第59話 Two silver necklaces
ジルベルトの快気祝いの為に用意された御馳走。賑やかな食卓であったはずだが、コンラードの余計なひと言で食卓は水を打ったかのように静まり返る。と、言うのも、鳴鳥が居なくなるというのを知らされていなかったジルベルトが放心状態になったせいで、変な空気になってしまった事にいち早く気が付いたマリアンは慌てつつ話題を振る。
「せ、船長、まさか知らなかったの?てっきりヘニング団長から知らされているのかと…」
「…初耳だ」
「そ、そう。ま、まぁ、あと三日ある訳だし、今はこの美味しい料理を楽しみましょう!」
「三日…」
お酒を注ぎ、取り皿に料理を盛り、飲めや食えやと勧めるが、相変わらず空気はどんよりとしたもので取り返しがつかない。元凶であるコンラードは身を縮め込ませ、マリアンは明るく振る舞い空回りに、久城とスティングとアランはヤレヤレと肩を落とす。そして誰もが押し黙る中で口を開いたのは鳴鳥であった。
「す、すみません!ヘニング団長には私から伝えると口止めをお願いしていましたので…。その、ジルベルトさんには後でキチンと伝えようと―――」
暫し放心状態であったジルベルトだが、俯いて涙声交じりに謝る鳴鳥に気付き我に返る。そこで自分がらしくも無く失態を晒していたのだと思い当たり、ジルベルトも謝罪した。
「そうだな。そうなるのが当たり前だった。すまない…。気を遣わせたな」
「い、いえ。こちらこそ。その、報告が遅れてすみませんでした。本当はジルベルトさんが目覚めた時点で決まっていた事なのに、私が言い出せなくて…」
今にも泣きだしそうなほど、鳴鳥の肩は震えている。隣に居たマリアンがそっと肩を抱くと堪えていた気持ちが溢れだしたのだろう。それでもこの場を壊したくは無いと、押し殺して泣いていた。
このまま夕食を続けるのは無理だと、そう判断したマリアンは鳴鳥を支えラウンジを後にし、彼女の自室へと送る。
「すみません…」
「ナトリが気にすることは何一つないのよ。悪いのは全部、口が軽く後先考えないおバカな犬っコロが悪いんだから!」
「い、いえ。コンラードさんは…」
「そんなもこんなも無くて。まぁ兎に角今は休みなさい」
「で、でも、片付けが…」
「心配しなくていいわ。片付け位ならアホの犬っコロでも大丈夫だから。後の事は私達に任せなさい」
「本当に…すみません…」
本当は今すぐにでも気持ちを切り替えて皆の居る場所に戻りたいと思うが、今の状態を簡単にどうこうは出来ない。やむを得ずマリアンの言葉に頷いた鳴鳥は自室に居る事を選んだ。
マリアンが去った後、服も着替える気力も無く、ドサリと鳴鳥はベッドに倒れ込む。仕方がない事で、自分が決めた事なのに、打ち明けるときには涙を堪え切れない。それが一番想いを寄せている人ならばなおさらで、皆の前だというのに感情の抑制は出来なかった。
ひとしきり泣いて、涙を流しきって幾分か落ち着いた所で、鳴鳥は先程の、ジルベルトの様子を思い起こしていた。
「(ジルベルトさん…驚いていたなぁ…)」
アッサリと流されてしまったらどうしようかと思っていたが、彼は鳴鳥の予想以上に驚いていた。皆との別れは悲しくもあるが、彼のあの反応は期待を抱かずにはいられない。自分と離れる事を惜しんでくれている。自惚れかも知れないと自分を戒めようとするが、それは一縷の望みだった。離れるのが辛い。同じ気持ちならば、きっと想いを告げても大丈夫かもしれない。先行きは不安だが、全部が全部、辛いものでは無く、僅かな希望が生まれた。
第59話 Two silver necklaces
鳴鳥を部屋まで送り、ラウンジへと戻ってきたマリアンは、相変わらずのどんよりとしたムードにがっくりと肩を落とす。幸い鳴鳥が丹精込めた手料理の数々はほぼ空になっており、後は食器を片付けるだけなのだが、それは気を利かした久城が率先して行っていた。
