第74話 Golden cake & colorful colored paper
どうせ何もできやしない。そう、ジルベルトが言っていた意味がようやく分かった鳴鳥だが、告げられた言葉とそこに込められた想いにはどうしてよいか分からず、固まってしまう。
目の前には今にも泣きだしそうな程に瞳を潤ませたコンラードが居て、顔を真っ赤にした彼は鳴鳥の戸惑いに気づいたようで、慌てながら弁明をする。
植物園から始まり遊園地の観覧車を最後に。コンラードとのお出掛けは忙しなくもあったがそれすらも忘れるほどに楽しく、鳴鳥は十二分に満喫していた。イルミネーションで彩られた園内を見下ろしつつ、今日あった事を楽しく話していた筈だが頂上で空気はガラリと変わり、コンラードは秘めていた想いを鳴鳥に告げた。それは愛の告白で、けれども鳴鳥は彼の気持ちに応えることが出来なかった。
「ご、ごめんなさい…」
「あ、やっぱりそうっスよね。ハハ…っ、分かっていたんっスよ。まぁ俺みたいなのは相応しくないっスよね」
「そ、そんなこと言わないで下さい!コンラードさんは優しくて、一緒に居ると元気になれて…。卑下する事なんてありません…っ!」
「…ナトリさんにそう言って貰えるのは嬉しいっス。だけど…やっぱり自分じゃ駄目っスよね。あー…、そもそもこうやってウジウジしているのが男らしくないっス」
どんよりとした重苦しい空気を纏い、肩を落としていたコンラード。彼にどう声を掛けて良いのか悩む鳴鳥であったが、今は何を言おうと気休めしかならず、それどころか逆に彼を傷つけてしまいかねないと思い至り、何も声を掛けられずにいた。
このまま暗い雰囲気でゴンドラが地上に降りるまで過ごすのかと思われたが、意外にもコンラードは立ち直りが早かった。彼は俯いていたのをがばっと勢いよく頭を上げて真剣な眼差しを鳴鳥へと向ける。
「ナ、ナトリさんも片思い、なんっスよね」
「え…?」
「ほら、軍学校まで見送った時に、その…せ、船長にききき…キスしていたじゃないっスか」
「あ、アレは…その…っ」
「だ、だとしたら、まだ俺にもチャンスが…」
「えっと…その…それは…。…ごめんなさい」
申し訳なさそうに再度頭を下げる鳴鳥。僅かな希望から一転して絶望の淵に落とされたコンラードはそれでも何とかしがみ付き、諦めようとはしない。彼は想い続けるならば構わないかと言いたげだが、顔を赤らめどうしたものかと戸惑う鳴鳥に嫌な予感を過らせ、恐る恐る確かめるように問い質す。
「まさか…もう誰かと付き合っているとか…?」
「…っ!」
「そうなんっスね…。それって、軍学校の同級生とかっスか?」
「…いいえ」
「まさか…っ!クランドって訳じゃ…!」
「く、久城センパイは違います…!」
「そんな…いや、あり得ないとは思うんっスけど。船長なんて事は―――」
「………うぅ」
「え…」
嘘は付けない性格のせいか、その人物を出された途端に鳴鳥はあからさまに動揺して言葉を詰まらせる。慌てて誤魔化そうとするも時は既に遅く、全てを悟ったコンラードは石化したように固まり、鳴鳥の弁明が届いていないようだった。
「コ、コンラードさん…?」
「よ、良かったっスね。うん、良かったじゃないっスか。…はは、最初から望みは無かったってことっスか」
「コンラードさん…」
「何か水を差したようで申し訳ないっス。あ、船長との事は皆には内緒っスよね。大丈夫っス。こう見えても口は堅い方なので―――」
暫し硬直し、現実逃避をしていたコンラードであったが、悲しそうにしている鳴鳥の姿には耐えられなかったのだろう。正気を取り戻した彼は自分にできる事を、鳴鳥を悲しませたりしないように陽気に振る舞い、暗くなった雰囲気を変えようとする。けれどもそれは空元気で、逆に痛々しくもあるが、彼の気持ちを汲んだ鳴鳥は笑みを返し、彼に合わせるように努めて明るく振る舞った。
