第六章「魔術の女王」一節
「これは一体……」
ビリーブと海岸に駆け付けたアルバートとルナーは、目の前の状況に言葉を失った。昨日まで空を映していた美しい海はどす黒い色へと変わり果て、その海岸上では王国の騎士や兵士が漆黒の異形たちを相手に必死の攻防戦を繰り広げていた。
「よっしゃあ!二体まとめて討ち取ったりぃぃ!!」
「気を抜くなサムソン。まだまだ来るぞ。」
異形を倒しまくるサムソンと、気を引き締めるファルティウスの声が遠くから聞こえてくる。しかし海からは次から次へと新たな異形が海から生まれて上陸していた。
「あれは……!」
戦場の中央を見て、アルバートは驚きの声を上げた。白銀の鎧を身に纏い、長身の大剣を振るって異形と戦う一人の騎士が見えた。
「ヴァロウ王!」
彼の姿を見つけたアルバートは駆け付けようとした。だが一度ルナーを見て、心が思い留まってしまった。
(今ルナーから離れていいのか?彼女を一人にするわけには……)
「行きな、アルバート!」
彼が迷っていると、ルナーの方から話しかけてきた。
「しかしルナー。お前を置いてくわけには…」
「これは船長命令よ!」
「……!」
ルナーの声がその場に響く。その強い声はアルバートの事を察したような雰囲気だった。
「あたしは船員と船に行ってくる。あんたは王国の皆を助けてあげな!」
「……分かった。ルナーも気をつけろよ。」
「あんたもね!」
そうしてアルバートは大剣を引き抜いて海岸へと駆け出してった。
「それと女騎士のあんた。」
「私?」
突然話を振られたビリーブは少し戸惑った。
「アルバートにやましいことしたら、タダじゃおかないからね!」
「わ、分かったから!」
いきなり怖い顔になるルナーに、ビリーブは承諾して逃げるようにアルバートを追いかけていった。
「よーし。待っててよ皆!」
そしてルナーも帽子をかぶり直して走り出すのだった。
◇
「ヴァロウ王!」
「アルバート!?」
目の前に突然現れるや否や異形を斬り捨てるアルバートを見て、ヴァロウは目を疑った。
「何故ここにいる!?お主は守るべき者を守らぬか!!」
「あんたが死んだら、この国は確実に滅ぶ!そうなれば世界も祖国の二の舞だ!!」
「そんな事承知だ!だが我は死なぬ!何としてもこの国を死守するぞ!」
「キィヤエエエッ!!」
ヴァロウが喋っていたその時、二人の目の前に大角の異形の巨大な爪が降り落ちてきた。
「ええい、やかましい!」
ヴァロウは怖がることなく大剣を構えると、襲い掛かって来た異形を難なく斬り殺した。
「その剣筋。あんた魔物と戦うの初めてじゃないな?」
他の異形を斬り伏せながらアルバートは喋りかけた。
「あの国で反乱起こした時ぶりだな。だが……」
ヴァロウの前面を剣士の異形が取り囲んで一斉に襲い掛かって来た。だがヴァロウは大剣を横に薙ぎ払った。剣から放たれた真空波が異形たちを一気に斬り裂いた。
「鍛錬だけは、今も怠っておらぬ!」
その一言と共に、ヴァロウは後ろを包囲してきた異形たちもまとめて斬り裂いた。
「流石は一国の王だな。それなら俺も…!」
アルバートは大剣を上に構えて意識を集中させる。直後大剣に黄金の落雷が剣身に直撃し、刃は雷の魔力を纏った。
「はあっ!」
アルバートは上空から飛び掛かってくる鳥の異形に向かって大剣を振り下ろすと、大剣から巨大な雷の刃が放たれた。雷は飛んできた異形を容赦なく焼き斬った。
(武器に魔力を……嫌われた業を力に変えたのだな。)
雷を前にしたヴァロウはアルバートの姿を見て、すぐに戦闘に戻った。アルバートも気にせず異形を次々と斬り伏せていった。
「ちょっと!そっちは私の獲物よ!?」
