第92話 Wise man of a black garment
結晶化という奇病に侵されて滅びゆく世界、マギイスト。どうにか種の存続をと願う魔術師エルンストは禁忌とされる術、魂の複製に手を出した。その禁術で被検体として扱われたのは歌姫であるセリアで、彼女と穏やかな時を過ごしていた事もあったエルンストは己の過ちに気づき、自責の念に駆られる。
魂の複製は元の魂を劣化させた。魂を削られ続けた被検者は精神に異常をきたし始め、ついには壊れてしまった。それだけでなく体力も落ち、魔力も低下し、このままだと死に至らしめると分かってはいたが、研究は中止にならなかった。
第92話 Wise man of a black garment
白い病室。簡素なベッドに横たわるセリア。上半身を起こすのも辛いだろうが、訪れた者の姿を一目見て笑顔を浮かべて起き上がる。
「無理はしなくて良い」
「無理なんて、していませんよ…?」
淡い色の花籠と甘い菓子を手に病室を訪れたのはエルンストであった。彼の来訪に心から喜んでいるセリアだが、顔色は優れない。可愛らしい花に笑顔を綻ばせたり、美味しそうにお菓子を食べていても彼女の体調が悪いのは隠し切れなかった。
具合の事を尋ねてもセリアは気丈に振る舞うだけであって、逆に気を遣わせてしまう。なるべく研究の事や体調には触れず、エルンストは取り留めのない話をする。暫し楽しげに話していたセリアだが、フッと意識を失いそうに、倒れそうになりエルンストに支えられた。
「す、すみません…」
「君が謝る必要は無い。謝らなくてはならないのは私の方だ」
何もできないどころか自分はセリアを苦しめる一因であると、エルンストは頭を下げる。彼が彼女に何度謝罪したのかはもう数えきれない程で、その度にセリアは気にしなくて良いと言う。
「私の力が必要とされているから…。それで世界が救われるのなら、私はどうなっても構わないです」
「だが、その力は…」
「そう…ですね。次元を渡る力は…ソルダントへの侵攻に用いられる」
まずは交渉を、向こう側の人と接触を果たし、話し合いで解決したい所だが、交渉が決裂すれば実力行使に出なくてはならない。できれば穏便に済ませたいが、上層部には以前よりソルダントへの侵攻を目論む者も居て、事態は悪い方へと転がりかねない。
自分の力が正しいことに使われないかも知れない。そう分かっていても、セリアは犠牲になる事を厭わない。それほどまでにこの世界は衰退の一途を辿っていたのであった。
「(いくら進言しようとも上は聞き入れようとしない。このままではセリアは…)」
失いたくない。あの頃に、彼女が歌を聞かせてくれた穏やかな時に戻りたいと、そう願うがエルンストの立場ではどうしようもない。全てを投げ出して二人で逃げ出そうにも、監視の目は厳しく、セリアを連れ出せそうにもない。そもそもエルンストは彼女に対する想いを伝えてすらいないのだから、先走った考えを抱く事すら許されない。
これまでにエルンストは誰かを本気で愛おしく思ったことは無かった。一方的に想いを告げられて、特に断る理由もないからと受け入れ、そして勝手に愛されていないなどと難癖を付けられて去って行った者は何人かいた。その時のどの女性とも違い、セリアに対しては離れがたく思い、声を聴きたいと願い、失ってなるものかと強く想う。
「それでも私は、皆を救いたい」
「それでは君が…っ。き、君が居なくなれば悲しむ者は大勢いる」
「エルンストさんも、ですか?」
「あ、ああ…。私も君の事を…失いたくないと思う」
今こそ想いを伝えるべき時なのだが、どうしても気持ちを誤魔化したような言葉ばかりがついて出る。いくら高名な魔術師と言えども色恋沙汰には疎く、やはり自分には似合わないと、せめてアイザックにでも女性が喜ぶ言葉を教えて貰っておけばと思いもしたが、彼に頼るのはやはり癪だと内心深い溜息を吐く。
エルンスト自身は気持ちを悟られてはいないと思っていたが、最近の彼は焦りもあってか実に分かり易い。あまり人の内面を探ろうとしないセリアですらも、エルンストが何か言いたくて言えない事があるのだろうと気付いていた。そう気が付いたのだが、尋ねられなかったのは、深く関わってはならないとセリアが自分を戒めているからであった。