第74話 Golden cake & colorful colored paper
「―――と言う訳で、その…すみません…」
コンラードとのデートを終えてアルヴァルディに帰ってきた鳴鳥。ここ何日かの日課のように、夕食と後片付けを終えて身支度を整えた後にジルベルトの部屋へとお邪魔になるが、彼女は飲み物を用意してソファーに座ってすぐ、今日あった事よりも先に二人の仲をコンラードに明かしてしまったと謝る。
「…まぁそういった状況なら致し方ないな」
難しい顔をしていたジルベルトだが、済んでしまった事は仕方がないと鳴鳥を責めはしなかった。それよりも彼が気に掛かるのはコンラードの方で、彼が口を滑らせてしまわないかどうかが心配らしい。
「皆さんには黙っていてくれると言っていましたが…」
「奴の口の軽さを知らない訳ではないだろう?」
「そ、それは…」
ジルベルトの言う通り、コンラードは時折…と言うよりも度々口を滑らせてしまう事があり、その都度マリアンから制裁を受けるのだが、全く学習していないようで同じことを繰り返している。普段なら空気を読まない発言程度で、マリアンが窘める事により笑い話として済まされてしまうが、ジルベルトにとっては今回の件を笑い事で済ませられない。
なんにせよ今となっては後の祭りで、どうする事も出来ない。取り敢えず明日にでもコンラードを呼び出して釘をさしておくかとジルベルトは内心結論付け、鳴鳥の身を引き寄せようと肩に手を伸ばしかけた。
「…どうした?元気が無いようだな」
「…あ、えっと、…すみません」
「謝ることは無い。今日はこういう気分じゃないか?」
「ち、違うんです。その…やっぱり、気持ちに応えられずにお断りするのは慣れなくて…」
「だが致し方ないことだ。それに、変に期待を持たせるよりはキッパリと断った方が当人の為であって、お前が心を痛める事はない」
「そう…ですかね」
「アイツもお前が気に病んでくれるなら十分だろうし、いつまでもそんな顔をしているのは望まないだろう」
「そう…だと良いのですが」
悲しい気持ちは思いを受け入れて貰えなかった者だというのに、断った側の自分がこうして思い悩むのも失礼ではないか。そう思いもする鳴鳥だが、あの今にも崩れてしまいそうな弱弱しい笑顔は胸に突き刺さり、いつまでもモヤモヤと霞みがかったように胸の奥で渦巻く。相手がいつも一生懸命で、優しくて明るくて、純朴なコンラードだからこそ罪悪感は強いのだろう。
まだ思い悩んでいる鳴鳥の頭を優しく撫でるジルベルトであったが、彼女の言葉を思い返し、ピタリと手を止めてしまう。まだ上の空である鳴鳥はジルベルトの異変に気づいていなかったが、低い声が降ってきてハッとし、どうしたのかと振り返る。するとそこには笑みを讃えてはいるがどこかぎこちなさを感じるジルベルトの顔があって、何故だか身を引いてしまうくらいに嫌な予感を覚えた。
「慣れないってのはどういう事だ、ナトリ?」
「え…、えっと、それはその…」
「前にもあったのか?誰かに告られて断るって事が」
「…あ、ありましたけど。も、勿論その都度丁寧に断りましたよ?」
「都度…?おい、一体何人に言い寄られたんだ?それはどこの馬の骨だ?」
「う、馬の骨って…。軍学校での事だったのでジルベルトさんは知らない方だと思います。それから、人数は…その…自分でも信じられなかったのですが、10人程で…」
「じゅ、10人もか…!?」
それ程とは夢にも思わなかったのだろう。驚いたジルベルトはまじまじと鳴鳥の姿を見て、小首を傾げて危機感を覚えていない彼女の様子に深い溜息を吐く。
