第85話 White waves and the blue sky, dream to fly away
まだジルベルトがARKHEDの契約を交わしてしていない頃。それは彼の故郷、少ない陸地で海原が広がる星、メルジーネでの話。観測装置であるアリーチェは強い力に惹かれてその星に降り立ったが、その者、ジルベルトの願いは戦うためのものでなく、更には口に出そうとはせずにいた。彼の想い人であり、相思相愛だと思われていた女性、セラフィーナ。重い病に侵されている彼女が願うのは心から愛している者、ジルベルトに他の女性を好きになって欲しいという理解し難いものであった。
「私はね、長く生きられない。ううん…。これ以上長くは生きたくない」
「何を言っているの?そんな事、彼が悲しむわ」
「うん…。だから内緒だよ」
「…秘密にしておくことは構わないのだけれど―――」
「ありがとう、旅人さん」
ずっとこの想いを誰かに明かしたくてたまらなかったのだろう。自分を慕う子ども達に話す訳にもいかず、優しくしてくれる神父やシスターにも心配は掛けさせたくない。ジルベルトに明かすのは以ての外で、出会ったばかりの、深い仲でない旅人である少女ならば構わないと、そう判断して打ち明けたのだろう。
「ジルはね、朝から晩まで働いて働いて、この孤児院の運営費と私の治療費とを稼いでいるの。自分にはほとんどお金を使わなくて、本当はやりたいことがあるのに無理をして…」
「これ以上迷惑は掛けたくない。そう言いたいのね」
「うん…」
セラフィーナに尽くすジルベルトの姿を彼女に縛られているのだと内心嘲笑いもしたが、尽くされる方も現状に心を痛めており、このままではいけないと気付いていて、どうにかしたいと願っていたようだ。
合理的に考えれば明日の命が知れないセラフィーナに時間を費やすのは無駄と断言できる。けれどもジルベルトの想いはそう簡単に割り切れるものではない。
「アナタ。彼がアナタの事をどれだけ想っているのか分からないの?今日出会ったばかりのアタシでも分かるくらいなのに…」
「分かっているよ。分かっているからこそ、この先が怖いの…」
深く愛してくれるからこそ、この先には不安が付き纏う。セラフィーナが危惧していた事、それは自分が死んでしまった時の後の事だった。強く想っているジルベルトがセラフィーナを失えばどうなるのか、それは容易に想像できる。彼女の為に日々を過ごすジルベルトにとって、セラフィーナを失うという事は生きがいをなくすような事で、憔悴しきった姿が目に浮かぶようだ。
第85話 White waves and the blue sky, dream to fly away
残された者が如何にしてもう届かぬ想いに引きずられるか、分からない訳でもないが、だからといって今、その想いを否定したり無かった事にするのは正しいとは言えない。長い年月、病弱なセラフィーナの傍に居て支えてきたジルベルト。彼ならばいつかそうなる事も覚悟していて、それでも傍に居る事を決めているのではと、出会って間もない少女ですらも分かっている。けれどもだからこそ、このままでは駄目なのだと、セラフィーナは強く願う。
「ジルはきっと、生涯誰も好きになる事が無く、ここで生きていくつもりなんだと思う。私は彼の可能性を潰したくない…。これ以上ここに縛りつけたくは無いの」
「本当に、彼が他の女性を愛しても許せるの?」
「ええ…。そうなって欲しいと、心から願うわ」
それがジルベルトの為になると強く信じているようだが、覚悟は足りていない。やはり他の誰かを愛する彼の姿は見たくないようで、瞳には迷いの色が滲んでいた。自分の本当の気持ちを押し殺してまでも愛する人の幸せを願うセラフィーナ。彼女の想いもまた、ジルベルトと並ぶほどに強いものであったが、やはり観測対象としては不適格である。少女の使命の範疇外となると、セラフィーナ達の事情に踏み込む必要はない筈だが、この二人は見ていてどうにももどかしく感じ、つい口を出してしまった。
「アナタは馬鹿ね」
「え…?た、確かに、頭はあまりよくない方だけど…」
「そういった意味の馬鹿ではないわよ。ちゃんとした覚悟もないなら、先の事を考えて身を引くなんて言うより、少しでも長く生きられるよう努力をしなさい」
「…で、でも―――」
