第86話 Light of the wish to float in the dark sea
青く小さな、海ばかりの星メルジーネ。観測装置である少女、個体名称はセスデクオクと言い、68番という意味の名である少女は強い意志の力に引かれ、この星に降り立った。そこで彼女が出会った青年と少女。ジルベルトとセラフィーナは互いを想いあっていてもすれ違っており、二人の存在に68番の少女は惹かれ、使命を忘れて休息の様な日々を過ごしていた。
少女は完全に使命を忘れた訳ではなく、祭りが終われば今度こそ、この星を発とうと決めていた。これまで感じた事のない温かく、輝くような日々。けれどもこの先、この日々が間違っていたと、自分が関わらなければと、ターニングポイントとなった祭りの最終日での行動を後悔する日が来るとは夢にも思わなかった。
第86話 Light of the wish to float in the dark sea
試乗用のARKSに病弱な身体のせいで乗る事が叶わなかったセラフィーナ。彼女は空を飛ぶならジルベルトと一緒が良いと願い、彼もいつか必ずと約束を交わした。
ガッカリとした気分を晴らすよう、次にセラフィーナが目を付けたのは、子どもでも挑戦できる体に負担の掛からないアトラクションで、それは都市部のゲームセンターなどでもよく見かけるARKSのレーシングゲームであった。最終日でも賑わいを見せているそのコーナーでは、タイムアタックが開催されているらしく、上位入賞者には景品や賞金が贈呈されるらしい。小さな港町の祭りにしては大きな金額の賞金に、景品は夜の花火大会をARKSで空を飛びながら観覧できるとあって、大人たちもこぞって参加しており、白熱しているようである。
「ねぇ、ジルもやってみてよ」
「俺か?俺は別に…。まぁ賞金は美味しい所だが…」
セラフィーナに期待の眼差しを向けられてしまえば断りようが無い。渋々といった態度だが、本心では乗り気なのだろう。ジルベルトは順番待ちの列に並ぼうとするが、彼の背後から下卑た笑い声が聞こえてきて足を止める。
「ハッ!漁師さんが何をしに来ているんだかねぇ」
「お前は…―――誰だっけか?」
「お前っ!この私を忘れたとは言わせないぞ!」
「…公共の場でいきなり喧嘩を売るような真似をする知り合いはいないな」
「…っ!相も変わらず減らず口を…っ!!」
ジルベルトに突っかかってきた男。金髪で、身なりの良い衣服を纏った優男は取り巻きを引きつれており、ジルベルトに無下に扱われても尚も噛付いて来る。一方的に因縁を付けてくる優男は誰なのだと、少女がセラフィーナに問いかけた所、彼女は困ったように笑い、説明をした。
「彼はね、ピエール・パルテニオといって、この町の町長さんの息子さんなの。ジルとは同い年で、学校でも一緒で…。その、顔を合わせる度に喧嘩しているの」
その喧嘩というのは一方的に突っかかって来るピエールのせいだろう。呆れるように見守っていたセラフィーナ。彼女と共に少女も厄介な相手に絡まれるジルベルトを哀れに思いつつ居た所、ピエールが急に向きを変えてこちらに向かって来ていた。これまでは額に青筋を立ててジルベルトに絡んでいたピエール。彼は急に人が変わったかのように瞳を輝かせ、口元には柔い笑みを讃え、そして砂糖がこれでもかと盛られたような甘い言葉を口にする。
「やぁ、セラフィーナ。こんな所でどうしたんだい?あぁ分かった。これは天の神の思し召し、運命なのだね。この広い会場で想いあう者同士が巡り合えるのは神の御業に違いない…!それにしても、相も変わらず君は美しい。荒れ野に咲いた可憐な一輪の花のようだ」
