第98話 0cean blue ARKHED
手に伝わる温かく柔らかい感触。それはかつて触れたような気がして、力を籠める事が躊躇われて…。
赤く光る双眸を持つ黒い霧の者。それらと対峙していたジルベルトは武器を手放し、素手でその者の首を締め上げる。力を籠めれば直ぐにでも倒せるはずだが、何故だか出来ずにいた。それは先程光剣を突き立てた時に覚えた違和感と同じで、その時から手の震えは止まらなかった。
「これで…良いのか…?こんなのは…間違って―――」
「ううん。間違いじゃない」
ジルベルトの問いに答えたのは彼の最愛の者、セラフィーナであった。彼女はジルベルトの迷いを打払うよう、首を横へと振り、そして大きく頷いて正しい事をしていると言う。目の前の者は敵で、ジルベルトを傷付ける者で、倒さなくてはならないと。
「(セラの言う事に間違いはない。だが…―――)」
苦しむ黒い霧。けれども抵抗することは無く、何事か呼びかけている。苦しそうな呻き声、掠れていきながらも何かを訴えようとする者。その声は確かに聞き覚えがあった。
「―――…っ!」
止めを刺す事に躊躇っていると、急に右腕を撃ち抜かれたような痛みが走る。思わず手を放してしまうと黒い霧の者は奈落へと落下した。
「ジル…!大丈夫…?」
「ああ…。このくらい大したことは無い」
「この痛みも、全部あの者達のせいなんだよ?今度こそ…――」
「セラ…」
「…?…どうしたの、ジル…?」
亜麻色の髪も、ほっそりとした身体も、優しく微笑む姿も何一つおかしくはない。けれども愛している筈のセラフィーナは、彼女であって彼女でないようで…。
「―――…さん…っ。ジルベルトさん…っ!」
奈落から、底の見えない闇から声が聞こえた。今度はハッキリとした声で、そしてその姿も…。黒い霧は段々と晴れ、現れたのは一人の少女であった。
栗皮茶色の髪をツーサイドアップに。良く言えばスレンダーな身体つきでいて、瞳は真っ直ぐで。その少女の姿を目にした途端、ジルベルトの心臓は激しく脈打つ。
「お前は…っ」
「ジルベルトさん…。もう、大丈夫です。私はここに居ま―――」
「その者の声を聞いちゃ駄目…っ!」
「セラ…」
必死に呼び掛け、手を差し伸べてくる少女。知らない者の筈だが、知っているようで、彼女の事を思い出そうとすると頭に鈍い痛みを感じる。痛みに耐えながらも思い出さなくてはいけないと記憶を探るジルベルトに対し、セラフィーナは悲痛な面持ちで止めに入る。
「ずっと一緒に居てくれるんだよね?ジルが愛しているのは私、だよね?」
「俺は…」
安寧はここに在る。けれどもジルベルトは逃げるのではなく、どんな痛みを感じても構わないと、真実を望む。
縋り付いて来るセラフィーナの両肩に手を、軽く力を込めて引き離す。すると彼女は悲しそうに、今にも泣き出しそうで胸が痛みもするが、真実から目を背けてはならないと、真っ直ぐに彼女を見据える。
「俺は、セラを愛していた…。だからこそ、不死の力を望んだ」
だが、セラフィーナは不死の力を得る事を拒んだ。彼女が何故拒んだのか分からなかったジルベルト。それは今でも変わらず、永遠に理解できそうにもない。自分の事を想ってくれてかとも思いもするが、それならば生きていてくれた方が良かったと悔やんでも悔やみきれない。結局何も分からないように思えるが、ただ一つ確かなものがある。
「セラ…。今俺の前に居るお前は、俺の枷…なんだな」
救えなかった大切な者。その者を想う気持ちは強く、悔やむ気持ちは底を知れない。セラフィーナを喪ってから幾年月が過ぎ、他の者を愛したとしても、心の中には彼女への想いが残っていたのだろう。他の者を愛せないようになってしまったのは全て、自分自身が科した戒めであった。
