第57話 Feelings included among a crimson ribbon
敵に捕らわれた鳴鳥はジルベルト達によって無事に皆の元へと戻ることが出来た。全ては順調に進んでいたが、鳴鳥がアルヴァルディに戻るのと入れ違いに、ジルベルトが敵に捕らわれる。そんな事はあり得ない、ジルベルトならば持ち前の回復力で危機を脱せる筈だと思われたが、鳴鳥には手立てがないことが分かっていた。無様に転がるジルベルトの頭を踏みつける白衣の男、その者の孕む危険性に、少しだけしか会い見えなかった鳴鳥だが、ひしひしと肌身に感じていた。
愕然とする鳴鳥には男の声が受け入れられないようで、話が進まない。彼女の代わりに交渉に乗り出したのはアランだった。
「…貴方が望む物は何ですか」
「そこのお嬢さんのARKHEDを渡して貰おう」
「ARKHEDを…?」
何故機体を欲するのか。搭乗者の居ないARKHEDはただの巨大な置物同然であり、人質を取ってまで欲する理由は思いつかないが、もしかすると彼には契約を解除し、搭乗者を変える手立てを持っているのかも知れない。人一人の命の対価としては安いようにも思えるが、どちらにせよここでアランが独断で判断できる内容ではない。
「…少しお時間をいただけますか」
「構わないよ。いくら時間を掛けても良いが、人質の命は保証しないけれどね」
「もう…止めて下さい…っ!」
「ならば急いでくれたまえ」
鳴鳥は必死に呼びかけるが、男は全く応じる素振を見せずに通信を切った。何も映さなくなった小型通信機。糸が切れたかのように、全身から力を失った鳴鳥は倒れそうになり、アランが咄嗟に支えた。取り乱していたのが嘘だったかのように、今では自分を責めて後悔の言葉を呟く鳴鳥。彼女の様子も放っては置けないが、今は何より現状を報告するのが先決である。アランはすぐさまブリューナクで指揮を執っていたヘニングへと連絡を繋いだ。
「…それは本当かい?」
「はい、確かにこの目で確認しました。それに―――」
「…あの人なら、可能です」
ジルベルトの現状にヘニングは信じ難いといった様子であったが、鳴鳥の言葉を聞いて納得いったようだ。本来ならば、上層部で協議の上で答えを出す筈だが、事は一刻を争い、判断が遅くなれば遅くなる程、取り返しのつかないことになる。それでもヘニングには判断しかねるのか、少しばかり時間をと言い、一旦通信を切ろうとしたが、鳴鳥が声を上げた。
「お願いします…!直ぐに交渉をさせて下さい」
「…君はそれで良いのかい?ARKHEDを失えば、今の君ではその場に居られなくなるかも知れないんだよ」
「…!」
ヘニングの言う通り。今、鳴鳥が特務部に属し、アルヴァルディに居られるのはARKHEDの力によるところが大きい。その力を失えば非力な彼女はとても過酷な任務についてはいけない。指摘されて初めて気づき、思わず言葉を詰まらせる鳴鳥であったが、彼女の決意は揺るがない。
「元々、ここに居るのを望んだのは皆さんの力になりたかったから…。だとしたら、今、私に出来るのは、交渉に応じる事だけです」
揺るぎない真剣な眼差し。その意志の強さに絆されてしまったのか、ヘニングは重い溜息を吐きつつも口元を緩めていた。
「上への報告、全責任は私が背負う。アラン君、ナトリ君、任せられるか」
「はい。了解しました」「ありがとうございます…!」
「まぁ、あの方なら人命を優先するだろうし、気負わなくていいからね」
ヘニングの了解は得た。アランはもう一度ジルベルトの端末に繋ぎ、交渉に応じる旨を相手に伝える。
第57話 Feelings included among a crimson ribbon