がしっと両手でセラフィーナの両手を掴んだピエール。戯言を言いつつ徐々に距離を詰めて近づいて来る様は他の者が見ていても不快な事この上ない。セラフィーナは振り払うことは無いが、どう対応すべきか困っているようで、愛想笑いを浮かべていた。戸惑う彼女を助けたのはジルベルトで、二人の間に割って入った彼は害のある者から守るようセラフィーナの前に立ち、害をなそうとするピエールに対し睨みを利かせる。
「セラフィーナ。君は美しいが愚かだ。このような男に騙されているなど…。そうか…!君は何かこの男に弱みを握られているんじゃ…。そうじゃなくっちゃ、この様な男となど―――」
勝手に決めつけて勝手に盛り上がる優男。部外者である筈の少女も段々と苛立ちを感じ、殴りたい衝動に駆られるが、ジルベルトにどうにか抑えるように、できれば無視する方向でと小言で言われ、握り拳の力を緩めた。
ピエールは町長の息子であって、金持ちのようで、この町の住人で彼に逆らう者など皆無のようである。ジルベルトはなるべく関わり合いにならぬようにと暴言を吐かれても流してしまうが、内心腹に据えかねているようで、引きつった笑みを浮かべている。
誰も彼には逆らえない。ならばこの土地の者でない少女が一言言って蹴散らしてしまおうかと思ったが、先に動いたのはセラフィーナの方であった。彼女はジルベルトの事を悪く言われたのに腹を立てたらしく、彼への侮辱は許さないとピエールを窘めた。
「ピエール。ジルは貴方が言う様な悪い人じゃないわ。これ以上彼の悪口を言うのなら―――」
「待ってくれ!冗談だよ、冗談。はは!ちょっと言葉が過ぎただけじゃないか」
「…もう。次に酷い事を言ったら許さないからね」
「分かったよ。君を傷つけるような真似は神に誓ってしないよ」
どうやらピエールはセラフィーナに相当惚れ込んでいるらしく、彼女の言う事なら素直に聞くようだ。その鬱陶しいまでの愛情は届くことは無いと誰もが分かっているが、彼を諌める者は居ないのだろう。このやり取りは過去に何度もあった場面らしく、ジルベルトはこれ以上構う気は無いと早々に離れようとするが、ピエールはそれを許さなかった。
「どうした?挑戦していかないのか?まさかこの私の実力に怖気づいた訳じゃないだろうな」
「ハァ…?」
ピエールが顎で指し示す方向。そこにはARKSのレーシングゲームのタイムが表示されていて、堂々の一位は彼の名が記されていた。先程は漁師など場違いだと言っておきながら、今度は自分に敵いはしないだろうと安い挑発をする。言っていることが矛盾しているのだが、少しでも自分の方がジルベルトよりも優れているとセラフィーナにアピールしたいのだろう。勿論その程度の事でセラフィーナの気持ちが傾く筈はないのだが、ピエールは鼻高々に胸を張り、チラチラと横目で彼女の様子を窺っていた。
「…上等じゃねぇか」
「ジル…?」
「セラ、少しだけ待っていてくれ」
なるべく面倒事を避けようとしていたジルベルトはピエールに上手く乗せられ、挑戦する事となった。不安そうにするセラフィーナが止めようとするも、ここで逃げ出すような真似はしたくないらしい。皆が見守る中、ジルベルトはシートに身を預け、ハンドグリップを握った。
「どうしよう、旅人さん…!ジルは昔ARKSを操縦したことがあるけど、暫くぶりだし…。それにピエールは憲兵隊に属していて、時々海に現れる危険種を倒したりしているの…っ」
「ブランクね…。でも、あのタイムを見る限り、大丈夫じゃないかしら」
少女は心配などせず、冷静であった。彼女の言う通り、出だしは戸惑ったものの、徐々にコツを掴んだらしく、ジルベルトはグングンとタイムを縮め、最終ラップでは追い抜き、見事一位のタイムを叩き出した。
