第55話 Red wave motion in which a wish was included
敵に攫われた鳴鳥の捜索の為、ジルベルトがARKHEDに搭乗してから既に丸一日が経った。体質ゆえにいくら肉体的に疲労が無いとはいえ、精神的にはとうに限界を超えている。大切な者を守れなかった事を悔いるのに加え、長時間のARKHEDの力を行使するのはジルベルトの精神をボロボロにしていく。
重なる精神的疲労に意識を手放しそうになるが、倒れる訳にはいかないと手のひら大の細いピックを取り出し自らの大腿部に突き立てる。走る痛みは意識を覚醒させ、気を失うのを立ち止まらせた。
「(何処に居るんだ…。ナトリ…っ)」
果てのない宇宙で人一人を探し出す。それは砂漠に落とされた一粒の宝石を探し出す事に等しく、たった一人だけでどれだけ手を尽くそうがどうにかなる訳ではない。傍から見れば無謀な行為であるが、ジルベルトは休む間を惜しみ死力の限りを尽くす。
全ては鳴鳥を取り戻す為に。手の届かぬ場所に行ってしまった事で改めて大切さが身に染みる。仮に彼女が見つかり、無事に救い出すことができたとしても、この想いが叶う事は無い。それでも彼女の笑顔が見られればいい、例えそれが他の者に向けられたとしても、今はひと時でも鳴鳥の顔が見たく、声が聞きたかった。
ひとり捜索を続けるジルベルトの元に、彼を心配したアルヴァルディの面々が入れ代わり立ち代わりで連絡を入れてくる。その都度に平気だと言い、通信を遮断するが、今度の連絡は様子が違った。アランが告げた内容。掻い摘んだ連絡事項にジルベルトは目を見開き、脱力する。
「そうか…そんな方法があったとはな」
「直ぐに帰還して下さい」
「ああ、分かった」
ジルベルト機に追随していたアルヴァルディ。一旦引き返し、アルヴァルディのハンガーに機体を収めたジルベルトはアストリアに帰還するまでに泥のように眠った。
第55話 Red wave motion in which a wish was included
星団連合本部直轄ARKHED研究機関。通称、SARでは一人の男の身体検査、ARKHEDの精査が行われ、ひと段落ついた所であった。何時もの鋭い目つきで自信に満ち溢れた風はどこへやら、その男、フラヴィオの今の姿は彼らしくも無く、やつれきった様子であった。
ここに来るまで彼はとても手の付けられない程に取り乱し、ラウナの病室から離れようとしなかった。やむを得ず鎮静剤を投与し、落ち着かせた訳だが、今度はこれまであった出来事を冷静に顧みたのだろう。後悔の念に駆られ、自我を失いそうになるまで追い詰められていた。
そのような覇気を感じられないフラヴィオの元に一人の少女が訪ねてくる。空色の髪は肩までに切り揃えられ、黒いヒラヒラとした衣服を纏った少女。奇跡的に意識を取り戻し、驚異的な回復力で退院をしたラウナである。
「…俺は…夢を見ているのか?」
「夢なんかじゃないわ」
目の前に居る事が信じられず呆然と立ち尽くすフラヴィオ。あまりの衝撃に足元から崩れた彼にラウナは駆け寄り支えた。触れ合う事で、温もりを感じる事で存在を確かなものにしたのだろう。小さな身体を包み込むように、と言うよりも、二度と放すまいと抱きしめる。力加減がされていない抱擁にラウナは戸惑うが、涙を流してまでも喜ぶ姿に痛いとは言えなかった。
「本当に…ラウナ、なんだな」
「ええ、幻ではないわ」
「良かった…、クソッ、なんでこんなに嬉しいんだか…」
これまでフラヴィオにとって自分など、ただの介護役にしか思われていなかったとラウナは決めつけていた。けれども今の彼を見るに、それ以上の感情があると窺える。その事はラウナの心を温かく包み、自然と口元を緩めさせた。
