第91話 Diva of white snow
魔術。それは精神力を糧とし、自然現象を操ったり、人を惑わせたり、はたまた次元を歪める力を振るう術。そのような力に溢れた世界、マギイスト。ARKSと言う機体や機械技術が発展している機工世界ソルダントと隣り合わせのマギイストからはソルダントの様子を覗くことが出来たが、渡る術は持ち合わせていなかった。
マギイストで中心とされている星、エンピレーオ。かの星の中で一番発展している都市アンタウディリスト。そこにはこの宇宙を統べる賢者達が籍を置き、高名な魔術師が集い、日夜魔術の研究が進められている。
エネルギー資源の枯渇とは無縁の世界。資源を巡って争いが起こる事は無く、高名な魔術師が組織する警備隊により治安も悪くなく、大きな争いは起こらず日々魔術を極めて進歩する。小さな小競り合いや領地争いは在れど、直ぐに鎮静化されてしまう。この世界に何一つ問題は無いのだと思われていたが、それは突如として起こった。
小さな辺境の村。ある日連絡が途絶えたその村に調査隊が入った所、異様な光景が広がっていた。村中に点在する様々な色の結晶。その結晶には円と線の乳白色の模様が浮かんでおり、これまでに発見された事の無いものであった。発見された未知の結晶、そして村には人が一人として残っておらず、何かの儀式による災害か、魔獣の仕業かと目されていた。
持ち帰った結晶を調べた所、結晶には魔力が込められている事、魔術を使用する際と同様に意識を集中させると魔力の消費を抑えて魔術を行使できることが分かった。
新たな資源を発見したのだと湧き立つところだが、また新たに、一つの集落に結晶が現れ、そして忽然と人の姿が消えた。
怪事件と未知の資源。二つが結び付けられたのは五カ所目での事。警戒を強めていたせいか、事件が起きてから駆け付けるまでの時間が短く、何が起きているのかを目撃するに至った。ようやく謎が明かされ、本来なら事態が進展するのは喜ばしい筈だが、惨状を目にした者達は皆青ざめた表情で帰還し、報告を上げた。
特異事変に赴いた調査隊が提出した報告書に記されていたのは信じ難い事実。結晶は全て人の成れの果てだという理解に苦しむ内容であった。そのような戯言は信じないと頑なに拒んだ上層部。けれども生き残りであった者、身体がほぼ結晶に侵されている者の姿を見て認めざるを得なかった。
第91話 Diva of white snow
結晶化の症例が判明して、それから約三年の年月が過ぎた。アンタウディリストには全宇宙から高名な魔術師が集められて研究が行われているが、病を克服するには至らなかった。
徐々に広がる結晶化という病の恐怖。どれだけ手を尽くそうが一度結晶化に侵された者は治る事が無く、最後には結晶となってしまう。
研究の行き詰まり。そこで注目されたのは忌避されているホムンクルス、人工生命体を作り出す技術と魂を肉体から別の肉体へと移す術であった。どちらも外道な術で禁忌とされていたが、手立ての無い状態では縋るしかない。人は肉体を捨てて仮初めの身体へ。ホムンクルスの身体に魂を定着させることに成功はしたが、問題は潰えなかった。
ホムンクルスを作り出すのにはコストがかかり、誰もがすぐに新たな身体を得る事は出来なかった。そこで行われるのが命の選択。高名な術師を優先とし、位の高い者、財力のある者も順番は早く、老い先短い年寄りや魔力の低い者は後回しにされる。
「…はぁ」
アンタウディリスト中央研究所の中庭。木陰の下のベンチで白衣を着た男は整った顔を歪めさせて溜息を吐いた。
若くして賢者となるのではと言われていた者、エルンスト・エストランデル。彼は先程、よく肥えた貴族の者に金を積まれ、是非とも彼の息子の順番を早めて欲しいと頼み込まれた。
「さっきの話、勿体なかったんじゃねぇのか?」
「…アイザックか。…馬鹿言え。金を積まれようが役に立たない者の順番を早める訳にはいかない」
「カァー…。全く、お前は真面目が過ぎるんだよ」
エルンストに話しかけた男は同じ研究室で働くアイザック・アグエイアスという名で、彼はエルンストとは正反対、無精ひげを生やし、袖を捲り上げた白衣は皺だらけなど、だらしない恰好でいて、煙草を咥えながら横に腰を下ろす。