アルバートの後ろからビリーブの文句の言う声が聞こえてきた。先ほどから彼女は小さな異形ばかりを倒していた。
「この戦は武功を競うのが目的ではない!我が国と、世界を守る戦いである!!」
ヴァロウの声を聞いた瞬間、王国軍は鼓舞され一斉に剣を掲げて異形の軍勢へ突撃した。気合に満ちた騎士たちの進軍は恐ろしい闇の異形たちを攻め押し、王国軍は一気に優勢になった。
「よし!この勢いで我々も攻めるぞ!」
「おう!」
ヴァロウの声にアルバートとビリーブも剣を掲げ、共に異形たちに畳みかけていった。
「「うわあああああ!!」」
アルバートたちも攻防優勢の中で、遠くから大勢の叫び声がきこえてきた。
「なんだ?新たな異形の咆哮か?」
「いや。今のは人間。それも大勢の悲鳴にも近いような…」
「アルバート!あれ!」
ビリーブが突然海の方を指さして叫んだ。その先には王国の海上部隊の船。その船に無数の銀雹が降り注ぎ、次々と船を沈没させていた。
「まさか、闇の眷属?」
「いいや違う。あれはおそらく…」
「レンディエルの魔術だ。」
アルバートが言うよりも早くヴァロウが気づいた。
「我々のような主力よりも支援部隊を狙うとは…相変わらず悪趣味な魔女だ。」
ヴァロウの言葉にアルバートも頷く。雹が降る場所の上空を見上げると、黒い雲の中に女性のシルエットが確かに見えた。
「しかしどうしたものか…矢を放てば撃ち落とせなくもないが、あそこに居る者たちも重傷は避けられまい。」
「そうなったら彼女は確実に重傷者を狙って襲うだろうな。よく考えてるよ。」
「だからといって陸の兵の力だけでは攻撃は届くのは不可能だ。」
「俺の雷でも狙えるかどうかまでは…」
このままでは味方がやられるのは明白。しかしアルバートたちは攻撃する手段を見つけられずにいた。そうしている間も、レンディエルは船を破壊し続けていた。
「撃てぇっ!!」
三人が手の打ちようがなくなっていたその時、ヴァロウのではない号令が海の方から響いてきた。その直後、他の船から砲弾が放たれた。それは全てレンディエルに命中した。不意打ちの砲撃を受けたレンディエルは遠くからでも分かる程に怯んだ上、高度が大きく下がっていた。
「今のはなんだ?王国の船はほとんど壊滅しているのに…」
「おお!全弾命中だあ!」
アルバートが困惑していると、先ほどの号令と同じ声が海の方から聞こえてきた。王国船とは逆の方向から現れたその船にアルバートは声を上げた。
「ルナー!」
ヘイムダルに流れ着いた時に最初に見た髑髏の旗。年季が入りながらも丈夫に修復されている船体。それは紛れもなくルナーの海賊船だった。アルバートが剣を振ると、ルナーもアルバートが見えたのか、ウィンクをしていた。
「流石はアルバートの友だな。我々も引き続き攻めるぞ!」
ヴァロウは褒めると、目の前の異形を一刀両断していく。アルバートとビリーブも本格的に前戦へと切り出していった。
「だあああああ!?」
だがしばらくすると、再び悲鳴が戦場に響き渡った。
「ルナー!?」
今度はルナーの声だとアルバートはすぐに分かった。攻撃を受けていたレンディエルは、攻撃対象を王国の船からルナーの海賊船へと変えて、氷結魔法を集中的に浴びせていた。その攻撃はなぜだか王国の船の時よりも威力が跳ね上がっているように見えた。
「女だからと分かったからか激しくなっているな。」
凄まじい魔法を見てヴァロウは言った。アルバートも頷く。
(助けに行こうにも遠すぎる……どうすれば…)
アルバートは悩んだ。いかにしてルナーの所へ駆けつけられるか。しかしどう頑張ってもすぐに着くのは不可能だった。
「アルバート。」
その時、ヴァロウがアルバートの肩を掴んできた。