何もない筈の宙域に現れた小惑星の要塞。そのドックで鳴鳥は一人、立っていた。彼女が待つ者、白衣の男は程なくしてその姿を現す。彼の背後には人一人が収まるくらいの筒状の機械が追随しており、その中にはジルベルトの身が収められていた。思わず鳴鳥は名を呼び叫ぶが、ジルベルトが応える事は無い。
「言っておくが、この者の命は私が握っている。妙な真似をするならば…」
気配を察知したのか、隙あらば取り押さえようと待ち構えていたスティングは踏み出せずにいた。
人質との交換。ピンと空気が張り詰めるのが普通であるが、白衣の男からは緊張感が感じられない。それは彼が優位で、余裕がある証拠だろう。
男の指示通りに、鳴鳥は通信機を手にARKHEDを呼び出す。アルヴァルディから降り立つ機体はドックに着くと停止する。これが鳴鳥の引き渡すものであり、進み出た鳴鳥はARKHEDを呼び出すこともできる端末を床に置いて離れる。男がそれを拾い上げ、確認をした後にジルベルトを引き渡す。すぐさまアランがジルベルトを捕えた機械の元に駆け寄り、解放を試みたが上手くいかない。
「後ほど解除コードを送る」
分厚い透明な板の向こう側、ジルベルトの身体は酷く傷ついており、一刻も早く治療を要する状態である。彼を助け出すには大人しくここから離れる事が条件らしく、鳴鳥達は素直に従わざるを得ない。アルヴァルディへと引き揚げた鳴鳥達は歯痒い思いを抱きつつも後ろを振り返らぬよう発進させた。
これまで全く開く気配を見せなかった筒状の機械は小惑星を離れて暫くするとすんなりと開いた。目を閉じたままのジルベルト。顔色は悪く、生きているのか怪しい所だが、脈は微弱ながら確認でき、呼吸もしていた。アランはすぐさま応急処置に取り掛かる。
「―――リさん、ナトリさん…!」
「は、はい…っ」
「一命は取り留めているようですが、急いだ方が良さそうです。手伝って頂けますか?」
「わ、分かりました」
アランに声を掛けられ、狼狽えていた鳴鳥は正気に戻り、すぐさま応急処置を手伝う。
未だ小惑星の要塞周辺では戦闘が繰り広げられており、スティングは巧みに船体を操作し、レーザーやミサイルを掻い潜りながらブリューナクへと近づく。無事、着艦を済ませた所でブリューナクのブリッジは緊急の通達を発した。
「小惑星要塞を中心として巨大な転移波を確認、60秒後に時空転移をします」
「転移ポイントは何処だ!?」
「座標は…特定できません!」
「…っ、総員退避!」
転移に巻き込まれれば戦力は分断される。また、不安定な状況下での転移は船体や機体がバラバラになる可能性すらもある。易々と逃す訳にはいかないが、鳴鳥の奪還という最重要事項を達成した事、また、ジルベルトが動けない状況、戦力が不十分な事を考慮し連合軍本隊は撤退を命じた。
セルべリア達と交戦中であったクランド達は号令に従い早々に退く。敵からの追撃は無かった。彼女らは逆方向に、小惑星の要塞を目指して退く。
ブリューナクからのカウントダウンに合わせて小惑星の周りの空間が歪み、収縮し、忽然と姿を消した。
皆、生還を果たした。けれども鳴鳥は、ARKHEDを失い、アルヴァルディに、ジルベルト達の傍に居られる資格を失った。
ゆっくりと開かれる瞼。死を覚悟したジルベルトが再び目を覚ました場所。そこは見慣れぬ天井であったが、消毒の香りと脈を測る装置の電子音で居場所を把握した。どこかの医務室。そして自分は床に伏していたのだと知る。
あれだけ痛みを訴えていた身体は今や難なく動かすこともできるほどに回復しきっている。至る所に包帯を巻かれてはいるが、傷口は既に塞がっているようだ。生きている。己の身体からその事を実感するが、何よりも生きていることを感じさせたのはベッドの横でうつらうつらと舟を漕ぐ鳴鳥の姿を視界に捉えたからだった。