「アナタ、度々寝床を抜け出しては彼や神父に心配を掛けさせているのでしょう」
「そ、それは…。だって、一人だけ部屋で何もせずにいるのは気が引けるし…」
「アナタは何もしない事が皆の為になるのよ。大人しくして、身体を休める事に専念なさい」
「うぅ…。分かったわ」
納得がいかないようだが、皆に心配をかけている自覚はあるらしく、セラフィーナはしぶしぶ了承した。言葉では了解したものの、彼女が大人しくしているのはせいぜい二三日だろう。そう少女が予測できるのには訳があった。それは三日後に町全体がお祭りムードに、収穫祭が催されるからだ。
「さぁ、あなたの願いは充分に聞いたから、もう寝ましょう」
「えぇ…。ちょっと待って、あと一つだけ。ね?お願い」
「…全く、言った傍から。まだ何かあるの?」
「うん…。あのね――――」
仮に自分が死んでしまったら、その時は貴女にジルベルトの事を頼みたいの、と。セラフィーナは信じ難い事を言いだした。出会って間もない自分を選ぶなど何故にと驚く少女に対し、どれほどジルベルトが素敵な男性なのかアピールポイントを披露するセラフィーナ。彼女の言う通り、ジルベルトは気さくで優しく、よく働き、背が高くて顔も整っている。途中から恋人を自慢する惚気のようになっていたが、それで少女が惚れる筈がない。
「寝言は寝てから言いなさい」
「むー。酷いなぁ。私は本気なのに」
「大体なんでアタシなのよ」
「えー?だって、旅人さんは話を聞いてくれたし、彼を何処にでも連れだしてくれそうだし、何より―――」
「何より?」
「可愛くて、私より胸が大きいから…」
「は…?」
容姿はともかく何故バストのサイズが関係あるのかと少女は訝しむ。するとセラフィーナはぷくっと頬を膨らまして先程これ以上無い程に褒め称えたジルベルトの欠点を述べる。それは実に下らない内容で、少女を呆れさせた。
「ジルったらね、その…胸の大きい人が好みの様なの」
「…言っている意味がよく分からないわ。だってアナタは―――」
やせ細っているセラフィーナには当然のように凹凸の無い身体つきで、胸元には山が無く、谷間も出来ずに平原が広がっている。ズバリその点を言おうとするとセラフィーナはまた頬を膨らましてねめつけ、たじろぐ少女はそれ以上突っ込みを入れなかった。
「ジルと一緒にね、たまに町に買出しに行ったりする時とか、礼拝を訪れている人の中にね、大きな胸の人が居ると、彼、チラチラと見ていて、鼻の下を伸ばしているのよ」
「…」
「それに、ジルが仕事に出ている間、ベッドの下の箱からその…えっちい本が出てきて、その本に載っている女性はみんな胸が大きくて…」
「…」
「ある時問い詰めたの。胸の大きい女の子の方が好きなんじゃないかって。最初はそんなことは無い、私が一番だと言ってくれたけど、えっちい本を処分しようとしたら土下座して謝ってきて、自分の性癖を認めたのよ!」
その時の事をよほど腹に据えかねていたのか、思い起こしたセラフィーナはぷんぷんと怒っている。一方で痴話喧嘩を聞かされた少女はウンザリとした表情で何も言わずにそのまま背を向け、ワザとらしく寝息を立て、寝るからもう構うなといったポーズで意志表示をする。まだ納得はいかないと、ジルベルトの悪口と彼と貴女ならお似合いだとか色々と背中に向かって言ってきていたが、全てスルーすると諦めてしまったようだ。暫く経った後に少女の背後から聞こえてきたのは穏やかな寝息で、話したい事を沢山話せたセラフィーナは安らかな寝顔をしていた。
その時はまだ、この先どうなるかなど予想もつかなくて、ただ自身の使命が知られていなければ良いのだと安心しきっていて、観測装置である少女は初めて誰かと共に夜を過ごしていた。ぬるま湯のようで気持ちが悪いとさえ思った環境も、今では心が落ち着くようで、穏やかな時に身を委ねてしまった。それでも彼女の中には何よりも大事な使命があって、いつまでもこの場に留まる訳にはいかない。明日の朝にはここを立ち去ろうと決めていたが、思惑通りに事は進まないもので、少女はセラフィーナにすっかり気に入られてしまい、泣きついてきた彼女を無下にも出来ず、結局収穫祭が終わるまでここで厄介になる事となってしまった。
