第84話 Encounter in a small blue star
アリーチェから全てを…ジルベルトの過去と彼女との関係を話すと言われ、鳴鳥は後日、アリーチェの指定した場所へと単身向かう。そこは彼女が住んでいる邸宅があるエーデルシュタインの高級住宅街、その中でも一番見晴らしの良い豪邸を鳴鳥は訪れていた。
「一人で大丈夫?」
「はい。ここまで送って頂いてありがとうございました」
ここに来るまでは久城に車を運転して貰った。アリーチェとの話は本人との約束で二人きりであることが条件で、久城はここまでとなる。
以前、アリーチェは感情に任せて鳴鳥を叩いたことがあり、その事が久城には気掛かりなのだが、鳴鳥は全く恐れていないようで、寧ろ早く真実を知りたいと急く様子さえ見えた。
「何かあったら連絡をして。車内で待っているから」
「ありがとうございます。でも、私の事なら大丈夫ですよ」
裏切ったのは自分の方だから、どんなに非難されても構わないと鳴鳥は心に決めていた。
鳴鳥が到着したのに反応してか、大きな門が開閉し、そして老齢の執事が出迎え、彼に邸内を案内される。
流石エーデルシュタインの五大企業であるバルニエール商会の会長宅であるせいか、屋敷は広く、一人にされると迷子になりそうなほどであった。暫く長い廊下を歩いた先には一室が、執事が呼び出しボタンを押し、室内に居る者はそれに応じて扉を開く。
「よく来たわね」
「あ、えっと、お招きいただき有難うございます」
「別に。ここに招いたのは致し方なくよ」
「そ、そうですか…」
素っ気ない態度のアリーチェは適当に座るようにと言い、自分もソファーに腰を下ろす。ここまで案内をした執事は鳴鳥が持参した手土産である菓子をティースタンドに並べ、二人分の紅茶を淹れてアリーチェの私室を去った。
紅茶を一口飲んだアリーチェ。彼女の私室はこれぞ女の子の部屋といった印象で、可愛らしい小物に溢れ、ピンク色で統一されたインテリアが並び、普段の元気すぎる彼女にぴったりである。けれども今の彼女の表情は優れず、この部屋で浮いているように思えた。
「まずはアタシの事から話しましょうか」
「は、はい…」
「アナタ、ジルの観測装置が誰なのか知っているのかしら?」
「えっと…訳あって傍には居ないと、それでアランさんが代わりをしていたと聞きました」
「そう…」
アリーチェがジルベルトの観測装置の話をしたという事は、彼女はそれが誰であるのかを知っているという事で、それと同時に嫌な予感を覚える。ジルベルトの観測装置は彼の傍に常に居なかった人物、そしてアリーチェは過去の記憶を失っている。導き出される結論は受け入れ難いものであって、鳴鳥は違って欲しいと思いながらアリーチェを見つめる。鳴鳥の願いも虚しく、現実は残酷で、アリーチェはせせら笑いながら鳴鳥の想像を肯定した。
「アタシは…アタシがジルの観測装置よ」
「そんな…!そんな事って…。ジルベルトさんはこの事を知っているのですか?」
「ええ。この間、アルヴァルディに邪魔した時、アタシは彼に全部打ち明けたわ」
「そう…ですか…」
ジルベルトならば自分を苦しめていた枷を与えた者がアリーチェだとしても責めたりはしないだろう。寧ろ彼女の方が苦しんでいたのではないかと気遣うだろうと鳴鳥には分かる。ならば何故、アリーチェが真実を打ち明けた事によってジルベルトの様子がおかしくなったのか、鳴鳥は直ぐにでも問いかけたい所だが、真実を明かす事はアリーチェにとって苦しいものであると分かっていて、問い詰めるような真似は出来ず、彼女の言葉を待った。
「アタシはジルの観測装置で、彼にARKHEDと不死の力を与え、そして枷をはめた」
「不死の力はジルベルトさんが望んだものではないんじゃ…」
「いいえ。彼は望んだのよ。病にも侵されない、どんな病気をも克服できる不死の力を」
アリーチェは強く肯定するが、鳴鳥は納得できずにいる。それはジルベルトが自分の力を語る時の忌々しげな表情を知っているからで、そんな彼が力を望んだなど到底思えなかった。
何故ジルベルトが不死の力を望んだのか。それは遡る事18年前、まだジルベルトがARKSのレーサーになる前の話であった。
第84話 Encounter in a small blue star