それでもこれで彼との関係は変わる。その事を告げるのは恐ろしいが、逃れはしない。こうなる事は彼が望んでいたのだと、自分の気持ちに蓋をした。
「おめでとう、と言うべきかしら」
「何の事だ…?」
「何って、…枷の事よ。記憶、あるんでしょう」
「あ、ああ。その事か」
あれ程願っていたのに喜ぶ素振りは見せない。何故そこまで反応が薄いのか分からずに首を傾げるラウナにフラヴィオは後ろ頭を掻きつつ困ったように笑っていた。
「どうにも変な感覚で、未だ実感が湧かねェんだ」
「まぁ、そういうものかしらね」
「それに、今は手放しで喜べる状態じゃねェ」
真剣な眼差しを向けるフラヴィオ。彼がそう言うのも当然の事である。記憶を有した彼は、彼の想い人がどうなったかを覚えている。それは自分の責任であり、そんな状態で浮かれる訳にはいかない。鳴鳥の事を知って、自分が何をしたのか受けとめていた。これまでは茫然自失であったが、ラウナの無事を知り、彼女のお蔭でらしさを取り戻したのだろう。己を責めて自我の崩壊を招くかと危惧していたラウナだったが、杞憂で済んだ。
「まだ、取り返しはつくと思うか?」
「ええ、その為に迎えに来たのよ」
差し出された小さな手をフラヴィオはしっかりと握る。その顔つきは元の姿に、不敵で自信家の彼らしい姿へと戻っていた。
自分に出来る事がまだあると知らされ、フラヴィオは再び立ち上がった訳だが、今現在彼は検査の途中であり、この場から離れて良い訳ではない。どうしたものかとフラヴィオは頭を悩ませていた所、白衣姿の女性が近づいて来た。小麦色の肌に豊満なボディ、およそ研究者らしからぬ姿であるが、彼女、カルラは列記とした研究者であり、SARの所長である。
「安心なさい。上から話は聞いているわ。まぁクランド君の時と同じでこのまま調べても何も出なさそうだし、そして何よりも!早くナトリちゃんを救わなきゃいけないわ!」
「あ、ああ…。そうだな」
人一倍やる気に火を点けているカルラは自分も作戦に参加すると言い、一足先に招集場所へと向かって行った。嵐が過ぎ去ったかのように静かになった場でフラヴィオはラウナと顔を見合わせていたが、こんな所で立ち止まっていてはいけないと思い立つ。深く頷き合った彼らは自分達に出来る事をと踏み出すが、ラウナはふと歩みを止めた。
「どうした…?まさかまだ具合が悪いとか―――」
「違うの。ただ、貴方の枷は無くなって、私の役目は…」
これまでフラヴィオがラウナと共に居たのは、毎日ARKHED契約時までリセットされる彼の記憶を不便の無いようフォローする為だった。そうでもなければ彼の好みでもない幼い少女など、彼の遊びの邪魔に他ならない。どう返事が返されるか恐ろしくもあったが、有耶無耶にしてはならないとラウナは問いかけた。
判決を待つように、動揺しつつも静かに待っていたラウナに対し、振り返ったフラヴィオは訝しげな表情であるが、ハッキリと言う。
「ラウナ、お前はマネージャーだろ?宇宙一レーサーの俺様のな」
「…!…そうね。そう、だったわ」
枷が無くなろうともフラヴィオは変わらず必要としてくれていた。不安を抱く必要などなかったのだと。その時初めてラウナは知る。
何時もと変わらない無表情。それでもフラヴィオには柔らかく微笑む姿が見えた。
アストリア、星団連合軍議会室。そこにはヘニングを始めとした連合軍の上官達、ジルベルトと久城、ソフィーリヤとクヴァル、フラヴィオにラウナとARKHEDの契約者が揃い踏み、そして連合議会議長であるミリアムも席に着いていた。
モニターを前に作戦の説明をするのはカルラで、彼女は今作戦の指揮を執る。
「まずはナトリちゃんの機体のコントロールを掌握、その後探索に精神力を消耗するから、この役目はジルベルト君、貴方に頼めるかしら」
「分かりました」