「ようやく、気付いたんだね…」
「ああ…。すまない…。俺は本当に馬鹿な男だ…」
申し訳なさそうに肩を落とし、瞳を伏せさせたジルベルト。彼の作り出した枷であるセラフィーナは首を横に振り、構わないと、彼を許した。
「私の事を忘れないでいてくれた気持ちは嬉しいから…」
「そうか…」
「…でもね。もう、充分だよ」
死を選んだのはセラフィーナ自身で、ジルベルトは責を負うことは無い。寧ろジルベルトを解放したいから死を選んだのだとセラフィーナは語る。
「忘れる事は出来ないのかも知れない。でも、いつまでも後ろばかり振り向いていちゃ駄目だよ。私は、ジルに前を向いていて欲しいの」
「…セラ。本当に良いのか…?」
「うん…!…私はジルの幸せを願っているから。ジルが幸せなら、それが私の幸せでもあるんだから」
微笑むセラフィーナ。心の底からジルベルトの事を想ってくれているようだが、やはり離ればなれになるのは辛くもあるのだろう。彼女の瞳は潤んでいた。スッと手を伸ばしたジルベルトは彼女の背中へと手を回し、華奢な身体を抱きしめる。すると彼女は心地良さそうに目を細め、そして真っ白な光となって消え去った。
理解できなかったセラフィーナの気持ち。それはこうして向き合う事でようやく受け入れられた。例え自分自身が作り出した幻だとしても、セラフィーナは確かにここに居て、そして心の中に在り続ける。これまでと変わらないようではあるが、彼女の存在は枷でなく、大切な想い出となった。
「…なんでこんな大事な事を忘れてしまったんだろうな。…これも俺の弱さか」
過去に囚われなくなった今ではハッキリとその存在が認識できる。情けない姿を見せただけでなく、身体も心も気付つけてしまった者を今更大切な者だと言えるのか。自分の弱さを思い知らされたが、前を向いて歩くならば隣に在って欲しいと、おこがましい事だが願わずにはいられない。
「…ジルベルトさん…っ」
「…ナトリ…」
今、一番大切な、愛しく想う者の名を呼ぶ。すると常闇の世界に光が差した―――。
愛する者に命を奪われる事を覚悟した鳴鳥。息が続かなくなり、意識を手放しそうになる寸前、身体は大きく揺れ、遠い床へと落下する。
ジルベルトの腕を撃ち抜いたのはライフル型の銃を構えるマリアンで、ジルベルトの手から離れた鳴鳥を抱き留めたのは駆けつけたスティングであった。二人により何とか生き永らえた鳴鳥。彼女は咳き込みながらも助けられた礼を言い、そしてふらつきながらも足を着く。
「ここは一旦退いた方が良い」
「スティングさん…っ、でも、ジルベルトさんは…―――」
「ナトリ、船長には一旦おネンネしてもらうしかないわ…っ!」
「マリアンさん…っ」
再び銃を構えて狙いを定めるマリアン。驚異的な回復力と薬物による耐性で一撃では沈まないのだろう。鳴鳥の拘束は解いたようだが、ジルベルトが痛みに顔を歪めることは無く、その瞳は虚ろである。
再びスティングは鳴鳥を抱え、この場を離脱しようとするが、鳴鳥はそれを拒んだ。彼女の想いの力か、白いARKHEDは鳴鳥の走る先にアームを下ろし、掌に彼女を乗せた。
皆が危険だと叫ぶが、このままにしてはおけない。今度こそ彼に殺されてしまうかもしれないが、逃げる訳にはいかない。理性を失い、獣のような目をした彼が怖くはない訳ではない。それでもきっと、元の彼に戻ってくれると信じることが出来て、踏み出せる。
「ジルベルトさん…っ!」
うずくまり、頭を抱えて唸るジルベルト。苦しそうにもがく姿は何か…自分自身と戦っているように見えもした。
恐る恐る手を差し伸べる鳴鳥。その手が取られなくても構わないと思い伸ばしたが、ジルベルトは鋭い瞳をこちらに向け、彼からも手を伸ばす。