アストリアから離れた場所。辺境宙域との境に存在した小さな蒼い星『メルジーネ』。陸地が少なく海ばかりの星に観測装置であるアリーチェは降り立った。まだ観測対象を定めていなかった彼女がこの星に降りたのは強い想いの力を感じ取ったからで、彼女はそこで一人の青年と出会った。
港近くの小さな町。漁業を生業とする者が多いその町でジルベルトも漁港で漁師として働いていた。朝早く船に乗り、漁を終えて戻ってきて、昼過ぎには仕事を終えたジルベルトは小高い丘へと車を走らせる。
「お帰りなさい、ジル」
「ただいま、セラ」
丘にある教会。そこに併設されているのは孤児院で、そこがジルベルトの家であった。仕事を終えた彼を出迎えたのは長い亜麻色の髪の少女で、肌の色は白く…と言うよりも不健康そうなまでに青白く、身体全体は細く華奢であった。可愛らしく、庇護欲に駆られるような姿である少女は見た目通り病弱で、決して寝床から抜け出して良い体調ではない。帰宅の挨拶を済ませたジルベルトは少女、セラフィーナの肩を掴み、庭先の畑仕事から強制的に彼女の自室へと移動させた。
「もう!心配しなくても大丈夫だよ。今日はすごく調子が良いんだから」
「…そう言ってお前は何度倒れた。体調に関するお前の言葉は信じないぞ」
「その節は…ごめんなさい。でもでも、今日は本当に大丈夫なんだよ」
「本当か…?」
ベッドに戻されたセラフィーナ。彼女のすぐ傍の椅子に座っていたジルベルトは平気だと言うセラフィーナの前髪を掻き上げ、ピタリと自分の額をくっ付けた。じんわりと伝う熱。それは体調が悪い証拠で、言い逃れは出来ない。
「セラ…。やっぱり言わんこっちゃない」
「ち、違うよ。これはジルが顔を近づけてきたからで、体調が悪いわけでは―――」
「良いから寝ていろ。表の畑仕事は俺がやっておくから」
そっと肩を押され、横になる様にさせられて、セラフィーナは渋々大人しく休む。ただベッドで寝ているだけは退屈なようで、今日はどんな魚が獲れたのだとか、近々催される収穫祭の様子はどうだとか、セラフィーナは矢継ぎ早に質問をしてきた。
「祭りに行くのなら、なおさら体調を整えておかないとな」
「むー。ジルのいじわる…!」
「あのなぁ、俺はお前の事を思って―――」
「分かっているよ」
セラフィーナの伸ばした手はジルベルトの袖を掴む。軽く引っ張ればそれが合図かのように、セラフィーナは目を瞑り、ジルベルトはフッと微笑んで顔を近づける。あと少しで互いの唇が触れそうになった瞬間、部屋のドアが勢いよく開けられて子ども達がなだれ込んできた。
「セラねーちゃん!体はだいじょーぶ?」「お見まいに来たよ!」「ん?ジル兄ちゃん?今何して―――」
「…邪魔が入ったようだな」
「そうだね」
教会では神父が子ども達に学問を教えていて、どうやら勉強の時間は終わったようだ。皆はジルベルトやセラフィーナと同様に孤児院の子ども達で、こうしてよくセラフィーナの様子を見に来ていた。子ども達が来てしまえばジルベルトとセラフィーナの二人きりな時間は終わり、二人は子ども達の兄や姉であるように接する。と、言っても皆が来る前にしようとしていた事により、冷やかしてくる子ども達の対応に追われ、ジルベルトは部屋を後にし、セラフィーナは慌てて弁明をする。
「やあ、ジルベルト君。今日も生きの良い魚をありがとう」
「神父様…」
孤児院から出た所、初老で人当たりの良い笑みを浮かべた神父と庭の畑で会い、ジルベルトは彼の畑仕事を手伝う。
本来なら16歳でこの孤児院から巣立ち、職に就いて独り立ちするところであるが、ジルベルトは漁師になった今も港から離れた丘の上にある孤児院まで帰宅する。それは戦争で両親を亡くした自分を育ててくれた恩を返す為であり、重い病気のセラフィーナの傍になるべく居たいからであり、彼の想いを知っている神父は快く受け入れていた。
「神父様、セラの事なんですが…」
「ん?どうかしたのかね」
「また寝床を抜け出して畑仕事をしていて…」
「はは…。じっとしていられないのは彼女らしいね」
「そうですが、セラは…」
「分かったよ。シスター達に定期的に見回るように頼むか…、お針仕事でも彼女に頼もうか。それならばベッドの上でも体に負担を掛けずに出来るだろう?」