問題は雰囲気をぶち壊したコンラードと、柄にもなく動揺してしまったジルベルトだ。机に突っ伏している二人に対し、アランとスティングはお手上げだとポーズで示している為、下手な言葉で慰めても無駄だろうと分かる。
「ハイハイ!過ぎてしまった事にはしょうがないでしょう。…全く、ウチの男共ときたら打たれ弱いんだから」
パンパンと手を叩き、暗い空気を打払う。どうしてよいか考えあぐねている二人に対しマリアンは取り敢えず今後の事を折を見て話し合うようにとジルベルトに言い、コンラードには明日の朝一番に鳴鳥に謝るよう指示を出した。
これで一先ず沈んだ二人を片付けたが、ジルベルトとコンラードが重い足取りで自室に戻る前、アランが声を掛けてこの場に引き留める。
「良い機会ですので僕から一つ提案をいいですか?」
「何よ?良い機会って」
「それは―――」
アランの提案。それは今彼らが鳴鳥に出来る事で、誰もがその提案に同意した。
後味の悪い夕食から一夜明け、どうなるかと心配していた皆だが、食卓には朝食が並べられ、いつも通りの鳴鳥の姿が在った。さっそくコンラードは朝食に手を付ける前に昨日の事を謝り倒し、あっさりと許しを得てホッと胸を撫で下ろす。一見すると元通りに思える鳴鳥の様子だが、空元気なのが分かる。それでも皆は下手に慰めに出ようとせず、鳴鳥の意思を尊重し、いつも通りに接した。
食後、ジルベルトを除く皆は気を利かせて早々に立ち去り、ジルベルト一人だけが残る事となる。片付けを終え、まだ彼が一人で残っていた事で鳴鳥は察したのだろう。皆まで言わずとも向かい合うように席に着き、今後の事を口にした。
「あの…。報告が遅くなってすみません」
「いや、内容が内容だからな。言い出しにくい気持ちが分からんでもない」
「お気遣い、ありがとうございます。それで、私は―――」
鳴鳥は明後日には船を降り、その後は軍学校へと通う事を伝えた。これまで誰もが軍学校を選んだこと自体を否定しなかったが、ジルベルトは聞いた途端難しい顔を、眉間に皺を寄せていた。その表情から自分が選んだ理由、それも伝えなくてはと思い、鳴鳥は皆に近づくためにだと想いを明かした。
「いや、悪いと言う訳ではない。ただ、軍学校にはあまりいい思い出が無くてな」
「そう言えば、以前にもそのような事を言っていましたね」
「まぁ、俺とは違って、お前なら編入でも受け入れられるだろう」
「そうだと良いのですが…。そうだ!良かったら軍学校の事、教えて頂けませんか?」
「…俺に聞くのか」
「あ…、そうですよね。すみません…」
「そこまで項垂れるほどの事か?お前がどうしてもって言うなら…別に構わないが」
「本当ですか…?」
「ああ。そうだな。色々と知っておいた方が戸惑う事も少ないしな」
最初は乗り気ではなかったものの、がっくりと肩を落として残念そうにする鳴鳥を無下には扱えないのだろう。渋々といった様子ではあるが、ジルベルトは自分が軍学校に在籍していた時の事を話した。
10年以上前の話だから今は違っている部分もあるだろうと前置きし、ジルベルトは教練の内容、寮での生活などを説明する。鳴鳥の通っていた高校では受けられない授業、初めての寮生活、それらに対しても不安があったが、ジルベルトの話を聞くことで幾分か気が楽になった。
「成績が良ければ飛び級もあって、配属先も良い所になる」
「わ、私はいずれ、この船に、皆さんの元に戻りたいのですが…!」
「…言っとくが、特務部は他所からあぶれた偏屈者や問題児が多い、謂わば掃き溜めの様な部署だぞ?」
「そんな事はありません!皆さんはとても優しくて、強くて、立派な軍人だと思います。ううん…立派な軍人です!」
