオオン!!」
全身の魔力が槍に収束する。さらに彼女は高速で投下すると、漆黒に染まった槍が雨に紛れ込むようにアルバートの元へと落下していた。
「くっ!」
目の前へ来た瞬間、アルバートは白金の雷を呼ぶ。それを剣で切り払うと雷は白く輝く壁となり、漆黒の槍を跳ね返した。だがシルリアは返ってきた槍を咥え直して着地した。彼女の瞳には最初よりも殺意が感じられた。
「シルリア……」
その瞳を見たアルバートは心臓を締めつけられていた。そして彼に残された選択肢は一つしかなかった。アルバートは雷の剣を構え直す。その目にはもう迷いは無かった。それはシルリアの方も同じだった。雨は雷雨となって激しさを増していた。
「……行くぞ!」
今度の先手はアルバートだった。シルリアよりも先に地面を蹴り、剣は横一文字に雷撃を放ちながらシルリアへと向かって行った。
だがシルリアはそれを先読みしていたように左へと回りこみ、諸手突きの強力な一撃を放った。二つの刃が鍔迫り合い、雷と闇の光が森中に響く。シルリアは前のめりで押していたがアルバートは上半身の体重を前にかける事で強めの巻き斬りを狙った。
だがその直後、剣を握る腕の力が急に弱くなり始める。シルリアに噛まれた傷口から痛みが広がり始めていた。
(カが入らない……俺を蝕んでいるのか!)
気づくとアルバートは余計に痛みが増していった。このままではすぐにせり負けてトドメを刺される状態だった。
「!!」
そんな好機があったにも関わらず、シルリアは突然鍔迫り合いを止めて距離を取ってきた。アルバートは戸惑いつつも後ろに下がり、剣を片手で構える。だが闇の魔力の影響が体中に回り始めており、その腕も痛みで震えていた。
(まずいな……早く決着をつけないと…)
蝕まれるような痛みを堪えながらアルバ一トは自分の体に雷を宿した。いつものように剣を相手に向けて踏み込む。シルリアはそれを先読みして跳躍し、空中で高速回転しながら黒い螺旋となって、アルバートに斬りかかってきた。
「遅い!」
だがその直後、アルバートが光の速さで間合いを詰めた。雷を身体に流した事で最初の反撃だけではなく、身体能力も上がっていた。さらに彼は剣で高速で何度も切り返し、剣先から幾つもの雷の刃を放った。
「グアウッ!」
高速で繰り出される剣技と雷の刃を正面から風のように叩き込まれ、 シルリアの身体が次々と斬り裂かれていく。電撃が傷口へ潜り込み、高熱の電流が皮膚と筋肉を焼き斬った。
「やったか?」
アルバートは剣を構えたままシルリアの様子を見る。今の連撃で彼女の美しかった毛は焼け焦げて、はげた所は肉が傷口から側れていた。
「グルゥ・・」
だが唸り声と共にシルリアの体が起き上がる。血を流す口で槍を咥え直して立っていた。
「まだやるのか?」
血だらけで立ち上がってくるシルリアを見てアルバートは手が震える。しかし限界がきているのか、シルリアは槍を咥えたまま次の行動に出る気配は無かった。それどころか何かに抗うような瞳でアルバートを見つめていた。
「まさか……」
その瞳を見た瞬間、アルバートの中で一つの問いが渦巻いた。
(闇に抗っているのか?)
腕への噛みつきを急に止めた時の彼女の顔を思い返す。
あの時のシルリアは態勢を立て直す為ではなく、一瞬だけ自覚めた彼女の理性がアルバートへの攻撃を阻止していたのだ。現に今もアルバートを殺そうと向ける槍を地面に刺して耐えようとしていた。
「ワオオオオオン!」
だが耐えきれなかったシルリアが雷鳴のような雄叫びを上げた。そして地面を蹴り上げてきた。
(しまった!)
