第76話 White cloud and blue lakeside
ここの所、日課となっていたジルベルトと鳴鳥の夜の逢瀬。皆に知られていると分かった今ではコソコソとする必要は無いのだが、やはり冷やかされる事は避けたいのだろう。ジルベルトは未だに皆に明かそうとはせず、今夜もこれまでと同様に鳴鳥が部屋に訪れるのを待っていた。
愛しく想う者を待つ時間は何時も長く感じるが、今日は輪を掛けて待ち遠しくある。と、言うのもジルベルトにとっては目障りで仕方が無く、油断ならない相手である久城が本日の鳴鳥の予定を抑えた者で、何かちょっかいを出されなかったか気に掛かり、気が気でない。皆の集まる夕食時には当然聞き出せる筈もなく、こうしてここまで我慢していたが、それもそろそろ限界のようであった。
何時もなら周りに気取られぬよう、小型通信機で今から行きますと連絡を入れ、扉に備え付けてあるインターフォンを使わず鳴鳥はジルベルトの部屋を訪れる。今日も小型通信機が着信を告げ、ジルベルトは急いで手に取るが、表示された映像の中の鳴鳥の様子は何時もと違い、申し訳なさそうに眉をハの字にしていた。
「―――そうか、そういう事なら致し方ないな」
どこか様子のおかしな鳴鳥は明日の朝が早いからと今日は部屋を訪れない旨を伝えて来た。最初は具合が悪いのかと思ったが、顔色は悪くない。と、すれば久城に何かされたのかと不安が過るが、どうやらそういった類の事ではなさそうだ。心底申し訳なさそうにしている姿を見せられれば退かざるを得なく、就寝の挨拶を済ませて通信を切った。
「(チッ…!アランの奴め…っ)」
スティングと同様に無害であると思っていた者が予想に反して障害となって立ちはだかり、ジルベルトは内心毒づく。
朝早くから何をするのか、そんな必要は無いだろうとうだうだ文句を並べたてるが直接言う訳にもいかず、募る苛立ちを抑える為にジルベルトは冷蔵庫からビールを取り出し、ソファーにドサッと座った後に煙草に火を点けた。
第76話 White cloud and blue lakeside
テーブルの上には空き缶が散乱し、灰皿には吸殻の山が、更にはふて寝の為に使用した薬の瓶が転がり、錠剤はバラバラに広がっていた。荒れた部屋で目覚めたジルベルトはもちろん二日酔いが無いのだが、すこぶる不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。その機嫌の悪さは朝食をとりに向かったラウンジでより一層増し、鳴鳥が作った朝食だというのに全く味わう様子が無く、眉間に深い皺を刻んでしかめっ面で口に運ぶ。周りがどうしたのかと聞くのを躊躇う程に不機嫌オーラを纏ったジルベルト。彼がへそを曲げるのも無理は無い。鳴鳥が用意した朝食は今日も完璧で、文句の付けどころは無いのだが、その作った当人がこの場に居ない事がジルベルトの機嫌を損ねている原因だった。
早々に朝食を終えたジルベルトは自室にこもる事も考えたが、腐っていても仕方がないと見切りをつけ、今後の為に訓練でも行おうとトレーニングルームへと向かおうとするが、途中でマリアンに呼び止められる。
「船長!ちょっと車の調子が悪いんだけど、見てくれないかしら?」
「はぁ…?んな事はコンラードにでも頼めばいいだろうが」
「それがね、あの子ったら肝心な時に居ないのよ。今日は朝早くから出掛けていてね」
「…お前も知識が無いわけではないだろう?それか業者でも呼んで―――」
「あら?部品ならコンラードが集めているジャンクの中にあるのに業者を呼んでお金を掛けていいのかしら?あ、あと、私は油にまみれるのがイヤだからパスさせて貰うわ」
「…チッ!」