自分の事を卑下するジルベルトに対し、その評価は間違っていると否定する鳴鳥。強められた語尾と真っ直ぐな瞳で訴えられてしまえばジルベルトは言い返す言葉が無いのだろう。そう思っていてくれる者が居るならば、皆が救われると代弁し感謝した。
「まぁ何にせよ、お前なら大丈夫だ」
「ジルベルトさんがそう言って下さるのなら大丈夫、ですね」
「ん?無責任に言ったわけではないが、俺の事を随分と買ってくれているんだな」
「当然です。だって私は―――」
今日を含めて三日。ジルベルトと共に居られる日にちは後僅かであるが、その少ない時間を一つの言葉で壊してしまうかもしれない。この機に想いを明かそうとした鳴鳥は過った不安から口をつぐむ。早く伝えたい。でもまだこのまま傍に居たい。どうするべきかと迷っていたが、怪訝な表情をされていると気づき、鳴鳥はつい誤魔化しの言葉を述べてしまった。
「あ!そうです!少しでも早く卒業できるように、ARKSの操作を教えて頂けませんか?」
「それならコンラードかマリアンに…」
「宇宙一レーサーの方に教えて頂ければ心強いのですが」
「分かった、分かったからその肩書で呼ぶな」
「決まりですね!ありがとうございます」
溜息を吐きつつも心底嫌がっている訳ではなく、ジルベルトは訓練に付き合ってくれた。相変わらず、訓練とあらばジルベルトは真面目に取り組み、悪い所は容赦なく指摘するなど甘さが無い。残り少ない彼との時間を色気も無い事に費やしても良いものかと思う所だが、鳴鳥は充分に幸せを感じていた。
鳴鳥が船を降りる前日、何時もならばアルヴァルディの船内にてシミュレーターを使ってARKSの操作を教えて貰う所だったが、今日はジルベルトの提案により、軍の修練場まで足を延ばしていた。
ARKHEDとは違い、また、エーデル・シュタインの遊園地にある遊具用の物とも違い、軍事用は複雑な操作技術を要するARKS。最初に試乗した時とは違い、酔う事も無くなり、ジルベルトの的確な指導は結果に表れていた。基本的な操作を身に着ける事の出来た鳴鳥は改めてお礼を言った。
「訓練、付き合ってくださってありがとうございました」
「充分だと思うが、付け焼刃みたいなものだから過信はするなよ」
「大丈夫です。教えて貰った事、絶対忘れませんから。今日だけでなくて、これまでにあった事も全部、ジルベルトさん達と過ごしたことは、何一つ忘れませんから」
「…今生の別れみたいなことを言うな。いずれ、戻ってくるんだろう?」
「そう、ですね。そうです。…す、すみません」
後はアルヴァルディに戻って、夕食をとって、一晩明ければ別れの時である。もっと一緒に居たいと思えば思う程、別れの日は早く訪れる。
アルヴァルディまで戻る途中の車の中、ぼんやりと流れていく景色を見つめていた鳴鳥は未だ決心がつかずに二人へ想いを告げる事を先延ばしにしていた。残された時間は後僅か。分かってはいても、踏み出せずにいた。
「着いたぞ」
「あ、はい。…って、ここは」
どうするべきかと考えを廻らせていたせいか、いつの間にか到着したらしい。と言っても外の景色はアルヴァルディが収容されているドックではなく、緑溢れるのどかな住宅街であり、鳴鳥には見覚えがある場所であった。
「ここはスティングさんのお家じゃ―――」
「さ、みんなが待っている」
「は、はい…」
何も聞かされていない鳴鳥は戸惑いつつもジルベルトの後に続く。玄関の扉が開かれた瞬間、待ち構えていたかのように出迎えたのはマリアンとスティングの上の娘、シルヴィアで、二人は鳴鳥を捕える様に肩と手を掴み、ある一室に連れ込む。何が何だか分からない状態の鳴鳥は二人に促されるまま室内にあった大きな箱を開けた。その中に入っていたのはミルキーオレンジのドレープワンピースで、どうやら着替えて欲しいらしく、マリアンは一旦部屋を後にする。着替えるまではここから出られないようで、シルヴィアは早く早くとせかしてきて、色々と問いかけたいが、回答は得られそうにない。一先ず鳴鳥はワンピースに着替え、終わった所でシルヴィアがマリアンを呼び、彼は鏡台の前へと鳴鳥を座らせる。