離れている間は一日が長く感じられ、触れた時の温もりも、抱きしめられた時の温かさも忘れてしまいそうになるくらいであった。それが今ようやく触れることが出来て、伝わる熱に笑みがこぼれそうになる。
「ジ、ジルベルトさん…?」
掴まれた手は引き寄せられ、心臓が跳ねる。今の彼はまだ、自我を取り戻していなくて、警戒をしなくてはならない。これ以上傍に寄ればまた、今度こそ鳴鳥の息の根を止められてしまうかもしれない。そう、見守っていた者達は思いもするが、それは杞憂で済んだようだ。
眩い光が辺りを包む。光を放ったのはジルベルトの機体で、黒いボディは徐々に色を変え、蒼い色に。何処までも続く大海原のような蒼色に染まる。
機体の変化に驚く皆だが、鳴鳥はその身に感じられる感触に驚いていた。彼女はきつく抱きしめられていて、息遣いが聞こえて…。
「…すまなかった」
「ジルベルトさん…っ!」
ポツリと呟かれた謝罪の言葉。それは彼が彼である証拠で、鳴鳥の強張っていた肩の力が抜ける。嬉しくて、嬉し過ぎて、言葉にならなくて、何度も名前を呼んで、その広い背中に手を伸ばしてしがみ付いて、もう二度と放さないと誓って、涙を流す。再会を、正気に戻った事を、枷から解放された事を喜んでいるのはジルベルトも同じで、何よりも嬉しく思うのは腕の中に在る者の存在であった。
「…お帰りなさい」
「…ただいま」
ここは戦場で、未だ戦う者達が居て。こうしている場合ではないと分かっているが、鳴鳥とジルベルトはあと少しだけ、もう少しだけと思いながら互いの存在を確かめあうように抱き合っていた。そんな二人を見守っていた皆も口元を緩め、この時が永遠であるように願っていた。
エルンストの配下はすべて退けられた。残されたのは無人機のみで、千を越えていた軍勢は今では相当な数が減らされており、それは合流したARKHED操縦者の力によるものが大きく、敵陣は壊滅状態であった。
万全の状態でないアリーチェも無人機が相手ならばと未だ戦闘を続け、無人機を次々と撃破していた。病み上がりが嘘かのように、不完全な機体で立ち回る彼女は危うくもあるのだが、傍には久城が居て、いつ体勢が崩れても良いように配慮をしていた。
「…!」
これまでの勢いが無くなり、急にピタリと止まるアリーチェ。やはり身体に負担が掛かっていたのかと久城は心配するが、そうではないと、アリーチェは首を横に振る。彼女は体調が悪いと言うよりも、寧ろ晴れやかな表情であり、安堵した様子でもあった。
「もしかして…」
「…ええ。これでジルは解放される」
アリーチェが胸を撫で下ろす事。それは彼女がジルベルトへと填めた枷の事で、どうやら彼はやっと解放されたようだ。
ずっと悔やみ続けていたことが無くなり、ようやく心を穏やかにできるようで。そうなると張りつめていた糸が切れるようにアリーチェの気は緩み、これまで目を背けていた疲労がどっと押し寄せてくる。そんな彼女の様子を察してか、ここは任せて欲しいと、一旦本陣まで帰投するよう久城は言うが、アリーチェはキッパリと断った。
「これでジルは自由だけど、彼をこれまで苦しめてきた事に変わりはないわ。それに、彼の犯した罪は私のせいでもある…。だから、一緒に償わなきゃ…」
ジルベルトに力を与えた責任。それを負う為に戦い続けると、ボロボロの身体に鞭を打つアリーチェ。何処までも強くある彼女に久城は何も言えず、それでももしもの時は彼女を支えられるよう、傍に在って戦い続けようと決意した。
気持ちを新たに踏み出したアリーチェ。また一機、無人機が彼女の前で破壊されたその後、タイミングを計ったかのようにブリューナクのブリッジに居るヘニングから全軍に指令が下る。それは帰投命令で、上からの指示となるとアリーチェであっても従わざるを得なかった。
