第64話 Hazy vision
心無い者達によって実地訓練中に陥れられ、危険種の幻覚を見せる胞子に侵され、我を失い襲い掛かってきたジルベルト。彼を救うためにソフィーリヤは決して手に入れてはならない力を得てしまった。
ARKHEDのアームによって拘束されてもなお暴れ続けるジルベルトの頭部をソフィーリヤは抱き、首筋に解毒薬が入った注射器を突き立てる。
「大丈夫…だからっ。私が居るから…っ。だからお願い…目を…覚まして…!」
不死の身体ゆえにジルベルトは薬が効きにくい。今回も例外では無く、解毒薬は直ぐに効果を表さずにジルベルトはもがき続ける。ならばとソフィーリヤは二本目の注射器をポーチから取り出すが、激しく暴れられた衝撃で手から離れ、注射器は手の届かぬ場所へと落ちてしまった。残されたのは錠剤型のもので、ソフィーリヤは迷うことなくそれを口に含み、そして無理やりジルベルトの頭を掴んで、口付けて、薬を流し込んだ。それがソフィーリヤにとっての初めてのキスで、味は苦くて、とてもロマンチックなものでは無かったが、その時の彼女には気にしている余裕は無かった。ただ、大切な者を救いたい。その一心だけで彼女は突き動かされ、衝動的な行動をとる。
第64話 Hazy vision
強い思いが天に届いたのか。やがてジルベルトの抵抗も弱まり、その凶暴さは収まっていく。プツっと糸が切れたかのように力なく身を預けるジルベルト。タガが外れたように暴れていたせいか、人並み以上の力を使っていたようで、幻覚から解放された彼は気を失っているようであった。
「全く、無茶な真似を…」
「クヴァル…」
「それに、君は選んだのだな。禁忌の力を得る事を」
「ええ。でもこれで、私も貴女達と一緒―――…あれ…?」
声を掛けられ、クヴァルへと向き直ったソフィーリヤは違和感を覚えた。それは彼の姿が霞んで見えるからだ。決して涙を浮かべているからではない。目にゴミでも入ってしまったかと軽く擦るが、クヴァルの姿は変わらず霞んで見えた。
「どうかしたのか?」
「う、ううん。何でもないわ…っと」
視界が覚束ないせいか、立ち上がろうとしたソフィーリヤはよろけて倒れそうになる。そこですかさずクヴァルが抱き留めて支えるが、思うように力が入らない事にも気が付いた。
「実地訓練の後にARKHEDに搭乗したんだ。体力や精神力が尽きていてもおかしくは無い」
「ご、ごめんなさい…。って、クヴァル?!何を―――」
一つも表情を変えることなく、涼しい顔でクヴァルは軽々とソフィーリヤを抱え上げ、ARKHEDのコックピットまで運んだ。勿論そのような恥ずかしい行為をソフィーリヤが受け入れる筈も無く、どうにか下して貰おうと抵抗を図るが、力は思うように入らず、ただ喚くことしかできない。
「君にはまだすべき事がある。余計な体力は使わない方が良い」
「そうは言っても…」
「奴をあのままにしておいていいのか?」
「…!そ、そうね。ちょっと気が動転していて頭が回らなかったわ。…助けてくれてありがとう、クヴァル」
その後、ソフィーリヤ機のアームに捕えていたジルベルトはクヴァルの機体の補助席へと移される。無事、ジルベルトを回収することが出来たが、ソフィーリヤの体調は思わしくない。休憩を挟むかとクヴァルに気遣われたが、ソフィーリヤは首を横に振った。
「(どうして…かしら)」
ジルベルトの拘束を解くために握ったハンドグリップ。それを手にした瞬間、驚くように視界はクリアに、ぼやけていたのがくっきりと見えた。どうやら機体を操る間は身体的不調も良くなるらしく、ハンドグリップを離せば元通り、視界は霞んだ。
「(これが私の枷…なのかしら)」
ARKHED契約者は力を得ると同時に対価を、枷を填められる。ソフィーリヤの視覚がおかしくなり始めたのは機体を動かしてからで、原因はそれしか思い当たらない。