「マリアンさん?えっと、これは―――」
「少しの間、じっとしていてくれる?」
「は、はい。…って、これは一体―――」
「いいからいいから!」
為されるがまま、鳴鳥はマリアンにメイクを施される。「いいわよ」と声を掛けられて開かれた視界の先、鏡には綺麗に着飾った自分の姿が在った。
今日はミリアムとの会食のように畏まった場でもなく、パーティがあるとも聞いていない。どうしてここまで着飾った姿にされたのかと戸惑っていたが、スティングの息子、セリムにエスコートされて訪れたリビングの様子で全てが分かった。
テーブルの中央には明るく華やぐ花が飾られ、その周りには沢山の御馳走、部屋にはシルヴィア達が作ってくれたのだろうカラフルな輪飾りが、そして皆が明るく迎えてくれた。
「皆さん…っ」
泣いては駄目だと分かっているのに、もう泣かないと決めていたのに、込み上げてきたものは止められない。皆の温かさに触れ、目尻に涙を浮かべていた鳴鳥。泣かれる事を想像していなかったのだろうスティングの下の娘、ソニアは喜んでもらえなかったのかと不安そうにし、それに気が付いた鳴鳥は直ぐに笑顔を作る。
「うれしくなかった?」
「ううん。嬉しくて、嬉し過ぎて泣いちゃったの。ごめんね」
思いがけないサプライズ。これ以上無い程の喜びで胸がいっぱいで、嬉しいのだがキュッと締め付けられるような胸の痛みも感じる。それはこの温かな空間にいつまでも浸っていたいという願いからで、その想いは叶わないからで。それでもしんみりとした空気では終わらせたくない。鳴鳥は率先して明るく振る舞い、皆もそれに応えてくれる。何時もならば料理を取り分ける役目は鳴鳥が買って出るが、今日は彼女がもてなされる側らしく、取り皿とトングをマリアンに取り上げられてしまった。
「そのワンピース、気に入ってくれたかしら?」
「はい…。えっと、少し大人っぽいようですが、私に似合っているかどうか…」
「良く似合っているっス!この俺が保証するっスよ!」
「ハイハイ。犬っコロは大人しく座っていなさい」
興奮気味に鳴鳥を褒め称えるコンラード。その勢いをマリアンは力尽くで押さえつけつつ鳴鳥の前に料理を盛り合わせた皿を出す。
料理の次は飲み物。空のグラスに満たされるのは黄金色のシャンパンで、ボトルを手にしていたのはスティングだった。彼に対しても、普段はお酒を注ぐ側なので、鳴鳥は恐縮そうにグラスを手にしていた。
「す、すみません。それと、今日はお招きいただきありがとうございます」
「今日は無礼講という訳だ。楽しんでいってくれ」
「はい…!」
早速グラスに口を付けようとするが、そこで横やりが入ってきた。それは眉間に皺を寄せたジルベルトで、彼はどうやら鳴鳥がお酒を口にするのを気に掛けているらしい。心配はいらないと鳴鳥が答える前に口を開いたのはスティングだった。
「安心しろ。これはアルコールを含んでいない」
「そ、そうなんですか?」
「せっかくの場だ。酔ってしまうと勿体ないだろう」
「スティングさん…。お気遣い、ありがとうございます」
子ども扱いされるのもやむなしと思っていたが、そうではなかった。お酒を飲むことで気分が軽くなる事もある。けれども僅かしかない時間を大切にするならば、お酒を控えておいた方が良いだろうという判断だった。
皆の元に飲み物が行き渡り、宴が始まる。スティングの妻、サンドラの料理は相変わらず美味しく、心に染み渡る温かさがこもっていた。
「お口に合うかしら?」
「凄く美味しいです…!どれも美味しいのですが、特にこのチキンの香草詰め焼きが、ハーブの香りが良くて皮がパリパリで…」