少女以外の皆が唖然とする中、ピエールの取り巻きがスタッフに不正だなんだと詰め寄り、最終的に彼は町長の息子なのだからと言い張るが、スタッフに聞き入れて貰えずに肩を震わせていた。どうやらピエールが一位の座に着いていたのは取り巻き達の仕業らしく、挑戦者を脅したり、金を握らせてワザと負けさせたようだ。今や漁師で、過去に少しだけしか訓練を受けていないジルベルトが現在もARKSに搭乗するピエールに勝つ筈がない。その油断が命とりだったようだ。
「凄いわ!ジル…!やっぱりジルはARKSの操縦が上手なのね…!」
「いや、これはあくまでシミュレーターだから、実際の操縦はこうも簡単にはいかないさ。逆に実機の方が癖があるだろうし、誰でも簡単に操作は出来ない。そうだろう?ピエール」
「あ、ああ。実機とゲームとを一緒にしてもらっては困るな」
「やっぱりそうだよな。大体、憲兵団は速さ重視じゃなくて、敵と戦うのが目的だから、こういったレースゲームで実力は計れないだろう」
「よ、よく分かっているじゃないか!そうだ!対戦型のARKSならば私の方が…。今度こそ私の実力を見せつけてやろう…!こっちに来い!ジルベルト!」
「…対戦形式となると流石に分が悪いな」
「なに、胸を貸すつもりで戦おうじゃないか」
「まぁそこまで言うなら付き合わない訳にもいかないな」
ARKSのシミュレーターゲームは対戦格闘形式のも用意されている。意気揚々と向かうピエールに対し、彼の後を歩くジルベルトは面倒臭そうにしていたものの、口元には悪い笑みを、何か企んでいるような様子であった。ピエールの取り巻き達は嫌な予感を覚えて対戦を止めようとするが、これ以上セラフィーナの前で恥がかけない彼は引く気など無い。またもやハラハラとしながらセラフィーナが見守る中、ジルベルトは完膚なきまでにピエールを叩きのめし、負け犬は遠吠えしながら去って行った。
「まったく…。良い性格をしているわね」
別にこの程度の事はどうって事でもないと涼しげな顔をしているジルベルトだが、気に食わない相手を蹴散らして気分が良いのだろう。心配していたセラフィーナは無茶をするジルベルトを怒っているものの、彼の凄さを間近で見られて、小馬鹿にしてきたピエールにも彼の凄さが伝わったのだと思い、心底喜んでいた。
結局スコアアタックの優勝者はジルベルトに、彼は見事優勝賞金と花火の空中観覧権を手に入れたのだが、セラフィーナ達の元へと戻ってきた彼は、大きな戦闘機形態のARKSの縫いぐるみを抱えていた。
「ジル。優勝おめでとう…!」
「まぁこのくらい、どうってことは無い」
「それにしても、その縫いぐるみ…どうしたの?」
「ああ。これは三位の景品でな、三位のオッサンと交換して貰ったんだ」
「花火の空中観覧権は良かったの…?」
「コレ、要らないのか?」
「い、いる!」
ふかふかとした縫いぐるみをぎゅっと抱きしめて顔を綻ばすセラフィーナ。その表情にジルベルトも満足げであった。
その後三人は神父や子ども達と合流を果たして灯篭流しの会場。海辺へと向かった。
暗い夜の海にぼんやりとした光を放つ灯篭が波に揺られて広がる。一つ一つの小さな光には願いが込められた札が乗せられていて、皆の願いは光と共に海を渡る。海面の情景も美しいが、やがて空には大輪の花が、鮮やかな色の花火が打ち上げられ、そしてARKSが光の軌跡を描きながら飛び交う。
今年は特に、例年よりも気合が入っているのだろう。様々な光が描く幻想的な空間に誰もが釘付けになり、口を半開きで見ているものや、大きな歓声も上がっていた。少女の隣に居るセラフィーナも感動したようで、瞳を輝かせている。一方でジルベルトは、空を見つめているものの、どこかここではないものを見つめているような、ぼんやりとした様子に見えた。