恋人同士になれば他の男に掻っ攫われる心配などいらないと思っていたジルベルトだが、それを明かしていないとこの先も鳴鳥は告白を受けて断り続け、その度に心を痛めるだろう。からかわれるのも癪だが、こうして鳴鳥が思い悩んでいる姿を見れば申し訳なく思い、告白を断る事で無用なトラブルに巻き込まれないかが心配になる。
「それだけいれば中には面倒な奴も居たんじゃないのか?」
「それは大丈夫です!メリエルとマイアが居てくれたので何とかなりました」
「…あぁ、あの威勢のいい奴らだな」
この間の事を思い出したのだろう。ジルベルトは心底ウンザリとしたように項垂れていたが、彼女らが鳴鳥の友人だという事を思い出したようで、良い親友を持ったなと言いつつ頭をポンポンと撫でるが、複雑そうな顔をしていた。そこでまだキチンと二人の非礼を詫びていなかったと鳴鳥は思い出し謝ろうとするが、鳴鳥の事を想っての行動なのだからとジルベルトはアッサリと許した。
「まぁ学生なら仕方がないか…。俺はてっきりクランド辺りだと…―――」
「…ゲホゴホ…っ!」
「お、おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です…っ」
飲みかけていた紅茶にむせ返った鳴鳥を心配するジルベルトだが、その様子で自分の予測も間違っていなかったのだと確信を得る。ソーサーにティーカップを置いて一呼吸置いた鳴鳥はジルベルトの問いたげな瞳と視線が合い、逸らせなくなり、少しずつ逃れるように目線を外しながら久城との事を打ち明けた。
「―――キチンと断ったって事だな」
「えっと…久城センパイは私がジルベルトさんの事を想い続けていても構わないって言って下さって、自分も諦めないからと…」
「…諦めの悪い奴め」
「で、でも、そのお蔭で私は諦めずにジルベルトさんの事を想い続けることが出来たので、久城センパイには感謝しきれない程で…」
「やはり明後日には何か手を打たなくては―――」
「ジ、ジルベルトさん?!」
「…冗談だ」
「…冗談じゃないですよね。冗談じゃないなら目を合わせられますよね?」
フイと顔を逸らして目線を合わせようとしないジルベルト。また、マリアンの時と同様に何か企んでいるのではと探るように鳴鳥はジッとね彼をめつけるが、程なくしてその大人気なさに溜息を洩らした。するとジルベルトも何やら不満なのか、舌打ちをした後少々強引に、腰に手を回して引き寄せ、鳴鳥の頭に頬ずりをする。
「俺は心配しているんだが?」
「久城センパイなら大丈夫ですよ?」
「はぁ…。ったく、その無防備な所が心配なんだがな」
「久城センパイの事、信頼していないんですか?」
「…任務とか、戦力としては、まぁ信頼している。だが、お前の事に関しちゃ奴は人が変わるからな」
「そう…なんですか…?私には違いがよく分かりませんが」
「そりゃもう真っ黒な奴の本性がな、お前の前以外ではちょくちょく出てくるんだ。あの笑顔に騙されるんじゃねぇぞ」
「そんなまさか~」
これだけ言っても久城に対する警戒心がゼロな鳴鳥に対しジルベルトは不満げで、何を思ったのか首筋に顔を埋めてこようとし、思わず鳴鳥は飛び退くように身を捩って彼の腕から逃れようとする。真っ赤に頬を染めた鳴鳥は酸欠の魚のように口をパクパクと開閉し、抗議にならない言葉を唸っていたが、ジルベルトは全く悪びれた様子もなく残念だと言いながら笑う。
「な、何をしようとしたんですかぁ…?!」
「いや、跡を残しておけば良いかと思ってだな」
「それってキスマークっ…!明日はスティングさん宅にお邪魔するんですよ!久城センパイとは明後日で―――」
「ああ、悪い。それじゃあ明日の夜に」
「あ、明日の夜でも駄目です!」
「…ケチ臭い事を言うなよ」
「ケチだなんて…!これはジルベルトさんの事を想って―――…あっ」