「真面目が過ぎるという事は無い。今は少しでも優秀な人材の安全を確保しなくてはならないのだから、役に立たない者に手をかまけている場合ではない」
「はいはい、そーですね。…それにしてもあの金額は…、俺らの給金何か月分だ?やっぱり惜しいことをしたような気が…」
「社会が崩壊すれば金どころの話ではなくなるのだぞ。今は一刻も早く有能な術師を…―――」
講釈を垂れていたエルンストだが、彼はふと口を閉ざし、そして遠くに目線を向ける。何か気になるものがあるのかとアイザックは同じ方向を向く。するとそこには一人の女性が、泉の傍で舞うように歩いていた。
深々と降り積もる雪の様な白い肌に白い髪。少し幼さが残る愛らしい顔。見目も麗しいが、彼女について何よりも目を引くのは、小さな口から紡がれる歌であった。
女性が歌うと小鳥が舞い降り彼女の肩にとまる。小鳥と共にさえずる姿は一つの絵画のようで、幻想的で。歌声は心地よく、心安らぐもので…。研究に次ぐ研究で、人類の命運を託され神経をすり減らしていた者達にとっては久方ぶりに心穏やかになれる瞬間を与えた。
「…あの子は」
「…あの女は何だ?」
「あ、ああ。昔っから研究一筋のお前さんは知らなくてもおかしくねぇか」
「誰かの囲いの女か?」
「…なんでまたそういう発想に。まぁ、あの子程の上玉だったらそうしたいのも山々だが…」
女性の名はセリア・ストレイス。白雪の妖精と謳われる歌手で、その名は全宇宙に轟かせるほどであった。彼女の歌は先行きの見えないこの世界において一筋の光であって、皆が生きていく中での支えとなっている。エルンストは芸能事に全く興味がない為、セリアを知らなかったようだが、彼女の歌が皆に欲されているというのには理解できた。
「あの歌、魅了の魔術か…?」
「違うさ。天然のもので、魔術ではない」
「そうか…。ならば何故彼女がこんな所に?歌手や役者などの芸能人は優先順位が低くは無いが…」
「彼女は天使の歌声を持っているだけじゃないんだよ」
歌手であるセリアは魔術も使えた。彼女が得意とするのは次元を歪める力。行使できる者が少ない希少な術師であった。それならばと納得したエルンスト。彼は休息を終えて立ち上がり、再び研究室に籠ろうとする。
「(稀な術を使う者を優先させるのは理解できるが…。何故だか引っかかるな)」
暗い未来しか見えない世界で楽しげに歌う女性。これまで歌に興味など無かったエルンストだが、彼女の歌声は耳に残り、決して不快な思いなどさせず、寧ろ一時でも穏やかな気持ちになれ、またその歌を聴きたいとも思える程であった。ここまで心を動かされるのだからと思う一方で、次元を操る術者という点には引っ掛かりを覚える。何にせよ、願わくばこの先もセリアが歌い続けられるよう、そういった未来の為に自身も力を尽くさねばと改めて心に決めるエルンストであった。
それから数日後、仮初めの肉体への魂の転移作業と並行し、新たな試みが行われるとエルンストは知った。それは彼の与り知らぬところで、結晶化の奇病が蔓延化する以前から水面下で進められていた研究で、別次元、ソルダントへと渡る為のものであった。
「どう思う?御伽話の国に渡るってのは」
上層部からの指示を受けたエルンストやアイザック。資料に目を通しながら食堂で昼食をとっていた彼らはにわかに信じ難い上の判断に眉をひそめる。どうかと尋ねてきたアイザックも半信半疑らしく、半笑いしながら資料をぞんざいに手元に置いて切り分けた肉を口にする。
「どうもこうも…。確かに、他の世界には何かしら手立てが残されているかもしれない。あるいはこの次元から脱すれば奇病そのものに侵されない可能性すらある。…だがこれは―――」
「侵略行為、ですよね」
「ああ、そうだ。私達はそんな事の為に研究を重ねている訳では―――…!?」
エルンスト達の会話に自然に混ざってきたのは女性の声で、驚いたエルンストは隣の席に料理が盛られたトレーを置いた人物に更に驚かされる。隣の席に座っても良いかと尋ねてきた者、それは歌姫と呼ばれているセリアで、この場に現れる筈のない者の登場にアイザックは手にしていたフォークをテーブルに落とした。
「セリア・ストレイス…。何故君がここに…」
「はい…?お昼だから昼食をとろうと思ってですけど?」
「いや、ここは研究棟で…―――」
「セリアさん…!俺、貴女のファンです!!」
「あ、ありがとうございます」