「―――んん…、ジルベルト…さん…」
どんな夢を見ているのか分からないが、名を呟かれただけで胸は高鳴る。その安らかな寝顔に思わず口元が緩んでしまうが、少しだけ身じろぎした鳴鳥の閉じられた瞼から一筋の涙が零れ落ちた。何かを探すように動く指先。小さなその手をジルベルトは優しく握り、空いた方の手で涙をそっと拭う。眠りが浅かったのか、ジルベルトが軽く触れた後、鳴鳥の瞼がゆっくりと開かれる。
「んぁ………ジル…ベルト…さん?」
「すまない。起こしてしまったか」
寝惚け眼でぼんやりとしていた鳴鳥はのそりと身を起こす。そこではたと合う視線と視線。しばし呆然としていた鳴鳥だったが、ようやく状況を理解したのか、目を見開き慌てて後ろに、椅子から落ちそうになる。思わず握っていた手を引き寄せ、抱き留める事で難を免れたが、鳴鳥の身はジルベルトの懐に収まる形となった。
「す、すみませ…―――ジ、ジルベルトさん?」
「少しだけ、良いか」
「…はい」
以前と変わらぬ柔らかい身体、鼻孔をくすぐる甘い香り、サラサラと触り心地の良い髪。何一つ違わないその抱き心地の良さは一瞬でも手にしてしまえば放し難いものだった。小さく頷いた鳴鳥はその身を預けて目を細める。このままずっと、こうして居られればと願っていたが、押し殺した嗚咽と小刻みに震える身体にハッとする。
「良かった…っ、本当に…よかったぁ…」
「心配をかけたか」
「当たり前です!前に言ったじゃないですか…もしかしたらこうなるかもって…」
「過信し過ぎていたな。不安な思いをさせてすまなかった」
「…良いです。こうしてここに、居るんですから。でもでも、もう二度と、無茶な真似はしないでくださいね」
「分かった。だからもう泣くな」
「…はい」
心配をしたという点ではジルベルトも負けてはいない。鳴鳥が敵に捕らわれていた時、憔悴しきったほどであるが、こうして無事に、笑顔を見ることが出来れば些細な事に思えてくる。互いに無事を喜び、その身でその存在を確かめていたが、何やら思い出したかのようにハッとする鳴鳥が身じろぎ二人の距離は離れた。
「そう言えば、どうして戻ったりなんかしたんですか?」
「それは…。忘れ物を取りにだな、戻った訳だ」
どうにも歯切れの悪い言葉に鳴鳥は首を傾げるが、危険を顧みずに戻ったという事は余程大切な何かあったのだろうと自己完結したようで、再度今後は無理をしないようにと念を押してきた。無謀な事をしでかして心配をするのはジルベルトの役目であったはずだが、いつの間にか立場が逆転していて、こうして不安そうな顔をされる。悪いとは思いつつも、その想いは嬉しく思う。了承の代わりに、手を伸ばして頭を撫でると憂いの表情は心地よさげなものに、目を細めて微笑む。またもや抱きたい衝動に駆られるが、何とか堪えてそっと手を離す。気持ちを誤魔化すように、ジルベルトは鳴鳥に問いかけた。
「一つ聞きたいんだが、倒れる前に俺が身に着けていた荷物は…」
「それならここにありますよ」
そう言いながら、鳴鳥はサイドチェストの戸を開いて取り出した。身に着けていた衣服はボロボロになっていて処分されたようだが、腰にあったポーチの類は無事だったらしい。手渡されたポーチからある物を取り出したジルベルトはそれを鳴鳥に手渡す。手のひらにそっと乗せられた物、それは二本のえんじ色のリボンであった。
「これは…」
「大切な物、なんだろう」
「まさか…ジルベルトさん、これを取りに戻って…?」
「…いいや、ついでだ」