「友を助けたいのだな。」
「あ、ああ。しかしこの距離では…」
「命を懸ける覚悟はあるか?」
「え?なぜ今それを?」
「行くぞおお!!」
その直後、アルバートの体が宙に浮かんだ。ヴァロウが彼を掴み、有無を言わさず放り投げた。
「うわああああ!?」
「サムソン!」
「むん?心得た!」
近くで戦っていたサムソンは瞬時に察し、グレートソードを縦向きに構えた。
(おいおいおい。まさかとは思うが……)
「そおおれええい!」
およそ人とは思えぬ重い金属音が響き渡る。アルバートは何が起きているのか分からなかった。ただ自分の体がどこかへかっ飛ばされている事だけは感じていた。
「陛下!?一体何を考えているのですか!?」
ビリーブも何が起きているのか分からなかった。ヴァロウだけが飛んでいくアルバートを平然と見上げていた。
「命に代えてでも守れ。アルバート!」
◇
「はあ…はあ…」
突然の強襲に見舞われたルナーはぼろぼろになっていた。彼女は拠点に戻ってからすぐに船員たちに事の経緯と、作戦を話した。中には今のうちに逃げるべきだと言う船員も居たが、ルナーは強引に全員を率いて駆けつけた。ところが助力できたのは良いものの、彼女が攻撃した相手は人間ではなかった。それはヴァルヴァやゴルドーのような闇の眷属でもない、それらを上回る恐ろしい氷の魔女だった。
「いきなり背中を襲うからどんな小物かと思ったら…」
氷の魔女は氷遊びをしながら呟いた。彼女の視線の先はルナーが居た。
「こんな可愛いお嬢ちゃんだとはねえ……?」
傷だらけのルナーを、氷の魔女は舐め回すように見下ろしていた。
「言っとくけど、これ以上あたしの部下には手を出させないから!」
傷付いた体を起こしながらルナーはピストルを構える。そんな彼女に氷の魔女は死体を見るかのような目を向けた。
「そんな心配しなくても大丈夫よ…私は自分以外で美しい女が嫌いなだけだから……」
不気味な顔を浮かべながら氷の魔女は氷の魔力を集中させると、凍てつく氷の刃を作り出した。そして刃を逆手に持つと、吹雪と共にルナー目掛けて振り下ろした。死を悟ったルナーは目をつぶった。
「……え?」
だが刃がルナーに刺さる事はなかった。代わりに目の前で氷と金属がぶつかる鋭い音がその場に響いた。ルナーが目を開けると、そこには一人の騎士が立っていた。
「…アルバート?」
剣で攻撃を受け止める、紫の鎧が似合う騎士。それは間違いなくアルバートだった。
「全く…ヴァロウ王も大胆な策を使ってくる!」
アルバートは氷の魔女の氷の刃を防ぐと、そのまま反撃で切り返した。氷の魔女は胸を斬りつけられ、痛みで後ろに下がった。その顔には、先程まで無かった動揺が見えた。
「王子、様?」
「ああ。久しぶりだなレンディエル。」
黒髪を揺らし、闇に染まった青いドレスを纏いし氷の魔女、レンディエルはアルバートの姿を見て動き止めた。
「王子様……私の名を覚えていらっしゃったのですね…」
「覚えているさ。他の魔女が距離を置く中、お前だけは乳母として傍に居てくれたからな。」
レンディエルへの感謝を言いつつも、アルバートは剣の構えを解かなかった。
「だけどまさか、こんな形で再会することになるとはな…」
アルバートの言葉には軽蔑が感じられた。レンディエルの体からは氷の魔力以上に強大な闇の魔力が溢れていた。
「これはヴァン様が与えてくださった力……!この世界を正すために…王子を守るためある真なる魔力…!」
闇の魔力を放ちながらレンディエルは弁明するように言った。しかしアルバートは良い顔を見せなかった。
「ヴァンが生み出したのは魔力じゃない。人間の弱さから精神を支配する”呪いだ”。」
「……そう。」