「ふふっ、そうなの。良かったわね、クランド君」
「え…?」
サンドラは何故か久城の名を口にした。どういう事かと問うと、今回の料理は彼が手伝ったらしく、この丸鳥の香草焼きは久城が主に手を掛け作った品だそうだ。何でもそつなくこなすとは知っていたが、改めて久城の凄さを実感し、鳴鳥は感嘆の溜息を洩らした。
「喜んでくれたのならよかったよ」
「でもこれで安心できますね。久城センパイが料理をここまで出来るなら…」
「今回は特別だよ。僕は鳴鳥以外に作る気ないから」
「「「ハァ!?」」」
涼かな笑みを浮かべてサラッと毒づく久城に対し、ジルベルトとコンラードとマリアンが声を上げる。こっちこそ野郎の料理は願い下げだとか、それならば丁度良いですねだとか、売り言葉に買い言葉が飛び交い、何やら険悪なムードに。傍から見れば喧嘩をしているようだが、互いに本気ではなく、下らないやり取りに鳴鳥は思わず笑みを溢す。
賑やかと言うよりも多少騒がしいくらいの食事を終えた後、鳴鳥は皆から贈り物を受け取った。マリアンからは今身に着けているワンピースとアクセサリーを、コンラードとスティングからは護身用にとそれぞれ銃と小型ナイフを、アランからは座学に役立つという本を。装飾品から実用的なものまで、沢山の物を受け取り申し訳ない気持ちでいっぱいの鳴鳥であったが、快く受け取る事が送り主に何より喜んでもらえると分かっており、深々と礼をした後に笑顔を見せた。
「僕からはこれを」
「久城センパイ!?これって…」
久城から差し出された縦長のビロードケース。その中にはネックレスが入っており、ネックトップには細かい装飾のシルバーのリングがあった。一目見ても高価だと分かる代物で、人を送り出す際に渡すような代物ではない。流石にどうしてよいか戸惑う鳴鳥に対し、久城は柔らかい笑みを浮かべながら止めの殺し文句を述べる。
「本当はこの指輪を左手の薬指にはめたいんだけど、今は我慢しておくよ」
「く、久城センパイ…!そんな、皆さんの前で―――」
プロポーズとも取れる言葉に鳴鳥は顔を真っ赤にして慌てふためく。彼女が言うようにこの場は二人きりでなく皆が居り、シルヴィアら子ども達はきゃあきゃあとはしゃぎ、マリアンは口笛を鳴らして囃し立て、アランは微笑ましく見守っていて、スティングは何時もと変わらぬようだが若干目が細められており、コンラードに至ってはぐぬぬと悔しそうにしていた。
「(…そう、だよね。別に気にならないよね)」
チラリと横目で見る部屋の隅。ソファーに浅く座っているジルベルトはこちらの事などさして興味なさげに、一人グラスにワインを注ぎ飲んでいた。彼からも冷やかされるのは複雑だが、全く興味が無いような反応もチクリと胸が痛んだ。
「受け取ってはくれないかな?」
「…ありがとうございます。大切にしますね」
これまで受け取る事を躊躇っていた鳴鳥は態度を一変させて笑顔で受け取る。無反応なジルベルトに対する当て付けのようだが、その行動も彼は全く意に介していないようで、寂しさが募った。
「船長はプレゼント用意していないの?」
「…すまない。忘れていた」
「んまぁ!全くもう!何やっているのよ…」
マリアンに話を振られたジルベルトは気まずそうに、視線を逸らしつつ謝罪した。彼が久城の贈り物に対して何も反応しなかったのはそのせいだと納得がいくが、今度は忘れたという彼の言葉が引っ掛かった。マリアンだけでなく、コンラードからも馬鹿にされ、スティングには溜息を吐かれているジルベルトは再度謝り、鳴鳥は当然のように気にしないで欲しいと答える。それは偽りでなく心からそう思っているのだが、彼が忘れていたというのにはどこか腑に落ちなかった。