「私が居なくなっても大丈夫ですよ。ほら、複製体が居るじゃないですか…」
「それは本気で言っているのか…!?」
「エ、エルンストさん…?」
「…代わりなど居やしない。君は君で何物にも代え難い…っ」
「エルンストさん…」
身を横たえたセリアは手を伸ばし、エルンストの頬に振れて伝い落ちる涙を拭う。彼女に触れられるまで泣いている事に気が付かなったエルンストは情けない姿を晒してしまったと恥じらうが、セリアは首を横に振る。
「私にとっても、エルンストさんは誰にも代え難い…です。だから、貴方が生きられる世界を作る礎になっても構わない」
引き裂かれる運命だと互いに受け入れていて想いは伝えなかった。けれども繋がれた手の温もりで互いの想いを言わずとも確かめ合うことが出来た。
想いは通じ合い、嬉しく思う所であるが、このままで良い筈は無い。そう決心がついたエルンストはここを抜け出そうと、二人で何処か、誰も自分達の事を知らない場所へと向かおうと。そう提案するも、セリアは首を横に振る。エルンストの誘いを断ったセリア。彼女は自分の身が犠牲になる事は構わないのだと再度説明をし、そしてもう一つ、ここから抜け出せない理由を明かした。
「…同胞、同じ次元を操る術者である被験者を置いてはいけないか」
「私はまだ平気なの。中には子ども達もいて…、お年寄りも…。私だけ逃げるなんて事は出来ないですよ」
「そう…か」
一緒に行けはしないけれど、その気持ちは嬉しいとセリアは笑う。
どんなに評価されても、自分の力は何の役にも立ちはしない。己の無力さを思い知らされるエルンストであったが、セリアの前ではもう弱みを見せまいと、彼女に笑みを返し、そっと優しく彼女の頭に触れた。
自分には何が出来るのか、セリアを救うためにはどうすればよいのか。結晶化の奇病の研究よりも、今は如何にしてセリアを助けるのかがエルンストの課題であり、頭の中を占めていた。研究に身が入らない彼を心配するアイザックやティエッタであったが、彼らにも現状に対し思う所があった。人を道具のように、消耗品のように扱う研究。いくら上からの指示とはいえ、精神的に耐えられるものではない。
「アイザック…?お前のデスクがいつもと違って片付いているようだが…」
アイザックのデスクにはいつも書類や書物が山積し、いつ雪崩が起きてもおかしくは無い状態であった。それが一晩明けると別人のデスクであるように、きれいサッパリと片付いていたのである。流石にエルンストは気になったらしく、アイザックに問いかけた。
「辞職願を出した。元々ここに集められた魔術師の中では一番能力が低かったしな。形だけ引き止められもしたが、受理して貰えた」
「そう…なのか…」
計画は着実に進み、ソルダントへ渡る為の準備は整えられつつある。高名な術師も数多く集められ、人手は足りていない訳ではない。そして何よりも、アイザック本人は口にしなかったが、彼はここのところ精神的に参っていて、酒に頼ったり、ついには薬にまで手を出し始めていたのであった。
学生時代からの腐れ縁であるアイザックが研究所を去る。逐一絡んでくる彼の事を疎ましく感じたことも多々あるが、こうして別れとなると寂しさも感じる。できれば彼とは最後まで、この研究が本当に正しかったのだと証明される時まで共に携わりたいと思うが、辛そうにしながら酒に溺れる彼の姿はもう見たく無い。
「辞めて何処に行くんだ?」
「実家だ。ほら、俺んとこは魔工技師の工房だろ。親父も先は長くないからな…」
「…すまない。以前聞いていたな」
弱り目に祟り目。つい最近、アイザックの元には彼の父親が結晶化の病に罹ったと連絡が入った。症状は初期段階だが、もう治る事は無く、徐々に身体は結晶に覆われていく。死の宣告を前に平気であると振る舞っていたからか、その姿が逆に痛ましく、話題に出すことは控えていた為に失念していた。
「道半ばで離れるのは俺としても納得はしていないが…。こればっかりはな。死にぞこないの親父はともかく、お袋を支えてやらないといけねぇし…」
「そうか…」
「お前がそんな顔をするなっての。辛気臭くなるだろう?」
「…そう、だな」
笑顔で別れる事を望むアイザックに合わせ、エルンストもいつも通りの表情に努めようとするが、取り繕った様子はぎこちない。そんな彼に苦笑したアイザックはこれまでの礼にとデスクの奥に隠していた酒瓶を渡して去って行った。