力を使い続ければどうなるのか。今ならまだ眼鏡を使えば何とかなりそうではあるが、完全に光を失えば義眼にしなくてはならない。視力の次に何を失うのか。想像すると恐ろしくもあったが、後悔はしたくなかった。これは望んで得た力で、こうなるのも致し方ないと自分に言い聞かせ、前を向く。
二機は拠点を目指した。谷底から脱し、ARKHEDでは苦でもない険しい山道を越えてしばらく進んだ先、暗闇の先に人工的な明かりが見えてきた。やっと戻ることが出来たのだと安心しきったソフィーリヤはどっと押し寄せる疲労に抗えなかったのか。そこでフッと意識を手放した。
次にソフィーリヤが目覚めた場所は星団連合軍付属の病院の一室で、そこは見舞いの花が沢山飾られていて、傍らにはらしくも無く涙を流して喜ぶ父親、グェンダルの姿が在った。まるで花畑の様な病室に似つかわしくない髭を蓄えたグェンダルに、ソフィーリヤは思わず笑ってしまうが、彼の表情は優れない。
グェンダルが難しい顔をするのも無理は無い。愛しい我が子が得た力はとてつもない威力を誇る一方で、搭乗者に耐え難い苦しみをも与える。それだけではなく、思い描いていた未来設計図はすべて白紙に、普通の人生は歩めない。本当は軍人になる事すら反対していたグェンダルにとっては、ARKHEDの契約者となる事など、最も避けたかった筈だ。
父親を失望させてしまった。後悔はしないつもりであったが、その時ばかりは胸が痛み、親不孝をした自分を恨み、申し訳なく感じる。ソフィーリヤの表情に影が差した事に気が付いたグェンダルは、体調が悪いのかと狼狽えだす。このままでは大事にしかねないと悟ったソフィーリヤは直ぐに大丈夫であるとアピールをして、慌てふためくグェンダルを落ち着かせようとした。
「心配を掛けてごめんなさい。それから、ARKHEDの事も…」
「いや、過ぎた事は致し方あるまい。それに、こうしてお前が無事なら、何も言う事は無い」
「無事…。そう、無事、だったのよね」
傍に居るグェンダルの姿は何とか確認できるが、やはり遠くの景色はぼやけて見える。いずれグェンダルも知ることになるだろうが、直ぐには言い出せないソフィーリヤは、誤魔化すように現状を訪ねた。
グェンダルから聞き出せたソフィーリヤが意識を失った後の事。気を失っていたソフィーリヤとジルベルトは直ぐに艦の医務室へと運ばれ、状況説明はクヴァルが一人で行い、一行はアストリアへと戻ってきた。命令違反を犯したが、その甲斐あって皆無事に、負傷した者も居るが、誰一人欠けることなく実地訓練は終わったようだ。唯一人、矢面に立つような形となってしまったクヴァルには申し訳なくも感じるが、ソフィーリヤには気掛かりな事があった。
「そう言えば、ジルベルトさんは…」
「あの小僧なら何も心配は要らん。いや、寧ろ今後、何があろうとも関わるな」
「え…?何を言い出すの、父様…っ」
グェンダルの表情はたった一言で険しいものに、口調も怒気を孕んだものへと変わる。きっと今回の件がジルベルトに責があると決め込んでいる。そう思い至ったソフィーリヤは首を横に振り、言いつけには従えないと楯突いた。滅多な事では父親に対して反論をしないソフィーリヤが、頑なとして受け入れない事にグェンダルは驚いたのだろう。そして彼女をそうさせてしまった事もジルベルトのせいだと決め込み、額に青筋が浮かび上がる。このままではジルベルトの元へと殴り込みに行きかねない。そう察したソフィーリヤは大きくてごつごつとしたグェンダルの手を取り、胸の内を明かして説得を試みる。
「聞いて、父様。力を望んだのは私自身なの。だから、ジルベルトさんは何も悪くない」
「だが、あ奴の為に、お前は力を得たのだと聞いたぞ」