急に視線を外し、少しばかり言葉尻が弱くなる。驚き目を見開いていた鳴鳥は否定されるもすべてを察したようだ。受け取ったリボンをギュッと胸の前で握りしめ、俯いた鳴鳥は肩を震わせていた。こんな事の為にと怒られるのかと身構えるジルベルトだが、その必要は無かった。ぽたりぽたりと落ちる雫。くしゃっと顔を歪ませた鳴鳥はまた泣いていた。本当は喜んで欲しくて取りに戻ったのだが、結果として泣かせてしまった。思わぬ反応に狼狽えるジルベルトはどうしたものかと後ろ頭を掻きつつ考えあぐねている。
止めどない涙を袖で拭い、なんとか抑え込むことが出来た鳴鳥は俯いたまま礼を言う。
「…ありがとう…ございます」
「喜んでくれたのなら、それで良い。でも、何もそこまで泣くほどのものでもないだろう?」
「だって…嬉しくて…。ごめんなさい…」
「いや、謝る必要は無い」
気にする事ではないと言われて落ち着いたのか、鳴鳥は受け取ったリボンでいつも通りの髪型、ツーサイドアップに括り上げる。少し幼くもある髪型だが、やはりよく似合っていると納得したジルベルトは、捻じれていないかと気にする鳴鳥に対し問題ないと笑顔を向ける。髪形も整え、佇まいを直した鳴鳥は一息つき、真っ赤に腫らした目を見られたくはないのか、俯いたままポツリポツリと呟くように言葉を発する。
「あの…ジルベルトさん」
「どうかしたのか?」
「私…―――」
何かを言いたそうにしているが、言い辛い内容なのか、言葉を途切れさせた後に何でもないと誤魔化しだす。言いかけて飲み込む内容というのは聞かされた方が気になるもので、ジルベルトは自分に構うことなく続けるようにと促すが、鳴鳥は首を横に振った。未だ俯いたままの彼女の頬には僅かに赤みが差していたが、ジルベルトは気付かない。
これ以上追及されるのを免れる為にか、鳴鳥は目覚めた事を伝えに医師を呼んでくると言いながら立ち上がる。遠ざかる背中、離れて行く手を取り引き留めたくも感じたが、ジルベルトは何も言わずに見送った。
鳴鳥が去った後の病室。彼女がいないだけで真っ白な壁や室内は寒々しさを感じさせる。死の淵に立たされた時に願った事。それが叶い、ジルベルトは確信する。これまで何度も言い訳をしていた答え。
「(俺は…。俺は…ナトリの事が…)」
けれどもその想いは明かす訳にはいかない。打ち明けた所で困らせてしまう事は明白だが、それよりも何よりもジルベルトにとってその答えは胸の内に仕舞わなければならない理由があった。
星団連合軍本部に隣接した場所にある病院。その中でも位の高い者や特別な者達の病室が並ぶ通路を鳴鳥は歩いていた。医師達を呼ぶには部屋にあるインターフォンを使えばよかったのだが、そうせずにいたのは訳があった。赤く腫れた目を冷ましたいというのもあったが、何よりもどうにかしなくてはならないのは頬にこもった熱と、ドクドクと五月蠅く鳴る鼓動だった。
途中手洗い場に立ち寄った鳴鳥は冷たい水で顔を洗うが、サッパリしたところで目の前の鏡に映る自分の姿、髪を結っている真紅のリボンが視界に入り、先程の事を思い出した。危険を顧みずに取り戻してくれた物、本人は否定していたが、その気持ちは確かに伝わる。
ジルベルトが鳴鳥の為に体を張る事は今回だけじゃない。出逢ってすぐにも、彼は身を挺し守ろうとしてくれた。いつだって彼は何かと言い訳をするが、辛い現実に打ちのめされた時には傍に居てくれて、支えてくれて、それは一度や二度ではない。危機に陥ればどんな場所にでも駆けつけてくれる。
これまでにも気づきかけていた想い。そんなことはあり得ないと思っていたが、鳴鳥の中でジルベルトの存在は大きくなり過ぎていて、先程は思わず胸の内を口にしそうになってしまった。
「(ようやく…分かった。私は―――)」
揺れ動いていた気持ちにようやく確信が持てたが、自分でも無意識のうちに秘めた想いを溢しそうになり、つい逃げてしまった。きっと受け入れては貰えないだろうという不安があるが、それでもこのまま想いを告げないで逃げているばかりではいられなかった。