少し気になる事もあったが、その後はまた賑やかな宴が続き、先程の事も些細なものだと流せてしまう。分かってはいたが、やはり楽しい時間は短く感じられ、あっという間に過ぎてしまう。日を跨ぐ一時間ほど前、子ども達ははしゃぎつかれて眠っており、スティングとサンドラが寝室まで抱えて運んだ。アルヴァルディの面々も、鳴鳥とアラン以外は酒を飲んでおり、酔いが回ってきたのか、子ども達が寝室に行った後、程なくしてお開きとなる。
「もう飲めないっスよ~」
「コンラード!この程度で酔っぱらってんじゃないわよ~」
千鳥足のコンラードと壁に向かって絡みだすマリアン。厄介な二人を何とか車に押し込んだアランはハンドルを握りアルヴァルディを目指す。お酒の力というのは抑えていた気持ちすらもぶちまけさせてしまうらしく、コンラードだけでなくマリアンまで泣き出し、鳴鳥との別れを惜しんだ。
「最後の夜くらい一緒に寝てもいいじゃない!」「そうっス!」
「お前らいい加減にしろよ」
「もう!ケチな男はこれだから…!」「器が狭いっス!」
アルヴァルディに戻っても不貞腐れて絡む二人に対し流石に我慢の限界が来たのか、ジルベルトはコンラードをスティングに任せ、マリアンをアランと久城に任せた。成人男性にしては小柄なコンラードが巨体のスティングに敵う筈もなく、ひょいと持ち上げられ自室へと運ばれ、長身のマリアンは両脇からアランと久城に支えられて自室に向かう。面倒事が片付いたジルベルトは盛大な溜息を吐くが、ウンザリとした表情は一瞬で切り替え、鳴鳥へと向き直る。
「最後がこんなグダグダですまないな」
「いえ、今日は本当に楽しくて、嬉しかったです。ありがとうございました…!」
船内は危険な事などない筈だが、さも当然のようにジルベルトは鳴鳥を自室の前まで送る。鳴鳥自身もその事に違和感を覚えず、寧ろこの瞬間を嬉しく思っていた。それでも自室までの距離は短く、別れの時は直ぐにやって来る。
「それでは、お休みなさい」
「ああ、お休み」
閉じられた扉。本当は引き留めたくて、でも勇気が無くて、そのまま立ち尽くしていた。明日の朝にはこの船を降りなくてはならないというのに、あと一歩が踏み出せず、足は自然とベッドへと向いた。横になった所で眠れるはずも無く、時間は過ぎて行く。床に就いて二時間ほど経った頃、どうしても眠れない鳴鳥はのそりと上半身を起こした。
「(最後に、カモミールのミルクティー、飲んでおこうかな…)」
以前にも眠れなかった夜、寝台を抜け出してラウンジに向かい、ミルクティーを淹れて飲んだ。その時とは違い、自室には様々な器具が揃っていたが、それも今では片付けられ、また取り出すには手間がかかる。そういった理由もあり、以前と同じように鳴鳥はラウンジに向かった。
「(あの時みたいに、また会えたら、その時は…)」
こんな時間にそうそう会える訳は無い。分かってはいるが、もし会えるならば、その時には覚悟を決めようと決心しながら向かう。
「あ…」
あの時と全く同じように、ジルベルトは一人、ラウンジに居た。
鳴鳥と眠る前の挨拶を交わし、ジルベルトも自室に戻る所であったが、眠る気にはなれなかった彼はラウンジに向かう。
送別会は鳴鳥が喜んでいたようで成功だったと言えるが、皆の手前とあって彼女と二人きりでゆっくりと落ち着いて話が出来なかった。その事が名残惜しくもあるが、時間が時間だけあって無理を強いる訳にはいかない。そう自分に言い聞かせたジルベルトはコーヒーとタブレット端末を用意し、席に着く。後ろ髪を引かれる思いを振り払うには何かに没頭することが良い。今現在、ジルベルト達にはヘニングの計らいもあって任務が下ってはいないが、また明日からいつも通りの日常、任務が無い期間には副業をこなす事となる。その為の下調べなのだが、内容は頭に入ってこなかった。
捗らない作業。気を紛らわせるために懐から煙草を取り出そうとしたが、煙草とは違うものが指先に当たる。