急に身なりを正して手を差し出すアイザック。綺麗な女性の前だと見境が無い彼のタチの悪さが露見したが、セリアは笑顔で握手に応じた。そんな事をしている場合ではないだろうと、エルンストは口を挟もうとしたが、邪魔はするなとアイザックに視線で訴えられ、やれやれと肩を竦めさせて手元のサンドウィッチを頬張る。
和やかに会話を弾ませるアイザックとセリア。話してばかりでは休憩時間を過ぎる上にスープが冷めてしまうだろう、そう注意を促そうとしたエルンストであったが、セリアの手元に在るトレーに驚き、茫然とする。
「どうかしましたか?」
「あ、いや…。その、君はそれを全部食すのか?」
「はい。そうですけど…。エルンストさんはそれだけ、なのですか?」
「ああ、そうだが…」
「小食なんですね」
「…いや、私は―――」
「たくさん食べる女の子って良いよね。俺、そういう子好きだな~」
「そ、そうですか?」
アイザックの世辞に対して嬉しそうに笑うセリア。天然と色男はお似合いだとエルンストは呆れ果て、先に研究室に戻ろうと立ち上がる。まだ時間はあるだろうと、本当はセリアと二人きりになりたい筈のアイザックが声を掛けるも、エルンストは「ごゆっくり」と言い残して去ろうとする。
「あぁ!ここに居たのですね、アイザック!」
「んげっ…!ティエッタ!?」
大声を上げて近づいて来る者。長い黒髪をひと房の三つ編みで括り、眼鏡を掛けた女性は額に青筋を浮かべてアイザックに詰め寄る。
ティエッタ・タラス。彼女も研究員の一人で、エルンストと同じ班に所属している。目を吊り上げた彼女がアイザックに突きつけた物、それは始末書であった。
「アイザック!貴方また機材を壊しましたね」
「あ…いやまぁそれはだな…」
「あれ程取り扱いに注意するよう忠告したのに…!」
「仕方ないだろ。俺の魔力に耐えられなかったガラクタが悪い」
「開き直ってから…っ!良いからこっちに来て下さい、私が一緒に謝りますから」
「ハァ…?んなもんその紙を後で提出すれば…」
「つべこべ言わないで下さい!いいから早くこっちに―――」
耳たぶを摘まんで捻り上げ、強制的に連行するティエッタ。エルンストにとっては二人のやり取りは見慣れたようであって、憐れみの目線でアイザックを見送る。一方でセリアはポカンと口を開け、嵐が過ぎ去っていく様子に茫然としていた。
アイザックがティエッタに連行され、エルンストもトレーを手にして食堂を去ろうとしている。そうなるとセリアは一人残された形となるが、俯いて寂しげであった。高嶺の花のような存在で近づき難い雰囲気であったが、意外と気さくに話しかけてきて、それならば直ぐに他の者と打ち解けるだろうと思いきや、どうやらそうもいかないらしい。周りはセリアに興味を持ち、話したげに視線を向けてきているが、セリアの方は何故だか俯いたままであった。
「(…妙な女だ)」
まだ食べ終わっていないセリア。時計を確認すると休憩時間の終わりまでまだ余裕はある。一度食器を返却口に片付けたエルンストはコーヒーが注がれたコップを手に再びセリアの元へ、すると彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「…先程聞き損なったが、ここは研究棟だ。被験者の君は別棟に居る筈では?」
「あ…。えっと、その…。実は道に迷って…」
恥ずかしそうに頬を染めて俯くセリア。中央研究所はさほど入り組んでは無い構造であって、迷うなどあり得ないと思うが、慣れない場所では致し方ないのだろう。やれやれと溜息を吐いたエルンストはセリアが食事を終えるのに合わせて食後のコーヒーを飲み干し、その後彼女を然るべき場所へ、被験者が待機している施設へと道案内をする。
「あの…。ありがとうございました」
「いや。大事な被験者を無下には出来ないからな」
「そう…ですか…」
あくまでも業務の上でだとエルンストが言うと、セリアは少し寂しそうに目を伏せさせていた。被験者などと呼ばれて気分を害してしまったのだろうかとも思うが、セリアはすぐに表情を変え、笑みを浮かべた。
「エルンストさんって、お優しいんですね」
「何を言い出す。先程も述べたがこれは―――」
「道案内って色々方法があるじゃないですか。口頭だったり、メモに書いたり、ナビゲートの魔法を使ったり。だけどこうしてついて来てくれた。…だから私は優しい方だと思います」