口にしてはいけない事を。そう気づいた時には遅く、慌てて手で口を覆っても間に合わなかった。申し訳なさそうに伏せられた目線。本当はこの様な顔をさせたくないのだが、相手を思うが故に心配になり、つい口を挟んで、ブレーキを掛けてしまう。当人の事は当人が一番分かっているというのにこうして鳴鳥は拒んでしまい、どちらが過保護なのか分からなくなってしまった。
「悪さが過ぎたな。…すまない」
「いえ…!そんなことは無いです。ジルベルトさんの気持ちは凄く嬉しくて…っ。でも、何処までが許されて、何処からが駄目なのか分からなくて…。余計な口出しをしたようで…こちらこそ、すみません…っ」
「お前が謝ることは無い。そうだな…、不安にさせた俺が悪い。だが、そんなに心配はしないでくれ。俺は平気だから。お前を悲しませるような真似は絶対にしないから…と言っても、そう簡単には信じられないよな」
自嘲気味に笑う姿はか細く見えて、自分では支えになれないと知っていても放っては置けない。今にも涙が溢れそうで、泣いている所を見られないようにソファーに膝立ちになった鳴鳥はジルベルトの肩に腕を回して顔を埋めた。優しく背を撫でる大きな手が心地よくて、抑えていた想いは溢れだして、嗚咽を漏らしながら鳴鳥は伝える。
「信じています…。だけど、ジルベルトさんが…私の事を心配してくれているのと同じで…っ、私も、ジルベルトさんの事が大事だから…っ」
「そうだな…。少し互いに気を張り過ぎたか…。全く、お前はともかく俺はいい歳なのに情けないな」
「そんな事…っ、無いですよ?…想ってくれているのは嬉しいです…」
「俺も…。情けなくもあるが、こうして想って貰えるのは存外悪くない」
嫉妬や心配は想うが故の感情で、それらを受け入れて二人はまた互いを知り、想いを深めていく。互いの想いを再確認した夜は更けて行き、別れの時間は訪れるが抱いていた不安は薄れつつあった。
先進的な建物がひしめくアストリアの中で緑溢れる区画、そこは獣人種などの生活に考慮された特区であった。その中の赤い屋根瓦でレンガ造りの家にはスティングの家族が家主と客人を待っていた。
アルヴァルディに鳴鳥が戻ってきて四日目。本日はスティングと共に彼のお宅にお邪魔する事になっていた。
コンラードの気持ちに応えられず、彼を傷つけてしまった事を申し訳なく感じて気持ちを沈ませていた鳴鳥であったが、温かく出迎えてくれたサンドラや子ども達を前に落ち込んでなどいられなかった。
「これでこう…。そうそう、そこを折って…」
「できた…!」「オレも!」「あたしもー!」
午前中は広い芝生の庭でボール遊びを。午後からはリビングで折り紙を。鳴鳥を中心としてシルビアとセリムとソニアが卓を囲み、カラフルな折り紙で鶴や風船や船などを作る。ソファーに腰かけていたスティングは折り紙が物珍しいのか、大きな手で慎重に折り鶴を持ち、目を細めて感心していた。
「ねぇ、他には何が折れる?」「オレは飛行機が良い!」「あたしはお花!」
「それじゃあ順番にね…―――」
「はーい、そろそろおやつの時間よ。皆、手を洗って来て」
「「「はーい!」」」
次の折り紙を折りかけた所でサンドラから声が掛かる。お茶の準備も昼食も鳴鳥は手伝おうと名乗り出たが、今日はお客様なのだからとサンドラに言われ、こうして子ども達と遊んでいた。
おやつの時間に出されたのは紅茶とフルーツケーキで、しっとりとした生地の中には沢山のドライフルーツとナッツが散りばめられていた。
「ナトリちゃん、お酒が効いたのは大丈夫かしら?」
「あ、はい」
「それじゃあ食べ比べで一切れずつにしましょうか」
「ありがとうございます…!」