「このまま敵の居城に乗り込むんじゃないの?」
「いや、流石に今の状況で乗り込んでも勝ち目はないと思います…」
「あ、そう。まぁ良いんだけど…」
不服そうなアリーチェ。一番ダメージを負っている彼女はまだやる気であって、その底抜けの強さに久城は苦笑いを浮かべていた。
残された無人機の数は後僅か。それは敵の居城、小惑星型要塞アドミニストラードのすぐ傍に配されており、これ以上深入りしては今の状況では押し切れないと判断が下り、全軍は本陣まで退いた。無人機による追撃があるかとも思われたが、敵も無駄に消耗はしたくないのだろう。ある程度距離を取ると大人しく退いて行った。
敵であるセルべリア達、四名のARKHED操縦者を降し、更には大半の無人機を撃破。快勝と言っても良い程の戦況に湧き立つところではあるが、敵将はまだ姿を現してすらいない。明日こそは最後の戦いであると、死闘を繰り広げた者達は逸る思いを押さえ、僅かな休息を過ごした。
ARKHEDの修復。それは搭乗者が操縦席で意識を集中させることにより、破損した箇所が修復される。精神力を多く使う作業であり、修復を終えた者達はぐったりとし、直ぐに宿舎に引き揚げるのだが、鳴鳥は修復を終えた後もコックピット内に留まっていた。
「ナトリさん、休まなくて良いの?」
「はい。この通り、大丈夫です。…これもセリアさんのお蔭、ですね」
鳴鳥の機体の腹部には大穴が開いていた。それはジルベルトの攻撃により受けた傷で、かなりのものであったが、鳴鳥の機体にはセリアの魂が宿っている為、彼女の助力もあり、修復の際の精神力の消耗は軽く済んだようだ。その事に感謝を述べる鳴鳥だが、寧ろ礼を言いたいのは私の方だとセリアは言う。
「感謝したいのは私の方よ。貴女が居てくれて本当に良かった…」
「え…?そ、そんな事。私は何もしていませんよ?…ジルベルトさんだって、自分で乗り越えたようですし、結局私は何一つ力になれなかった…」
「そんなことは無いわ。貴女が居たからこそ、彼はここに戻ることが出来た。彼にとって貴女は一つの希望だったのよ」
「そう…、ですかね。自分ではよく分かりませんが…」
いつまでたっても自分自身に自信が無いようである鳴鳥。謙遜が過ぎる所だが、それが彼女なのだとセリアは理解していて、それ以上は何も言わず、優しく微笑む。
鳴鳥がどう思おうと、彼女との出逢いにより世界は変わった。ジルベルトが自分自身と向き合えたのも、久城が怒りに囚われていたのから解放されたのも、彼女の影響であって、軍人となる事を拒んだフラヴィオが今、共に戦っているのも、彼女が居たからである。彼女の影響は計り知れず、こうして脅威は退けられつつあり、あと少しでエルンストと向き合う事も出来る。やはり自分の見立ては間違いなかったのだと確信するセリアだが、同時に申し訳ない気持ちでもあった。
「ナトリさん…。今更だけど、普通の学生であった貴女を巻き込んでしまってごめんなさい…」
「どうしたんですか…?急にそんな事…」
「前から、言わなくてはといけないと思っていたの」
この世界は異世界からの侵略を退けようとしている。それでもその為に多くの者が傷つき、無関係であった者が巻き込まれもした。鳴鳥もその内の一人で、彼女は元々ただの学生で、本当は戦う事を望んでなどいない。そんな彼女を戦場に引きずり出したのは他でもないセリアで、申し訳なく思っていた。
「そんな事、無いですよ」
「ナトリさん…?」
「私は、セリアさんに見つけ出して貰えて良かったと思います」
「でも、貴女は戦う事を…」
「それは…そうですけど。でも、あの時セリアさんと出逢わなければ、私は死んでいましたし」
