第七話
そこそこの路銀を手に、帰り道を歩く二人の足取りは軽かった。道すがら、ジルが宣言通りに新しい帽子を買い与えると、メリアはそれをさっそく頭に乗せて「ふふん」と誇らしげに顎を引く。
「エテルナの花飾りがついているの。どんなに冷たい風にさらされても色褪せない、永久の花よ。……ねえ、似合う?」
「ハイハイ、めちゃくちゃお似合いですよ。心なしか、前のより生意気さが三割増しに見えるね」
「なっ……! これを気品と言えないなんて、やはりあなたの目は節穴だわ。でも、まあ……約束を守ったことだけは、褒めてあげてもいいのよ」
「へーえ、そいつはどうも。ほら、その気品溢れる姿を吟遊詩人に変な歌にされる前に、さっさと食いもんも買っちゃお」
そんな軽口を叩き合いながら道中の食料も買い込み、二人は賑やかなサウド・ガルの中心へと戻ってきた。
「今回は私の音楽のおかげで助かったけれど、ねえ、あなたは何かできないの? さっきのブローチみたいに、いつもああして怪しい方法で旅の資金を調達していたの?」
「人聞きが悪いねえ。俺のはもっと、こう……お互いが幸せになる賢い商売だよ」
「嘘ばっかり。そもそもあなた、本当は何を生業にしているのよ。ただの旅人には見えないわ」
メリアは歩調を緩め、ジルの謎に満ちた素性に踏み込むように、彼の顔を覗き込んだ。けれど不意に、ジルの足がピタリと止まる。あまりの唐突さに、メリアは慌ててつられるように足を止めた。
「……ジル?」
見上げると、彼の目の色はあからさまに変わっていた。いつもの飄々とした余裕は消え失せ、狼のような鋭い視線が一箇所に注がれている。
視線の先──人混みでごった返す大通りの真ん中に、数人の兵士たちの姿があった。彼らは手に一枚の紙を携え、通行人や露店の商人にそれを見せつけながら、執拗に何かを聞いてまわっている。
「……ねえ、どうしたの? あの兵士たちが、なにか……」
ただならぬ空気の変わりようを察して、メリアは不安に駆られて声をかけた。するとジルはすぐにいつもの軽い笑みに戻り、メリアの肩をぽんと叩いた。
「いや。あそこの兵隊の格好めちゃくちゃダサいなと思ってさ。あんなの着て歩くくらいなら、俺は裸の方がマシだわ」
場違いな軽い調子に、メリアは呆れ果てて肩の力を抜いた。そんな彼女の小さな手を、ジルは流れるような自然な動作で引く。そして、大通りを行き交う兵士たちの視線からさりげなく隠すように、薄暗い路地の影へと滑り込んだ。
「ま、冗談は置いといてさ。ほら、次の街までの路銀も稼げたし、食料もバッチリ買えたろ。ここにはもう用はねえからさ、今すぐサウド・ガルを出ちゃおうぜ」
「今すぐって……もうお日様が沈んでしまうわ。これから夜になるのよ」
「いいじゃん、夜逃げっぽくてワクワクするだろ? 宿なんかどこにでもあるって。それにさ、こういうとこからちょっと外れた場所にある宿の方が、安くて飯が美味かったりするんだよな」
ジルは相変わらずの口調で笑いながらも、迷いのない足取りでどんどん歩みを進めていく。冗談めかしてはいるけれど、その歩幅の速さは明らかにいつもと違っていた。
「待って、置いていかないでよ!」
メリアは買ってもらったばかりの帽子がずれないよう手で押さえながら、路地へと消えていく彼の大きな背中を、慌てて追いかけて走り出した。
ジルの言葉通り、すっかり日が落ちてしまう前に、街の外れで古びた宿が見つかった。サウド・ガルをあとにした二人は、それからまた、次の街を目指して果てしない交易路を進む。
そんな旅路のある夕暮れ時のこと。緑の生い茂る山道を歩いていると、傾いた強烈な西日で、地面には二人の影が長く伸びていた。
ふと、前を行くジルの大きな影を見つめていたメリアが、いたずらっぽく口角を上げる。彼女は両手を頭の上で掲げ、指を突き出してツノの形を作った。メリアはそのツノを、ジルの影の頭のところへぴたりと重ね合わせる。
「見てよ、ジル。やはりあなたは、山に住む凶暴なトロールの生き残りだったのね」