祭りの日の朝。町から離れた小高い丘の上にも喧騒は聞こえてきて、通りには大勢の人が行き交う姿が見られて、まだ会場に着いていないのにも拘らず、その賑わいには誰もが浮足立ってしまう程であった。
何時もならジルベルトは漁に出て、神父は子ども達に教鞭を振るい、シスター達は炊事や洗濯をするのだが、今日に限っては皆休みを取り、町へと繰り出す。
「それじゃ、また後で」
「ジル坊、セラフィーナと旅人さんの事を頼んだよ」
「ああ、分かっている」
人がごった返す中、神父とシスター達は子ども達のお守を引き受け、昼から海沿いで行われるARKSレースの時間まで自由に行動する事となり、ジルベルトはセラフィーナと旅人…観測装置である少女と共に祭りを見て回る事となった。
「わぁ…!見て見て、あっち!あんな大きな豚が丸ごと焼かれて…!あっちは美味しそうなクレープが…!ねぇ、早く行こうよ…!」
食欲をそそられる薫り漂う屋台が立ち並ぶ石畳の大通り。収穫祭だけあって大地の恵みをふんだんに使った料理の数々は味だけでなく見た目も楽しませてくれる。子どものようにはしゃぐセラフィーナは小走りで駆け出し、ジルベルトを慌てさせた。
二人の話によると、今回のお祭りはいつも以上に規模が大きく、出店の数もこれまでとは比べ物にならないくらいらしい。というのも、今回は三日間続けてARKS関連のイベントがあり、その効果なのだろう。屋台にもARKS関連の商品が、戦闘機形態を模した風船や、飴細工が並んでいる。
「悪かったな。付き合わせて」
先に先にと歩くセラフィーナより数歩離れて歩くジルベルトと少女。せっかくの祭りをセラフィーナに付き合わせる形になって申し訳ないと謝るジルベルトだが、少女にとっては自分の方が悪いことをしたと思い謝り返す。
「いいえ、アタシの方こそ、二人きりで祭りを楽しむ機会を奪って悪かったわね」
「そ、それは…」
「まさか、気が付いていないと思っていたの?」
「あー…いや、まぁ、そうだよな」
頬を赤らめつつもセラフィーナとの関係を認めたジルベルト。まだ恥ずかしいのか、後ろ頭を掻いて視線を明後日の方へと向けて皆には言わないでくれと頼み込む。言わずとも皆、神父だけでなく子ども達にも気づかれているだろうという突っ込みは野暮であるからしないとして、初心な態度を見ていると微笑ましくもあるが、同時にウンザリともさせられる。お熱い様子にごちそうさまだと内心毒づいていた所、咳ばらいをしたジルベルトは見世物小屋にてふわふわとした毛むくじゃらの小動物に興味津々で檻に張り付いているセラフィーナを見つめながら、隣に居る少女へと礼を述べた。
「寧ろアンタが居てくれてありがたい」
「…アタシが?」
「ああ。この町は今でこそ賑わっているが、普段はただの漁港で、若者には見向きもされなくてな。セラ位の歳になると皆ここから離れた都市部に行ってしまうんだ」
「同年代の友人は居ない…という事ね」
「そうだ。だから同じ女で、一緒に居られて嬉しいんだろうさ」
「そう…」
セラフィーナが少女に教会への滞在を強く願ったのはそれが原因なのだろう。腑に落ちた少女だが、彼女の使命を果たす為には早々にここから、この星から立ち去らなくてはならない。どう言って別れを告げるべきか考えていた少女だが、考え込んでいた様子をジルベルトは別の意味で捉えたらしい。
「あ、まさか、同年代だと思っていたが、ひょっとして凄い年上だったとかってことは無いよな。他の星では幼い見た目なのに年寄りだったり、長命だったりするらしいが…」
「もうっ!ジル!女性に歳を尋ねるなんて失礼だよ!」
「セ、セラ、お前何時の間に―――」
少女の代わりに不躾な質問をしたジルベルトをいつの間にか戻ってきたセラフィーナが叱る。ジルベルトは悪かったと謝り、少女は全く意に介していないと言い、彼は胸を撫で下ろした。失礼だと注意したセラフィーナは簡単に許すなど甘いと言うが、彼女も少女の歳が気になっている素振りである。クスっと笑った少女は仕方がないわねと言い、自身の年齢を明かす。と言っても彼女が生を受けたのは遥か昔で、エルンストの手によって作り出された観測装置である少女には誕生日や年齢というものが定かでない。そこで普通の人の成長具合を考慮して偽りの歳を述べる。するとセラフィーナと同い年だったらしく、彼女は大いに喜んでいた。