「任せたわよ。で、その後はこちらの指示で各機がジルベルト君の機体に同期をするんだけど、意志の統一が肝心よ。ARKHEDは精神力で動かすものだから、皆が同じ思いで強く願えばその分効果も広がる。分かってはいると思うけど、雑念は捨てる様に」
簡単な説明と注意事項が述べられ、最後に作戦の決行時刻と集合場所が伝えられた。
ジルベルトとしては待ってなどいられなく、今すぐにでも実行して欲しい所だが、ミリアムを巻き込んでの大がかりの作戦には調整が必要で、寧ろたった一晩で実行に移せるあたり最大限に努力しているのが窺える。
明日の朝まではゆっくり休むようにとARKHED搭乗者達に言い渡され、解散となったが、宿舎に戻ろうとするジルベルトをフラヴィオが声を掛けて引き留めた。
「ケジメを付けてくれ!」
「…は?」
両手をしっかりと握りしめ、その場に踏み留まるよう足に力を入れたフラヴィオ。どうやら鳴鳥を敵の手に渡した件に関しての謝罪らしい。一発殴ってくれと目で訴えられるが、今のジルベルトにはその気が無い。全く反省していないとすれば腹が立たない事も無いが、これはこれで扱いに困る。後ろ頭を掻きつつ困った表情のジルベルトはそんな真似は出来ないと断った。
「だが、俺は…」
「でしたら、僕が代わりに」
「は?ちょ、クランド、お前―――」
にっこりと笑った久城はジルベルトの代わりに前に進み出るとフラヴィオに向けて握り拳を振りかぶり顔面目がけて…寸での所で止めた。思わず身構えて目を瞑ってしまったフラヴィオは痛みを感じない事に内心首を傾げ、恐る恐る目蓋を開く。
「殴った所でどうにかなる訳ではありませんし、何より、鳴鳥は僕達が殴り合う姿を望みません」
「そう…だな。…そうだった。確かにあの子はそんな事は望まねェな」
「反省する気持ちがあるならば、明日は立てなくなるまで力を使ってくれればいいですよ」
「ああ、その点は任せてくれ」
納得がいったようでフラヴィオは晴れやかな顔をしていた。まだ予断を許さぬ状況だが、沈んでいるよりはマシだろう。そう思い、これで済んだと立ち去ろうとしたジルベルト達をフラヴィオはまだ引き留める。何かまだあるのかと聞き返すと、フラヴィオは至極真面目な表情で尋ねた。
「お前、クランドと言ったか」
「はい。そう言えばお目にかかるのは初めて、ですかね。僕の名はクランド・クジョウと言います。以後お見知りおきを」
「おう。宇宙一レーサーのフラヴィオ・フェデーリだ。よろしくな」
握手を交わし、和やかにも見えるが、フラヴィオは久城の手を握り離さない。どうしたのかと首を傾げる久城に対し、フラヴィオはズイッと顔を近づけて問い詰める様に問う。
「お前、ナトリちゃんとはどういう関係なんだ」
「は…?」
驚き間抜けな声を上げたのはジルベルトだった。こんな時に何を言い出すのだと呆れるが、フラヴィオとしては重要な事らしい。例え男が居たとしても気に入った女相手ならば略奪など何のそのなフラヴィオであるが、相手の男が強敵ならば話は違う。瞬時に久城のスペックを判定し、強敵になり得ると思った彼は、出来れば鳴鳥と深い関係でない事を願いつつ問いかけた訳だ。
不安と期待が入り混じった視線に対し、久城は微笑むと、どう答えるのかと気にしているジルベルトの前でアッサリと答えた。
「僕と鳴鳥は幼馴染で、今は仲間といった所でしょうか」
「そ、そうか」
「今は、ですけどね」
「?!」「何、だと…」
不敵に笑む久城。彼は冗談を言っている訳でなく本気らしい。ジルベルトとしては分かっていたものの、こうまでハッキリと態度に示されると戸惑いを感じる。一方フラヴィオは一瞬浮上しかけた所で落とされ、呆気にとられるが、身を引く気は全くないのだろう。改めて目の前の男を好敵手だと定め、握りしめた手に力を込めて離した。