白地に青色の小花が描かれた皿に乗せられたフルーツケーキ。まずはお酒の効いていない子ども達も食べているケーキを鳴鳥は一口分口に運ぶ。香ばしいナッツと甘くシロップ漬けされた酸味の効いたフルーツ、それらを一纏めにするしっとりとした生地。サンドラの作るケーキは味だけでなく、心まで満たされるような温かいものだった。
お酒が効いていない方のフルーツケーキを味わい、間に紅茶を挟んでお酒の効いた方を楽しむ。こちらは大人の味といった所だろうか、果物からは薫り高いラム酒が鼻の奥を突き抜け、その味わいはまた格別であり、少し材料が違うだけで全く別のテイストが楽しめる。
「どちらも凄く美味しいです…!あの…、もしよかったら後でレシピを…」
「ふふ、気に入ってくれて何よりだわ。そうだ…!夕飯までまだ時間があるから、これから一緒に作りましょうか」
「え、良いんですか?」
「作りながらの方が覚えやすいでしょうし」
「えぇ!?折り紙の続きは?」「そうだよ、まだ途中ー」「まだ遊ぶの!」
「はいはい。ナトリちゃんはモテモテね。ねぇアナタ、子ども達を頼めるかしら?」
「ウム。任せておけ」
「父様じゃ折り紙は出来ないでしょう?」「そうだよ、父様は不器用だし」「ぶきっちょー!」
「…」
散々な言われ様でも本当の事を言われているから怒れないのか、申し訳なさそうに肩を竦めさせたスティング。サンドラは子ども達を彼に任せればよいというが、まだ遊び足りなさそうな子ども達の落胆した姿を見ると鳴鳥は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「そ、それじゃあ皆でケーキを作るっていうのはどうでしょうか?」
「私達も?」「ケーキを…」「作る…っ!」
女の子はやはり料理に興味があるのか、シルビアとソニアは既に張り切っており、エプロンを用意しだそうとする。一方でセリムはいまいち乗り気で無いようで、それでも皆がもうやる気なようで不満を言い出せずにいる。そんな様子に気づいてか、鳴鳥はセリムにもしよかったらと一つの提案をした。
「折り紙の続きはケーキを焼いている間にどうかな?」
「…うん!絶対だよ」
そう約束するとセリムはパッと表情を明るくする。これで話は纏まったと鳴鳥とスティングはホッと胸を撫で下ろし、サンドラは子ども達にエプロンを身に着けさせ、手を洗うようにと言った。
最初はまだどこか不満げであったセリムだが、何かを作るというのは思いのほか楽しいのか、上手に卵を割れたりしてサンドラに褒められると嬉しそうに顔を綻ばせ、やる気を出して進んで手伝おうとする。
鳴鳥と子ども達とサンドラとで楽しみながら作ったフルーツケーキ。オーブンの中でゆっくりと膨らみ、甘い香りと共に黄金色に焼けていくのを、子ども達はわくわくと期待しながら見ている。
「セリム?折り紙はもうよかったのかしら?」
「うん!ちゃんと焼けるかが気になるから後で良いよ」
「全くもう…。ごめんね、ナトリちゃん」
「いえ、良いんです。やっぱりちゃんと焼けるかは気になりますよね」
後片付けを手伝い終えた鳴鳥はサンドラが取り掛かった夕飯の手伝いも進み出て今では包丁を巧みに扱い野菜を刻んでいた。サンドラほどではないが、鮮やかな手さばきに子ども達は興味津々なのだろう。オーブンの窓に張り付いていたのが離れ、今度は夕飯の手伝いもしたいと手を上げる。何時もとは違う子ども達の様子にサンドラはやれやれと呆れ果て、困ったように笑っていた。
「どうしたのかしら、何時もならこんなに積極的に手伝わないのに。ナトリちゃんのお蔭かしら?」
「え?!そんな事は無いと思いますけど…」
「何にせよ、ナトリちゃんは良いお嫁さんになりそうね。子どもの扱いにも慣れているし」
冗談ではないが、サンドラが軽くそう言った瞬間、ボンと火を噴いたように鳴鳥は顔を真っ赤にし手にしていた芋を落としそうになる。その様子を見ていた皆はニヤッとした底意地の悪い笑みを浮かべ、探りを入れようとした。