「あ? 誰がトロールだよ」
澄まし顔のままそんな風にふざけ始めたメリアに、ジルは足を止めて振り返った。彼女の力作に気づくと、彼は片側の口角だけを上げて笑う。そして、自分の影の腕をぐわっと大きく広げ、メリアの影を頭上から丸呑みするような豪快な動きをしてみせた。
「トロール様に逆らうとこうだ。生意気な小熊なんか一呑みだぞ」
「ごめん被るわ! トロールの胃袋に入るつもりはないもの!」
影の中ですっかり呑み込まれてしまったメリアは、声を上げて笑いながらジルの背後へ素早く回り込んだ。そして、彼の背中を指先でツンツンと容赦なく突っつく。ジルは意外な弱点に声を上げ、身をよじって逃げ回った。
そんな風にふざけ合っている時間は楽しかったが、現実は甘くない。何と言っても、これは朝から晩までひたすらに歩き通しの過酷な旅なのだ。当然、夜になれば泥のように眠りたくなるわけだが、そこには一つ、最近の大きな問題があった。
道中の宿代をケチるジルが、頑なにベッドが一つしかない狭い部屋ばかりを取るのだ。最初のうちは「俺は床で寝るから」と言っていたが、翌朝になって「床で寝ると腰が痛え、身体中バキバキ」と一日中うるさく文句を垂れるものだから、見かねたメリアが折れる形で、一つのベッドで並んで寝るようになった。
もちろん、一筋縄ではいかない。メリアは毎夜、ジルの寝相と地響きのようないびきに頭を抱えて悩まされ、逆にジルはジルで、寒がりなメリアに毛布をごっそり巻き取られ、寒さに震えて目を覚ます羽目になるという小競り合いを繰り広げていた。
北へ向かって山道を進むにつれ、周囲の空気は劇的に冷えていった。雲の切れ間から覗くのは、天を突くヴェルティス・ノルディカ山の荘厳な雪冠だ。目指す名峰が刻一刻と迫るにつれ、吹き下ろす風は肌を刺すような冷さを増していく。
やがて二人の前に現れたのは、山の裂け目から轟音を立てて流れ落ちる大瀑布だった。本流の巨大な滝だけでなく、周囲の岩肌からも小さな滝が無数に流れ落ち、一帯には冷たい水飛沫が濃い霧のように立ち込めている。
「冷たい……。ねえ、本当にここを通るしかないの?」
「我慢して。ここ超えないと進めないから。ほら、帽子飛ばされんなよ」
避けて通る道はなく、濡れた岩肌を進むうちに、メリアの身体は芯から冷え切ってしまった。毎日歩き通しだった疲労も祟ったのだろう。徐々に口数は減り、呼吸が荒くなっていくのをジルに悟られまいと必死に足を進めたが、ついに目的の街が見えた頃には限界を迎えて、ぐったりとジルの背中に寄りかかるような有様だった。
辿り着いたのは、主峰を仰ぎ見る連峰の山腹──豊かな銀鉱脈の上に築かれた街、アルゲントラだった。
山肌を削り取るように拓かれたその街には、鍛冶場から吐き出される黒い煤煙が立ち込め、無数の川や滝を利用した精錬用の水車がいくつも轟音を立てて水飛沫を散らしている。
本来ならその壮大な光景に目を輝かせるところだったが、メリアは寝込んでしまう寸前だった。荒い息を吐くメリアの様子に、すれ違った一人の人物が足を止めた。荷馬車から大きな荷物を軽々と下ろしていた、立派な角を持つ、恰幅のいい馴鹿の獣人だ。
「あんた、そのお嬢ちゃんの顔色が真っ青じゃないか。大丈夫かい? 何か手ぇ貸そうか?」
「お、助かるわ姉さん。悪いんだけど、宿に連れてくから、俺らの荷物持ってついてきてくんねえ? こっちは俺が運ぶからさ」
その、まるで荷物か何かのように扱われた雑な呼び方に、メリアは熱でぼんやりする頭の片隅でむっとした。言い返してやりたかったが、喉が熱く焼けるように痛んで声が出ない。抗議の視線を送ろうにも、視界がぐにゃりと歪み、急速に意識の輪郭が溶けていく。
すぐにジルの腕がメリアの身体を容赦なく抱え上げた。そのままアルゲントラの煤煙の立ち込める街並みの中を、ジルはいつになく急ぎ足で歩き始める。メリアは抗う力も残っておらず、ただ彼の胸元に顔を埋めて、なす術もなく熱い吐息を漏らすことしかできなかった。