一人の少女を巡って火花が散らされている場を遠目に、ソフィーリヤは苦笑していた。
「全く、こんな時に何をしているのかしら」
「そうだな。今は意志の統一が不可欠だ。あのように牽制し合っていては作戦に支障をきたしかねん」
「ある意味で意志の統一は為されていると思うけれどね」
ジルベルトを始め、皆、鳴鳥の事を想っている。その想いの強さならばきっと明日は上手くいくだろう。そう思えたが、ソフィーリヤには不安もあった。
「(私には…出来るかしら。…ううん、やらなくちゃ。それが彼の為にもなるんだから)」
鳴鳥を助けたくない訳ではない。寧ろ一刻も早く彼女に戻ってきて欲しいとさえ思う。それでもやはり、彼、ジルベルトの想いが向いていることが、ソフィーリヤの中で引っ掛かりとなり、僅かな不安となっていた。
「ARKHED契約者はこれで七名。数としては申し分ないが、広大な宇宙を前にどれほど届くのか…。そう言えば、バルニエールのには協力が仰げなかったのか?」
「そ、そうね。ジル、貴方の願いならあの子も聞いてくれるんじゃないかしら」
不意にクヴァルから話を振られたソフィーリヤはジルベルトへと問う。クヴァルの言う通り、より広範囲を調べるならば、一人でも多く手があった方が良い。鳴鳥とアリーチェはとりわけ仲が悪いわけでも無いようであるから、ジルベルトから頼まなくとも協力してくれそうなものだが、彼女は姿を現さない。
「そうしたい所だが、今のアイツには…。まぁ俺達だけでも何とかなるだろう」
「そう…。そうよね、私達が力を合わせて頑張れば良いものね」
ジャポーネでの一件以来、アリーチェはジルベルトの元へと連絡を寄越さない。何時もならば暇さえあれば連絡を寄越し、毎日のように愛情のこもったメールが届くのだが、それすらも最近は無くなっていた。ジルベルトとしては喜ぶべき事なのだが、こうも大人しいといくら苦手な相手とはいえ心配にもなる。今回アリーチェへ連絡を入れなかった訳ではないが、それは星団連合からの形式ばった物であり、軍属でない彼女に対しては強制力はもちろん無く、ジルベルトから頼み込むことをしなかった。
「まぁ、彼女が居れば足並みを乱すかもしれないからな。ある意味正しい判断かも知れん」
クヴァルが自己完結したようで話を終わらせた。彼の言葉、足並みを乱すという事にソフィーリヤは動揺を覚えたが、周りに居た者は誰一人気付かなかった。
アストリアからさほど離れていない開けた宙域。そこには星団連合軍が所有する最大級の戦艦、ブリューナクが停泊しており、広い甲板上には8機のARKHEDが待機していた。白く、赤いラインの入った鳴鳥機を中心に、周囲を囲むよう円陣を作るジルベルト達。鳴鳥を捜索するための準備は整った。後は号令を待つだけであり、場は緊迫した雰囲気に包まれている。
何時もは陽気でふざけた態度ばかり取るカルラもこの時ばかりは真剣で、面持ちは固い。多大な精神力を消耗するとあって、そう何度も失敗は出来ず皆が緊張する中、肩の力を抜くよう声を掛けたのはミリアムであった。
「恐れる事はありません。私は信じています。ここに居る皆は必ずやり遂げられると」
気休めのようだが、ミリアムの言葉は自然と心に染み渡る。肩の力が抜けた皆は適度にリラックスできたようで、時が来るのを待った。
作戦開始時刻をアラームが告げ、同時にカルラが指示を出す。
「それじゃあジルベルト君、頼んだわよ」
「了解」
他の機体のコントロールを奪う事は初めてではなく、搭乗者の抵抗も無い事から容易いものである。時間を要せず操作権を掌握したジルベルトは完了を報告する。
「コントロール、100%支配下に置けました」
「それじゃあ次は皆との同期へと移行。完了後、探索波を放出で」
「了解。同期を開始します」
