第65話 Dyed red. Separation comes
幾多の障害を乗り越えて結ばれた二人。ソフィーリヤとジルベルトは彼が正規軍人になる前に、離ればなれになってしまう前に二人きりで小旅行に来ていた。
初めて一緒に迎える夜、それはジルベルトの宣言通りで、ソフィーリヤは彼に翻弄される事となる。痛いくらいに鼓動は早まるが、決して辛くは無く、寧ろこうして触れ合っている時がずっと続けばと切に願った。
いつの間にかソフィーリヤは意識を手放したようであったが、彼女が眠りについたのは明け方近くで、目覚めた時にはさほど時間が経っていなかった。
カーテンの隙間からは陽の光が差し込み、その眩しさで目が覚め、隣には寝息を立てる愛おしい人が居て―――。そのような甘い幻想を抱いていたが、現実は非情であった。
ソフィーリヤが目覚めた理由。それは痛みによるもので、身体全体が気怠い事すらも忘れさせるような痛みがソフィーリヤを襲った。
「な…に。これ…」
その耐え難い痛みは右目から感じられた。痛みにばかり囚われていて気が付かなかったが、視界もいつもより狭く、右目からは涙とは違う液体が伝うのを感じられた。恐る恐る手を伸ばし触れた感触。それはぬらっとしたもので、掌にべったりと付いたのは鮮やかな赤色であった。
第65話 Dyed red. Separation comes
何が起きているのか、気が動転した状態では把握できず、ソフィーリヤはただ言葉にならないうわ言を漏らすだけで居た。
「…に…ろ…」
「…ジル…?…どこ…」
目覚める前までは隣に居た者、ジルベルトの姿は寝台に無い。微かに聞こえた弱弱しい声。それはまだ薄明りしか差し込んでない室内の隅、暗がりから発せられていた。
近づいては駄目だと本能が告げているが、愛しく想う者の姿を確認したい。その気持ちで痛みすらも乗り越えられ、ソフィーリヤはゆっくりと歩み寄ることが出来た。けれどもジルベルトは先程よりも大きな声で怒鳴り散らす。それは決して相手を傷つけるような言葉ではなくて、寧ろソフィーリヤの事を想って叫んでいた。
「逃げて…くれ」
「ジル…!?ジル、どうしたの―――」
寝台にも紅い跡が残っていたが、それは床にも、そしてジルベルトの傍にも点々と広がっていた。おびただしい量の血液は自分だけのものでは無いと気付いていたが、ジルベルトの姿を見たソフィーリヤは言葉を失った。
うずくまった彼は至る所に傷を負っていた。けれども一番に目が行くのは彼の右手で、掌はナイフで突き刺され、刃先は床へと深く刺さっている。一体誰がこんな事をと犯人を捜すが、室内には他の者の気配が無い。ならばどうしてこんな事に。まともに働かない頭で状況を整理しようとするが、思考は追いつかない。
「頼む…今すぐ…逃げて…くれ」
「どうして…。ジル、これは一体…」
苦しそうにもがきながら、ジルベルトは震える左手で鋭いピック状のナイフを自らの右腕に刺した。彼は心配を掛けまいと、痛みに喘ぐのをグッと堪えている。何故彼がそのような事をする必要があるのか、ますます訳が分からなくなり、彼の忠告は耳に入らなかった。
苦しんでいるのならば助ける。当たり前のようにソフィーリヤは傍に寄ろうとするが、その想いは届かないどころか、聞き入れてすら貰えないようで、それ以上近づくなとジルベルトは怒鳴り散らした。
「段々…痛みにも慣れてきた…っ。もう…抑えられそうに…ない…っ」
その時、初めて彼と視線が合い、初めて底知れぬ恐怖を感じ取った。あの時の、陥れられ、幻覚を見せる胞子を吸い込み自我を失ったジルベルトが見せた姿と似ているようだが、今回はそれ以上に、背筋が凍る程の恐ろしいものを光が失われた瞳から感じ取った。