盛大な舌打ちをしたジルベルトは車があるハンガーへと足を向け、不機嫌さを表すように五月蠅く足音を立てながら歩く。彼の後ろに付いて行くマリアンはほくそ笑んでいたが、怒りに我を忘れかけているジルベルトは気が付くことは無かった。
「で、何処が悪いんだ?エンジンが掛からないのか?」
「そうそう。取り敢えず乗ってエンジンを掛けてみて」
「…ったく、なんで俺がこんな事を―――。…ん?」
キーを回すとアッサリとエンジンは掛かり、稼働音にも異常はない。と、そこで備え付けのナビゲーションシステムが行き先を告げ、運転は自動運転モードに。気が付けば扉は閉められており、仕舞ったと思った瞬間には車は走り出し、マリアンはニッコリと手を振って見送るポーズをとっていた。
ジルベルトは急いで自動運転モードを解除しようとするが、ナビに手を伸ばそうとした瞬間、後部座席から伸びて来た手により止められ、更に驚く。
「ナ、ナトリ…?!おま…どうしてここに!?」
「えと、その…ごめんなさい…っ」
そう言いながら鳴鳥が出してきた一枚のボード。そこには『ドッキリ大成功!byアルヴァルディ一同』と書かれており、ジルベルトは怒りを通り越して脱力しきった。
茫然とするジルベルト。彼は状況が理解できないのか、暫しの間、放心していたが、少しずつ状況を整理し、そして沸々と湧いた怒りは頂点に達し、やり場の無い怒りをぶつける様に鳴鳥の持っていたボードをへし折る。やはり彼を怒らせる結果となってしまったと怯える鳴鳥は慌てて皆のフォローを、悪気があった訳ではないと言うが、皆への怒りは収まらないらしい。
「…これを見ろ!悪気がありまくりじゃねぇか!」
そう言って差し出されたのは助手席に置いてあった色紙で、そこにはお祝いのメッセージ、もとい、ジルベルトに対する冷やかしの言葉や罵詈雑言が綴られていた。
「若い子相手に張り切っちゃ駄目よ。大人の余裕を持つようにしなさい」
「ナトリさんを泣かせるようなことがあれば船長が相手でも許さないっス!」
「相手はまだお若いのですから、人生の先輩として恥ずかしくない態度で接するように」
「子どもは良いぞ。船長の歳を考えるならば早めがいいだろう」
「せいぜい愛想をつかされないように頑張ってください」
実に酷い内容だが、彼らは彼らでジルベルトの事を思い、祝福してくれているようである。けれどもその想いは伝わっていないようで、ジルベルトは色紙をビリビリと破き、ダストボックスに捨ててしまった。
「…お前も一枚噛んでいた訳だな」
「そ、それはその…」
「…まぁいい」
盛大な溜息を吐いたジルベルトは自動運転モードを解除し、路肩に車を停止させる。このまま引き返してアルヴァルディへと戻り、皆に対して文句を言いに行くのかと思われたが、どうやら違うようだ。彼は後部座席に座っていた鳴鳥に助手席に着くよう言い、その通りにすると再び車を走らせ始めた。
「ジルベルトさん…、あの…」
「せっかくだからお前と過ごせる時間を無駄にはしない。説教は帰ってからだ」
「はい…っ!」
心の底から嬉しそうに、パァと花が咲いたように笑う鳴鳥。ふと横目で見たジルベルトは彼女の姿に視線を奪われかけたが、直ぐに正面を向いて運転に集中しつつも、その格好について尋ねた。
「今日は何時もと違う格好だな」
「あ、はい。も、もしかして似合っていないですか?」
「いや、そんなことは無い。良く似合っている」
「…良かったぁ」
ホッと胸を撫で下ろす仕草に、嬉しそうに笑みを浮かべる鳴鳥。何時もの彼女なら動きやすさを重視し、タイツなどを履いている為、露出が少ない。行き先に気を回してか、スカートではないが、丈が短いホットパンツで、ニーソックスを履いているものの、ホットパンツとの間には白い足が覗いている。トップスはヒラヒラとしたリボンが付いたブラウスで、丸襟には刺繍が施され、女の子らしく、可愛らしいデザインであった。