「(伝えないと…。だって、もう私は…)」
愛しく想う者の傍に居られる時間。それは限られていた。
それはジルベルトが目覚める数時間前。鳴鳥は単身、特務部のヘニングの元へと赴いていた。呼び出された内容。それは言うまでも無く今後の身の振り方についてである。一騎当千以上の力を持つARKHEDを敵に渡してしまい、本来ならば処罰される所だが、状況が状況だけに罰は下されなかった。けれども今後の事は話が別である。とりわけ危険な地での任務が多い特務部に鳴鳥が配属できたのはARKHEDの力を持っていたからという所が大きい。ARKSに乗る事も出来ず、正規の兵科訓練を受けていない鳴鳥はARKHEDを失えば当然としてアルヴァルディに乗船する資格を失う。
敵からARKHEDを奪還するという手立てもあるが、居場所が掴めない事、脅威となり得る物を敵が易々と手放す訳は無い事から、その策は絶望的である。
「さて、事前にも伝えておいたが、君には今後の身の振り方について三つ選択肢がある」
ヘニングが示した三つの選択肢。沢山あるようにも思えるが、そのどれもがジルベルト達と離れなくてはならないものであり、鳴鳥にとっては自由などあってないようなものである。
一つは改めて軍学校に入る事。そこでARKSの技術を習得すれば配属先にもよるが、またジルベルト達と共に居られる可能性もある。けれども軍学校は最低でも四年間通わなくてはならない上に寮生活で外出は限られている。二つ目は一般人に戻る事。元々普通の高校生であった鳴鳥は難民として支援を受けられるらしく、ごく一般の学生に戻り、衣食住にも困らないそうだ。三つ目は特務部の事務官として本部に残る事。これはヘニングが進言したらしい。今回の一件の責を負った彼が無理を言い、益々上層部に不興を買って睨まれたらしいが、鳴鳥が望むのならばというミリアムの鶴の一声で決めたそうだ。
「私としては是非三番目の選択肢を選んで欲しいのだがね」
確かに。三番目の選択ならばジルベルト達とも会う機会が無いわけではない。それでもその言葉に甘える訳にはいかなかった。膝の上に置いた両手をキュッと握り、決意の眼差しを向ける鳴鳥は決断する。
「そもそも今回の、私が攫われてしまったのは、私の力不足です。やっぱり、皆さんと肩を並べるなど早すぎた…。ですので、一からもう一度、対等になれるよう学び直したいんです」
「つまり、君は一番目の選択。軍学校に通う事を選ぶんだね」
「はい…。その、お心遣いは有難いですし、嬉しいのですが、このまま自分を甘やかしてばかりだと為にならないと思うんです」
「そうか…。僕としては残念な所だが、向上心があるのは良い事だと思うよ」
「今まで、大変お世話になりました」
深々と頭を下げる鳴鳥。迷いが無いように見えるが、彼女の握られた拳は小刻みに震えていた。本当はアルヴァルディの皆と離れたくないのだろうと容易に見て取れ、ヘニングの方が心を痛める。けれども彼女は決断を下した。その想いを無下にする訳にもいかず、ヘニングは答えを受けとめる。
「今から申請をして七日くらいかかるかな。それと、皆への説明は…」
「私からします」
「それじゃあ頼んだよ。それから、僕は今までありがとうとは言わない。卒業後、戻ってきてくれるのを待っているからね」
「ヘニング団長…!私、頑張ります…!」
今後の身の振り方が決まり、ここ二、三日の日課になっていたジルベルトの見舞いに病室を訪れた鳴鳥。彼が目覚めた事もあり、自分の事は言い出しそびれてしまった。上官であるジルベルトには真っ先に伝えなくてはならないが、一番言い難い。その上彼への想いに気が付いた今ではさらに切り出し辛くある。