二人の出逢いは星が滅びる瞬間で、一瞬でも遅ければ鳴鳥は星と共に亡くなっていただろう。その節は助かったと礼をする鳴鳥。命の恩人であると言われればセリアには言い返す言葉もなくなる。
「寧ろ、お礼を言いたいくらいです。セリアさんと出逢えて、ARKHEDを得て、そのお蔭で久城センパイとのわだかまりも解けましたし、何より…―――」
そこで口ごもる鳴鳥。彼女の頬は赤く染まっていて、何やら恥じらっているようだ。戦場に立ちもする彼女だが、やはり年相応の少女の様で、色恋沙汰は口にし辛いようだ。まだ恥ずかしいようだが、その想いは否定したくなく、胸を張りたい所で、どもりながらも想いを口にする。
「ジ、ジルベルトさんと…出逢えたのも、セリアさんのお蔭ですし…」
「そう、だったわね」
「だ、だから、セリアさんが気に病むことは無いんです…!」
「…ありがとう。ナトリさん」
「で、ですから、私は感謝される側では…―――」
互いに相手を気遣うような性格でいて、このままだと謝り倒したり、感謝し合って日付が変わってしまいそうである。けれどもその前に、次に出撃する時が最後の戦いになるだろうと思い至ったセリアは、鳴鳥へとこんな所に居て良いのかと尋ねる。
「彼の所へと行かなくていいの?」
「え?!え、えっと…。ジルベルトさんはかなり疲弊しているようでしたし…。今は休ませてあげないと…」
「そうなの?彼はそうでもないようだけれど」
クスクスと笑うセリア。彼女は笑顔で手を振るとメインモニターから姿を消した。彼女の言いたい事を理解できなかった鳴鳥だが、彼女の意志に反してコックピットのハッチが開き、そこに居た者の姿を見て驚きつつも納得した。
「ここに居たのか」
「ジ、ジルベルトさん…っ!?」
「お前、通信機を自室に置いていただろう。…探し回ったんだぞ」
「ご、ごめんなさい…」
素直に謝る鳴鳥だが、そこまでしなくともいいと、ジルベルトは言う。
あの後、自我を取り戻したジルベルトは意識を失い、ブリューナクの医務室へと運ばれた。それから数時間しか経っていない今、彼は何もなかったかのように平然としており、鳴鳥の機体の補助席に座り、ハッチを閉じさせ、そして鳴鳥の身体を自分の方へと向かせる。
「あの…、身体は大丈夫ですか…?」
「枷は解けたが、不死の力は相変わらずでな。少し休めばこの通りだ」
「そうですか…。良かったです…!」
ホッと安堵し、胸を撫で下ろす鳴鳥。その様子にジルベルトも口端を緩めるが、それは一瞬の事で、彼は後ろ頭を掻きながら何か言いたげな様子で、それでも言い難いのか、視線を彷徨わせており、落ち着きが無い様だ。ハッキリと言わないのは彼らしくないのだが、鳴鳥は何も言わずに待っており、そんな彼女を待たせたままなのは良くないと踏ん切りがついたのか、ジルベルトは咳払いをして思いを明かした。
「その…、悪かった…」
「謝罪ならもう聞いていますよ?」
「いや、そうだが、一度だけでは足りないような事を俺はしでかしてしまった…」
自我を失っていたとはいえ、ジルベルトは鳴鳥に手を掛けようとした。それは悔やんでも悔やみきれない事であるが、彼には他にも後悔がある。何も言わずに目の前から消えてしまった事、挙句敵の手に落ちてしまい、不安にさせてしまった事、後悔は挙げればきりがない。
「―――…こんな俺が今更お前の傍に居たいだなんて願うのは…、図々しいってもんだよな」
「そんなことは無いです…!どんなことがあっても私はジルベルトさんの事を…」
「そう言ってくれるのは分かっていた…。分かっていて、甘えて…。本当に情けないな…」
「情けなくなんか…無い、ですよ。それとも、ジルベルトさんは私の事を嫌いになってしまいましたか?」