普段着でも文句などなかった筈だが、今日の鳴鳥は一段と可愛らしく目に映り、ジルベルトは柄にもなくドギマギしていて落ち着かないようで、気持ちを切り替えようと行き先について話題を振った。
「森林公園…?ナトリ、そんな所で良いのか?」
「はい…!ジルベルトさんも、きっと喜ぶだろうってアランさんが言っていました」
「いや、俺の事は別に気にしなくとも良いんだ。それよりお前はもっとこう、ショッピングだとか、遊園地だとかに行きたくは無いのか?」
「ショッピングも遊園地も、この間行ってきましたので」
「…そう言えばそうだったな」
ここ何日間、鳴鳥はアルヴァルディの皆と過ごし、その中で様々な場所を訪れている。大方のデートスポットは行き尽くしたようで、それならばと納得しかけるが、ジルベルトは自分に対して遠慮などしないように、行きたい所があれば言ってくれと気遣うが、鳴鳥は当初の目的地である森林公園に行く事を強く望んだ。
その後自然と話題は弾み、と言っても始まりはジルベルトの愚痴で、昨夜会えなかった事に不満を漏らすが、申し訳なさそうに頭を下げる鳴鳥に対し慌てて前言を撤回する。誤魔化すように口から出たのは久城とのデートについてで、またしつこく問い詰めるよう、勘ぐるように探りを入れたせいで鳴鳥からは呆れられた。彼女から聞き出した内容には手を繋いだとか抱き留められたという事が含まれており、またもやジルベルトは不機嫌になりかけるが、鳴鳥が必死に宥めてどうにか怒りを抑えた。…様に見えたが、内心久城に対しどう制裁を加えようかと企むジルベルトであった。
「ここか」
「着きましたね!んー…、空気が澄んでる…!」
車から降りた所、駐車場からさほど離れていない場所には一面の芝生が広がり、開放感が素晴らしく、気持ちも晴れやかになる。
ガルレシアの首都、リヒト・ヴォールから離れた郊外。そこには国立の森林公園があり、緑豊かな自然の中でレジャーが楽しめる。芝生の上ではレジャーシートを敷いて行楽を楽しむ家族連れがそこかしこに見られ、子ども達はボールを追いかけたりとはしゃいでいた。
「これは俺の…。…成程な」
鳴鳥に促されるまま車のトランクを開けたジルベルト。そこには彼の私物である釣り具一式が詰められており、意図が読み取れた。それらを手にしたジルベルトと、少々大きめのバスケットを手にした鳴鳥。二人は青々と生い茂る森へと続く小道を歩き、目的地を目指す。そこは都市部の喧騒からかけ離れた静かな所で、その広さは海のようで、青い湖面には空に浮かぶ白い雲が映り込み、美しさを際立たせていた。広い湖には所々ボートが浮かび、すでに何人か、釣りを楽しんでいるようであった。
「それにしても、本当に良かったのか?これじゃ俺が楽しむだけの様な気が…」
「良いんです!ずっと前に、ほら、海に行ったときにジルベルトさんは釣りをしていたじゃないですか。あの時はご一緒できなかったので、いつか教わりたいと思っていたんです」
「そうか…。まぁお前がそう言うのなら、お言葉に甘えさせて貰うとするか」
ボートをレンタルした二人は陸地から離れて程よい地点で停める。そこでこれまでの不機嫌さは何処へやら、機嫌を良くしたジルベルトは慣れた手つきで釣り具を二人分用意する。カーボン製の竿にリール、浮きとおもりと釣針をテキパキと整える。ここまで流れるような作業を興味深げに鳴鳥は見ていたが、最後にジルベルトが取り出した小さな容器が空けられた瞬間、彼女は顔面をサッと青くして固まる。容器の中にびっしりと詰められていたモノ。うねうねと蠢くのを躊躇いもなく、一匹を指先で掴んだジルベルトは針の先へと突き刺す。
「ジ、ジルベルトさん…っ。そ、それって…」