その後三人は屋台を見て回り、チープだが何故か食欲をそそられるものを食べ、そしてARKSのレースが行われる会場へと向かった。
レースが始まる前から賑わっている会場。機体がスタート地点に着いてからは歓声が鳴り止まず、スタートを切ってからは更に歓声が上がり、五月蠅い位であった。ARKSのレースはヴィルト・ルイーネでは毎日行われていて、少女にとっては物珍しくは無かったが、周りは違うようだ。ジルベルトもセラフィーナも水面スレスレを飛んで水飛沫を上げながら進むARKSに目を輝かせていた。空を絡み合うように描く軌跡。肉眼では速すぎてとても追いきれないが、その事も顧慮されて中継映像が巨大スクリーンに映し出されていて、皆は食い入るように見つめて接戦を繰り広げる光景に声を上げていた。
トナーメント形式に組まれたレース。上位者は明日のレースに出場し、明後日は決勝戦となる。本日のレースは熟年のレーサーが新人レーサーに土壇場で抜かれるなど中々白熱した試合運びとなり、大いに盛り上がりを見せた。
陽も落ちかけ、大通りを賑わす出店には明かりが灯り、まだまだ祭りは続くようだが、これからはお酒を嗜める大人の時間のようで、夕食をとった後にジルベルト達は孤児院へと戻る。
一日中子ども達に振り回された神父やシスター達には疲労の色が見えて、セラフィーナに連れまわされたジルベルトも彼女の前では平然を装っていたが、影で肩の力を抜いてぐったりとしていた。
会場でもずっとはしゃいでいたセラフィーナは未だ興奮が冷めやらぬようで、ベッドに潜り込んでも今日あった事を振り返って話し続けている。人混みに揉まれ、長い間歩いて会場を回って、セラフィーナは体調を崩すかと思われたが、ジルベルトが定期的に強制で休息を取らせ、食後に薬も飲んだせいか途中で倒れることは無かった。
あまり表情には出していなかったが、少女もセラフィーナ達と過ごす時間を楽しみ、すっかりと彼女らのペースに乗せられて、祭りを満喫していた。
楽しげ話していたセラフィーナだが、段々と言葉が途切れ途切れになり、やがて瞼は閉じられ、寝息を立て始めた。少女は捲れてしまっていたブランケットを掛け直してあげ、そして彼女も瞳を閉じて祭りの一日目が終わった。
翌朝、カーテンの隙間から差し込む光で自然と目を覚ました少女は、違和感を覚えて勢いよく上半身を起こす。何時もならセラフィーナが朝だよと言って起こしてくるのだが、今日は彼女の声で目覚めなかった。嫌な予感を感じつつ横を見ると、そこには胸元に手を当て苦しそうにしているセラフィーナの姿があり、少女は驚きつつも病状を確認する。
「だい…じょうぶ…だから…。だから…ジルには…―――」
息を荒げながら苦しむセラフィーナは、ジルベルト達に心配を掛けさせたくない。せっかくの祭りを台無しにしたくないと訴え、少女が呼びに行こうとするのを止めた。いくら相手の事を想っていても、危機的状況ならば見過ごせはしない。少女はごめんなさいと謝り、急いでジルベルト達の元へと向かった。
薬を飲んで症状が落ち着いたセラフィーナ。医者の見立てでは昨日の疲れで体調を崩したのだろうとの事で、最低でも一日は安静にしているようにとの事だった。皆に心配を掛けさせ、せっかくの祭りを台無しにしてしまったと悲しむセラフィーナ。彼女は自分の事なら心配は要らないと言い、皆は祭りに行って欲しいと願ったが、皆はセラフィーナの傍に居る事を選んだ。
「で、でも、せっかくのお祭りだし、私は大丈夫だから…っ」
「仕方ない。俺が残ってコイツの面倒を看るから、セラもこう言っている事だし皆は出掛けてくれ」
セラフィーナの看病はジルベルトが一人で担うと言い、最初は皆も残るのだと言っていたが、子ども達は祭りの方も気になるのだろう。セラフィーナが体調を崩すことは今回が初めてではなく、ジルベルトが看病するのもよくある事で、彼ならば大丈夫だろうと全てを任せ、神父とシスターは子ども達を連れて祭りに行く事となった。何かあれば直ぐに呼ぶようにと言い、ジルベルトに後の事を頼んだ神父。お土産を買ってくるからと言った子ども達。皆は後ろ髪を引かれる思いをしつつも、セラフィーナの希望に添えるよう町へと向かった。
「アンタは行かなくて良かったのか?」
「ええ。アタシも昨日の疲れが残っているの。それに、アナタ一人じゃあの子の看病は出来ないでしょう?」