「それは違いないわ。でも、ジルベルトさんは関係ない。私がしたくてしただけの事よ」
「そうは言っても…」
「全部、私が選んだの。だから、お願い。彼を責めたりはしないで」
「…うぅむ…」
立派な髭を擦りながら眉間に皺を寄せるグェンダル。実に苦々しそうな顔をしていて、納得がいかないようであるが、愛娘からのお願いには弱いのだろう。深い溜息を吐いて分かったと言い、これ以上は言及しないと約束をした。
取り敢えず、父の説得は出来たと安心したソフィーリヤ。彼女の体調が万全になった後、次はARKHEDの研究機関、SARへ。そこで検査を受けたのだが、やはり彼女の見立て通り、視力が衰えたのは枷のせいであった。幸いな事に、落ちた視力は治療でどうにかなるようだが、その都度入院を繰り返していればキリがない。その結果、自動で度数が変わる眼鏡を着用し、定期的に医師にかかる事となったのだが、またもやグェンダルを悲しませてしまった。
やっとのことで学園に戻れた時には七日ほど経っていたのだが、ソフィーリヤはそれ以上に長く感じていた。これでようやく、日常が戻るのだと思っていた。けれども、彼女の学園生活は以前と違う所があった。それは彼、ジルベルトの存在。ソフィーリヤが学園に戻った時、彼の姿が無かったのだった。入院中にも見舞いに訪れたのはクヴァルと同期の女学生達で、彼の姿は無かった。ただ単にそれはグェンダルが会わせないよう手を打ったのかと思われたが、そもそも見舞う気持ちが無い可能性だってあると思い至り、気落ちした。それでも学園に戻れば、また会うことが出来る。そう思い、検査などから解放される日を待ち望んでいたのだが、そこに彼は居なかった。
そして、これはどういう事かとクヴァルに問いかけたソフィーリヤは愕然とした。
「奴は私達と同級ではなくなった」
「どういう事…?まさか、彼に全責任を負わせたんじゃ―――」
「違う。寧ろその逆だ。奴は今回の件で力を認められ、飛び級したと言う訳だ」
「飛び級…!?え、で、でも、ジルベルトさんは…」
ジルベルトの実力は実技だけなら充分であったが、座学に関してはからっきしである。そのような状態で何故進級できるのか、不思議でならない所だが、突如現れたサイクロプスを一手に引き受け、同じ班の者達を救ったならば納得がいかない訳でもない。
一刻も早く正規の軍人になれた方がジルベルトにとっても良い事である。本来ならば喜ばなくてはならない所だが、素直に喜べず、こうして離れてしまった事はすんなりと受け入れられない。結局、教官達の決定事項には逆らう事は出来ず、現状を受け入れる事しかできないのだが、会えない日々は続き、同じ学園内で全く会えないというのは疑問に思えてきだした。座学も、訓練も、学年が違えば一緒になることは無い。けれども学内行事、学生が全員集う場にも彼の姿は無かった。
「(やっぱり、ここにも居ない、わよね)」
学園の中庭に根を張る大樹。若者達が憧れる言い伝えもあるその樹の上で、ジルベルトは座学をサボって昼寝をしたり、煙草をふかしていた。今では生い茂る葉が風に揺らめきざわつくだけで、彼の姿は無い。
まるで引き離されたかのように、ソフィーリヤはジルベルトと会う事が叶わず、彼の姿を探す日々が続くに連れて想いも募る。
「君らしくも無いな」
「…クヴァル」
座学で学んだことは定期的に筆記の試験が行われる。今日は試験の結果発表で、廊下に順位が張り出されるのだが、入学以来誰にも一位の座を渡さなかったソフィーリヤが、初めて順位を落としてしまった。と、言っても彼女の順位は二位で、決して悪くは無い成績なのだが、確認に来ていた皆はどうしたのかと驚きどよめいていた。