「もしかして、ナトリお姉ちゃんは結婚したい人が居るの?」
「ふへっ!?シルビアちゃん、そんな人は居ないよ?」
「何かあやしいよ、ナトリお姉さん」
「セリム君…っ、違うからね!そんな人は居ないから…っ」
「お顔まっかっか!」
「ソニアちゃんまで…っ」
子ども達にからかわれてしどろもどろになる鳴鳥。それですべてを悟ったのだろう。サンドラはウンウンと頷きながら微笑み、ソファーでくつろいでいたスティングも口端を緩めて目を細める。
鳴鳥が良い嫁になると誰かから言われたのは今回が初めてではない。今回は以前より動揺してしまったのは今現在そうなりたい相手がいるからであって、その者の姿を思い浮かべてしまった鳴鳥は思い切り動揺してしまった訳である。皆に囃し立てられて恥じらう所だが、よくよく考えてみればそれは夢のまた夢の話で、そう簡単にはそこまで辿り着けないと思い至り、そのお蔭で何とか落ち着きを取り戻せたが、少しだけ胸が痛んだ。
サンドラと鳴鳥の得意な手料理が並べられた食卓。子ども達がはしゃぎ、とても賑やかな夕飯はふと過った暗い気持ちを晴らし、その温かな料理は不安を忘れさせる事となる。美味しく楽しい夕食後には子ども達と作ったフルーツケーキを味わい、再びその味に唸り、皆で顔を綻ばせた。
食後に鳴鳥とサンドラで後片付けをしている間に子ども達はスティングと共にお風呂へ。湯上り後には片付けも終わり、鳴鳥は再び子ども達と折り紙の続きをするが、程なくしてソニアの目がトロンと微睡み始める。それでもまだ遊びたいのだろう。ソニアは目をゴシゴシと擦って一生懸命に色紙を折るが、折り目には段々とズレが目立ち始める。
「さぁ、そろそろ休む時間にしましょうか」
「かあさま…もう少しだけ…」
「はいはい、また今度ね」
シルビアとセリムはまだ大丈夫だと言っていたが、朝から遊び尽して疲れは溜まっているのだろう。サンドラに言いくるめられ、不満もあるようだが何とか納得したようだ。ソニアは既にスティングの腕の中で安らかな寝息を立てており、シルビアとセリムはまた絶対に遊びに来てねと鳴鳥に言い、寝室に向かう。
子ども達を部屋に運んで寝かしつけた後、サンドラは今日のお礼と共に別れが残念であると言う。
「泊まって行ってくれても構わないのにね」
「いや、引き留めるのは良くない」
「あら、どうして?」
サンドラの言葉を否定したのはスティングで、彼は決して泊まらせたくは無いという訳ではなく、寧ろ彼も泊まって行ってくれるのは大歓迎なのだがと言い、けれどもそうなると困る者が居ると付け加えた。
「えっと、それは…」
「ああ、成程ね。そうだわ、若い子の邪魔をしちゃ悪いわよね」
「ナトリは若いが、もう一人はな…」
スティングとサンドラは目配せをして笑いあう。未だスティングの言う意味が分からない鳴鳥は小首を傾げていたが、サンドラからまた是非遊びに来てほしいと言われ、喜んで頷きまた必ずと約束をした。
「家の事は頼んだぞ」
「はいはい。任せて頂戴」
鳴鳥を助手席に乗せ、スティングは運転手の席に着く。また暫くアルヴァルディでの待機となる為、彼も家族と別れなくてはならない。窓を開けたスティングはサンドラと別れの挨拶をしていたが、最後にサンドラが彼の頬に唇を寄せる。すぐ隣には鳴鳥が居て照れくさくもあるのか、彼は咳払いをして直ぐに発進させる。二人の仲睦まじさは以前見た時とは変わらず羨ましく思う所だが、そう考えていたのを悟られたのだろう。スティングは口端を緩め、いずれはお前も家庭を持てばと言う。それは先程の、子ども達が囃し立てた続きだと思い、鳴鳥は慌てて否定をするために捲し立てた。
「べ、別に、先ほど言った通り、今はそういった相手がいませんからね!」