「(それでも、ちゃんと伝えなきゃ…。もう会えなくなるかも知れないんだから)」
医師を呼び、再び病室に戻ったが、これから検査があるとの事で鳴鳥は席を外す。気持ちは固まっていると思っていたが、ジルベルトの姿をまともに見ることが出来ず、つい目線を外し、鳴鳥は病院を後にした。
大きな任務の後であり、船長であるジルベルトが不在という事もある為、現在アルヴァルディはアストリアのドックに停泊しており、船員達は船内で待機していた。アルヴァルディへと戻った鳴鳥は皆が揃う夕食時に今後の事を打ち明ける。鳴鳥がこの船を降りなくてはならないと誰もが分かっていたようで驚くことはなかったが、その後の事の選択には驚きを隠せなかったらしい。それでも鳴鳥の決断に異を唱える者は一人もおらず、皆、彼女の意志を尊重しつつも別れを惜しんだ。
「寂しくなりますね」
「本当っス…!もうこの美味しいご飯が食べられないとなると…っ」
「ちょっと!コンラード、男ならみっともなく涙を見せないの」
「マリアンは辛くないんっスか!?」
「私だって嫌よ。だけど、ナトリが決めた事ならその意思を尊重するわ」
「ウム、そうだな。惜しくもあるが、一から学ぶという姿勢は良い事だ」
「スティングまで…。俺も反対って訳じゃないんっスよ。ただ、やっぱり寂しいなって…」
「皆さん…。ありがとうございます…!」
泣くまいと思っていたが、皆の心遣いに涙が込み上げてくる。必死に涙を堪えようとする姿に気が付いたのか、マリアンが胸を貸してくれようと両手を広げるが、咄嗟にコンラードが割って入り阻止した。邪魔をされたマリアンは仕返しにアームロックを掛けてコンラードはギブアップを訴えながらテーブルをバンバンと叩く。湿っぽい空気は何処へやら、あっという間に雰囲気は何時もの賑やかなものへと変わり、鳴鳥の涙は引っ込んでしまい笑顔がこぼれた。決まった事はどうしようもない。その事を承知している皆は話題を明るいものに、良い方向へと運ぶ。
「軍学校と言えば、夏と冬に長期休暇もありますし、全く会えないと言う訳でもありませんよ」
「アランの言う通り、休みになったら連絡を頂戴。船長が駄目と言っても予定を空けるから」
「連絡と言えば、お、俺の所には毎晩連絡してきていいっスよ!」
「調子に乗らないの!」
「あててて!ギブ!ギブっスよ!」
力ずくで調子付いたコンラードを抑え込んだマリアン。力を入れ過ぎたのか、カクッと力が抜けて倒れ込むコンラードに慌てた鳴鳥が近づき介抱する。落とされたことは彼にとって不運だったが、鳴鳥に支えて貰えたのは役得である。思わず鼻の下を伸ばしていたが、マリアンの笑みにすぐさま身を離して気丈に振る舞う。賑やかな食卓ですっかり悲しい気持ちが霧散した鳴鳥であるが、ふと一人だけ一言も発していないことに気が付く。何も言わなかった久城は一見何時もと変わらぬように見えるが、その笑顔は固くぎこちないものであった。
夕食を終え、皆が自室に戻る中、片付けに取り掛かっていた鳴鳥は久城に声を掛けられる。
「後で、時間をいいかな」
「あ、はい。えっと…」
「自室で待っている」
「分かりました。直ぐに済ませますね」
「急がなくてゆっくりで良いよ」
無理はしなくて良いと優しく微笑むが、やはりどこかおかしく、違和感を覚える。鳴鳥は首を傾げつつもこの場では問う事が叶わず、一先ずは片付けに専念することにした。
きっと大事な話なのだろう。そう思い至った鳴鳥は食後の片付けを済ませた後に素早く身支度を整え、久城の部屋を訪ねた。
「お待たせしました。えっと…」
「取り敢えず座ってくれるかな。あと、鳴鳥は紅茶で良い?」