成績の事は気にならないが、皆の心配そうな、怪訝な視線には耐えられず、ソフィーリヤはその場を後にしようとする。不思議と人だかりが割れ、難なく離れることが出来たのだが、それは傍に居るクヴァルの眼光に怖れたからであるが、ソフィーリヤは気が付く事も無かった。
あの一件以来、日を追うごとにソフィーリヤは学業に身が入らなくなっており、彼女らしくも無く上の空でいてミスを犯したり、こうして成績を落としていた。皆は何があったのかと知りたそうではあるが、当人が何でもないと笑顔で返せばそれ以上踏み込めず、ただ成り行きを見守るだけである。今、ソフィーリヤの後を追うクヴァルも皆と同じように静観を保っていたのだが、流石に耐えかねたようだ。寮に戻る前、離れて行くその手を取って、話があると引き留めさせた。
野外訓練場近くのベンチ。試験が終わってまだ日が浅いからか、放課後でも自主練を行う者もおらず、人気は無くて静かである。
並んで腰を下ろしたソフィーリヤは何を言われるのか察したようで、先手を打つように心配は要らないと言い張る。
「私なら平気よ。ただ、今回はちょっと調子が悪くて…」
「その調子は何時になったら直る」
「それは…。一晩寝れば大丈夫、よ」
「前にもその答えを聞いた気がするが、調子は直らないようだな」
「う…っ」
痛い所を突かれて、思わず口ごもり、視線を外してしまう。それでは肯定しているも同然なのだが、ここで素直に認める訳にもいかず、咳払いを一つした後、キリっとした真面目な表情を取り繕い、再度心配は無用であると強調する。
「奴に会いたいか?」
「…え!?―――あ…っ」
クヴァルの一言に反応してしまったソフィーリヤは、ハッと我に返って失態を犯したと自己嫌悪に陥る。誰にも言い出せずにいた募る思いを漏らしてしまったが、こうなればこれ以上誤魔化す事は出来ないと腹を括り、躊躇いつつも彼の言葉を肯定するように頷いた。すると予想通りであったのか、眉をハの字に、やれやれといった溜息を吐き、クヴァルは笑った。
「無理をするな。私の前では取り繕わなくていい」
「…ごめんなさい」
「謝らなくてもいい。ただ私は、君が君らしさを取り戻してくれさえすればいいんだ」
「そう…」
今の状態ではらしさを取り戻すのは到底無理である。その事は言わずとも知れているようで、八方塞がりで俯いていたソフィーリヤに対してクヴァルは仕方がないなと肩を竦めさせて提案をする。
「確かに、ここのところの奴は不自然に避けているきらいがある。本来ならば関わりたくもないが致し方あるまい。授業や訓練の最中には無理だが、寮に居る間、接触が図れない事も無い」
「それって…」
「私が話を聞いてこよう」
「本当に…?!あ…、でも、喧嘩はしないでね」
「…努力はしよう」
何時もならば誰かに頼る事などせず、自分で何とかしようとするソフィーリヤであるが、今回ばかりは頼らざるを得ないのだろう。少しばかり不安そうだが、あやふやな現状を変えたい思いの方が強いらしく、彼女はジルベルトに対する想いをクヴァルへと託した。
その日の晩、女子寮の自分の部屋に戻ったソフィーリヤは小型通信機を前に今か今かと待っていた。ルームメイト達に何事かと勘繰られるくらいに彼女はそわそわとしており、あからさまにおかしい様子である。けれども彼女が今、どういった状況に置かれているのかを知っているルームメイト達は優しく見守るだけに留めていた。
消灯時間の直前、ソフィーリヤの通信機が着信を告げる。ワンコールが鳴り止む寸前に通話ボタンを押した彼女は、期待と不安が入り混じった表情で応答する。
「ソフィーリヤ、すまないがバルコニーに出てくれないか?」
「…?わかったわ。少し待っていて」