「…目を離すと危なっかしそうに思っただけだ」
エルンストの言う通り、セリアの挙動は目が離せない。彼女は何もない所でつまずきそうになったり、よそ見をして柱にぶつかりそうになる。その点を指摘するとセリアは恥ずかしそうに頬を赤く染め、次からは気を付けると反省をしていた。
「それにしても、この間、初めて会った時は怖い人だと思っていたのですが…。ホントに優しい人で良かったです」
「初めて…会った時?」
「はい…っ。…と言ってもエルンストさんは憶えていないでしょうけど…」
「それは何時の話だ?」
中庭で初めてエルンストがセリアの姿を目にした時、離れていたというのに彼女も気が付いていたらしい。人を惹きつけるような歌声を披露していたセリアなら印象にも残るだろうが、自分はただベンチに座っていただけだと、それなのに何故憶えているのかと気になったエルンストは彼女へと尋ねる。
「ベンチで疲れた顔をしていたので…。それで、私が歌うと少しだけ表情が明るくなった気がして…。あ、えっと、こんな事を思うのは図に乗っているし、おこがましいですよね…っ」
セリアの言う事は間違いない。なかなか進展の見えぬ研究、重ねて人の汚い部分も沢山見える中でエルンストは心身ともに疲弊していた。そんな最中に聞いた彼女の歌声は安らぎを与え、久方ぶりに穏やかな気持ちになれもした。まさに彼女の言う通りなのだが、当人は失礼であったと謙虚に前言を撤回し、踵を返して施設へ戻ろうとする。
自分でも驚くほどに、意識と身体が別の行動を。離れて行くセリアの手をエルンストは掴んでしまい、彼女よりも自分が驚いていた。
「どうかされましたか…?」
「あ、いや…。何でも…」
上手く言葉にできないが、このまま彼女が去るのを見送りは出来なかった。整理のつかない想いをどう告げて良いのか考えあぐねていると、セリアはふっと微笑み、そして一つ願い出る。
「もしよろしければ、また歌を聞いてくれませんか?」
「…私がか?」
「はい…っ!最近歌う事が少なくなって…。ボイトレに付き合って欲しいのです。その…一人で歌うのには恥ずかしいですから」
「…この間は一人で歌っていたじゃないか」
「あ、あれは…!誰も居ないと思っていて…。と、とにかく、晴れた日は中庭で、お昼の時間に待っていますから…!」
段々と早口になりながらそう言ったセリアは返事を聞かぬまま小走りで去っていく。一方的に取り付けた約束。別に守らなくてもいいのだと思っていたエルンストだが、あの中庭でポツンと一人で待っている姿を思い浮かべれば申し訳なく感じ、足が向いてしまう。
翌日の昼休憩。空は晴れていて、幸か不幸か雲一つない。エルンストはサンドウィッチなどのテイクアウトの品が詰められた紙袋を持ち、中庭に行こうとする。そんな彼を、渋々といった面持ちのエルンストを呼び止めたのはアイザックであった。
「あれ?どうしたんだ、エルンスト。食堂で食わねぇのか?」
「…今日は気分転換だ」
「へぇー…。それじゃあ俺も―――」
「アイザック…!!今度こそ逃がしはしませんよ!」
「…ハァ。さらば、俺の安らかな時…」
また何かしでかしたのかと思われるアイザックは襟元をティエッタに掴まれて引きずられていく。彼にセリアとの事を話しそびれたが、まぁ後でも構わないだろう、そう結論付けたエルンストは一人で中庭へと向かった。
心地よい風が吹く昼下がり。以前エルンストが休んでいたベンチに今日は一人の女性が、セリアが腰を下ろしていた。
「…!来て下さったんですね…!」
「ああ。待たせてすまない」
「いえ!私も先程着いたばかりですので」
ニコニコと、嬉しそうに笑顔を見せるセリア。そこまで喜ぶほどなのかと疑問に思う所だが、もしかすると施設内で親しくできる者が居ないのかも知れない。研究一筋であるエルンストは友人など居ても居なくても構わないが、セリアの様な女性にとっては親しく話せる相手が居ないのは辛いものなのだろう。
一先ずベンチに腰を下ろしたエルンスト。暫く互いに何も話さずにいたが、ふとエルンストが手にしていた紙袋を開き、ベーグルサンドを取り出した。
「…もしかすると、君はまだ昼食を食べていないのか?」