「いや、俺一人でも大丈夫だぞ。アイツが倒れるのは日常茶飯事で―――」
「それじゃ、汗をかいた身体を拭いたりするのはどうしているの?」
「それは―――」
頬を赤らめて視線を泳がすジルベルト。どうやら何時もはシスター達が身体を拭うのを手伝っているのだろう。そういった事は考えていなかったようで、想像した彼は恥じらっているようで、少女は思わず噴き出すように笑った。
「アナタ達、そういう関係なら素肌は見慣れているんじゃないの?」
「な…!そ、そういったのとはまた違うだろう…っ」
「あら。あの子の素肌を見る機会があるのは認めるのね」
「…っ。お前、良い性格しているな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
舌打ちをしていたジルベルトだが、少女の手を借りない訳にはいかないのだろう。セラフィーナの看病を任された彼にはシスター達からついでにと言われ、洗濯物を取り込んだりしなくてはならない。ジルベルトが家事をしている間、少女はセラフィーナが横になるベッドの傍で椅子に座り、彼女を看ていた。
朝方には高かった熱もだいぶ下がり、顔色も幾分か良くなった。昼食は少し残してしまったが、体調は徐々に回復しているようだ。
昼下がり。ジルベルトは洗濯物を取り込みに行っていて、その間に少女はセラフィーナの着替えと身体を拭うのを手伝う。
「ごめんなさい…。私のせいで…」
「謝罪なら聞き飽きたわ。それから、これに懲りたらもう調子に乗ってはしゃがないようにしなさい」
「うん…。分かった…」
これ以上謝る必要は無いのだと言い聞かせるが、セラフィーナは気を沈ませたままである。彼女が体調を崩して皆に迷惑を掛けるのは何時もの事であって、ここまで引きずる必要は無いのだと思うが、どうやら彼女には他にも気に病む事があるようだ。何か他に気になるのかと問いかけた少女にセラフィーナはジルベルトが暫く戻ってこない事を確認し、そして思い悩んでいた事を打ち明ける。
「昨日ね、思ったんだ。やっぱりジルは、ここを離れた方が良いって」
「どうして?彼はアナタの傍に居る事を心から望んでいるのよ」
「そう思ってくれるのは嬉しいし、私もそう思う。だけどね、昨日のジルの表情を見ちゃったから、やっぱり私は彼を解放してあげたいなって思うの」
「昨日…?」
それはARKSのレース中での事。セラフィーナもジルベルトも、彼女達だけでなく会場に居た誰もが青い空を飛ぶARKSを眺めて、そして目を輝かせた。自由に空を飛ぶ姿に誰もが同じような憧れを抱いていたと思ったが、セラフィーナ曰く、ジルベルトの想いは皆とは比べ物にならないくらいだったらしい。
「二年前までね、ジルは学校に通っていて、そこの選択科目でARKSに乗ったことがあるの」
ARKSは戦闘機や兵器としてだけでなく、掘削用や農作業にも使われている。軍学校に通っていない普通の学生でも、一般利用されているARKSの免許を取る為、選択科目で講習を受けたり、車の免許と同様に学校外で専門の学校に通って免許を取る者もいる。
「他の授業は寝てばかりで全然やる気が無かったジルなんだけど、ARKSに乗っている時はやる気満々で、生き生きとしていて…。昨日のジルはそんな昔の事を思い出しているみたいで、やっぱりARKSに乗って自由に飛び回るのが、彼らしいと思うの」
長く一緒に居たから、相手の事を心の底から想っているからこそ、些細な仕草や僅かな表情の変化で内に秘めた想いに気づいてしまうのだろう。
明日が知れない身で、死後に彼を縛りつけたくはないと思っていたセラフィーナだが、空へと焦がれるジルベルトの姿を見て、より一層自分の境遇を疎ましく、申し訳ない気持ちで一杯で、心苦しく思っているようだ。
確かに、セラフィーナの言う通り、あの時のジルベルトは普段カッコつけて斜めに構えている表情が崩れ、本来の姿が見えていたのかも知れない。だが、夢は夢であって、現実に向き合わなくてはならない。ジルベルトが空を舞うARKSに思いを馳せたのも夢であって、それは叶えばいいと思うもので、彼がそう在りたいと願うものではない。
「…夢は叶わない者の方が圧倒的に多いのよ。彼が空に焦がれるのも、夢だから。だからアナタが気に病む事は無いのよ」
「でも、私が居なければ、その夢だって…」