疑問に思いつつもソフィーリヤは心配そうにしているルームメイト達に見送られ、クヴァルの言う通りにバルコニーに出てみる。女子寮と男子寮は別棟になっており、今の時間帯でなくても互いの敷地内へは立ち入れない。このような時に、まさかと思うが、会いに来てくれるならば、バルコニーの傍に生える樹を伝ってかとも思われたが、木々の間に彼の姿は無い。首を傾げつつ、クヴァルに通信機でどういう事かと問おうとした瞬間、背後にスタッと何かが降り立つ音が聞こえ、驚き振り向いた。
「久しぶりだな」
「ジ…っ!」
突然の事で叫び声を上げそうになったソフィーリヤに来訪者は詰め寄り、平手で口を塞ぎ、静かにするようにと耳元で呟く。想定外の出来事に驚くと同時に、待ち望んでいた者がこんなにも近く、頭が上手く回らない。頬に熱が集まるのを感じ、視界がぐるぐると回りそうになるが、申し訳なさそうに俯くジルベルトの姿にハッとして我に返る。
一先ず深呼吸をして、動悸を押さえた所で改めてどういう事かと声を潜めて彼に問いかけた。
「えっと、一体どこから…」
「屋根伝いに、だ」
そう言いながら、上を指し、アンカーフックを見せた。ジルベルトの身体能力ならば納得がいく一方で、下手をしたらどうなるのかと想像したソフィーリヤは真っ青になり、思わず声を荒げて危険な真似はしないで欲しいと怒鳴る所であった。けれども今は騒ぎ立ててはならないと再び人差し指のポーズで示され、ぐっと飲み込んで平静を務める。
「相変わらず、無茶をするんだから…」
「お前には負けるがな」
「う…っ、そ、それは…」
ジルベルトの言わんとしたことは皆まで言われずとも分かる。彼の言う通り、今回ソフィーリヤは何時もの冷静さを失い、感情の赴くままに行動して、取り返しのつかない事をしてしまった。けれどもその結果はすべて受け入れており、後悔は無い。
ソフィーリヤの気持ちに迷いは無く、逆にジルベルトの方が戸惑っていて、暗い表情には懺悔すら感じられた。
「…すまない」
「なぁに?貴方が謝る事なんて―――」
「俺のせいで、お前は…っ。…言葉だけで、償いきれるものでは無いな」
「そんな…!これは私が望んだ結果なの。だから、貴方が気に病む事なんて何一つ無い」
「だが、現にこうして…」
チラリと様子を窺うようなジルベルトの視線。それはソフィーリヤの顔、もとい、彼女の瞳へと向けられていた。枷の件についても既に話が伝わってしまったのだろう。己を責め、苦々しそうに固く結ばれた口、握りしめた拳も頑なで、見ているこちらの方が辛くなるほどの姿で、ソフィーリヤは激しく首を横に振って否定した。けれども彼女が幾ら許そうとも、ジルベルトは自責の念から解放されることは無い。こうなる事を望んでソフィーリヤは力を望んだわけではない。本当は彼を傷つけるものから救いたくて、守りたくて。だが、どんな言葉を掛けようとも、ジルベルトの表情は晴れる事は無い。
「だったら…」
それは弱みにつけ入る行為、なのかもしれない。けれども、このまま彼に負い目を感じさせておく訳にはいかず、ソフィーリヤは願い出る。
「だったら、責任、取って下さい」
「…ああ。分かった。俺に出来る事なら何でもする。目障りだと言うのなら、この学園から去っても―――」
「ううん、私が望むのは一つだけ。それは―――」
思い出しただけでも顔から火を噴き出しそうになるほど大胆に、ソフィーリヤはジルベルトの胸に飛び込む。突然の出来事にも拘らず、ジルベルトは咄嗟に抱き留めるが、状況が掴めず、両手を彷徨わせていた。
「お、おい…、いきなりどうした!?」
「せっ、責任、取ってくれると言いましたよね?」
「…言った。確かに言ったが、これはどういう―――」
「…もう、どこかに行ったりしないで下さい。それから、ずっと、傍に居て…」
「何を…。冗談は程々に…」
「冗談ではありません…!本気、だから。だから―――」