「ああ、アランの奴か知らないが、ちゃんと生餌も用意してくれたみたいだな。…って、どうした?顔色が悪いぞ」
「い、いいえ、べ、別に何とも…っ」
「もしかして、これか?」
「ひっ…!」
もう一匹掴まえ、もう一本の竿の針に刺そうとしていたジルベルトは、それを鳴鳥の目の前へと突き出す。するとさらに血の気が引いたように顔色は悪くなり、慌てて飛び退き距離を置く。と言ってもここはボートの上でさほど離れられない上に、あまり派手な挙動は取れない。ボートが揺れかけてハッとし、慎重に、なるべく離れる。彼女は何をするのだと言いたげで、その目に涙を浮かべた姿は愛らしく、嫌がっていると分かっていてもジルベルトはついついその反応を見たくてしてしまう。流石に今回は悪戯が過ぎたと思い、謝りつつも手にしていたミミズを針に通して竿を手渡そうとする。それをおずおずと、手に取る鳴鳥。ニヤッと口端を上げたジルベルトは先程ミミズを触っていた手を彼女に伸ばそうとするが、触れる事は叶わずに空を切った。
「どうしたんだ?俺に触られるのは嫌なのか?」
「分かっていてワザとやっていますよね?」
「さぁ、何の事だか」
「むうっ!もういいですっ!」
とは言うものの、鳴鳥にとっては初めての釣りで、竿を渡されたところでどうすればよいのか分からないようだ。未だに根に持っているようで、睨み付けるようにじっとジルベルトを見つめ、早くするようにと目線で訴えてきた。やれやれと溜息一つ吐いたジルベルトは慣れた手つきでキャストする。彼の動きを見ていた鳴鳥だが、同じように竿を振ったはずだというのにあらぬ方向へ。やり直そうと無理にリールを巻いて早々に切らしてしまう。ぷくっと頬を膨らましていた鳴鳥だが、先程ジルベルトがしていたように餌を付ける事は出来ない。ここで投げてしまうことは無く、彼女は渋々ジルベルトにどうすればよいのか尋ねた。彼は肩を竦めつつ自分の竿を置き、素早く針と餌を付け、そして準備が整った竿を鳴鳥に持たせ、後ろから手を重ね、振り方のレクチャーをする。ここまでくればミミズを触った手でも文句は言えないのだろう。多少嫌な顔をされたが構わずに竿を振り、今度は見事に狙いの場所へとキャストする事ができた。
「ミミズは土を豊かにし、こうして釣りの餌ともなる。別に噛付きもしないんだから怖がることは無いだろう?」
「生理的に受け付けないのは仕方がないです…っ!」
「そういうもんか?まぁ女は大抵こういうのを気持ち悪がるが…。そういやお前、だいぶ前の任務でミミズに似た危険種を狩っていただろう。あれはいいのか?」
それはまだ鳴鳥が特務部に属していて、アルヴァルディの皆と共に任務に就いていた頃。とある星にて害をなす危険種を狩りに赴いたのだが、そこで一行は巨大なミミズの危険種を相手にしたのだった。その時の鳴鳥は別に文句など言わず、地中に潜りつつ攻撃を仕掛けてくる危険種に多少手こずってはいたが、キャーキャーと喚き散らすことは無かった。
「あ、あの時はARKHED越しだったので何とか…。それに、危険な場でそのように考える余裕もなかったですし…」
「成程な…。にしても、お前は怖いものが多すぎないか?ジャポーネでも幽霊なんて非科学的なものを怖がっていたし」
「もう…!私の事は放っておいてください…っ!怖いものは怖いんだからしょうがないじゃないですか…っ。…そう言うジルベルトさんには怖いものは無いんですか?」
「俺か…?俺が怖いのは―――」
そこで過るのは過去の出来事で、己の力が足りずに救えなかった者の姿や、自分の手で傷つけてしまった者の姿で。そしてこれから先、今、隣に居る大切な者を守り切れないのではという不安も過り、表情は硬くなりかけるが、心配するように顔色を窺う鳴鳥の姿の気づき、おどけるように笑って誤魔化す。