ハッとして防御の姿勢を取ろうとした。だが闇の魔力による痛みで腕が思うように動かせなかった。
(もはや、これまでか…)
死を悟ったアルバートは諦めたように目を瞑った。シルリアの槍は彼の心臓を容赦なく狙いを定めていた。
「クルゥゥゥゥン…!」
だがその槍が彼に届く事は無かった。空気を切り裂く乾いた金属音が鳴り響いた。アルバートは思わず目を開けると目の前に迫っていた槍は直前で地面に突き刺さり、黒い鮮血が空中で舞った。
シルリアが悲痛な声を上げた。彼女は血を吐きながら地面へと転がり落ちていった。
「……え?」
「アルバート!」
アルバートが何が起きたか分からずにいると、女性の声が近づいてくる。雨の中草木を掻き分けながらルナーが走って来た。その手にはピストルが握られており、銃口は煙を上げていた。
「お前…撃ったのか?」
それ見たアルバートは、何が起きたのか理解してしまった。
「そうだよ!もう駄目かなあって思ったけど、無事で良かったあ!」
本当に心配そうに話すルナー。それにに対して振り返ったアルバートの瞳が震えていた。
「なんで……」
「え?」
「何で撃ったんだよ!?俺の大切な人だったんだぞ!?」
瞳を震わせながらアルバートは彼女に詰め寄った。
「ま、待ってよアルバート!どうしたの!?」
ルナーが事情を知らないのアルバートは分かっていた。しかし今の彼にとっては追い打ち以外の何でもなかった。
「彼女を責めないで……」
するとアルバートが口を解くよりも先に凛とした声か聞こえた。それは女性の声だがルナーではなかった。その声を聞いたアルバートはハッとするとシルリアに向き直った。
「シルリア、喋れるのか?」
アルバートかゆっくり近づきながらシルリアに話しかける。彼女は血で濡れた瞳をアルバートに向けた。
「闇の魔力で…人語を発せる…自分の魔力だけじゃ……海を渡れなかったから…」
「何で、何でそんな事をしたんだ?」
アルバートが聞くと、シルリアは落とした槍を見つめた。
「約束……果たしに……」
「約束……」
闇の魔力が抜けて純粋な青の瞳を見たアルバートは、突っかかていたものが分かった。そして断片的になっていたあの日の記憶がはっきりと蘇った。
__この槍に、俺の魔力を刻んだ。これで居ない間も寂しくないだろう。なあに。俺が帰って来たら.返してくれれば良い。
槍を見たままアルバートは立ち尽くした。
「こんな形で……申し訳ないとは思っている……だけど異形達と戦って……死の緑に立たされた私には……闇の魔力を食らう他に術が無かった。」
「シルリア。謝まるべきなのは俺だ。闇を恐れた俺は約束を忘れて、一人おめおめと逃げたせいで、お前や…皆を……」
懺悔の言葉を伝えるアルバート。しかしシルリアは首を横に振った。
「私が異形と戦っている間に…貴方を守れたならそれでいい…それに私も貴方の事を殺そうとしてしまった…」
「あれはお前を闇の魔力か蝕んでいたからだ。お前は何も悪くない。」
「…闇の力を受け入れた時点で私は大きな罪を犯した…その時点で貴方を責める資格など無い。それよりも…」
シルリアは少しだけ間を置く。そして一呼吸すると傷だらけの口を動かした。
「闇の異形たちが、すぐそこまで来ているわ。 強大な闇が……この地に迫って…」
「闇?ヴァンがこの国に来るのか?」
アルバートが聞くと、シルリアは首を横に振る。
「闇かそれ以上の……ヴァンを超える王たる存在が来る……」
そこまで伝えた瞬間、シルリアの体が光に包まれ始めた。
「シルリア!」
アルバートはシルリアに触れようとする。しかし彼の手はシルリアの体をすり抜けてしまった。そして触れた所から彼女の体が消え始めた。
「そろそろ……お別れの時が来たみたい……」
「待ってくれ!」
アルバートは掴めないシルリアの腕を掴もうとした。その気持ちを理解しているのか、シルリアも彼の腕に頭を優しく擦り当てた。
「最後に……貴方に会えて良かった…これで思い残す事無く…弟の所に行ける……」
「こんな形でお前と別れたくない!」
「アルバート……」
感情が爆発するアルバート。そんな彼の涙をシルリアは舌で優しく拭った。
「たまには、夜空を見上げて欲しい。そこに私は……居るから…」
その言葉と共に、シルリアは光となって空へとのぼっていった。
「シルリア!」
そこにはもう居ない友の名を呼ぶ。さっきまで降り注いでいた雷雨は、いつの間にか止んでいた。そして目の前には、シルリアが託していた赤紫の魔宝石が飾られた槍があった。今はアルバートの魔力だけではなく、浄化されたシルリアの魔力も感じられた。
「お前が残した力、想い。無駄にはしない……」
アルバートは槍をそっと引き抜いた。まるで彼女の心を抱きしめるように。
「アルバート、大丈夫?」
「……ああ。 すまないな。」
ルナーの心配の言葉にアルバートは少し遅れて答えた。
「とりあえず、皆の所へ戻ろう。」
「うん。」
そうして二人は森の外へと歩いて行くのだった。
「ちょっと待って。何この音?」
突然ルナーが立ち止まって耳を澄ます。アルバートも耳を澄ますと、街の方から低くも重圧な長い音が聞こえてきた。
「これは、角笛か?」
「アルバート!」
アルバートが音の正体に気づいていると、一人の騎士が走って来た。最初は誰だか分からなかったが、姿が近づくにつれ、その顔が見えてきた。
「ビリーブ?どうしたんだ?」
アルバートがどうしたのかと聞いてみた。ビリーブは急いで来たのか、かなり息切れを起こしていた。
「もし大丈夫なら、力を貸して欲しいの!」
「待ってくれビリーブ。何があったんだ?」
アルバートはビリーブを落ち着かせながらもうー度聞く。すると彼女はとんでもない事を言ってきた。
「今伝令で、海の方から見た事無い数の径物がこの軍が現れたの報告があったの!!」
「何?」
それを聞いたアルバートはルナーと顔を見合わせた。響き渡る角笛の音は、最後の戦いの合図となるのだった。