「今は彼が望んだことなの。その想いを無下にするのはどうかと思うけど?」
「そう…だよね」
「それに―――」
汗を拭く為に背中を露わにしていたセラフィーナ。少女が背中を拭い終わった所で、セラフィーナの肩を掴むと、くるりと向きを変えさせて顔を覗き込む。身体の前はセラフィーナが自分で拭っていて、汗は引いている。けれども頬には伝い落ちるものが。必死に泣き顔を見られまいとするが、止めどなく溢れる涙は隠し切れない。
「泣くくらいなら、そんなこと言わないで欲しいわ」
「そう…だね。ごめんね…」
フッと力が抜けたかのように少女へと身を預けるセラフィーナ。そのか細くて、力を籠めたら簡単に壊れてしまいそうな身体を少女は抱きしめて、セラフィーナが泣き止むまで優しく頭を撫でた。
一日中ベッドの上で大人しくしていたせいか、翌朝になるとセラフィーナの体調は元通りに、それでもやはり油断はならないという事で、祭りの最終日は昼食後に出かける事となった。一日目に出店は大方回り、大いに盛り上がりを見せたARKSレースの決勝戦も終わり、残されたメインイベントは夜に行われる灯篭流しと打ち上げ花火で、まだ時間が残っている。神父とシスターと子ども達は屋外ステージで行われている子ども向けのショーを見に行き、少女とセラフィーナとジルベルトはARKSの展示会場へと向かった。
「本当にこんな所で良かったのか?」
「うん!あ、見て、あれ! 凄くカッコイイね…っ!」
ジルベルトを気遣ってか、セラフィーナはARKSを間近で見たいと言い出し、ここへと来た。会場入り口は銀色に輝く機体が二足歩行モードとなって飾られており、その迫力に皆が圧倒されている。銃器を構える姿は勇ましいが、一定時間経つと機体は戦闘機形態に変わり、滑らかに切り替わる姿も客を楽しませていた。レース用だけでなく、最前線で投入される機体も並び、武器なども展示され、どちらかと言うと大人の男や男の子に人気があるのだが、セラフィーナも楽しげに見て回っている。
「ねぇ!あそこでARKSに乗る事も出来るらしいよ!」
「お、おい、あんまり引っ張るなっての…―――ったく」
グイグイと繋いだ手を引くセラフィーナ。彼女が向かった先には一般人がARKSに乗れるようで、熟練のパイロットが副座席に客を乗せるようだ。一日目は順番待ちの行列が出来ていたようだが、最終日となると大分空いていた。空を飛ぶことを期待して列に並ぼうとしたセラフィーナだが、搭乗前にスタッフから注意事項の確認を取られ、そして踵を返す事となった。
「最新の機体でも、疾患がある人は乗れないのかー。うーん…残念だけど仕方ないよね」
「…セラ」
「やだなぁ。ジルがそんな顔をしないでよ。私は大丈夫だから、ね。それに、どうせ空を飛ぶならジルが操縦する機体が良いし」
「…分かった。いつか必ず、二人で空を飛ぼう」
セラフィーナが落ち込んでいたのは一瞬で、ジルベルトの方が気に病んでいたようだが、気丈に振る舞う彼女と約束を交わし、二人の表情は柔らかいものへと変わる。叶うか分からない約束であって、寧ろ叶わない確率が高いと思われるが、少女は口を挟まずにただ見守っていた。
「ARKSは駄目でも、ARKHEDならどうにかなるかもしれないしね」
「ARKHED…。それって得体の知れない機体なんじゃ…」
「確かに。誰が作ったか分からない古代の超兵器かもだけど、一般人の、ARKSに乗った事が無い人でも、意志の力だけで動かせるって話だよ?」
「そんな万能な機体。怪しいことこの上ないな」
「もう、ジルは夢が無いな~。ね、旅人さんもそう思うでしょう?」
「え、ええ。そうね…」
まさかセラフィーナの口からARKHEDの名が出て来るとは思わず、少女は動揺してしまったが、二人は気付いていないようだ。
最初はARKHEDの契約の候補者として観測装置である68番目の少女はジルベルトに近づいたが、今では彼らを巻き込みたくないとさえ思い始めている。それは使命に反するような感情で、このままではいけないと分かっていても、今日で最後なのだと言い訳をして残り少ない時間を過ごす。休息の様な時は終わり、また新たな契約者を探す旅に出ると思っていた少女だが、祭りの最終日に、今後を左右する、ターニングポイントが訪れるとは思いもしなかった。