「弱みを易々と人に話す訳はないだろう」
「むー。なんか狡いです」
せっかく二人きりで過ごせる時間を暗い雰囲気にはしたくなく、過った想いを隠して誤魔化すジルベルトだが、鳴鳥は不満げに口を尖らす。悪かったと宥めるよりもいいタイミングに、鳴鳥の竿が引いているのに気が付き、ジルベルトは声を掛ける。
「おい、引いているぞ」
「え?!わ、ど、どうしたら…っ」
ジルベルトは自分の竿を置き、慌てふためく鳴鳥の手を取り、リールを巻く。しなる竿に手ごたえを感じ、慎重に、時に隙を突くよう大胆に攻めて徐々に体力を奪う。凌ぎ合いはジルベルト達が勝ったのだろう。湖面まで姿が見えた瞬間を網で捕まえ、見事に一匹の魚が、それも中々大きなものが釣れた。ボートの上の網の中でビチビチと跳ねる魚は水を飛び散らすが、初めて釣れた事が嬉しいのだろう。濡れてしまうのを気にせず、鳴鳥は喜んで、興奮した様子であった。
「釣れましたよ!ジルベルトさん…!」
「ああ、中々のサイズだな。今のでやり方は分かったか?」
「な、なんとなく…ですが。次は自分でやってみます…!」
「良い心がけだ」
「あの…それで…」
魚を触る事は出来るというのに、餌の取れた釣り針に次の餌を付ける事は出来ないらしい。申し訳なさそうに釣り針を摘まんでいる鳴鳥にジルベルトは苦笑し、仕方がないと肩を竦めつつも次の餌を付けた。
時々取り留めのない話をし、浮きが沈んで魚と格闘をして、そうこうしている内にバケツには斑点やまだら模様の淡水魚が窮屈そうに泳ぐようになっていた。
気が付けば陽は真上を過ぎていて、二人は一旦陸地に戻り、湖近くのキャンプ場で腰を下ろす。釣り上げた魚の内二匹を塩焼きに、内臓を取り塩をかけ串を刺して火で炙る。魚が焼けた所で少し遅めの昼ご飯。芝生の上に広げられたレジャーシートの上には重箱が三段分置かれた。一段目にはから揚げにタコ型ウインナー、イカのフリッターにミートボール。二段目には卵焼きにいんげんのベーコン巻、海老とブロッコリーのタルタルサラダに生春巻き。三段目には稲荷寿司と俵おむすびが詰められていて、彩も鮮やかに目移りするような品数で、ジルベルトは思わずゴクリと喉を鳴らした。
「美味いな」「美味しいです…!」
ジルベルトは稲荷寿司を食べ、鳴鳥は魚の塩焼きにかぶりつく。多すぎかと思われた量も食欲が増しているジルベルトにかかればあっという間に重箱の底が見え、最後にはきれいさっぱり食べ尽くされた。
「ご馳走さん」
「お粗末様です。こちらこそ、お魚の塩焼き、美味しかったです」
「まぁ確かに魚も美味かったが、お前の弁当には敵わないぞ」
「そんな事ないですよ。身はホクホクしていて、皮はパリッとしていて…。ジルベルトさんは魚釣りだけでなく、魚の調理も上手なんですね」
「いや、普段のお前みたく手の込んだ料理は出来ない。せいぜい塩焼き程度だ」
「でも、捌くのは上手でした」
「まぁ、釣りをすると自然にな。昔からしていたってのもあるし」
「昔…ですか?」
懐かしむように遠い目をしていたジルベルトだが、彼の過去には後悔が付きまとう。直ぐにその表情は居た堪れないものへと変わり、言葉を途切れさせる。それでもこの雰囲気を壊したくは無いようで、またジルベルトは何でもないと誤魔化すよう、話を変えた。そのやり取りはボートの上でと同じで、鳴鳥は残念そうにしている節もあったが、深く踏み込もうとはせず、気持ちを切り替えて話を合わせる。
「さて、これからどうするか?」
「もう一度釣りをしますか?だとしたら、今度は勝負にしませんか?」
「…俺が勝つのが分かっている勝負をか?」
「む!やってみないと分かりませんよ」
「それじゃあ餌を付けるのは自分でやるんだぞ」