「服が血まみれになるのは避けた方が良いのでは…」
ジルベルトの指摘通り、セラフィーナは手先が器用ではない。縫い物などやらせると、真っ白なシャツは赤く染まる事が容易に想像できる。呆れたように笑いあう神父とジルベルトだが、セラフィーナを放っておけば笑い事で済まなくなるかもしれない。神父は教会での仕事に加え、子ども達に勉強を教えていて手一杯である。二人いるシスターも、大勢いる子ども達の衣服を洗濯したり、料理や掃除と忙しい。
「私からセラフィーナにもう一度話しておくよ」
「助かります」
「しかし君の言葉の方がよく聞き入れるのではないかな」
「いえ。自分に対してはハイハイと言うだけで、素直に従わないですよ」
「それはまた、すっかりと尻に敷かれているねぇ」
「…面目ないです」
決して裕福ではないが皆笑顔が絶えなくて、穏やかな時を過ごしていたジルベルト達。病に侵されていたセラフィーナの事は不安でならなかったが、ジルベルトは自分の出来る事を精一杯やり遂げていて、充実した毎日を送っていた。
慎ましやかに暮らす神父と子ども達。彼らが過ごす古ぼけた教会を訪れたのはふわふわとしたピンク色の髪をワンサイドアップに纏めた少女で、この辺りでは珍しい近代的な黒い衣服を身に纏っていた。
「(強い意志の力を感じ取ったのだけれど…)」
礼拝堂でぼんやりとくすんだ色のステンドグラスを眺めていた少女。彼女はセスデクオクという名で、それは名と言うよりも認識番号に近しいもので、その名称は68番目という意味であった。
「(ぬるま湯のようで気持ちが悪いわ)」
穏やかな情景に内心毒づいたその表情は冷め切っていて、観測対象候補者の姿を見ていても最初は嫌悪感しか抱かなかった。
少女が見定めた者。彼、ジルベルトは大切な者…病弱な少女、セラフィーナの為に生きていて、彼女の事を深く愛していて、彼女の為にならどんな事もやり遂げられる強さを持っていた。彼の想いの力は強いが、それは愛する者の為であって、彼を観測対象として定めるのは相応しくないかも知れない。ARKHEDを与えるならば、戦わなければ生き残れない窮地に追いやられた者や、その強大な力を欲する欲深い者の方が扱いやすい。ジルベルトには戦う理由もなく、彼には戦う力が必要ない。そう結論付けた68番の少女は新たな観測対象を探す為にこの場から去ろうとした。
「珍しいな。こんな所に」
「…」
接触はするつもりではなかった。まずは遠くから様子を見て、その上で近づこうとしていたが、相手の方から近づいてきて、声を掛けられてしまった。
これがただの町中なら相手も声を掛けてこなかっただろうが、ここは古ぼけた教会であって、礼拝が行われる時間以外は訪れる者が少なく、掃除用具を持ったジルベルトが驚いて声を掛けるのも当然であった。
「見慣れない顔と服装だが、もしかして観光客なのか?」
「…ええ、まぁ」
不審に思われるのは避けた方がよい。適当に話を合わせておいた方が良いだろうと判断した少女はジルベルトの言葉に同意する。彼は特に不審がる様子も見せず、それならば納得だと自己完結しているようだ。
「もうすぐ収穫祭だからな。他所から観光客が来るのも珍しくは無いが…。その格好、他の星から来たのか?」
「…ええ、そうよ」
「へぇ…。さほど有名ではないと、せいぜいこの星の住人しか来ないと思っていたが、外からも来るんだな」
遠い所をわざわざご苦労だと言うジルベルトだが、彼はこの土地を心の底から愛しているようで、観光客である少女を快く受け入れていた。しかし彼と話していても時間の無駄であると、そう考えている少女は軽く会釈をして立ち去ろうとする。スッとジルベルトの横を通り過ぎ、これでもう会うことは無いのだと思っていた少女だが、彼女は呼び掛けられ、無視をする訳にもいかずに歩みを止める。
「おいアンタ、もう宿は取っているのか?」
「…宿?」
少女がこの星に降り立ったのはARKHEDでの事で、ステルスや監視衛星に捉えられぬよう細心の注意を払って降り立った。この星から脱するのも目撃者が居ないようなところで搭乗しようかと思っていて、この星に滞在するつもりは無い。面倒事を避けるならばもう宿は取ってあると答えればよかったのだが、言い淀んでしまった事で事態は変わる。