「(酒は苦手なのだが…。まぁ、捨てる訳にはいかないしな)」
自室の戸棚にアイザックから貰った酒瓶を置くエルンスト。日付が変わる頃に一日の職務を終えた彼はベッドに腰を下ろし、考え込む。
去る前にアイザックは酒瓶だけでなく、言葉も残していった。それは今最もエルンストが苦悩している事であった。
「…セリア嬢との事、覚悟しておけよ」
覚悟というのは大切な者を失う事である。アイザックに言われずとも分かっている筈だが、指摘されて改めてその重さが圧し掛かる。
己が果たさなくてはならない事と本当に望むもの。それは相反していてエルンストを追い込む。どうするべきなのかと考えあぐねる彼であったが、思考する時間も後僅かしか残されてはいなかった。
騒がしい者が居なくなり静かな研究室。本来なら捗る所だが、アイザックと言い合いをしていたティエッタは日に日に元気がなくなるなど、彼の影響が大きかったことが窺える。研究内容が内容だけにムードメーカーである者が居ないとなると雰囲気は暗いものへ、皆の表情からは僅かな笑みも消えていた。
アイザックが研究所から去って20日ほど経ったある日、彼から連絡が入りエルンストは研究所の外で彼と会った。喫茶店やレストランでの待ち合わせになるかと思われたが、彼の指定した場所は宿の一室で、深刻そうな顔をして出迎えた。
「悪かったな。忙しい身なのに呼びつけて」
「いや、構わない。それにしても―――」
アイザックはエルンストを室内に入れて扉を閉じた後、呪文を詠唱する。すると室内の四方に貼られた呪符が反応し、魔術による結界が張られた。それは外部からの侵入を防ぐ効果と、音が漏れないようにするためのものであった。誰かに追われているのか、警戒しなくてはならない事なのか、訝しむエルンストに対し、まずは近況を告げるアイザック。彼はエルンストの近況を聞き終わった後に深い溜息を吐き、戻ってきた理由を明かした。
「革命軍…?」
「ああ…。俺が研究員を辞職して、程なくして接触を図ってきたんだ」
現体制、ソルダントに渡ると言う手段を用いた上層部、賢者達の組織、サジューロに反抗する組織、革命軍。その存在を知らない訳でもないエルンストであったが、賢者達の強大な力の前に敵う者などいないという安心感から、気に掛けてなどいなかった。徐々に勢力を増やしている革命軍。その者達は時折反乱と称してテロ行為を行う。けれども正規でない軍人に統率のとれない部隊はアッサリと制圧され、お縄に着くのであった。
「これを見て欲しい」
「これは…。革命軍の結晶化の調査レポート…?私達でも解明できなかったものが彼らなどに分かる筈…―――っ…!?」
ウィルス説、魔獣によるもの、未知の呪術、様々な説が考えられたが、結晶化の原因は掴めずにいた。だが革命軍の突き止めたのは想定外の原因で、真実は非道なものであった。
にわかには信じ難い事。エルンストは眉をひそめるが、アイザックは証拠にとある物を鞄から取り出す。それは一般術者が装着する腕輪で、その腕輪をはめた者は消費魔力を抑えられるという代物であった。
「俺の方でも解析させて貰ったから間違いは無い。全て…人が仕組んだ事だ」
「人が…。そんな…まさか…っ」
「俺も驚いたさ。こんな事が行われていたなんて…。人の道を大きく外れていやがる…っ」
腕輪に仕掛けられていた呪いとも言える仕掛け。それは魔力を変換する術で、あらゆる属性が別の属性に、次元を操る力となってしまうものであり、魔法を発動しようとした者は強制的に次元魔法を使用する事となる。次元魔法でも瞬間移動やら、僅かの間に時を止めるなど様々であるが、腕輪に組み込まれていた術は転移、座標はこの世界ではなく別世界、ソルダントであった。
「馬鹿馬鹿しい…っ。このデータを革命軍が持っていたとなると、結晶化を蔓延させたのはこちら側…賢者達の仕業だと言うのか!?」
「信じ難いがそうだとしたら合点がいく点がある」
ソルダントに渡る方法の模索。それは結晶化の奇病が広まる以前より一部の研究所で行われていた。次元を渡る実験の為には人の身が不可欠で、死刑宣告を受けた罪人を用いもするなど、非道な行いは度々槍玉に挙げられる事もあったが、研究は水面下にて、秘密裏に行われていた。人の命を扱ってまでも進められた研究。けれどもさして進展は無く、失敗ばかりのようであった。行き詰まりを覚えた研究に携わる者達が次に目を付けたのは、次元を操る術者の身であった。