「そ、それは…っ。えっと…そこはハンデという事でひとつどうでしょうか…」
勝利宣言をされて反論する鳴鳥であったが、未だミミズに触れる事は出来ないのだろう。勢いが無くなり、下手に出る。うねうねと蠢く姿を思い起こした鳴鳥の姿は怯えているようで、それはまた可愛らしく、笑ってはいけないと分かっていても、ジルベルトは思わず口元が緩んでしまう。手で隠しても遅かったようで、今度はムッとし眉間に皺を寄せている。その表情もまたジルベルトを喜ばせるのだが、悪戯が過ぎてしまえば愛想をつかされかねない。悪かったと言って宥めつつ、ジルベルトは立ち上がり片付けた荷物を肩にかける。
「取り敢えず荷物を車に置いて、それから食後の散歩でもするか」
「え…。釣りはもう良いんですか?」
「ああ。それはまた今度でいいさ。それよりも、ここには色々と見所があるんだろう。せっかくだから色々と見て回るのも悪くは無いと思うが…どうだ?」
「は、はい!是非っ、行きたいです…!」
興奮気味に食いつく鳴鳥。嬉しいけれど本当に良いのかと戸惑いも見せており、ジルベルトはどうにもこの姿に弱く、空いた手で頭を撫でつけて頷く。子ども扱いをしないで欲しいと怒られるのではなく、心地よさそうに目を細めてはにかむ鳴鳥。自然とその笑みにつられて口端は上がるが、掻き乱された心を落ち着かせようと苦笑に変える。
「ったく、大げさだな。そんなに喜ぶほどか?」
「はい…!あ、えっと、ジルベルトさんと一緒だったらどこでもいいんですけど…」
「おま…っ。またそういう事を臆面もなく言いやがって…」
「…?も、もしかして、ジルベルトさんはあまり楽しくないですか?」
「そんな訳ではない。その…俺もお前と同じだ。お前となら何処へだって―――って、おいっ!ど、どうしたんだ?!」
こっ恥ずかしい台詞を口にするのは苦手で、視線を外しつつ出来るだけ声量を絞っていたが、ふと鳴鳥の姿を横目で見ると彼女は瞳を潤ませていて、今にも泣きそうであった。悲しませるようなことはしていない筈だと己の言葉を振り返るジルベルトだが、思い起こされるのは彼女をからかうような、実に稚拙な言葉ばかりである。だがしかし、泣かせてしまう程ではないと思っていた。それでも度が過ぎれば積もり積もったモノが噴出しかねない。特に鳴鳥は不満を溜めこみ、というよりも他の者の不手際を自分のせいだと思い込むところがある。兎にも角にもどうしたものかと内心慌てるジルベルトに対し、鳴鳥も無意識下の事だったらしく、目に見えて取り乱し、これは違うのだと言い張る。
「す、すみません…。急にこんな…」
「いや、さっきから調子に乗り過ぎた。気分を害したのなら謝る」
「い、いえ。そうじゃないんです。その逆で、すごく楽しくて、凄く嬉しくて…。幸せすぎて…どうにかなりそうで…。だから、これは嬉し涙なので…!すみません…。なんか変な空気にしてしまって」
ゴシゴシと目元を擦って無理をして笑おうとする鳴鳥。ここが人目のない所で、手に荷物を持っていなければ直ぐにでも抱きしめられたが、生憎と今はそうにもいかない。惜しくもあるが今は頭をもう一度撫でるだけに留めて置き、大きな手は輪郭をなぞる様に触れて指先で涙をそっと拭う。
「相変わらず、お前はよく泣くな」
「すみません…」
「いや、責めている訳ではない。寧ろ責められるのは俺の方だ。お前を泣かせてばかりいるからな」
「そ、そんな事、無いですよ?私が涙脆くて弱いだけで…」
「それこそ、そんなことは無い。お前は誰よりも強くて真っ直ぐだ」
「え…?じょ、冗談ですよね?」
「戯れで言ってはいない。だからこそ俺はお前の事を―――」