「…どうやらまだのようだな」
「…それが何か?」
「今の時期は他所から来た観光客でどこの宿も一杯だ。これから宿を探すとなると大変だぞ」
「平気よ。いざとなれば野宿でも構わないわ」
「それは…随分とタフなんだな」
感心したような、どこか呆れているような笑みを浮かべているジルベルト。それならばと深くは探りを入れず、気を付けろよと声を掛けるだけであったが、勢いよく開かれた扉に続いてなだれ込んできた子ども達によってアリーチェは再び歩みを止められてしまった。
「おねーさん旅の人?」「お祭り見に来たの?」「どこから来たの?」
「ちょ、ちょっと…」
少女を取り囲んだのは子ども達で、皆、見慣れぬ衣服を纏った少女に興味津々といった様子であった。子どもを相手にどうすればよいか対応に困っていた少女に助け舟を出したのはジルベルトで、彼女に纏わりついていた子ども達を引き離そうとする。
「おいお前ら、迷惑かけちゃ駄目だろう」
「えーだってー!」「いいじゃんケチー!」「ジル兄はあっち行っててー!」
どうやら子ども達はジルベルトの言葉を聞き入れないようで、絶えず少女へと質問を投げかけてくる。今度は二人でこの事態をどうしたものかと戸惑っていた所、ゆっくりとした足取りで一人の少女が、セラフィーナが近づいて来た。
「騒がしいと思ったらどうかしたの?…って、貴女は―――」
「セラ…!またお前は勝手に寝床から出てきて…」
「熱なら下がったのよ。それよりも、こちらの方はどなたなの?」
「…ったく。この人は―――」
「近々祭りがあるから、観光しに来たのよ」
「そうなんですか~」
まとわりつく子ども達に言い聞かせながらも、セラフィーナは子ども達と同様に興味津々といった目でチラチラと様子を窺っている。これ以上は迷惑かけられないと、何より早くセラフィーナを自室に戻さなければと思い至ったジルベルトは早く立ち去るようにと促すが、彼の不用意な言葉でセラフィーナは反応する。
「早くしないと宿が無くなるぞ」
「ええ、そうね。それじゃあ失礼するわ」
「待って!貴女、今晩の宿が決まっていないの?」
「え、ええ…まぁ…」
嫌な予感を感じつつ答える少女。彼女の予想通り、セラフィーナと子ども達は互いに顔を見合わせ、いい案があると言い出した。そしてそれは少女にとって厄介なものであった。
「宿が決まっていないならここに泊まればいいじゃない」
「え…でも…」
「私から神父様に頼んでみるわ」
「あ、ちょっと…、待ちなさ―――…行ってしまったわ」
早速セラフィーナは子ども達を引きつれて神父の元へと向かう。残された少女は茫然としていたが、ジルベルトにすまないと声を掛けられ、ようやく状況を飲み込めた。
観測装置である少女の使命。それは強い意志の力を持つ者を探し出し、その者の願いを叶え、意志の力で動くARKHEDを与え、枷をはめ、苦しみもがきながらも抗う姿を観測するのが目的である。ジルベルトが観測対象として不適格であったならば早々とこの場を立ち去らなくてはならない。けれどもこうして何故だか彼らに歓迎され、68番の少女は厄介になる事となってしまった。それは無用な混乱を招かないよう細心の注意を払った上での行動だと言い聞かせていたが、嫌悪感すら抱いたこの温かな日常で、もう少しだけ観測対象候補者であったジルベルトの様子を見てみたくもあったから、少女は皆の好意を受け取った。
賑やかと言うよりも、騒がしくあった夕食を終え、子ども達はシスターに連れられて風呂場へと向かう。少女はと言うと、宿泊費としてお金を出そうとしたが、神父に子ども達が外の世界の話を聞けて嬉しそうだったからと言われ、受け取りを拒まれてしまった。ならばと少女は食器洗いをすると言い、今現在ジルベルトと並んで皿洗いをしている。
「本当にすまないな。子ども達の相手だけでなく、皿洗いまで」
「構わないわ。お代も払わずにいられる程、厚かましくありたくないもの」
こうなればもう後は流れに従うしかないと諦めていた少女だが、夕食時の質問攻めには自分の考えが甘かったと後悔させられた。