「あ、それなら私が用意を―――」
「今日は僕に用意させて欲しいんだけど」
「え?で、でも…」
「いいからいいから」
両肩を掴まれソファーへ座るよう促され、鳴鳥はストンと腰を下ろした。程なくして手際よく用意された二人分の紅茶。やはり何でも出来るのだろう。久城の入れた紅茶は茶葉の風味が損なわれる事なく美味しいものであった。暫くお茶を楽しみ、無言が続く。何時もならばこの時間も戸惑うことは無いが、何故だか今日はそわそわと、少しばかり居心地悪く感じる。それは隣に座る久城が何かを言い出そうとして躊躇うからであった。カップの底が見えた頃、久城はお代わりをと立ち上がろうとするが、鳴鳥は断って引き留めた。
「えっと、お話があったのでは?」
「そうだね。うん、そうなんだけど…」
腰を下ろした久城は彼らしくも無く煮え切らない様子で、言い淀む。そのような状態の彼に対し、言い難い事ならば無理はしなくて良い、自分の事ならば気遣わなくて良いと願い出る鳴鳥。そこまで言われてしまえばもう後には引けないのだろう。一呼吸置いた久城はようやく本題を切り出した。
「ずっと、言わなければと思っていて言えなかった事があるんだ。…幻滅されるのが怖くて言えなかったけど、鳴鳥がこの船を降りると聞いて、このままでは駄目だと思って…」
「そんな…!どんなことでも幻滅なんてしませんよ」
「そうだと良いんだけど」
「…大丈夫です。あ、でも、辛いようなら無理をなさらなくても―――」
「いいや、ここで話さなくては前に進めない。だから聞いて欲しい」
「はい…」
以前二人きりで話した時とは違う空気。張りつめた、緊張感のある中、久城は過去の話をした。それは二人にとっては辛いもので目を逸らしたくもあるが、そう至った原因をここに来て初めて明かされる。
「全ては僕のせいなんだ…」
久城の妹、由利亜が死に至った理由。今も昔も鳴鳥は由利亜が苦しんでいるのに気付けなかった事を悔やみ、自分を責めていた。けれどもそれは間違いであり、本来責められるべきなのは自分の方だと久城は言う。
「そんな事はありません!久城センパイは海外に居て、私は頻繁に連絡を取っていた。駆けつける事は出来たのに。…やっぱり私が―――」
「違うんだ。悪いのは僕だ。…そもそも由利亜と君を引き離したのは僕、なんだ」
「え…?それはどういう…」
由利亜は高校に進学する時、鳴鳥とは別の高校を選んだ。それはこれまで鳴鳥に頼り過ぎていた自分を変える為の決断であったが、結果として彼女は心無い者達に追い詰められ、自ら死を選んだ。その選択が、由利亜の兄である自分のせいだと彼は言う。
信じ難い事実。それでも久城の後ろめたそうな、自らの罪を受けとめ、断罪を待つ姿はとても偽りを述べているようには見えない。
「どうして…そんな…」
「由利亜は大切な妹だった。けれども、時折…疎ましく思う事もあったんだ」
久城と由利亜。二人はとても仲の良い兄妹に見えていた。けれどもそれは見せかけだけだったと久城は言う。小さな頃から一緒に居たはずだが全く気が付かなかった。気付けなかった事を悔やむ鳴鳥であるが、二人は意図して気付かれないようにしていたのだろう。
何故久城は由利亜の事を疎んでいたのか、鳴鳥は考えてみるが思い当たる節が無い。由利亜は大人しく、誰にでも分け隔てなく優しく接する。それは兄に対しても同じで、とても嫌いになる要素などないと思われる。ならばどうして、久城が由利亜に対して鳴鳥と距離を取らせるような真似をしたのか。問いかける前に問いたい事を察してくれたのだろう。自嘲気味に笑った久城は深呼吸をし、動悸を抑えた所で告げた。
「全ては、僕が…。僕が君の事を好きだからだ」
唐突な愛の告白に鳴鳥は驚き身体を硬直させた。