ここまでは何事も無く順調だが本題はこれからである。まずは皆の機体を一つの力として束ねる事。ここに居る皆はARKHEDの思念作動に慣れた者達ばかりだが、他の者と呼吸を合わせて何かを成すことは初めてであり、そこに少しでも雑念が混じれば成功しない。
緊張が走る中、ジルベルトの機体が青い光を放ち、それと同時に皆の機体も光を放つ。同期は上手くいった。次は鳴鳥の機体の情報を元に搭乗者の生体反応をインストール、そして同じ反応が無いかを探る為、エネルギー波を発する。鳴鳥の機体を中心に発せられた球状の赤く光る波は徐々に大きくなり、果てのない宇宙に広がっていく。同時にごっそりと精神力が持っていかれる感覚に襲われ、急な倦怠感と眩暈を感じるが、この程度で倒れる訳にもいかない。ジルベルトは強く願った。
「(必ず見つけて…俺が助け出す。待っていてくれ、ナトリ…!)」
それぞれの想いは重なり、大きな力となって広がる。誰もが手ごたえを感じ、後は位置を捉えるのを待つだけだと思っていたが、順調に広がりを見せていたエネルギー波がフッと消え去った。突然の出来事に当事者たちは驚いたが、ブリッジから指示を出し、成り行きを見守っていたカルラにも予想外だったらしく、大きく目を見開いている。
失敗した。暫くの間を置いてようやく事態を理解したジルベルトは大きく溜息を吐く。
「…クヴァル、ちゃんと足並みを揃えろと―――」
「何を言う!?私が原因だと言うのか!」
「お前以外に誰が居ると。人に合わせるのが苦手なのはよく分かるが、ここは―――」
「貴様!それ以上愚弄するとなると容赦はしないぞ!」
日頃の行いのツケからでた疑惑。実際クヴァルは何かとジルベルトに突っかかり、非常に仲が悪い。その光景を目の当たりにしている面々は成程とジルベルトの言葉に納得していたが、今回失敗した原因は他の者に在った。その者、ソフィーリヤは自分の責任だと気付き、名乗り出ようとしたが、ジルベルトとクヴァルが言い合いになり、周りも納得しているようでどうにも切り出せず、何よりも自分自身が失敗するなど思っていなかった為、茫然自失となって出遅れていて今に至る。無実の罪で責められるクヴァルにも悪いと思い、何とか切り出そうとするが言い出せない、そのような状況でソフィーリヤの元に彼女にだけの秘匿通信が繋がれる。相手はブリッジで指示を出していたカルラであった。
「大丈夫?もしかして具合が悪いとか…?」
「いえ、その…すみません。体調は万全ですので」
「そう…。まぁ緊張するのも分かるわ。気負わなくてもいいから、リラックスよ、リラックス」
「は、はい…」
カルラの元では皆の状況が分かるよう計測器があり、誰が原因か見ていたのだろう。気を遣って他の者には分からぬよう声を掛けてくれたが、逆に罪悪感に苛まれる。
いがみ合うジルベルトとクヴァル。そろそろ不毛な争いを終わらせようと思ったミリアムが口を開こうとした瞬間、カルラの陽気な声が響く。
「ハイハイそこまで。これだけ人が揃えば一度で合わせるのは無理ってものよ。さっきのは練習だと思って、次こそ本番でよろしくね」
皆、カルラの言葉に取り敢えず納得したようだが、ジルベルトは舌打ちをし、クヴァルはフンと鼻を鳴らした。険悪な雰囲気。それでも何度もチャンスは無い事を自覚し、一呼吸置けば皆真剣な面持ちに変わる。ただ一人を除いて…。
再び行われる同期、カウントダウンの数字が小さくなるにつれ、ソフィーリヤのハンドグリップを握る手は小刻みに震え、額にじんわりと汗が浮かぶ。
一度目で失敗したことが尾を引いたのだろう。二度目の挑戦も失敗に終わった。
二度の失敗。作戦を続けられない訳でもないが、一度落ち着いた方が良いとの事で三度目の挑戦は午後からとなり、皆は一旦ブリューナク艦内に引き揚げて昼食をとっていた。