一際大きな花火が上がり、灯篭が遠くの光となってしまった頃、祭りは終わりを告げた。大人たちが酒を楽しむ屋台の明かりは日付が変わるまで消えないそうだが、最後の花火が打ち上げられた後はしんみりとした空気が漂う。夢のような三日間は終わり、明日からはまた日常に戻るのだが、誰もがこの時を終わらせたくは無いと願っていて、少女の中にも惜しむ気持ちが生まれていた。
丘の上の孤児院に戻り、皆で過ごす夕食を終えて、片付けも終わった頃、少女は一緒に片付けをしていたジルベルトに声を掛けられた。
「なぁ、少し、時間を良いか?」
「あらアタシに何か用?誘う相手を間違えているんじゃないかしら」
「いいから、ここではちょっと話しにくいことだからこっちに来てくれ」
「…仕方がないわね」
セラフィーナが居ないのを確認していたジルベルトは深刻な顔をして少女を外へと連れ出す。孤児院の敷地内には大きな樹があって、そこまでジルベルトは歩くと、歩みを止めて大樹に寄りかかり、そして大きな溜息を吐いて話を始めた。
「その…一つ意見を聞きたくてだな」
「私の?あの子のじゃなくて?」
「ああ。セラには聞けない…」
ジルベルトが少女に意見を求めた事。それはARKSのレースシミュレーターで彼が優勝した後の出来事であった。セラフィーナ達の元へと戻ってくる前、彼は色々な人から声を掛けられたらしい。ピエールとの対戦形式の試合も見られていたらしく、憲兵団からのスカウトに、星団連合軍の軍人からも声が掛かり、そして現役ARKSのレーサーからも声が掛かったそうだ。
「軍人には端からなるつもりは無いが、現役のレーサーで、そろそろ引退を考えているってオッサンから声が掛かってな。自分の技術と機体を預ける人物を探していたそうだ」
「後継者と言う訳ね」
「ああ…」
決して悪くは無い話である。ジルベルトはARKSに乗る事を望んでいて、それは夢が叶うようなもので、現実的な話として、レーサーになり、大会に優勝すれば今よりもっと給金も良くなる。現にジルベルトは、自身の夢が叶う事よりもどれ程金が稼げるかを気にしているらしい。
「俺としてはセラの傍を離れたくは無い。アイツは俺が居ないと何をしでかすか分からないからな」
「なら、答えは出ているじゃない」
「そう…なんだが…」
やはり迷いはあるのだろう。最初は誘いを断ろうと、自分には大切な者が居て、その者の傍に居たいからと断ったが、セラフィーナの病状を話すと、尚のことレーサーになるのを勧められた。
レーサーになれば莫大な賞金を獲得することが出来るかもしれない。そうすれば諦めていたセラフィーナの手術も受けることが出来て、空を飛んでみたいと言う彼女の願いも叶えられるかもしれない。だがレーサーで一位になるというのは狭き門で、大きな賭けに出るようなものである。ジルベルトはセラフィーナが心配な一方で、自分の腕に自信を持ちきれないようだ。
ジルベルトがセラフィーナの元から離れて行く事。それは彼女自身も望んでいるが、本心ではない。その想いを聞かされているのは少女だけで、伝えるべきかと思われたが何故だか躊躇われた。今ここで話してしまえばもしかするとジルベルトはここを去るかもしれない。セラフィーナの事を想うなら、二人の仲を引き裂くような真似はしたくない。彼女の事を想って口をつぐんだ少女だが、これ以上は自分が踏み込んではいけないという思いもあった。少女は観測装置であって普通の人とは違う。人の営みに深く干渉すべきでないと、ここまで来て躊躇する気持ちが生まれたようだ。
「…やっぱり、断るべき、だよな」
「…私には、アナタが自分の心に正直になって行動すべきだとしか言えないわ」