「…まぁそういう事にしておこう」
キチンと伝わっていないような。スティングは珍しく抑えているが声を出して笑っていて、鳴鳥の言葉を信じてはいないようであった。これ以上否定してしまえば逆にボロが出そうで、今以上に疑われかねない。そう判断した鳴鳥は溜息を吐きつつ肩を落とし、それ以上否定はしなかった。
スティングが走らせる車は夜も更け閑散とした住宅街を抜けて市街地へ、アルヴァルディが収容されているドックを目指す。流れる夜景は綺麗で、思わず見とれていた鳴鳥だが、不意にスティングが小さく呟いた言葉にまたもや首を傾げる。
「…船長の事、頼んだぞ」
「え…?スティングさん、今何か言いましたか?すみません、聞き取れなくて…」
「いや、気にするな。…独り言だ」
「そう…ですか…」
竜人種である彼は厳つい顔である。けれどもその時は口端を緩めて目を細め優しい顔に、大切な子ども達を見守る父親のような顔であったが、鳴鳥は彼をそのような表情にさせた理由に思い至らなかった。
アルヴァルディに戻り、入浴を済ませ、後は寝るだけとなった鳴鳥は寝間着に上着を羽織り、スティング宅で作ったラッピングされたフルーツケーキを持ち、ジルベルトの部屋へと向かう。以前言われた通り、インターフォンを押さずに入ろうとするが、扉が開いた途端、部屋から黙々と煙が湧き出し、むせ返りそうになったところで腕を引っ張られ、室内に引き込まれる。
「ジ、ジルベルトさん…っ、ケホケホっ…、これは一体何なんですか?!」
「おお悪い悪い、換気が足りなかったか」
煙る室内をむせ返りながら目を凝らす。するとそこにはテーブルの上に山盛りの吸い殻があって、たった今までジルベルトが煙草を吸い、換気をロクにしていなかった事が分かる。何時もの彼なら女性や子どもの前では吸うのを控え、キチンと換気を済ませて鳴鳥を出迎える。衣服に染みついた匂いはそのままだったが、ジルベルトの吸うメンソールの煙草はそれ程嫌な香りではなく、寧ろ彼の匂いを嗅ぐと落ち着きもした。けれども部屋に充満するほどとなると息苦しく、涙目でどういう事かと訴えざるを得ない。
換気を済ませ、ようやく呼吸がしやすくなった頃、鳴鳥が問いかける前にジルベルトが頭を下げて謝る。
「…悪かった。少々やり過ぎた」
「いえ、嗜好品ですから、私が咎めるのもなんですが、どうしたんですか?何時もなら―――」
「今日は特別にだな。だが、ここまでお前が苦しむとは思わなかった。悪いな」
「…いえ、いつも気を遣って、私の前では控えてくれているので」
「…すまない」
そう言いながらジルベルトは鳴鳥の頭を撫でつけ、そのまま自分の胸元に引き寄せ抱きかかえたままゆっくりとソファーに腰を下ろす。彼の開かれた膝と膝の間に鳴鳥は膝立ちになるが、ジルベルトは彼女の肩を掴み、膝を抱え自分の膝上に座らせる。重くは無いかと戸惑う鳴鳥に対し、首を横に振った彼はもう一度、先程より強く抱きしめ、顔を肩に埋めた。また昨夜のように首筋に跡を残そうとするかと思われたが、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐだけに留めている。
「え、えっと、ジルベルトさん?も、もしかして変な匂いがしますか?」
「いや、花のような香りで…良い匂いだ」
「えと、シャンプーの香りですね。この間マリアンさんと出掛けた時に買ったもので、お薦めの品なんです。良い香りだと、私も思います」
「…これじゃ煙草の匂いは染みつかないか」
「…へ?…ジルベルトさん、今なんて―――」
煙草の香りで出迎えた理由。それはどうやら明日に備えての策らしく、それは動物が自分の縄張りだと主張する為のマーキングのようで、鳴鳥は盛大な溜息を吐いた。