セリアのまじまじと注がれた視線に気づいたエルンストは肩を落とし呆れたように問い掛ける。すると彼女は恥ずかしそうに頬を染め、慌てて訂正をする。どうやら食事は済ませてきたようだが、待たせては悪いと思い急いで食べて…いつもよりも量を減らしてもいるようだった。
「…良ければ食べるか?」
「良いんですか…!?…って、や、やっぱり遠慮しておきます。エルンストさんの分が無くなってしまいますもんね」
「いや、俺のはまだある。遠慮はするな」
「で、でも…」
「見られながらでは食べ辛い」
「ご、ごめんなさい…」
しゅんと項垂れて縮こまり、申し訳なさそうにするセリア。食い意地が張っていて、方向音痴で、間が抜けていて。本当にこの者が妖精と称されるほどの歌姫か疑わしい所だが、あの時聞いた彼女の歌声は未だ耳に残っている。
クツクツと堪えるように笑っていたエルンストだが、ついには耐えきれなくなり、声を漏らしてしまう。一方で笑われたセリアは怒るのかと思いきやポカンと驚いた表情で、そして少しして嬉しそうに微笑む。
「…何故君が笑う」
「あ、すみません…。えっと、やっぱり、エルンストさんは笑っていた方が良いなと思って…。不快にさせたようでしたらすみません…」
セリアはそう言うが、エルンストが笑みを溢すのは彼女によるものであって、いつもこうにはいかない。不快ではないと、けれどもセリアの期待には応えられそうにもないと言うと、彼女は困ったように笑う。真面目に返したのが彼女にとっては可笑しかったようであった。
「…このままだと休憩時間が終わってしまうな」
「は…っ!そうでした…っ。すみません…」
「謝る必要は無い。…これ、受け取ってくれ」
「え、でも…っ」
「後で歌を聞かせてくれるんだろう?聞くところによると君は有名な歌手だそうじゃないか。これが代金では少ない位だ」
「エルンストさん…」
差し出した手におずおずと伸ばす手。別段特別でもないベーグルサンド。それをセリアは大げさな程に美味しそうに食べている。
二人で昼食をとった後、御馳走になったお礼にとセリアは歌を披露する。優しい旋律、心地よい音色。やはり彼女の歌は魔法かなにかだと、ここまで心地よくさせるのはそのせいだと、そう思いながらエルンストは美しい歌声に耳を傾けていた。
セリアと過ごす安らかな時。それは永遠に続く訳ではない。穏やかな時はあっという間に過ぎ去ってしまう。二人きりの時間を終わらせたのは休憩時間の終わりではなく、ある者の仕業であった。
「おいおい。俺がヒス女に追われている間、何やっていたんだ」
「…っ!?…アイザックか。いきなり背後から驚かせるな」
「それは悪かったな。…で、何でお前がセリア嬢と一緒に居るんだ」
「こ、これは…」
突然ベンチの後ろから現れて恨み言を呟くアイザック。別にセリアとの間にやましいことは無いのだが、何故だか説明し辛く口ごもってしまう。その様子が更に怪しいのだと指摘しだすアイザックだが、セリアから事情を、彼女が誘ったのだと知らされて一応は納得したようだ。
「そっかぁ~。セリア嬢は優しいね。こんな堅物の相手をしてあげるだなんて」
「そ、そんな。私の方がお世話になっているんですよ。この間は施設まで案内してくれましたし、今日はお昼を御馳走になって…」
「ほぅ…。やはり俺が居ぬ間に宜しくやっていたんじゃないか…」
「誤解だ。別に彼女とはお前が思うような関係では…」
恨みがましい目でにじり寄るアイザック。弁明をするも聞き入れる余地は無いようで、また彼是と詮索をしようとするが、彼の背後に黒いオーラを纏った者が現れてエルンストは解放される。
「…私から逃げられるとお思いですか、アイザック」
「またお前か…っ。頼むから勘弁してくれ…っ」
半泣きになりながらティエッタから逃れようとするアイザック。せっかくの穏やかな時は彼らにぶち壊されてしまったが、追いかけっこをする二人にセリアは笑い、彼女の笑みにつられてエルンストも口端を緩める。
騒がしくもあった昼休憩は鐘の音で終わりを告げ、エルンスト達は研究棟へ、セリアは施設へと向かう。
「また明日、ここで」
「ああ」
明日はアイザックも同行したいと言うが、ティエッタに締め上げられてしまい、そのまま運ばれていった。