今やほぼ全ての人がホムンクルスの身体となっているが、結晶化の奇病が流行った時、高名な術師は罹る者が少なかった。人体実験は一般市民が手にする道具にてひそかに行われ、そして更には大々的に実験を行うために大義名分を得ようと、結晶化を奇病と称して人々を煽り立てたようだ。
「そうまでして次元を越えたいと言うのか…!?」
「それだけじゃない。増えすぎた人を減らすという意味もあったようだ」
「…っ!」
魔術が極められた世界。そこには天災など無く、異常気象などコントロールされて起きもしない。戦も貧困も無くは無いが、直ぐに派遣された魔術師部隊により収められる。魔力の低い者達には生き辛い世界で、彼らによる反乱が企てられもするが、魔術師に敵う筈もなかった。死因が減るとなると人は増え続け、少子化政策も行われるが大した効果は見られない。そこで暗躍し始めたのは血統派…術師の血筋を尊重する者達であった。
魔力は親から子へ受け継がれる事が多い。高名な術師は古くから脈々と受け継がれた家系であって、彼らは魔力が低い者達や血筋が定かでない者達を疎んじる事もあった。
「最近では魔力の少ない者でも不自由ない生活基盤が出来上がり、風当たりも弱まっていた筈だが…」
「だからこそ疎ましかったんだろう。血統主義者は選民を…その為にソルダントに渡ろうとする野心家どもと手を組んだ…っ」
握られた拳は震え、悔しさが滲み出る。身勝手な、人を人として扱わず駒のように動かす者達。その非道な行為に加担していたと知り、エルンストは吐き気すら覚えた。
家族の為に故郷へと帰ったアイザックがここまで戻り、周りを警戒して真実を明かした。この先は皆まで言わずともエルンストには分かっていたが、彼にはアイザックと同様に研究員を辞める訳にはいかなかった。
「だからこそ、お前に頼みたいことがある」
「私に…?」
セリアを残しては行けないというエルンストの考えもアイザックは予測していた。その上で頼みたいことがあると彼は言う。
非道な行いを推し進める上層部に反旗を翻す。それがエルンストの望むところであって、セリアを救うことが出来るのならば断る理由もない。
アイザックから真実を明かされた三日後。エルンストは真夜中に研究所の施設を破壊し、資料を燃やした。仕掛けられた時限式爆弾に混乱する研究所内。爆発音を合図として外部からは革命軍の攻撃が始まる。皆が逃げまどい、必死に消火しようと火の海を駆けまわる中、エルンストは被験者達が居る元へ。混乱に乗じて囚われていた被験者達を解放する。
「エルンスト…さん!?」
「セリア…っ、こっちだ…!!」
小さな手を取り走り出そうとするエルンスト。けれどもセリアの身体は弱りきっていて、自分で歩く事すらままならない。躊躇いも無く背中に触れ抱え上げるエルンストに身を委ねたセリア。被験者も皆解放し、セリアも救い出せた。これからは上層部である賢者達の組織、サジューロを相手に戦わなくてはならないが、彼女さえいればどんな困難にも打ち勝てると、そうエルンストは思っていた。
「…まだ外は騒がしいか」
研究所は脱せたが、この世界の中心たる都市を抜け出すには至らず、エルンストはセリアと共に宿へと泊まり一夜を明かそうとする。陽動の為に各所で襲撃が行われ、未だに混乱が続く中、外の様子を窺っていたエルンストはベッドの端に座るセリアの隣に腰を下ろした。
ロクに説明をせぬまま連れ出し、まずは驚かせてすまなかったと頭を下げる。すると強張っていたセリアの表情が柔らかいものに変わった。
その後エルンストはセリアに事情を明かし、もう実験に付き合う必要は無いのだと言い聞かせた。と言っても結晶化に至った原因は未だ信じられない部分もあり、セリアに余計な不安を与えない為に伏せていたのだが、彼女はエルンストの言葉を信じたようだ。
「―――…他の被験者達も解放して…、予定では革命軍が保護をしている筈だ」
「そう…ですか…。良かった…」
こんな時にも他の者の事を案ずるセリア。やはり彼女の様な心優しい者が命を賭す訳にはいかないと改めて思うエルンストは彼女へとこの先の話もした。