「そんな馬鹿な…!俺は今でもお前の事を…」
躊躇いがちに伸ばされたジルベルトの手。それはゆっくりと鳴鳥へと近づき、彼女の肩に触れる。掴まれて引き寄せられるその前に、鳴鳥は自ら彼の胸に飛び込むよう身を預けた。
「それなら良いんです。過ぎた事は気にしません…」
「不甲斐ない俺でも良いのか…?」
「…はい。それに、いつも助けられてばかりじゃないですか。たまにはこんなことがあっても良いと思うんです」
「…そう、なのか?…俺としては情けなくもあるんだが」
「良いじゃないですか。立場が変わるっていうのも」
「…いつもは俺が心配をする方だしな」
何も言わずに離れて行った事は悲しくもあった。剣を向けられた時は絶望を感じた。それでも今はこうして互いの温もりが伝わるくらいに近くて、愛しい想いは変わらないのだと分からせられて、過去はどうでもよくなる。
ようやく自分自身を許せたのか、ジルベルトはフッと微笑むと鳴鳥の背に手を回し、自分の膝の上へと座らせる。重くはないかと心配する鳴鳥に対し、軽く首を振り、そして大きな手で頭を撫でつけ、瞳を覗き込む。吸い寄せられるように、自然と互いの距離は更に縮まり、そして瞳は閉ざされ、唇と唇が触れあいそうになる…が、寸前で鳴鳥はジルベルトの胸に手を付いて押しやり、距離を取る。
「…どうした?やっぱり嫌、なのか?」
「いや、そ、そうではなくて…!」
「今更恥ずかしがるのか?まぁ、そういう反応も悪くはないが…」
「だ、だから、えっと…!」
鳴鳥が拒んだ理由が分からず首を傾げるジルベルト。嫌がっている様子ではなく、頬を赤く染めていることからただ単に恥じらっているだけかとも思うが、そうでもないらしい。彼女が拒んだ理由。それはここが二人きりでないからで、これ以上は見られたくないという恥じらいからであるが、ジルベルトは知る由もなかった。
「私の事は気にせず続けていいのよ?」
「…!」「セ、セリアさん…っ!」
「大丈夫。私は目を閉じておくから」
「…成程そういう事か」
セリアは気にするなと言うものの、このまま続きを出来る程ジルベルトの神経は図太くない。一先ず甘い空気は無かったことに、セリアにも迷惑を掛けた事をジルベルトは謝罪し、そして鳴鳥の傍に居てくれたことを感謝した。
「貴方も、私が巻き込んでしまった内の一人なのだから、感謝される謂れは無いのよ」
「いや、貴女が居なければ俺は鳴鳥と出逢えなかった。そして枷も外れる事は無かっただろう…。本当に、感謝しきれないくらいだ」
「…ホント、二人は似た者同士ね」
そんなお似合いの二人は二人きりの時間を楽しんで欲しいとセリアに言われるが、やはりここでは落ち着ける筈もない。彼女の申し出を断った二人は場所を変える事に、と言っても宿舎までは待てないのか、ジルベルトはハンガー内の自分の機体へと鳴鳥の手を引く。
一人残されたセリア。全ての障害を乗り越えた二人を邪魔する気はないが、仲睦まじい姿に過去の自分を重ねた。
「…エルンスト。私は今でも貴方の事を想っている」
想っているからこそ、止めなくてはならない。間違いを犯しているならば正してあげるのが本当の愛だと信じて…。その想いは今の彼に届くことは無いと分かっていても、立ち止まる訳にはいかなかった。
小惑星型要塞アドミニストラード。その中心部には巨大な白い精神結晶が在った。眩い光を放つその結晶を前に佇むのは一人の男で、その者は悲痛な面持ちである。
愛しい者を求めて、その為に多くの者を犠牲にして、それでも受け入れられないどころか拒まれて、否定されて。これまでの自分は間違っていたなど思いたくはなく、今更引くに引けない。