「俺は…」
「何にせよ、後悔のないようにね」
明確な答えが得られるとは期待していなかったのだろう。ジルベルトは聞いて貰えたことを感謝し、少女は大した力になれなかったことを謝る。
話を終えた頃、孤児院内へと戻ろうとした所、勝手口のドアを開けるとそこにはセラフィーナが立っていて、二人を待ち構えていた。
「ねぇ、さっきはジルと何を話していたの?」
セラフィーナの寝室に彼女と共に戻った少女。一緒に布団に潜り込んで、向かい合って、そしてセラフィーナは先程の事を少し拗ねた様子で尋ねてきた。ジルベルトから相談された事はここだけの話にして欲しいと言われていた為、明かす訳にはいかない。別にやましいことはしていないと、ただの世間話をしていただけだと言うが、セラフィーナはどこか腑に落ちない様子であった。
「アナタ、アタシに彼を頼みたいと言っていたんじゃないの?」
「そ、そうだけど、…やっぱり気になったりして」
やはり他の女性がジルベルトの隣に居るのは我慢ならないのだろう。申し訳なさそうに言うが、それで良いのだと少女はセラフィーナの気持ちを肯定する。彼女の様子から、先程のジルベルトの様子を思い出し、彼はここに居るべきだと、セラフィーナの傍に居てあげるべきだと思う少女であったが、伝える術はなさそうで、伝える気も無かった。
少女の目的は祭りを観光しに訪れたという体で、明日の朝にはここを発つこととなっている。これまでの事を振り返っていた二人だが、セラフィーナがポツリと、寂しそうに呟いた。
「明日の朝、旅立っちゃうんだよね」
「ええ。ここ数日間、大変世話になったわね。アナタ達と過ごした日々は、本当に楽しかったわ」
決して社交辞令ではない。少女は降り立った地から離れる事を初めて惜しんだ。それほどまでにこの数日間が楽しいもので、そもそも楽しいという感情が芽生えたのはこの地に来てからで、セラフィーナ達と出会ったからだと分かる。
「寂しいな…。もう少し、あと一日でも延ばせない?」
「別れが惜しいのはアタシも同じよ。でもアタシにはやらなければ…為さなければいけない事があるの」
「それは…えっと、お仕事とか?」
「まぁ、そのようなものね」
それならば致し方ないと、諦めがついたセラフィーナであったが、惜しむ気持ちは簡単に振り切れない。そんな彼女へ少女は最後に感謝の気持ちを伝えたいと、ブランケットを掴んで上半身を起こし、ベッドから降りて手を差し伸べる。そして上着を羽織らせた後に物音を立てないよう気を配りながら外へと誘った。
少し肌寒い夜。空には星が瞬いていて、丘には風が吹いていて、さわさわと足元の雑草を揺らしていた。
孤児院から少しばかり離れた場所。そこで少女は小型通信機を出して操作をする。すると少女とセラフィーナが立っている傍で突風が巻き起こり、雑草が薙ぎ倒された。竜巻かなにかかと思われたが、それは一瞬で、そこには何もない筈だったが、次の瞬間、突如として青く輝く機体が、ARKSよりも洗練されたフォルムの機体、戦闘機形態のARKHEDが現れた。
「た、旅人さん…っ、この機体は…?!」
「これはアタシの機体、ARKHEDよ」
「本当に在ったんだ…」
突然の事で腰を抜かしてしまうのではと危惧していたが、セラフィーナは伝聞でしか知らなかった存在である機体を実際に目の当たりにできた事が嬉しいのだろう。自分だけでなく、この喜びを皆に伝えたいようだが、少女は二人だけの秘密にして欲しいと願う。
「どうしてこの機体を私に見せてくれたの?」
「最後にお礼がしたくて。アナタが言った通り、この機体なら体に負担を掛けずに空を飛べる。ううん、空だけでなく、宇宙だってひとっ飛びよ」