今現在、街の中では兵士たちが駆けずり回っている。混乱の最中に抜け出したくもあるが、セリアの姿は目立ちやすい。そう説明すると自身の容姿が目を引く事に気が付いていない彼女は首を傾げて不思議がっていた。
「エルンストさんの方が目立つと思いますが…」
「…何故だ?今は白衣も着用していないが…」
「無自覚、なんですね」
「…それは君の方だろう」
「…え?」
「…いや、何でもない」
ともかくほとぼりが冷めるまではここに潜伏するしかないと、そう言いつつエルンストは入口に障壁を張る。既に防音の結界は貼られている為、ここは完全な密室となり、安堵の溜息をもらす。
この都市を脱してからは革命軍に合流する予定だと、そうすればもう何も心配は要らなくなると言うが、ここに来て無理やり連れ出してしまったかも知れないと不安が過る。
「今更だが、私と共に来てくれないか…?」
緊張の面持ちで問い掛けるエルンスト。彼の不安を直ぐに拭い去る様に、セリアは優しく微笑んで答えを出す。
研究者と被験者。命を削る実験。きっと想いが通じたとしても結ばれはしないのだろうと分かりきっていた。それでもこうして今は傍に居て、手も繋ぐことが出来て、想いを口に出来る。嬉しさからかセリアは瞳を潤ませ、そして涙を流す。エルンストはセリアの華奢な身体を抱き寄せ、涙を指先で拭う。
「あの…私は…」
「私は君を愛している」
「エ、エルンストさん…っ」
「迷惑か…?」
「迷惑なんかじゃ…っ。凄く、凄く嬉しいです…!」
嬉しいと言ったセリアだが、被検体として命を捧げてきた身ではこの先どうなるか分からない。もしかするとエルンストを残して先に逝くかもしれないと不安を漏らすが、彼は首を横に振りそうはさせないと、必ず守ると誓った。
外では今でも兵士と革命軍が戦っている。けれども二人はようやく結ばれた事に喜び、外の音が耳に入らず、瞳にも愛する者しか映らない。
「エルンストさん…、私今、とても幸せです」
「私も…だ。…それはそうと、そろそろその他人行儀な敬語を止めてくれないか」
「あ、はい…っ。じゃなくて、うん…そう、だね。でも、エルンストさんは―――」
「名前も呼び捨てで構わない」
「そ、そう。それじゃ、エルンスト。貴方は高名な術師であって、研究者なのだし、それに年上だから敬語を使ってもおかしくないと思うのだけれど…」
「肩書などどうでもいい。そもそも、君をこうして連れ出したのだから、もう私には何も残されてなどいない」
地位も名誉も捨てて選んだ道。エルンストの表情からは後悔など無いように見えるが、自分の為に犠牲にしたものは大きかったとセリアは気に病む。申し訳なさそうにしていた彼女に気づいてか、エルンストは慌てつつ先程の言葉に付け加えた。
「君がそんな顔をしないでくれ。…何も残っていないと言うのは語弊があったな。私には君が居る。それならば他に何も要らない…」
「エルンスト…」
互いの鼓動が聞こえる程に近づいている距離。この手に抱いた大切な者を放しはしないと心に決めたエルンスト。もう二度と離れたくない、そして彼の為にと自分の為に生きる事を諦めないと誓ったセリア。二人の想いが重なった夜は過ぎて行き、やがて新たな日々を迎える朝が来た。
幸福な、満たされた想いで朝を迎える筈であった。けれどもエルンストとセリアに待ち構えていたのは悲劇である。
明け方。まだ陽が昇りきっていない頃。朝もやの中を黒いものが蠢く。それは黒いローブを纏った集団で、銀糸の刺繍とエンブレムから警備隊だと分かった。
物々しい集団は一つの安宿を取り囲み、機を窺う。彼らの目的はこの宿に潜伏しているとタレこみがあった革命軍の協力者と、最重要な研究の被検体であった。
「…取り囲まれたか」
「…もう、投降するしかないのかしら」
「諦めないでくれ…っ。ここは私が何とかする」
高名な術師であるエルンストが言うのなら頼もしい。けれども外には20人もの術者が、この都市を守る警備隊となるとかなりの術者であることが分かる。一人で相手をしきれるのかと言われれば、不安が残らない筈がない。
ぎゅっとエルンストの袖を掴むセリア。彼女は微かに震えていて、それでも信じたいという気持ちを表すように笑みを作る。何も心配は要らないと軽く抱きしめたエルンストは名残惜しそうに離れ、そしてここでじっとしているようにと言い、窓に近づいて勢いよく開いた。