「(結局、渡せなかった…。泣いていたマリアンやコンラードの事を馬鹿には出来ないな)」
黒いビロード張りのケース。後出しになってしまい、先に渡した久城の物と比較されるのを恐れてしまい、渡せずじまいになってしまった贈り物。自分でも意気地が無いと分かってはいる。今からでもまだ渡せる機会はあるというのに、ジルベルトにはそれが出来なかった。
タバコを数本、吸殻入れに、コーヒーを飲み干してマグカップの底が見える頃、二杯目を淹れようと席を立った瞬間、ラウンジの扉が開かれた。
「ナトリ…?」
「ジルベルトさん…」
まさか会えるとは思わず、互いに驚き、暫し硬直する。嬉しくない訳ではないのだが、時間が時間だけに手放しで喜ぶことが出来ず、つい眉間に皺を寄せてしまう。
「こんな時間にどうした?」
「ジルベルトさんこそ、どうしたんですか?」
「俺は明日からの仕事を、な」
「そう…ですか」
ジルベルトの言葉に、鳴鳥の表情に僅かに影が差す。明日からの仕事には彼女は居ない。不用意な言葉で傷つけてしまい、後悔しかけるが、鳴鳥は直ぐに笑顔を浮かべ、隣に居ても良いかと尋ねる。早く寝た方が良いと言わなければいけないところだが、今日は、今日だけはと自分に言い聞かせて彼女の願いを聞き入れる。何も言わずとも空のマグカップを受け取った鳴鳥は自分の紅茶とジルベルトのコーヒーを手に席に着く。
「あの、これ…」
「…!これは―――」
うっかり仕舞い忘れていた贈り物。言い訳をするのも馬鹿らしく感じたジルベルトは観念したようで、そのケースを鳴鳥の前に差し出す。
「これ、もしかして私に?」
「お前以外、誰にやるっていうんだ」
「そ、そうですね。ありがとうございます」
「礼なら中身を確かめてからにしてくれ。…もっとも、中を見れば礼など言う気にはなれなくなるかもしれんがな」
きっとこんな物を貰っても困るだろう。久城の物と比べれば見劣りする物に落胆するだろう姿を見たくなくて視線を落とす。ケースの開く音、金属同士が触れる音、手に取ってくれているのが見ていなくても分かるが、やはり顔は合わせられない。
「えっと、似合っていますか?」
問われて顔を上げる。ガッカリとではなく、少し不安そうな表情。鳴鳥はジルベルトが渡した贈り物、シルバーチェーンの小さな羽のチャームが付いたドックタグを早速身に着けて問いかけてきた。久城の時とは違う反応。彼が渡したネックレスは身に着けていなかったが、自分のは直ぐに身に着けてくれた。その違いに口端が緩みそうになるが、努めて抑え、短く「ああ」とだけ答える。それだけの言葉なのにもかかわらず、鳴鳥は目を細め、喜んでいた。勘違いをしてしまいそうになる態度。そんな事はあり得ないと思いつつも、鳴鳥に渡せて、喜んで貰えたようで内心安堵のため息を吐いた。
「これ、私の名前と…誕生日に…血液型、ですね」
「今の時代にドックタグは必要ないんだが、まぁお守りみたいなもんだ」
「お守り…。本当に…、ありがとうございます」
「気を遣わなくてもいいんだぞ。女としては、クランドが渡したようなモノの方が良いだろう?」
「そんな事、ないです…!凄く、嬉しいんです…」
フルフルと首を横に振る鳴鳥はタグをギュッと握りしめて言う。僅かに潤んだ瞳、赤みをさした頬、キュッと口を結んでいた鳴鳥は何か言いたげに口を開くが、言い出せずに口ごもる。今更遠慮はいらない、今言える事は言っておくようにとジルベルトは促し、鳴鳥はこくんと小さく頷く。
「本当にいいんですか?」
「ああ、あまり無茶な要求には応えられないがな」
「お、驚いたり、笑わないで聞いてくれますか?」
「内容にもよるが…。まぁ遠慮などせずに言ってみろ」
佇まいを直してじっと視線を合わせ、そして彼女は想いを告げる。
「わ、私は、ジルベルトさんの事が―――」