「あぁ……。こんな事って…っ」
彼が彼でないような、別の誰かになってしまったかのような。その感覚は意識を手放す前の記憶を呼び起こした。
今朝、ソフィーリヤが目覚めたのは二度目で、一度目に目覚めた時、彼女はこのジルベルトの姿を目の当たりにしていた。そして彼はその手でソフィーリヤの右目を―――。
全てを思い出した瞬間、思わず後ずさってしまった。その時のジルベルトの表情は距離が取れた事を安堵しているようで、けれども心の底からは望んでいないのか、悲しげなものであった。彼は助けを求めていたにもかかわらず、恐怖に押し潰されたソフィーリヤはその場から逃げだした。
あの時に、踏みとどまっていれさえすれば。その後、何度も悔やんだが、今になって思い返せば、その時のソフィーリヤには呼び出したARKHEDのコックピットでただ一人、震えているしかできなかった。
「その後、クヴァルが助けに来てくれて、何とかなったんだけど、それっきり、私とジルは顔を合わせる事が無かったの」
事件後、直ぐにソフィーリヤはジルベルトが収容された施設へと向かったが、会う事は叶わなかった。被害者である当人が幾ら擁護しようとも、誰にも聞き入れて貰えなかったのは、ソフィーリヤが右目を失ってしまったからだろう。彼女の父、グェンダルに至ってはジルベルトに重い処分を下させようと画策していたが、ソフィーリヤが必死に願う事で何とか思い止まらせた。
ジルベルトは軍学校卒業後、ARKHEDの搭乗者として前線に赴くことの多い部隊へと配属が決まっていた。最前線で戦うなど、一見すると新兵には過酷なようだが、ARKHEDの力さえあればどうという事も無い。彼にとって決して悪くは無い待遇であったが、事件後、処罰の名目で彼の配属先は特務部へと変わった。戦場に立つよりも更に過酷な任務もある特務部。不死の彼にとってはそれすらも気に留めるような事ではないのだが、アストリアに滞在する事が少ない部隊であり、完全にソフィーリヤと引き離された形となった。
「そして、ついこの間、10年ぶりに再会したんだけど、時間って不思議よね。ジルと別れた後、何も手に着かない状態だったのに、歳を重ねれば重ねるほど、思い出となっていて、自分の中で折り合いをつけてしまう」
「でも…だとしたら、ソフィーリヤさんは今でも…」
「大丈夫よ。さっき言ったでしょう?今は何とも思っていないって。あの時逃げた私にはそもそも想い続ける資格なんかなかった。それなのに、最近まで、諦めつつも引きずっていた事は否定できないけど」
「ジルベルトさんも、きっと今でも…変わらぬ想いがあったんじゃ…」
「それは無いわ。もしそうだとして、僅かながらでも気持ちが残っていたとしても、それは負い目からくるもので、あの頃とは違う。…ううん。もしかすると、私と付き合っていた時も、仕方なく、だったのかも」
ソフィーリヤは自嘲気味にそう言うが、決して、望んで離ればなれになった訳ではないという事が分かる。彼女から過去を明かして貰い、その気持ちに触れ、気丈に振る舞う姿を見て、鳴鳥の頬には大粒の涙がこぼれ出した。ごめんなさいと謝りつつ涙を拭うが、次から次へと止めどなく流れ落ち、収拾がつかなくなる。
「優しいのね。他の者の為に涙を流せるなんて」
「だって…。こんな結末…っ、悲し過ぎます…っ!」
「ありがとう…。そう思ってくれるだけで嬉しいわ。ふふ、あの時貴女が居てくれたら、どんなに心強かったか。あの時は誰一人として、私の想いを理解してくれる人は居なかった。それが今になって、こうして気持ちを分かってくれる人が居るなんて、皮肉なものよね」
「ソフィーリヤ…さん…」