「…そっか」
特別に後部座席に乗せてあげると言うが、セラフィーナは惜しみつつも首を横に振った。やはり彼女はただ空を飛びたい訳でなく、大切な者と一緒に空を飛んで、同じ目線で美しい景色を眺めたいのだと、全てを言わずとも、少女には分かっていた。
「気持ちは凄く嬉しい。でもね―――」
「分かったわ。いつか二人が空を飛べることを、アタシも祈っているわ」
本当に楽しかったと、ありがとうと告げ、少女は少ない荷物を手にして機体に乗り込もうとする。旅立つ日は明日だと、話が違うとセラフィーナは言いながら、コックピットの傍へと近づくが、少女は申し訳なさそうにしながら伝言を残す。
「子ども達に囲まれたら困るし、しんみりとしたのは柄じゃないから。ごめんなさい。アナタから皆に感謝していたと伝えておいてくれないかしら」
「そんな…!待って、私まだ、沢山話したい事が―――」
「それはまた今度。アタシがやらなくちゃいけない事がひと段落ついたら、必ずまた、ここに来るから」
「絶対だよ!約束だから―――」
「ええ。約束ね」
ARKHEDのエンジン起動音はARKSよりも静かであるが、機体の稼働と同時にフォルムに刻まれている黒いラインが光を放つ。危ないからと距離を置いたセラフィーナだが、最後に言い忘れた事を思い出して叫ぶ。
「た、旅人さん…!私まだ、旅人さんの名前を聞いていな―――」
機体はゆっくりと浮かび上がり、そして一瞬にして空へ舞い上がり、一本の柱の様な軌跡を描いて雲間を突き破り、宇宙へと旅立ってしまった。
もう会う事も無いのだろう。そう思い、セラフィーナにARKHEDを所有していることを明かした。彼女はARKHEDに搭乗するのを断ったが、それは少女の予想通りで、驚くことは無かった。後ろ髪を引かれる思いはあるが、少女は再び自分の使命と向き合う為、広く、果てのない宇宙で新たな契約者候補を探す旅路に出る。
観測装置である少女がセラフィーナやジルベルト達と別れて一年程経った頃。少女は未だ観測対象を、契約者を見つけ出せずにいた。あれから何度か強い力を感じ取ったものの、接してみれば決め手に欠けるような気がして今に至る。それはジルベルトの力と比べてしまうからで、たとえ戦争の只中に在って死にたくないと願う者が居ても、己の力を誇示したいという強欲な者でも、純粋にただ一人の女性を想う者には敵わなかったからだ。
このまま役目を果たさずにはいられない。焦りは募るが、中々選ぶ事は出来ない。仮に誰かにARKHEDと力を与えてしまえばその者はどうなるのか。セラフィーナ達と接してしまったが故に、その者を深く知ろうとしてしまい、躊躇いも生まれる。
「(同じ観測装置に嘲笑されているというのに…。どうにかしないと…)」
今後どうするべきか、考えあぐねていてふと過ったのはあの青い星、メルジーネで見た光景で。青い空を自在に飛び交うARKSの姿であった。
ARKSのレーサーが集う星、ヴィルト・ルイーネ。かの星は日々タイムを縮めようと、栄光を勝ち取ろうと欲望が渦巻く星で、強い想いに溢れている。ARKHED契約者は戦場に立つ方が都合が良いのだが、この際仕方がないと諦めつつ、一縷の望みを抱いて向かった。
「…っ、うう…っ」
荒くれ者が行き交う街の中。願いの力が強い者を探し出そうとした所、少女は眩暈を起こし、倒れそうになる。さほど強い力は感じ取れなかったが、数が多すぎて処理しきれず、キャパオーバー起こしたようだ。
「(ここで探すのは止した方が…。いや、範囲を狭めれば何とかなる…かも)」