何が楽しいのか、この宇宙にどんな星があるのか、そこに住まう人達はどのような生活をしているのか、少女がこれまで見てきたものを説明する度、子ども達とセラフィーナは目を輝かせて聞き入っていた。その反応はARKHEDを持ち、自由に飛び回れる少女にとって理解できないものであったが、この星の生活水準を考慮すればこれが普通の反応なのだと分かる。メルジーネでは都市部と地方の発展に差があり、利便性も格段に違うのだが、自然豊かな土地を好む者も一定数は居て、こうしてこの港町の様な先進技術に溢れていない所もあるのだった。
少しばかり離れた土地には大都市がある。そして高度な技術に溢れている都会に憧れる者は多い。このような田舎町ならなおさらであって、それらを恥じることは無い。子ども達はそういったここではない何処かを夢見ている子もいたが、ジルベルトやセラフィーナは違った。セラフィーナは自身の身体の事をよく理解していて、忙しない様子の都会は肌に合わないのだと思っている。外の世界は話を聞くだけで満足で、ここから何処かへ行きたいという気持ちは無いらしい。一方でジルベルトはそもそも外には興味が無く、彼にはセラフィーナの事しか頭にないようであった。
「(…彼女に囚われて、この土地に縛られて…。それで幸せなのかしら…)」
潜在的な意思の力。ジルベルトからその力感じ取っている少女は、あらゆる可能性を持っていても燻っているような姿に憐れみすら感じた。当人は幸せそうだが、まだ視野が狭いだけで、セラフィーナが居なければジルベルトは大きく羽ばたけるのだと、そう確信があった為、少女は問いかけた。
「ねぇ。アナタに願いは無いのかしら」
「何だ?藪から棒に…」
「もし願いが叶うのなら、あなたは何を願うの?」
「ああ…。そういや祭りの最終日に願い札を灯篭に乗せて海に流すんだっけか」
唐突な質問を勝手に解釈したジルベルトはしばらく考え込んで、それから答えを出した。それは期待外れで、非常につまらないもので、ある程度予想はしていたものの、少女は内心落胆した。
「…特にないな。俺は今の生活に不満が無いからな」
「…そう」
キッパリと言い切ったジルベルト。一見すると迷いはなさそうであったが、彼の目線は下がっていて、少女は僅かな迷いを見透かしていた。彼自身もこのままでは駄目だと思っていて、それでもどうする事も出来ないもどかしさを抱いているのだろう。けれどもそれを表に出すことは無く押し込めていて、愛する者の為に耐える姿は見ていて不愉快であった。
「旅人さん…!寝床の準備が出来たわよ」
後片付けが終わった頃、キッチンにセラフィーナが顔を出した。彼女は少女の腕をとり、こっちよと案内をするが、そこは彼女の私室であった。こうなる事は分かっていたようだが、ジルベルトは心配らしく、少女の方へとあまりセラフィーナを夜更かしさせないで欲しいと頼む。
「ちょっとジル、どういうつもりなの?」
「お前に言っても聞きやしないじゃないか」
「そんなことは無いわよ」
「どうだかな…」
「もういいわ…!さ、旅人さん、小うるさいジルは放って置いて行きましょう」
「え、ええ…。分かったわ…」
セラフィーナの部屋へと入る前に少女が振り返って見ると、ジルベルトは悪かった、世話を掛けさせてという意味を込めてポーズをとった。彼が気に留めることは無いのだと肩を竦めさせて首を横に振り、少女は就寝の挨拶をして背を向ける。
「本当に良いの?」
「ええ。良いのよ。それよりも旅人さんは私と一緒じゃ嫌なのかしら」
「そうではないのだけれど…」
「なら決まり。さぁ、こっちこっち」
大きな寝台に先に入って手招きをするセラフィーナ。どうしてここまで気を許せるのか。今日出会ったばかりで、しかも旅人という得体の知れない身でここまで心を許すなど信じ難い所だが、この土地の穏やかな気候が、風土がそうさせているのだろうと気付き、少女は諦めきった様子で好意を受け入れた。
二人で横になり、少女は一度背を向けたが、セラフィーナにこっちを向いてと言われ、渋々向きを直す。
「早く寝なければ体に障るわよ」
「少しだけ、少しだけなら良いでしょう?」
「…どうなっても知らないから」
「ふふ…っ。…ありがとう」
まだ話をしたそうなセラフィーナが子犬の様な目でおねだりをし、少女は簡単に折れてしまった。と、言っても少女には話すことは無く、セラフィーナの方から問い掛けて会話が始まるのだが、彼女は中々問いかけてこようとしない。話が無いのならもう寝るわねと再び背を向けようとしたが、慌てて待ったが入った。