「でも、もしあの時に貴女が居たら、ジルが選んだのは―――」
ソフィーリヤはフッと微笑み、思い浮かべる。自分がかつて愛した者、そして隣に居るべき者の姿を。それは自分ではなく、朗らかに笑う少女の姿であった。
この任務の前に、ソフィーリヤはジルベルトと顔を合わせていた。その時の姿は呆れるほどに分かり易く、自分がかつてこの者を愛していたなど恥ずかしくも思う程の腑抜け面であった。皆まで言わずとも察したソフィーリヤはどうにかしてあげたいと思う一方で、皆まで明かすなど不粋な真似はしない。仮に鳴鳥が彼の真意を知ったとしても、その先に待つのは過酷な道で、他の者が踏み込める領域ではない。それでも最後に、自分の為に泣いてくれた鳴鳥の為に、ソフィーリヤは助言をする。それは不安だった鳴鳥の気持ちを晴らすものとなった。
「そう言えば、ジルは貴方に何て言ったのかしら?」
「え…。えっと、確か…、気持ちに応えられないと…」
「…やっぱり。ふふ、彼らしいわね」
「…?」
鳴鳥の言葉にソフィーリヤは納得がいったようで、クスクスと笑っていた。何故彼女がそこまで可笑しそうに笑うのか、まだ理解できていない鳴鳥はキョトンとし、首を傾げていた。
ひとしきり笑ったソフィーリヤは、これから先、鳴鳥が心配などする必要は無いと言い切る。
「貴女なら、きっと大丈夫。だから、彼の事をよろしくね」
「そんな…っ。私には…、私なんかがジルベルトさんの傍に居る事すら、相応しくないのに…」
「何も心配は要らない。それは私が保証するわ」
「…っ、すみません…、私…っ」
ソフィーリヤから託された想い。それは決して軽々しく扱って良いものではなく、背負うには重すぎる。それでも自分の想いを完全には断ち切ることが出来ず、謝罪を述べた。
泣いて、涙を枯れるほど出し切って、しゃくり上げるのも落ち着いて、ようやく気持ちが凪いだ時、タイミングが良いのか悪いのか、交代の時間だと教官から通信が入ってきた。
「今日は話せて良かったわ。でも、まだまだ話し足りない事もあるから、休暇の予定が合った時、お茶に付き合って貰えるかしら?」
「はい…!是非、お願いします」
「それじゃあ、お休みなさい」
「し、失礼します。それから、あ、あの…!話して下さって、ありがとうございます」
「良いのよ、このくらい。聞いて貰った私もスッキリしたんだから」
最後にもう一度「貴女なら、大丈夫だから」と言ってくれたソフィーリヤ。彼女に再度礼をし、就寝の挨拶を終えた鳴鳥はキャンプ地に戻り、何時もより遅い時間に就寝するのだが、身体は疲れていても中々寝付くことが出来なかった。それは先程聞いた話が忘れられず、考えを巡らせていたからだ。
今でこそ、全てを包み込んでくれるような柔らかな笑みを浮かべているが、ソフィーリヤは凄惨な過去を背負っていた。今、辛い過去を乗り越えて、背中を押してくれる彼女に対して鳴鳥が出来る事。それはまだ思いつかないが、分かった事が幾つかある。その内の一つ、最も気になるのはジルベルトの枷についてだった。
「(もし、そうだとしたら、…あの言葉は)」
ソフィーリヤに確かめる事は躊躇われたが、鳴鳥の考え通りならジルベルトの言葉の意味も変わってくる。そして「大丈夫」だとソフィーリヤは言ったが、果たして自分がその事を受け入れられるのかといったら不安が残る。多くは望まず、ただ傍に居れさえすれば良いとは思うが、きっと物足りなく、もっと先を望んでしまうだろう。なんにせよ、当人に確認をしなくてはならない。
夜は短く、考えて事をしている内にあっという間に過ぎていく。結果として翌日、目の下にクマを作った鳴鳥は、メリエルとマイアに心配をかけ、更にソフィーリヤにも気遣われてしまった。