そこまで言いかけたジルベルトはハッとし、言葉を飲み込む。やはりまだ、気持ちは認めていても言葉にするのに恥じらいがあるようで、頬には僅かだが赤みが差している。誤魔化すように咳払いをしたジルベルトはそろそろ行くぞと声を掛け、一人歩いて行く。何時も余裕なようで、翻弄されてばかりのようであってもこうして恥じらう事もあるようで。彼の姿に鳴鳥は笑みを溢し、速足で駆けて彼の隣に並ぶ。ニマニマとした笑みは彼の癇に障るのか、それでも怒ることは無く眉間に皺を寄せるだけでいて何も言わず空いた手で鳴鳥の手を取った。
ジルベルトを罠に嵌め、鳴鳥と二人きりで過ごせるように送り出したアルヴァルディの面々。彼らは鳴鳥が作っておいてくれた昼食、ジルベルトが食した弁当と同じおかずやおにぎりを美味しく頂き、そして食後のコーヒータイムをまったりと過ごしていた。
「はぁ~…。今頃船長はナトリさんと楽しく過ごしているんっスよね」
机に突っ伏しているコンラードは盛大な溜息を吐きながら未練たらたらに呟く。彼も今回の作戦に同意し、僅かながら協力もしたのだが、やはり鳴鳥に対する想いはまだあるようで、手放しで祝福は出来ないようだ。未だ腐っている彼を慰めようとマリアンはわしわしと彼の頭を撫でつけるが、それはペットの犬を撫でるようで、しかも男に撫でつけられても嬉しい筈などない。
「こうなる事は薄々分かっていたでしょうに。今更グチグチ言うなんて男らしくないわよ」
「分かってはいるんっスよ。自分としても二人共大切な人だし、その二人が幸せになるならって思うっス。だけど…だけどあの船長がっスよ?女の子に対する気遣いのきの字も知らなさそうなガサツな性格でナトリさんを幸せにできるか心配なんっスよ」
「それ、アンタにだけは言われたくないだろうけど…」
「…せめてクランドが相手なら、文句は無かったんっスけど…」
「バ、バカっ!何言ってんのよこの子は!」
相も変わらず空気を読まない発言をするコンラードはマリアンに頭を叩かれるが、久城は全く意に介していないようで、寧ろ叩かれたコンラードを気遣っていた。やはり久城の方が優しいのだと主張するコンラードだが、皆は呆れ顔で肩を竦めさせていた。
まったりと、それでもこの船の中心たる人物が居ない食卓は何処か寂しく、皆で送り出したが戻ってくるのが待ち遠しくもある。冷やかすと怒られるのは承知だが、皆にも知れ渡ったという事でジルベルトも諦めがついているだろう。皆それぞれどう声を掛けようかと楽しみにしている中、アルヴァルディに来客を告げる音が鳴った。
「おや…?二人が戻ってくるのには早いと思っていましたが…」
「来客ってこと?誰かが来るなんて聞いていないけど」
どれどれとマリアンはアランが見ていた船外モニターの映像が映し出されたタブレット端末を覗く。そこで何故アランが苦笑いを浮かべていたのかが分かり、マリアンもつられて引きつった笑みを浮かべた。二人の様子に何事かと思ったコンラードは身を乗り出して覗き込み、そしてあわわと恐れをなしたように震える。
訪れたのはピンク色のふわふわとした髪をワンサイドアップにした少女、アリーチェであった。何時もなら周りを振り回す程の元気であって、けれども最近は姿を現さないでいて、皆がその身を案じていたのだが、何の因果か彼女は連絡も無しに今日この場を訪れてしまった。
「まずいっスよ、コレ。修羅場って奴が来ちゃうんじゃ…」
「…バルニエール嬢か」
「体調を崩されていたそうですが、それほど顔色は悪くありませんね」
スティングと久城もその姿を確認し、口々に感想を述べるが、今のところ危機感は抱いていないようだ。一方でコンラードはどうしようかと慌てふためき、マリアンに力尽くで大人しくされてしまう。皆がどうしたものかと目配せし合う中、ここは頼むと目で訴えられたアランが代表となり、応じる事にした。