レンディエルは俯いたまま、小さく呟く。そして顔を上げると、その瞳は紫色に変わっていた。
「ならもう、王子なんか必要ない!!」
その言葉と同時に、闇の魔力が彼女の周囲に集まり始めた。それは集まりながら氷の魔力と混ぜ合わさり、漆黒の吹雪となった。
「あの方の邪魔をするのならば、殺す!」
その瞬間、レンディエルは漆黒の氷塊を作り出し、ルナー目掛けて放ってきた。
「ルナー、離れろ!」
アルバートはルナーを守るように前に出ると、剣を振り下ろす。その剣身から稲妻が乱れるように放たれ、襲い掛かる闇の氷塊を打ち消した。だが完全には消しきれず、アルバートの指先が凍てついて震えていた。
「アルバート!」
「大丈夫だ…しかしまたルナーを狙うとはな……」
「だって、その方が王子の心を削れそうだもの。」
悪意全開なその言い方にアルバートの握り拳の力が強くなるや、彼は大剣を引き抜いた。その大剣にはジリジリと雷の魔力が流れ出していた。
「なら手加減はしない!」
その言葉通りにアルバートは跳躍そ、雷の大剣をレンディエルの頭上へと振り下ろした。
「そんなもの!」
レンディエルは闇の氷の魔力を一点集中させ、両手から幾つもの鋭い氷柱を放ってきた。冷気を纏う氷柱がアルバート達に襲い掛かった。
「そう来たか……なら!」
アルバートは直剣を引き抜くと同時に、雷の一閃を飛ばした。一閃は襲い掛かる氷柱を瞬く間に貫いて消し去った。
「なっ!」
レンディエルは攻撃が無力化されて戸惑った。その直後彼女の真上に激しい雷鳴の剣が落雷の如く落とされた。
「うああああっ!!」
直撃したレンディエルは落雷で体を焼かれて咄嗟に回避する。だが空間転移直前に横一文字の斬撃を受けて焼け傷を直に抉られた。
「…随分と魔術が得意になったご様子で……」
全身に残る感電と激痛を堪えながらレンディエルはアルバートを嘲笑うように言った。そしてすぐさま空中に闇に覆われた氷の剣を幾つも作り出した。
「けど……私には及ばないわ!」
その言葉と同時にレンディエルが手を掲げると、氷の剣がダイヤモンドダストのように一斉に放たれた。
「くっ……!」
いくらアルバートでも全てを避けるのは困難だった。
「あれは任せて!」
その時、ルナーがピストルを構えるや否や、氷の剣を正確にかつ貫通弾で次々と撃ち落としていった。
「助かったぞ、ルナー!」
ルナーの支援に感謝したアルバートは雷の大剣を逆手に構える。
「余計な真似を…!」
レンディエルは一度舌打ちをすると、闇の冷気を収束していく。そして今度は間髪入れずに漆黒の氷嵐となって解放してきた。
「ルナー!目を閉じろ!」
アルバートが叫び、ルナーは驚きつつも目を閉じて伏せると、すぐさまに氷嵐が二人の目の前へ迫って来た。
「雷鳴よ…」
アルバートは食いしばり、大剣を両手で天に掲げる。すると大剣に宿る雷の魔力が力強く雷鳴を引き起こした。
「爆ぜろ!」
直後、アルバートの雷の一撃が雷鳴と共に振り下ろされた。その一撃は稲妻をなびかせながら漆黒の氷嵐をレンディエルもろとも断ち切った。
「ぐあああああっ!?」
稲妻の一撃がレンディエルの傷口をさらに深く抉り、引き裂いた。あまりの痛みと電撃の熱さにレンディエルは両目を押さえながら床へと落ちた。
「まだやるか?」
大剣を構えたままアルバートが様子を伺っていると、レンディエルは震えながら起き上がってきていた。
「……本当に、強くなりましたねえ…あの女からは無能と呼ばれていた癖に……」
焼き爛れた両目でレンディエルはアルバートを睨む。しかし彼女はこれ以上攻撃を仕掛けてくる様子は無かった。
(魔力がほとんど感じられない…まさかもう使い切ったのか?)