実地訓練を無事に終えた学生達一行は、学園の所有する船舶で帰路に着く。慣れない野営と短い睡眠時間とで疲れ切っているのか、鳴鳥以外の学生も数名、目の下にクマを作っており、ぐったりとシートに身を預けていた。それはまるで遠足の帰りのバスの様な、懐かしい感覚を感じさせた。
皆がうつらうつらと舟を漕いだり、完全に寝入る者も居る中、鳴鳥の両隣、メリエルとマイアはまだまだ元気で、余裕さえも感じる。聞くところによると、どうやら二人は見張りの任務中にばっちりと眠っていたらしい。
「で、で、どうだったの?元カノとのお話は~」
「え…!?」
右隣に居るメリエルにニマニマしながら問い掛けられ、思わず鳴鳥は驚き声を上げる。慌てて口を手で塞いで周りを見渡すが、鳴鳥の声で目覚めた者は居ないようだ。ホッと胸を撫で下ろしつつ肩を落とすと、どういう事かとメリエルに聞き返した。
何故メリエル達が秘匿回線にしていたソフィーリヤとの会話を知っていたのかというと、そもそもソフィーリヤに声を掛けたのはメリエルだったらしい。よくよく考えればソフィーリヤが過去を語ってくれたのは都合が良すぎていて、成程と納得した鳴鳥だが、いつの間にと呆れもした。それでも今回、ソフィーリヤと話せたのは大きく、これから先の道が開けた気もする。声を潜めて彼女に礼を言った鳴鳥であるが、お礼なら今度の休日に流行りの店の限定スイーツでと言われ、更に脱力した。
「で、何か分かったのかしら?」
「あ…うん。まぁね」
「あら、もしかして、彼はまだ元カノの事を…?」
「そうじゃないよ。そうじゃないんだけど…」
歯切れが悪いことに勘ぐったマイアだが、それは見当違いである。彼女に対し首を振りつつ否定するが、上手く説明は出来ない。鳴鳥が分かった事はまだ未確定で、もしそうだとしたら、それは他の人に気軽に話して良いものでもない。せっかく話す機会を作ってくれて、今も心配してくれているのに答えられない。どう答えるべきか困り果てている所で、マイアは口端を緩めて目を細めた。
「無理はしなくて良いわ。ナトリ、アナタが良い方向へと向けているなら、私は満足よ」
「そうだね。全部上手くいったらの事後報告でも、心の広いあたしは許してあげるよ」
「二人とも…」
「ありがとう」という鳴鳥の言葉にメリエル達はニコッと笑み、メリエルは鳴鳥の肩に頬を寄せ、マイアはよしよしと頭を撫でてくる。二人の優しさと温かさに触れ、鳴鳥は改めて自分が如何に恵まれた場所に居るのかを再確認した。
実地訓練も終え、ソフィーリヤとも話せて、学業だけでなくプライベートな事も進展があり、友人の良さを再確認し、非常に満たされた想いで。まだ不安もあるが希望も見え、これからの事に考えを巡らせていた鳴鳥だが、通路を挟んだ反対側の席からの不機嫌な声を耳にし、現実に引き戻される。
「フン…。上の方々に取り入っている方は余裕で良いですわね」
「はァ!?ちょっと巻き毛!それって誰の事を言っているのよ」
「だ、誰が巻き毛ですってっ!?」
ヴィオレーヌの嫌味に真っ先に噛付いたのはメリエルで、これまで気を遣って小声で話していたのを忘れ、互いにヒートアップする。彼女達の大声で寝入っていた学生の何人かは起こされて不機嫌そうな面をしていたが、声の主がヴィオレーヌとメリエルだと知り、抗議をする事無く、泣き寝入りするしかなく溜息を吐いていた。
二人がぎゃあぎゃあと喚き散らす中でも教官は仲裁に来ない。どうやら運悪く席を外しているようだ。
「ふ、二人とも落ち着いて…」
「なっちんは黙ってて!今日こそこのクソ生意気な巻き毛をぎゃふんと言わせるんだから!」
「そうよ、お黙りなさい!貴女如きがわたくしに指図するなど百万年早くてよ!」