人影が現れた事により容赦なく浴びせられる攻撃。兵士は電撃の魔術で鎮圧を試みるも、全て障壁により防がれる。開け放った窓から飛び降りたエルンストは風の魔術を使い三階から難なく着地し、巻き起こした風圧で敵を押しやる。すぐさま取り囲むように体勢を立て直した兵士たち。数を以ってすれば容易いだろうと思われたが、踏み出そうとした瞬間に足元が凍り付き始め、隙を生み出した。並の術師なら慌てふためくところであるが、この都市を守護する魔導兵士は違う。炎の術にて氷を解かすと同時に火の玉をエルンスト目がけて放つ。全方位からの火弾による攻撃。それは炎の壁により阻まれ、飲み込まれてしまう。エルンストの圧倒的な魔力に恐れをなす所だが、兵士は退かない。今度は土の魔術を、地面をひび割れさせて盛り上がらせ、足を掬おうとする。それと同時に炎の壁は水弾により消され、姿が見えたかと思われた時、轟音が鳴り響き大地が盛り上がる。土の魔術で自ら足場を作り円柱状の柱へと立つエルンスト。彼は手を掲げ、雷の鉄槌を下す。
「実戦は久方ぶりだったが、どうにかなったか…」
けいれんを起こしながら横たわる者達。雷撃は全ての兵士を倒したようだが、派手に術を放った為、急いでこの場を脱さなくてはならない。風の魔術を使い、セリアの元へと戻ろうとしたエルンストだが、増援は直ぐに現れた。
「エルンスト…!」
「何も心配は要らない。しっかり掴まっておいてくれ」
「ま、待って…!」
セリアの身体を抱き、風の魔術で屋根へと飛び移ろうとした所、彼女が待って欲しいと、青ざめた表情で訴える。もたついている場合ではないが、彼女が指差す方、そこに視線を向けるとエルンストは忌々しげに舌打ちをした。
集まった兵士達の人並みを掻き分けて現れた者。それは金糸の刺繍を施した黒いローブを身に纏う老人で、彼は賢者達の組織、サジューロの一人であった。一騎当千の力を持つ老人はほくそ笑み、彼の皺だらけの手は一人の少女の肩に置かれていた。
「あの少女は…」
「私と同じ、次元の魔術を使える被験者です…っ」
「やはりそうか…っ!!」
セリアが少女を見捨てられるはずもなく、人質を取られてしまえば降伏するしかない。
投降したエルンストは気を失わされ、セリアと引き離された。必ず守ると誓ったのにも拘らず、こうして簡単に手放してしまい、己の無力さに打ちのめされたエルンスト。彼は処分を受ける事となったが、それは命で贖う訳でなく、部署移動というぬるい処分であった。
解放した被験者の七割は捕えられてしまい、革命軍の作戦は失敗したと言える。非道な計画は再開され、被験者は命を削られ続けた。そして生み出された複製体は生きる喜びも、何もかも与えられず、故意に結晶化させられ、ソルダントへと渡る礎となった。
無論エルンストはセリアを救い出す事を諦めてなどいなかった。彼は辞職願を出さぬまま研究所から逃亡し、革命軍と合流を果たす。敵対するこの世界の中心たるサジューロ。一人の力でどうにかなるものではないが、エルンストには志を同じくする仲間が出来、彼らと力を合わせて研究所を制圧するに至った。
「セリア…っ!!」
ボロボロになりながらも辿り着いた部屋。そこは静かで、そして誰も居なかった。どこか別の場所へと移されたのかと思い研究所内を駆けずり回るエルンストだが、愛する者の姿は何処にも無かった。
間に合わなかった。命を削られ続けたセリアはもうこの世にはいないのだと。ふらつく足取りで戻ってきたセリアの病室にて置手紙を見つけたエルンストは思い知らされる。
「…すまない…。すまない…!…私の力が足らなかったばかりに…っ」
もう残り僅かな命だと分かっていたセリア。彼女はいつの日かエルンストがここに訪れるだろうと思い、彼へと手紙を残した。彼女が綴った想い。それはエルンストと出会えて良かったと、僅かな間だが二人で居られた事、繋がれた手から伝わる温もりが忘れられないと、どれほど愛おしく思っていたかが分かるものであった。同じ想いであったと、もう届かぬ返事を心の中で返すが、二枚目の手紙には自身が居なくなった後の事が記されていた。
「君の気持ちは確かに受け取ったよ、セリア…」
彼女の最期の願いを叶える為に、エルンストは再び戦場へと立つこととなる。