これだけ想いの力に溢れた場所ならば、最低一人くらいは適格者が見つかるだろう。そう思いながら街を彷徨うが、望む結果はなかなか得られない。範囲を抑えていたものの、力の行使には限界が。一休みしようとしていた所、立ち止まった場所は大通りの巨大なスクリーンがある前で、そこには前日、大きなレースで優勝した者が映し出されていた。
レーサーなら誰もが焦がれる表彰台の一番高い位置。そこに立つ者は栄誉を勝ち取ったにも拘らず、冴えない表情で、喜ぶ様子は見られなかった。それは緊張しているといった風でなく、ましてや当然であると胸を張っている様子でもない。表彰台の上で不遜な態度でベルトを持つ者の姿を少女は見間違えようもなかった。
「(あれは…まさか…!)」
彼がここに居る筈は無い。そう思ったが、その姿は以前とあまり変わらず、纏う雰囲気にやや刺々しさが増したようだが、間違いないと断言できた。それでもここに彼が居る事が信じられず、直接この目にするまでは、言葉を交わすまではと思い、彼を探した。
最年少優勝記録を打ち出した青年は今や人気レーサーとなり、数々の大会で引っ張りだこのようで、なかなか近づくことは叶わなかった。数多くのレースに出場し、ヴィルト・ルイーネの各都市を飛び回る彼と接触するのは難しい。そう結論に至った少女はあの青い星へ、二度と戻らないと思っていたメルジーネへ向かった。
穏やかな気候に薫る潮風。心地よく頬に吹き付ける風と澄んだ空気。メルジーネの小さな港町は以前訪れた時と何一つ変わっておらず、久方ぶりに心を落ち着かせることが出来た。
懐かしく思う小道を歩き、丘の上の教会に併設してある孤児院を目指す少女。古ぼけた教会も変わりはなく、安らかな気持ちにさせられたが、やはりそこには彼が居らず、ヴィルト・ルイーネで見かけた彼が他人の空似でなかったことが証明された。
「旅人さん…っ!」
「久しぶりね」
セラフィーナの様子は以前と変わらず…と言いたい所だが、前よりもさらに体のラインが細くなっているようで、顔色も優れない。それでも少女が訪れた事を心の底から喜び、手土産にとセラフィーナが食べたいと言っていた遠くの星の菓子を渡すとこれ以上無い程に感謝された。
花の形や小鳥の形など、見た目も可愛らしい練りきりという名の菓子。食べるのが勿体無いと惜しみつつセラフィーナは口にするが、上品な甘さに顔を綻ばせ、もう一つと手を伸ばす。持参した菓子を大いに気に入ってくれたようで嬉しく思う少女だが、やはり彼が居ない事が気になるようで、彼の所在を問いかけてみる。するとセラフィーナは困ったように笑い、視線を落とした。
「ねぇ、彼は居ないの?」
「ジルの事、だよね…。うん。そうだよ。ジルは今、ヴィルト・ルイーネに居て…―――そうだ!これを見て!凄いでしょ!」
寂しげに目蓋を伏せさせていたセラフィーナだったが、ジルベルトの活躍の話となると、ぱぁっと笑顔に花を咲かせる。彼女はベッドの横にあるサイドチェストから雑誌を数冊と、スクラップ帳を取り出してジルベルトの勇士を語る。
一見すると嬉しそうにしているセラフィーナだが、寂しくない訳ではないのだろう。記事の中の仏頂面のジルベルトを見て目を細め、小さく溜息を吐いていた。
「どうして彼がレーサーに?」
「ほら、あの時の。お祭りの時のレースゲームで優勝したのが現役レーサーの人の目に留まったらしくて…。スカウトをされたんだって」
「…そう」
少女に相談を持ち掛けた後、決断したのか。セラフィーナへと事情は話したようだが、ジルベルトが彼女を置いて遠くの星に行くなど想像もつかなかった。
空を飛ぶことに焦がれていたジルベルト。今は夢が叶ったようだが、ヴィルト・ルイーネの大型スクリーンに映し出された彼や、セラフィーナが持っている雑誌や記事に載っている彼の姿は、とても夢が叶ったようなものではなかった。