「は…はぁ…」
仲がいいのか悪いのか、仲裁に入った鳴鳥に対して同時に吠える二人。そもそもの切っ掛けはヴィオレーヌが鳴鳥に対して嫌味を言ったというのに、当人は蚊帳の外である。
これまでの鬱憤を晴らすように、互いに暴言で罵り合う姿は強烈で、多くの者達はとばっちりが来ないようにと視線を外している。けれどもヴィオレーヌの取り巻き達は別で、援護射撃のようにメリエルや鳴鳥に対して暴言を浴びせた。
この手の施しようもない状況にどうしたらいいのかオロオロする鳴鳥に対し、これまで静観を保っていたマイアが落ち着かせるようにポンと肩を軽く叩き、前に出た。
「全く、場も弁えず喚き散らすなど、ヴェベール家のお里が知れるわね」
「マイア・マルティノワ…!貴女には関係なくてよ。それに、そもそもそちらの子ネズミが噛付いて来たのが始まりではなくて?」
「関係なくは無いわ。ナトリとメリエルは私の友人よ。その名誉を貶めると言うのならば、黙ってはいられないわ」
「彼女たちが友人?フフ…!笑わせるわね。そのような雑種を友と呼ぶなんて…!」
鳴鳥の期待も虚しく、この場を収めてくれるかと思っていたマイアも参戦し、口論はますます熾烈を極めていく。もはや時間が経つか、教官が戻ってきて鎮火するのを待った方が懸命に思えるのだが、自分のせいでこうなってしまった以上、鳴鳥は放っておくことが出来ない。睨み、いがみ合う者達の前に割って入り、メリエルとマイアを抑えてヴィオレーヌにきっぱりと言い放つ。
「えっと、私に至らぬところがあるのなら、直接言って下さい」
「…至らぬところ?それどころの話ではないわ。貴女、なんの為にこの学園に来たのかしら」
「え…。そ、それは星団連合の正規軍人になる為で…」
「あら、てっきりわたくしは広報部の宣伝活動か、物見遊山に訪れているのかと思いましたわ」
ヴィオレーヌの言葉に彼女の取り巻き達がクスクスと笑う。どうやらヴィオレーヌは実地訓練中に鳴鳥が浮ついた態度でいると指摘したようだが、それは事実無根であるとメリエルが反論する。確かに任務中メリエルやマイアとの秘匿回線を通じて会話をしていたが、それは彼女達に限った事ではない。しかも鳴鳥達は私語をしつつも成果はキッチリと出していた。そもそも文句があるのならなぜ今になって言いだすのか、過去の事をグチグチと蒸し返すなどみっともないとマイアは吐き捨てたが、ヴィオレーヌは何も分かっていないと呆れたように肩を竦めた。
「わたくしが言いたいのは、貴女の様な方が居ると、皆の士気が下がると言いたいの」
「私の、せい…?」
「無自覚だと言うのかしら?白々しい…!」
「すみません、何の事か私には―――」
「本当に、貴女と言う人は…。ここまで言っても分からないなんて、どうかしているのかしら。いいえ、図太い神経では気になさらないのかも知れませんわね」
またもや取り巻き達と共にクスクスと笑うヴィオレーヌ。傍から見てもその態度は感じが悪く、見ていて気持ちの良いものでは無い。周囲は謂われも無いことで責め立てられる鳴鳥を同情する空気に変わりつつあったが、他の者の視線などヴィオレーヌは全く意に介していないようだ。一方彼女の煽りに見事乗せられたのはメリエルとマイアで、鳴鳥は戸惑うばかりである。酷い言われ様であるが、反論する前に鳴鳥はヴィオレーヌの真意を知りたがった。
どれだけ罵ろうとも全く動じない。それどころか原因は自分に在ると自身を責めている鳴鳥に対し、苛立ちを感じ出したのだろう。ヴィオレーヌは嘲笑を止め、スッと鋭い目つきに変わる。それは以前にも感じた敵愾心で、思わず鳴鳥は身を震わせるが、ここで退いてはならないと踏み止まった。