ラウンジでもいがみ合うジルベルトとクヴァル。こうなればこの二人の仲の悪さが原因なのではと誰もが思うが、当人だけには分かっていた。
ぎゃあぎゃあと喚き散らす向かいのテーブルとは違い、ソフィーリヤの座る側は穏やかな海のように静か…と言うよりも、海の底のように沈んでいた。
「食欲が無いのですか?」
「え…?あ、そ、そんな事ないわよ」
中々箸が進まない状態のソフィーリヤを気遣った久城が声を掛けるが、何でもないと平静を装う。そうですか、と納得したようだが、久城の視線は疑わしげである。見抜かれているのだと思うが、彼は何も言わず、視線が合えばニコリと笑う。本人はそのつもりではないだろうが、その笑顔は嫌味のように見え、責められているとソフィーリヤは感じ、昼食の残りを急いでかき込んだ後、席を立つ。
事情を察したのか、ソフィーリヤが去った後、溜息を吐いた久城はジルベルトとクヴァルの間に入り下らない諍いを止める。
「今は下らない言い争いをするよりも、貴方を必要としている人が居ます」
「何の事だ…?」
久城の言葉の意を理解できないジルベルトは首を傾げる。この場で皆まで言うと彼女を逆に傷つけかねない。無言のままがしっと肩を掴み、回れ右、有無を言わさず休憩室から叩き出した。久城が何がしたいのかを察したクヴァルが突っかかり、後を追おうとするが、そこはしっかりとガードし、二人きりにさせる。
「どういうつもりだ!?」
「今の彼女には彼の言葉が必要でしょう?」
「…こうなったのも奴が原因なのだぞ!」
「だからこそ、ケジメをつけて貰うんです」
「…」
自分ではどうしようもできない事を悟り、クヴァルはあえて批判の的を演じていたのだろう。それではどうにもならない事も思い知らされ、納得はするものの、どこか解せないようだ。彼は少々乱暴に手を振り払い、自分の席に戻って行った。
久城が気を回す一方で、ラウンジを去ったソフィーリヤは化粧室で一人、鏡を眺めている。映し出された自分の顔は酷く、この姿から本当は皆気が付いているのだろうと思い、情けなく感じる。不安はあったものの、まさか本当に自分が失態を犯すとは、未だ信じられない反面、申し訳なくもあった。
「(今、ナトリさんは、敵に捕らえられていて、酷い目に合っているかもしれないというのに、私は―――)」
不甲斐なさから、瞳には涙が溜まってくる。こんな所で泣いてはいけないと無理やりに涙を引っ込めようとするが、感情の昂りはどうにもならない。顔を洗い、赤く腫れた目を冷やした所で再び鏡に向き直る。相変わらず酷い顔だが、水で流した分、幾分かさっぱりはしている。
どうにか落ち着いた所で化粧室を出るが、そこには何故かジルベルトが待ち構えていて、凪いだ気持ちが再び波を立て始めた。
「具合、悪いのか?」
「…そ、そんなことは無いわよ」
「そうか…」
心配される資格などない。寧ろ責められてもおかしくは無いと言うのに、ジルベルトは優しく気遣う。何時もなら嬉しく感じるが、今はその想いが棘となり突き刺さる。誰よりも辛く、自分を保っているのが不思議な位な筈なのに、ジルベルトは自分の事も見てくれていた。彼の強さは知っていたが、ここまで自分との差があると悲しさと同時に恥ずかしさが込み上げてくる。
「私の…せいなの…」
「…!そうか、やはり具合が―――」
「そうじゃない…っ!そうじゃ…ないの」
取り乱してはいけない。自分はいつも冷静で、聞き役で、我儘なんか言わなくて、誰にでも分け隔てなく接していて、想いも抑えられる。そう自負していたが、タガが外れた今ではそれもままならず、想いの限りをぶつけてしまう。
「二度の失敗は私のせいなの…」
「…嘘だろ?」
「自分でも信じられなかったわ。こんなにも弱いだなんて…」