研究棟へと歩く道。あとどれくらいセリアと会えるのだろうかと、そんな事をふと過らせたエルンストは自分自身の変化に驚く。これまでは魔術の研究や魔力を高める事にしか興味は無く、結晶化の奇病が流行り出してからは病を克服する為の研究に没頭していた。それが今では誰かの事を想い、心を掻き乱されてしまっている。そんな事はあり得ないと否定しようにも、もう後戻りはできないくらいに彼女の存在は心に残ってしまっていた。
「彼女、セリア・ストレイスですよね」
「…ああ。そうだが、何かあるのか?」
隣を歩くティエッタは深刻な面持ちで先程会ったセリアの事を尋ねる。エルンストの同意に対して彼女は腕を組み、そして少し考えて…、言葉を選ぶかのように慎重に、彼女について述べた。
「異次元、ソルダントに渡る計画。…セリア・ストレイスの力はどのように扱われるのでしょうか」
「…っ!」
美しい歌声を響かせるセリア。歌姫である部分しか見ていなかったエルンストはティエッタの言葉にハッとする。彼女の言う通り、セリアは次元を歪める力を持っており、とすればその力はソルダントに渡るための手段に用いられるだろう。
考えたくはないが彼女は実験に利用され、モルモットのように扱われるかもしれない。そしてこれから先、自分もその研究に関わるかもしれないと知り、エルンストは足元から崩れるように愕然とした。
ソルダントに渡る計画。その為には次元の力を操れる術師を大量に集めなくてはならない。魔術の得手不得手は生まれた時に備わっており、苦手な属性を操ろうにも努力した所でどうにかなるものではなかった。次元操作術者は珍しいもので、数を揃えるなどとても不可能であった。その問題点を解決する策。それは数少ない術者を増やす事であった。肉体はホムンクルスであって、コストはかかるが量産するのも可能だ。けれども魔術を行使する為に必要な魂は…。魂の複製。ホムンクルスに魂を移す術ですら忌避されていたが、研究は更なる深みに、深淵へと至る様な、倫理を破壊するような手段を用いだした。
「(魂の複製…そんな事が許されるのか…?)」
自身の行う研究に疑問を持ちつつも、一介の研究者たるエルンストには何も出来やしない。精々できるのはこの人の道を外れた行いが後に世界を救い出すのだという言い訳であった。
白い病衣を纏ったセリア。彼女はこれから魂の複製の実験の被験者となる。魔術回路が施された機器に横たわる彼女はこれから起こる事を恐れていないのか、ガラス越しの隣室に居るエルンストへと笑みを向けた。彼女が何故微笑むのか理解しかねるエルンストの表情は悲痛な面持ちで、装置を作動させるためのスイッチに伸ばされた手が震えた。
研究室内に響く悲鳴。麻酔薬を使用したにもかかわらず、耐え難い痛みに意識が呼び覚まされてしまったようだ。魂の複製、と言えどその方法は一つの魂を削り取り、培養するかのようで、魂を削られる感覚というのはその身を傷つけられるのとは訳が違うだろう。苦しみ悶えるセリア。そんな彼女をただ見つめるしか出来ないエルンスト。
「(…何か、話して…)」
苦しみながらも、エルンストの方を見て口元を動かすセリア。声は届かないが、彼女の想いは伝わる。貴方がそんな顔をする必要は無いと、大丈夫だからと…。
魂の複製は成功し、もう一つのセリアの魂は新たな身体へと定着させられた。オリジナルと寸分違わぬ姿なのは当然として、目を覚ました複製体は教えてもいない筈のエルンストの名を呼んだ。
「にわかには信じ難かったが、本当にセリア嬢そのものだ」
「いや、…彼女は違う」
「そうか…?俺には違いが分かんねぇが…」
アイザックや他の者には違いが分からなかった。朗らかに笑い、少しばかりドジな所もあり、人を惹きつけるような歌声を持つ複製体。見た目だけでなく性格もセリアと変わらない筈だが、エルンストには違いが分かった。
完全なる複製体を作り出した。けれども能力テスト、次元を操る魔術を使わせたところ、その魔力はオリジナルとは比べ物にならない程に低い威力であった。完全ではなかった複製体。エルンストの見解は正しかったのだと言われたが、彼が気になっていた部分はそこではない。
能力が低ければ数を集めればよい。実に簡単な結論が出され、そしてセリアはまた魂の複製の研究で被験者となる。
次々と複製体が作り出される中、一人の被験者が精神に異常をきたし施設内で暴れる事件が起きた。魂の複製という禁忌の業。何故その術が禁術とされているのかを思い知り、エルンストは激しく後悔をした。