アルバートの記憶よりも明らかにレンディエルは弱体化していた。だがそんな事を考えていた時、レンディエルはいつの間にか起き上がってきていた。
「けれど私も高貴だった魔女の一人……このままタダでは死なないわ!」
突如として周囲全体に邪悪で重い冷気が立ち始める。アルバートとルナーは思わずたじろいでしまった。
「まさか力を温存してた!?」
「違う……これは恐らく生命力だ!」
アルバートは昔読んだ書物の禁忌のページを思い出す。魔女たちは魔力が尽きても生命力を魔力に変換する事が出来るという事を。しかも生命力の量に応じて威力が増す事も。
「この様子だと確実にヴァルヴァと同じだ!」
「えぇっ!?」
幻影の悪魔の時のような状況になったのを知ったルナーは慌てふためく。あの時は何とかなったが、狭い船の上では逃げようが無かった。それでもアルバートはルナーを守るべく前に立ち、迎え撃つ姿勢を取った。
「どこまでも抗うのね…なら!」
「ぐっ!」
「うわっ!?」
レンディエルが不適な笑みを浮かべた瞬間、二人の体に凄まじい冷気が覆われた。冷気はそのまま二人に纏わり付き、体が凍結していった。
「う、動けない!」
「こいつ!」
「ふふふ…」
焦る二人を見て、レンディエルは不気味に嘲笑うと、闇の魔力を更に増幅し始めた。
「じゃあね!愚かな王子とその女!!」
その言葉と共に、レンディエルは氷、闇、そして生命力を一気に解き放とうとしてきた。
「う……」
だが力を解き放とうとしたその時、レンディエルが呻くような声を出した。同時に彼女の体に火花が散り始めた。
「あああああっ!?」
そこから彼女の冷気と闇の魔力が深紅の炎に変わり、一気にその体を燃やし始めた。
「な、な、何が起きてるの?」
(この炎…まさか!)
アルバートが魔力の正体に気づいたその間もレンディエルの肉体は暴れ狂いながら燃え上がっていた。レンディエルは冷気で炎を消そうとするも、氷の魔力も生命力と共にほとんど無くなっていた。
「あの太陽…最後まで邪魔を……!」
その言葉は途中で途切れ、レンディエルは炎の中で黒い灰になっていく。そして最後は早く訪れた。
「ぐああああああ!!」
灼熱の業火の中でレンディエルの断末魔が広がっていく。やがて炎が最後に吹き上がって、しかし突然と消えた。炎が燃え上がっていた所には、氷の魔女の姿形も無くなっていた。
「今のは、何だったの?」
「レンディエルでさえも耐えられなかった炎…恐らくあの魔力は……」
「あらあら~、お二人さんご無事みたいねえ♪」
立ち尽くす二人の背後から女性の声が聞こえてきた。二人が声がした方に振り向くと、船の見張り台に一人の赤い女性が立っていた。
「サン……」
「こんばんわ~!本気三割くらい引き出しちゃった♡」
二人とは真逆に、サンは陽気な雰囲気で近づいてきた。
「どうせなら魔力全開で引き出したかったけど、そしたらアルバートとついでに船も焼いちゃうからね。」
「サン。レンディエルの魔力が弱かったのはお前が何かしたのか?」
アルバートが聞くと、サンは首を横に振った。
「彼女は既に死んでいたわ。」
「は?」
流れるように死という言葉が出てきて、アルバートは理解が出来なかった。
「ここに着いた時から妾でもすぐには気付けない程に魔力が少なかったわ。それに最初から傷口もあったから、向こうで既に戦って死んでいたのよ。」
「だけど俺は、確かにレンディエルと戦った。」
アルバートが言うと、サンは残留する魔力を見つめたまま答えた。
「闇の魔力が彼女をこの世界に縛っていたのよ。貴方たちが見たのは、死に損なった彼女の抜け殻ってわけ。あるいは……」
サンは潮風に流れていく灰を見上げる。その顔はどこか物悲しそうだった。
「未練もあったのかもね。彼女は一番、アルバートの事を心配していた魔女だったから。」
サンの言葉を聞いたアルバートは言葉が出てこなかった。ただ頭の中でかつてのレンディエルの姿を思い出していた。
__王子様。例え魔術の素質が無くとも、貴方様が私が愛する王子様であることに変わりはありません。
あの日のレンディエルの言葉に偽りは無かった。ここに居たのは、彼女を支配していた闇の魔力の具現体だったのだとアルバートは悟るのだった。
(もし生きていたら、今の俺の事も王子と呼んでいたのだろうか?)