背中に回す腕に力を込めて、ギュっと縋り付く様に抱き着く。どうしてよいか迷っていたジルベルトは、ソフィーリヤの想いに気が付いたようで、それでも受け止められはしないのか、ゆっくりと両肩に手を置き、そっと引き離した。彼の困惑の色が見える表情に、ソフィーリヤは思わず涙ぐむが、例え拒まれても諦めるつもりは無く、真っ直ぐに見据えて、その想いが本気であると訴えた。
「…何故、俺なんかを」
「何で、でしょう?」
「…おい」
「気が付けば、貴方の事を追いかけていた。放っておけないというのもあったけど、離れて気づきました。傍に居たいと、それは他の人では駄目なんだと」
「…物好き、だな」
「そう、ですね」
苦笑い。それでもジルベルトの口元が緩むのを見るのは久しぶりで、嬉しさで胸がいっぱいになり、泣きながら笑ってしまう。それでもこのような形で想いを告げて、きっと困らせてしまっただろうと思い至った彼女は、ゴシゴシと目元を拭って一礼し、自室に戻ろうとする。もう思い残すことは無い。後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、この場を去ろうとしたが、それは叶わなかった。掴まれた手。強いようでいて労りが感じられるその手は、ソフィーリヤを引き留めさせた。そして急に引き寄せられ、身体は再びジルベルトの胸元に収まる。
「声が、聞こえたんだ。周りが全部、俺の事を恨む者達に溢れていて、俺の命を狙っていて…。そんな時に、俺を許してくれると言う、優しい声が聞こえた」
「それは…」
「お前の、声、だったんだな…」
逞しい腕が背に回り、抱きしめられる。もう二度と感じる事の出来ないと思っていた温もりが再び身に染みわたり、無理やりに引っ込ませた涙が溢れ出しそうになる。
「だが、本当に良いのか?お前にならもっと相応しい男が…」
「それは私が決める事です。誰が何と言おうと、私は貴方の傍に在りたい」
「…そうか」
背中に回された腕の力がより一層強くなり、身体はピッタリと、隙間なく重なる。互いの鼓動が早くなるのを感じられ、息遣いも聞こえ、身体だけでなく心も満たされてゆく。これ以上無い程の幸せを噛み締めている所で、ジルベルトはソフィーリヤの耳元に囁いた。
「…ありがとう」
「お礼を言われる筋合いではありませんよ。寧ろ、私の方が言いたいくらいです」
こうして二人は気持ちを通わせ、「ソフィ」「ジル」と互いに呼び名が変わり、これまでより一歩先の関係へと歩みを進めた。と言っても二人は別の学年になってしまい、会えるのは僅かな時で、その貴重な時間もあっという間に過ぎてしまう。時間も二人の間にとって障害と成り得たが、二人の仲をよく思わないものが居た。同じ学生達についてはソフィーリヤが恥じらいつつも懇切丁寧に説明したり、ジルベルトが睨みを利かせるなどして皆から公認となったが、ソフィーリヤの父、グェンダルだけは聞く耳を持たなかった。そもそもジルベルトがソフィーリヤとの接触を避けていたのも、グェンダルにきつく絞られたかららしく、あの事件があった後、ジルベルトはグェンダルに一発殴られもしたそうだ。殴られた当人はこの程度の事と思っていて、ソフィーリヤが問い詰めるまで黙っていたのだが、その事が切っ掛けで親子喧嘩となったりもした。自分の事でソフィーリヤが父と仲違いするなど、ジルベルトの望むところではなく、彼の説得により仲直りをし、ソルニエール家には平穏が訪れたのだが、娘を溺愛しているグェンダルのジルベルトに対する態度が軟化する事は無かった。
「全く、父様には困ったものだわ」
「まぁそう言うな。父親ってものは幾つになろうとも子どもが可愛いもんだろう」
「あ…。ごめんなさい」
「いや、俺の事は気にするな」
ジルベルトの家族は彼が母星を滅ぼす前から居なかったらしい。彼は孤児院で育ったそうだが、彼にとっては孤児院で一緒に過ごす者達が家族、だったようだ。中々明かさない過去を聞かせてくれた時、彼はいつも以上に後悔の念に駆られていた。