「コネクションでどうにかなるなど、見せつけられて気持ちの良いものでは無いでしょう?そんな事も分からないなんて、世間知らずも甚だしいわ」
「コネ…。それはもしかして…」
夜間の見張り中にソフィーリヤと親しく会話をしていたのを気付かれたのか、そう思い至ったが、ARKHEDからの秘匿回線をARKSが傍受できるはずはない。ならば実地訓練が始まる前と終わりに軽く挨拶を交わした事だろうか。鳴鳥としては普通に挨拶を交わし、長々と話した覚えは無いのだが、他人から見れば最前線に赴くARKHED操縦者から声を掛けて貰う事すら恐れ多い事なのだろう。けれども鳴鳥はかつてソフィーリヤ達と戦地に赴いた事もあり、親しく話していても不思議ではない。そこの所を呆れつつメリエルが代弁するが、ヴィオレーヌはそれこそ目障りだと言い放つ。
「貴女は今、ARKHEDを失ってなんの力も持たない唯の学生なのでしょう?それなのに、何時まで経っても特別扱いじゃ、真面目に学業に励むわたくし達が報われませんわ」
「ハァ!?なにそれ。やっぱりただの言いがかりじゃん。そもそもなっちんがARKHEDを手放したのだって―――」
「メリエル…!」
これまでよりも大きな声を上げてメリエルの発言を遮った鳴鳥。彼女の気持ちを悟ったメリエルがハッとして謝るのは当然だとして、ヴィオレーヌも意表を突かれたようで黙り込む。シンと静まり返る空気の中、この場を収めようと鳴鳥は騒がせたことを謝ろうとするが、その前に横やりが入る。それはガンッと鳴り響いた音で、音の主はヴィオレーヌの席の後ろからだった。座席の背もたれを後ろから蹴り上げたのは銀髪をツンツンと逆立てた男子学生で、制服を着崩し、見るからにガラが悪そうであった。
「さっきから黙って聞いてりゃウゼぇ事をベラベラと…!上に認めたれたきゃあ自分の力でどうにかすればいいだろうが」
「アーノルド・アスフォルム…っ。外野はお黙りなさい!」
「外野じゃねぇだろうが!たった今、お前が自分達を代表して意見を述べたが、その内容がまともじゃねぇからこうして訂正してやってんだ」
ギリリと悔しそうに奥歯を鳴らし、キッとアーノルドを睨み付けるヴィオレーヌ。これまで周りの視線を全く気に留めない彼女であったが、流石にここまで非難の視線を向けられれば居心地が悪いのだろう。けれどもヴィオレーヌは簡単に頭を下げるようなタマではなく、易々と前言を撤回もしない。アーノルドを一瞥し、鳴鳥に睨みを利かせ、またもや難癖を付けようと口を開こうとするが、その瞬間、どよめきが上がって中断させられた。
鳴鳥達の席より前方、進路方向の窓際の席、そこでは窓に張り付き何かを食い入るように見ている学生達が驚き声を上げていた。
「一体、何事ですの…?」
「あれは…っ!」
窓の向こう側、そこには星々と星雲と、稀に小惑星群や貨物船が行き交うだけだったが、今現在、学生達を乗せた船舶のからさほど離れていない場所で浅葱色の光が軌跡を描いていた。それは鳴鳥にとって見覚えのある機体で、もう一機、見慣れぬARKHEDの姿もあった。その二機を追う形である別の二機のARKHEDはこれまた見覚えのある機体で、金色と銀色の軌跡を描いている。
「あれはミリアム議長の機体…。なんでこんな所に…、しかも追っているのはデクセスとデクセプ…?」
鳴鳥が思わず呟いてしまった考え。それを聞きつけた周りの者は危機感を煽り立てるよう、各々不安を漏らす。船室は一気に不安に飲み込まれるが、まだどこか、その身にまで危機意識を感じ取っていないのか、パニックを起こす者は居ない。それでも、次の瞬間、船体が大きく揺れた事には誰もが驚いた。
「な、何なのよもー。大丈夫?なっちん、マイマイ」