複雑な気持ちを抱えながら、アルバートは目を閉じていた。
「ねえ。悲しいとこ悪いんだけど、何か揺れてない?」
ルナーがアルバートに帽子を押さえながら言った。ルナーは勘が働いているのか、アルバートはあまり感じられなかった。だがその直後、海賊船が大きく揺れ始めた。それは自分たちだけではなく、陸の兵や他の船も海も激しく揺れていた。
「一体、何事だ?」
アルバートは揺れを堪えて身構え、ルナーはアルバートの腕と船の手すりを掴む。それに対してサンは平然としていた。
「やっぱり来てたみたいね。」
大きく揺れ動く黒い空を見上げながらサンは呟いた。
「サン!これも何か知っているのか?」
「あれは……」
サンが話そうとした瞬間、空も大きく揺れて歪み始めた。歪な黒い雲が何かの力で引き裂かれていく。その裂け目からは地上に落ちるかのように闇の魔力が多く溢れていた。
「あれは……!」
アルバートは震えるような驚きの声を上げた。空に広がる巨大な裂け目の奥には、世界を見下ろす黒い瞳のような満月が現れた。満月の中心からは闇の魔力が更に溢れていた。それはゴルドーやヴァルヴァとは比にならない程重く邪悪で、精神すら蝕まれそうになった。だがアルバートが感じていたのはそんなものではなかった。溢れてくる闇の魔力の中に純粋で強大な魔力が紛れていた。それは幼い頃からずっと感じてきた存在を連想させていた。同時にアルバートの全身に冷や汗が駆け巡った。逃げたい。あの存在には勝てない。アルバートの本能がそう言っていた。しかし。
(俺はまた誰かを見殺しにするのか?この国の人々も、ルナーの事も……)
アルバートは震える拳を強く握りしめた。
「サン。」
アルバートは空の瞳を見つめたまま口を開いた。
「俺をあそこに飛ばせるか?」
「え?」
アルバートの言葉にサンは一瞬戸惑った。
「全然いけるけど、一度飛ばしたら位置が把握できなくて二度と戻ってこれないかも。」
「構わない。」
アルバートの返事に、迷いは無かった。
「…分かったわ。」
アルバートの覚悟を理解したサンは詠唱を始める。しばらくすると、大きな赤い魔法陣が目の前に生成された。
「これを潜れば、あの先に瞬間移動するわ。」
サンが説明すると、アルバートは魔法陣から放出される光柱を見上げた。
「心得た。それじゃ…」
「ダメ!!」
魔法陣に触れようとしたアルバートの腕が何かに掴まれた。アルバートが後ろを振り返ると、ルナーが彼の腕を強く掴んでいた。
「アンタは初めて心の底から信じれた奴なんだよ!!」
「ルナー…」
心から信じれた人。それは妹からも言われなかった言葉に、アルバートの足が少しだけ止まった。
「そんな事……このあたしが絶対に許さないんだから!!」
アルバートを睨むルナーの目は赤くなっていた。それは怒りではなく、涙を必死に堪えているようにも見えた。その目をアルバートは逸らさず真っ直ぐ見つめていた。
「ありがとう。」
その言葉と共にアルバートはルナーの手を振りほどく。そして魔法陣のその先にある異界へと消えていった。
「バカあああああ!!」
◇
アルバートの足にさらさらとした感触が生じる。彼が空間を通った先には、ただ黒い砂だけが広がる世界があった。見上げれば黒い空に星々が浮かんでいた。そして地平線の先には一人の人影が近づいてきていた。人影が明らかになるにつれ、闇の魔力が濃くなっていく。その漆黒の衣はあらゆる光を吸い込み、長い紫の髪が揺れ、光の無い黒い瞳の女性がそこに居た。世界そのものが息を潜めるようなその禍々しい姿を、アルバートは静かに見ていた。そして少しの間を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「お久しぶりです。母上。」