こんな時に言い出すべきではない。今は任務の遂行を何より第一に考えなくてはならないが、溢れ出した想いはもう止まらない。最初は驚いていたジルベルトも受け止める覚悟があるのか、しっかりと視線を合わせ、茶化すことは無くソフィーリヤが胸の内を明かすのを待った。
「あれから何年も経って、私達、変わったよね」
「そう…だな」
「でも、今でも私は―――」
「その話は…止そう」
「ううん。今ここでハッキリさせなければ、私は前に進めない」
この話は蒸し返したくないのだろう。及び腰になるジルベルトに対し、ソフィーリヤは真っ直ぐに見つめ返し、聞いて欲しいと願う。その覚悟は本物で、決して誤魔化して良いものでもない。諦めがついたのか、一つ溜息を吐いた後、ジルベルトは続きを促した。
返事は既に分かっている。けれどもここで逃げる訳にはいかない。
「私の気持ちはあの頃から変わらない」
「それは…。…すまない。俺には応える事が―――」
「良いの。それはもう分かっているから」
「なら、何故今ここでその話をするんだ?」
「貴方の気持ちも、聞きたいの」
「俺は…。俺はもう誰の事も…。それはお前ならよく知っているだろう?」
「知っているわ。でも、言葉にしないだけで、心の中には居るんでしょう?」
「…」
沈黙は肯定と取れる。それだけでも、彼の気持ちは充分に理解できるが、言葉にして欲しく、答えを待つ。どうあっても逃れられないと覚悟を決めたのか、バツの悪そうに、視線を外したジルベルトは渋々気持ちを吐露する。
「アイツは…確かに、仲間以上に大事な存在だと、思う。だがそれは親が子どもを見る様な、保護欲だ。お前が勘ぐっているような気持ちではない」
「まだはぐらかすの?だったら、ナトリさんが他の男の人と恋仲になっても良いのね?」
「保護者としてはどこぞの馬の骨と知れん奴には―――」
「…ジル」
「…すまない。冗談が過ぎた。…本当の所は俺自身もよく分からない。それが全てだ」
「…本当は分かっているくせに」
「認める訳にはいかないんだ。認めてしまえば、今の関係を保てなくなる」
予測は外れてなどいなかった。ソフィーリヤの見立て通り、ジルベルトの中には鳴鳥が居て、付け入る隙は無い。覚悟はしていたが、溢れる想いは簡単に抑えられない。困らせるだろうと分かっていても、今はただ、目の前の者に縋るしかなく、寄りかかる。案の定、どうしてよいか戸惑っているようだが、それでも彼はしっかりと受け止めてくれた。
「少しだけ、これで最後だから、このままで居させてくれる?」
「…胸を貸すくらいならいつでも出来るが」
「これからは誰にでも貸しちゃ駄目よ。勘違いをする子だっているんだから」
「…肝に銘じておく」
数年ぶりの温もり。それはあの頃と変わらない温かさで、匂いで。止めどない涙を抑える為に飛び込んだ胸は余計に心を震わせた。
暫しの間、微睡むように身を寄せていたが、決心がついたのだろう。名残惜しくもあるが、ソフィーリヤは自分から身を引く。
「(ありがとう…。ジル…)」
沢山泣いて、最後に触れて、全てを吐き出せて心は軽くなる。そして、ジルベルトも想いながらそれを抑えていると分かり、自分もこのままで良いのだと知る。例え叶わなくとも、それで良いのだと。霞みがかっていた心は晴れやかに、もう大丈夫だと自然な笑顔を向けることが出来た。
ジルベルトと共に戻って来たソフィーリヤ。彼女に瞳は赤く充血し、瞼は腫れていたが、表情そのものは晴れやかであった。何があったのかと問いたそうなクヴァルであったが、何でもないわと言われればそれ以上問う事は出来ない。
休息も取り、再び行われた作戦。これまでの失敗が嘘であったかのように事は順調に運んだ。広がる赤い波動は宇宙の果てまで、皆の願いを乗せて届く。
「反応が…!」
アストリアから遥か彼方、何もない筈の空間に、確かな反応を捉えた。