「私は平気よ」
「私も大丈夫。だけど―――」
大きな揺れは一度で済んだが、程なくして船内の光源が、チカチカと点滅した後にふっと消え、淡いグリーンの非常灯へと切り替わる。そしてけたたましく響くアラート音と緊急を知らせる赤い文字がモニターへと流れた。学生達がどよめく中、席を外していた教官たちが駆け込み、そこでようやく、皆は自分達が置かれている状況を把握し、そしてパニックに陥る。
「総員、脱出艇にて退避せよ!繰り返すが、これは訓練ではない!総員、直ちに退避アナウンスに従い、脱出艇に向かえ!」
教官の命令は場を落ち着かせるどころか、学生達を更に混乱へと導く結果となる。退避訓練は全く行われていなかった訳ではない。だが、緊急時と言うのは人の理性を失わせ、正しい判断が出来なくなり、周りが見えなくなる。我先にと駈け出す者達で出口は詰まり、途中で突き飛ばされてしまう者や、足を絡ませて転倒するものも出て、状況は悪化する。どうにか皆を落ち着かせようと鳴鳥は声を上げるが、聞き入れる者は誰一人として居ない。
「み、皆さん落ち着いて…!」
「なっちん!なにしてるのよ、あたし達も早く避難しなきゃ!」
「私なら大丈夫、だから先に行っていて」
呼びかけが届かないと判断した鳴鳥は、突き飛ばされた者や腰を抜かして立てぬ者達へと手を貸している。教官よりも周りが見えている彼女を目の当たりにしてメリエルも落ち着きを取り戻したのか、やれやれと呆れつつもマイアと共に鳴鳥を手伝うよう、自分達も出遅れた者達へと手を貸す。
「ヴィオレーヌさん、わたくし達も急ぎましょう」
「え、ええ、分かっているわ」
慌てると言うよりも、茫然としていたヴィオレーヌは取り巻きの者達に守られ、悠然と、急くことなく避難経路に進む。
鳴鳥達の尽力もあってか、無事に退避は完了し、彼女達は残された脱出艇に乗り込む。六人乗りの脱出艇には既に三人が各々席に着き、安全ベルトを締めて待っていた。
「我々はARKSにて脱出艇の警護と牽引を行う。だが、万が一離れた場合は―――」
教官のアナウンスが響いたその時、また、ガクンと一際大きな揺れを感じ、やがて小刻みに、ガタガタと振動が始まった。どうやら近くの星に、引力に惹かれて降下しているようだ。普段ならばこれ程衝撃を感じることは無いが、それはこの船舶が損傷しているからだろう。脱出艇でも星への降下は可能だが、着陸した星から飛び立つほどの動力は無い。戦闘が行われている宙域で漂流するのも危険だが、着陸した惑星の環境によっては同等の危険に見舞われる。何にせよ、散り散りにならない為には一刻も早くこの船舶を脱出する事である。次々と射出はされているが、如何せん学生の数は少なくない為、出遅れた者達を乗せた脱出艇は学生達が乗っていた大型船舶と共に、青い星へと引き寄せられた。
「重力、気圧、共に活動範囲をクリア、酸素濃度も…うん、大丈夫」
鳴鳥が乗った脱出艇は蒼い星に着陸した。後進惑星であるこの星は手付かずの自然ばかりで、海は青く、木々も青々と生い茂っている。惑星の環境が人体に危険を及ぼす事が無いとモニターで確認が取れた為、皆は安全ベルトを外し、一息吐いてから外へと踏み出した。
降り立った白い砂浜は裸足で走りたくなるほど美しい。けれども今はそのような状況ではなく、皆の顔色は冴えない。空を見上げると未だ交戦中なのか、薄っすらと光が弾けたり、レーザービームが飛び交うのが見える。
「(ミリアム議長…。一体何が起きているの…)」
あの場に駆けつける力は今の鳴鳥に無い。けれども彼女には、彼女にしかできない事があると気づいていて、直ぐに気持ちを切り替えて皆へと向き直った。