「旅人さんは…その…夢とか、願いとかある?」
「え…?」
それは先程ジルベルトに対して少女が投げかけた問いで、まさかここに来て自分が同じ問いを掛けられるとは思いもしなかった。
観測装置である少女には使命しかなく、夢や個人的な願いなどありはしない。まだ人と触れ合う機会が少ない少女にとっては尚更で、セラフィーナの問いには答えられずにいた。
「もしかして、お願いごと、何もないの?」
「…そうね。思いつかないわ」
「…そっか。旅人さんはいろんな星に行けて、自由で、何でも願いは叶ってしまうから、今更願う事もないよね」
「…何でもは叶わないわよ」
「そうなの?」
「ええ。人というものには限界があって、そのくせ高望みをしてしまうもので、願いというのは際限のないのが普通だわ」
「旅人さん…何だか自分が人じゃないみたいな言い方だね」
「…!」
常に緩んだ笑みを浮かべていて、能天気そうだと思っていたセラフィーナは意外と鋭く少女は驚く。まさか正体を見抜かれたのかと焦りを感じたが、それは杞憂で済んだ。セラフィーナとしてはただの冗談だったらしく、彼女は自分の願いを語り出した。表面上は無欲であったジルベルトと違い、セラフィーナには確かな願いが、それも幾つもあるようで、近々催される祭りで海へと流される灯篭に何を願おうかと悩んでいるようだ。
「私はね、まず皆が元気で暮らせるようにって…。一番元気にならなくちゃいけないのは私なんだけど、私の病気は治りっこないから…」
困ったように笑うセラフィーナ。彼女の病は決して直らないものではない。けれどもそれは都市部での話で、病を克服しようとすれば莫大な治療費が掛かるのであった。その為今は症状を和らげる薬を服用し、大人しく過ごす事で難を逃れているが、発作が起きればどうなるかは分からない。
金さえあれば、地位さえあれば治療できる病。人とは常に平等ではなく、生きるか死ぬかは持つ者と持たざる者とで変わってくる。セラフィーナは持たざる者で、その現状を受け入れていた。
健気で、病弱でありながらも誰かの役に立ちたいと願っている彼女が救われない世の中。それは魔術師の世界マギイストも機巧の世界ソルダントも変わりはしない。けれども少女は目の前で苦しむ者を憐れみ、そして世界を嘆いた。その気持ちに気付いてか、表情には出していない筈だったが、セラフィーナには悟られていたらしく、彼女は自分の病状は気にしないで欲しいと言い、湿っぽい気分を変えようと今度は明るい夢を語る。
「もう一つの願いはね、宇宙を…。ううん、この際空でも良い。飛んでみたいと思うの」
「それは…叶わない事も無いんじゃないかしら」
「そうなの…!今度のお祭りにはね、海上でARKSのレースが行われて、最新の機体も来るようで、一般客も乗せて貰えるアトラクションもあるらしいの」
期待に胸を膨らませるセラフィーナ。どうやらこの願いは灯篭と共に流さなくても叶いそうで、少女は嬉しそうに笑顔を綻ばせるセラフィーナの姿に思わずつられて口端を緩める。これでセラフィーナの願いは最後かと思われたが、彼女の願いは尽きない。遠く離れた星の珍しいお菓子が食べてみたいだとか、遥か辺境の地に生息する可愛らしい小動物を抱いてみたいだとか、どれも可愛らしい年相応の少女が願うものであったが、最後にセラフィーナが語った願いはこれまでよりも重く、強い願いが込められていた。
「ジルにね、素敵な恋人ができたらいいなって思うの」
「…は?」
少女には理解が出来なかった。セラフィーナはジルベルトの事を愛していて、彼も彼女の事を愛していて、相思相愛のように思えた二人であった。けれどもセラフィーナは自分ではない他の女性がジルベルトの隣に居て欲しいと願っていた。そう語ったセラフィーナの瞳は潤んでいて、段々と声は震えていて。本心でないことが丸分かりなのだが、彼女は頑なとしてそうであって欲しいと意志を曲げない。少女は何故だと問いかけるとセラフィーナは無理に笑って理由を告げる。
「愛しているから、だからこそ私じゃ駄目なの…」
それは想うが故の願いで、痛ましいものであった。