持てる手駒は使い切った。この世界の者達はもうすぐここに辿り着いて裁きを下すだろう。無論、そう簡単にやられる訳ではないが、その場には愛しく思う者も居る。
「…理解を求める必要は無い。拒まれるならば、この想いを分からせるまでだ」
既にこの手は汚れきっている。今更何人殺めようが変わりはしない。それならば逆らう者は、邪魔をする者は消し去ればいい。今更ながらの事を再度胸に刻んだのは愛する者を前にして迷わない為にで。ただ独りでエルンストは愛しく思う者が辿り着くのを座して待った。
離ればなれになっていた鳴鳥とジルベルト。今では簡単に触れることが出来る距離でいて、何も躊躇うことは無い。彼を縛りつけていた枷も無くなり、恐れる事は何一つなくなった。
生まれ変わったジルベルトの機体。何処までも続く雄大な海を思わせるような蒼色のARKHED。そのコックピット内で二人は二人きりの時間を過ごす。
あと数時間もすれば敵の居城へと向かうというのに、こんな所でこんな事をしていて良いのかと戸惑う鳴鳥に対し、ジルベルトは良いんだと言い切る。
「ほら、枷が本当に無くなったのか確かめなきゃならないだろう」
「そ、それは…そう、ですけど。でも、どうやって確かめ…―――ん…っ」
「それはこうやってしか確かめられないな」
不意打ちの口付け。僅かに触れただけだが、鳴鳥の心臓は早鐘を打ち、苦しくもある。
確認の為だと言ったジルベルトは軽いキスを落としたが、何の変化もない。やはり枷はもう無いのだと安堵する鳴鳥だが、ジルベルトは腑に落ちない様子だ。
「ジ、ジルベルトさん…?」
「軽くじゃよく分からないな」
「え、あ、んん…、ん~っ!!」
悪戯っぽい笑みを浮かべていると思っていたら、ズイッと顔が近づき、唇が重なる。先程とは違う深くて絡み合う様なキス。されるがままに、舌を弄ばれてしまい心地よさと苦しさで眩暈を起こしそうになるが、息が荒くなったところで唇は離れて行く。まだ余韻が残る中、大きく息を吸って呼吸を整えようとするが、激しく脈打つ鼓動は簡単に止められそうにない。頬を赤く染め、涙目になりながらねめつける鳴鳥に対し、ジルベルトはクツクツと笑う。
「も、もう良いですよね。これで大丈夫だと分かりましたし…」
「これまでずっと我慢してきたんだが…。俺を生殺しにする気か?」
「そう言われても、これ以上ここでだなんて…―――…わっ!?」
ジルベルトの膝の上に乗せられていた鳴鳥。彼女の身体は抱えられたかと思うと操縦席に座らされ、シートがゆっくりと下げられる。身を横たえたような形になると覆いかぶさるのは口端を緩めたジルベルトで、組み敷くような形となってしまう。
「駄目か…?」
「そんな顔で言われたら断れる訳ありませんよ…」
「…とか言いつつ、こうなる事を望んでいたりしないのか?」
「そ、そんな訳…、…って、どこを触って…っ」
「いや、確かめようかなと…」
「ジルベルトさん…っ!!」
悪戯が過ぎたと謝るジルベルト。謝罪はすれど、退く気配はなく、どうあってもキス以上の事を致したいようである。
鳴鳥としても嫌な訳ではない。けれども今はそのような状況でなく、場所も場所で…、とてもじゃないがジルベルトの欲を受け入れられない。ここは言い聞かせないと、と思いもするが、抵抗は虚しく、再び落とされた口付けに抗えなくなる。
「こういう状況だからこそ、後悔の無いようにしないとな」
「それは…、そうかもしれませんけど…」
「まぁ、そういう事だ」
「はぁ…」
言いくるめられたようであるが、どちらにせよ敵いはしない。伝わる熱が愛おしく、激しい息遣いは脳内に響き、戸惑いはいつの間にか消え去り、快楽へと溺れる。
出撃時刻まで二人はこれまで離れていた時間を埋めるように、蜜な時を過ごした。