「…でも、今回の件だって父様が関わっているに違いないわ」
「考え過ぎだとは思うが」
ソフィーリヤ達が学園に入学して二年が経ち、今日はジルベルトの卒業祝いを兼ねて一泊二日の旅行に来ていた。と言ってもまだ学生のソフィーリヤにはアストリアの主要国、ガルレシアから出る許可は下りず、生活圏内からごくごく近い場所なのだが、連合随一の星の主要都市だけあって、小旅行に適した場所も数え切れないほどある。そのうちの一か所、豊かな自然に囲まれた高原のコテージのウッドデッキで、二人はのんびりとした時間を過ごしていた。都市部の喧騒から離れ、清涼な空気に満たされた空間。そこは穏やかな気持ちになるものだが、ここに来るまでにも障害は多く、ソフィーリヤは気が滅入っているようだ。
本来ならば飛び級をしても最低四年は通わなくてはならないガルレシアの軍学校。それがジルベルトに至っては異例中の異例で二年と言う半分の期間で卒業が決まってしまった。彼には元々素質があったというのもあるが、座学に関してはからっきしであった。だがそれもソフィーリヤがマンツーマンで指導したお蔭もあってクリアできたようだ。けれども二年という短期は過去にない事で、ソフィーリヤは納得がいかないらしい。
「まぁ他に意図があるとすれば、ARKHED様様って所だろう」
「そっか。確かにその事も考慮されているかもしれないわね。…だとしたら、私も早く卒業できるかしら」
正規の軍人になれば今以上に距離は離れ、ますます会える時間が短くなる。待ち受ける辛い時に対してどうにかしたいと願っていたソフィーリヤは僅かな希望を見出したが、ジルベルトは首を横に振る。
「俺からしたら、お前には一年でも長く学生を続けていて欲しいんだがな」
「え…?どうして…」
「正規の軍人になれば、これまでの実地訓練以上に危険な地へと赴く。事務官などの内勤だったら良いが、ARKHEDを得た以上戦場に駆り出されるのは確かだ」
「心配してくれるのは嬉しいんだけど、そうなるのは覚悟の上で軍学校に入学したのよ?」
「それでも、俺と違ってお前は―――」
心配をしてくれているようだが、不死の身体を卑下するのは頂けない。これ以上は言わないで欲しいと願ったソフィーリヤは人差し指でそっとジルベルトの唇に触れる。
「ジルこそ、調子に乗ってヘマをしないようにね」
「…そうだな。肝に銘じておく」
仕方がないと肩を竦めつつ口端を緩めるジルベルト。彼はソフィーリヤの手に自分の手を絡めて背後から抱きしめる。
広大なキャンプ場にはコテージが幾つかあって、それぞれは適度に離れているが、完全には区切られていない。人通りではないとはいえ、真昼間からこのような場所で身を寄せるのは恥ずかしく、現に隣のコテージに滞在している家族連れの子ども達が冷やかしの言葉を掛けてきた。
「ジ、ジル。こんな時間にこんな所で…っ」
「別に、見られて減るもんじゃないだろう」
「ダメよ!教育上よろしくないわ」
「…チッ」
渋々といった風に了承したジルベルト。ソフィーリヤも離れがたいのだが、やはり羞恥には耐えられそうにも無い。舌打ちをしつつ離れる間際、彼は耳元で囁き、ソフィーリヤは耳まで真っ赤にして飛び退く様に自ら身を離した。
「夜に充分楽しませてもらうからな。覚悟しておけよ」
意味深な言葉に心臓は痛い程に早鐘を打つ。二人きりでの外泊は今日が初めてで、つまりそういう事もあるかもしれない。全く想像していなかった訳ではないが、いざ言葉にされると平静を保てない。
これから二人は遠距離恋愛となり、その事に対して不安であったが、今この時だけは先の事を忘れて幸せな時間を噛みしめられる。―――そう、あるのだと、互いに思っていた。翌朝を迎えるまでは。




