第37話 Pure white valkyria
大会当日、スタート地点でありゴール地点でもある特設会場は開会式の二時間前だが観客席が埋まりつつあった。U字型の観客席は向かい合っている部分が一般席で階段状になっており、コースに近い程チケット代が高くなっている。湾曲部分は、演台とゆったりとした席が設けられ、来賓席となっていた。コースはこの星の様々な地形を巡る物なので、どの席からも見えるようなモニターが中空に設置され、生中継される。
前日に機体搬入を済ませているジルベルト達はレース会場を訪れたが、かつてない程の人混みに圧倒されていた。
機体を貸し出してくれたギンジロウ達も同行しており、かつてない規模のレースを前にアリサははしゃいでいて人波に飲まれてはぐれそうになる。そんな彼女の手を取り引き寄せたのは柔らかい笑みを浮かべるクラインであった。
「ありがとう、クライン」
「どういたしまして。この先も暫く人混みが続きそうだから暫くはこのままで良いかな?」
「うん…!」
プラチナブロンドに青い瞳、整った容姿に紳士的な振る舞い。ARKSの事ばかりに興味があるのだと思われていたアリサは耳まで真っ赤にして喜んでいた。その様子は微笑ましいものなのだが、一人だけ複雑そうな顔をして見ていた。
「なんだ?羨ましいのか?」
ジルベルトは意地の悪い笑みを浮かべて鳴鳥に言う。からかって気分を紛れさそうかと思ったが、思った以上に言葉が深く突き刺さったようだ。鳴鳥は悲しげな表情で無理して笑い、否定をする。その様子に言い過ぎたと反省したジルベルトは小声で「すまない」と呟く。
小柄な鳴鳥も人混みではぐれそうになるが、なんとか付いて来ている。手を差し伸べて、傍に引き寄せたい気持ちもあったが、彼女は平気な風を装っていた。
第37話 Pure white valkyria
二人のぎくしゃくとした雰囲気、それは今朝からの事であった。互いに何か言いたげではあるが、言い淀む場面が何度かあり、マリアンは心配していた。この空気をどうにかせねばと思いつつも、良い案は思い浮かばない。スティングは当人達に任せれば良いといった考えで、コンラードは端から気付いていない、というよりもクラインの存在を(恋のライバルとして)警戒していて手いっぱいである。マリアンは隣を歩く、唯一状況を把握しているだろうアランへと耳打ちをした。
「全く、レース前だって言うのにあの二人は何をしているのかしらねぇ」
「船長ならば問題ないですよ」
「でも相手は現チャンピオンでしょう?ARKSに乗るのも久しぶりだし、心配は尽きないわ」
「そんなに心配でしたら、細工をしましょうか?」
「真剣勝負に無粋な真似はしたくないわ。…ちなみにそれ、冗談よね?」
「ええ、勿論。そこまで空気の読めない訳ではありませんよ」
「はぁ…。きっと何を言っても無駄でしょうから、信じるしかないわね」
物騒な事をアランに言われ、どっと心労が増すマリアンであったが、彼らに更なる面倒事が起こる。
ジルベルトを選手控室まで見送る予定であったが、その進路上に三人の身なりの良い男の子達が立ちはだかった。それは鳴鳥とマリアンがアリサと知りあう切っ掛けを作ったいじめっ子三人組である。彼らはニヤニヤと笑いながら偉そうに腕を組み、アリサに突っかかる。
「おいおい、オンボロ工場の奴が何しに来てんだ?」
「決まっているでしょう!レースに出るのよ!」
「はぁ~?お前んとこのガラクタに誰が乗るんだ?そこの細っこいのか?」
生意気な子供はアリサと手を繋いでいたクラインを値踏みするようにジロジロと見てケラケラと笑いだした。子どもの戯言など気にしないのか、クラインは困ったように笑う。けれども大好きで自慢の祖父のARKSと慕っているクラインを馬鹿にされ、アリサは悔しそうに涙を堪えていた。無視をすればいいのだが、それではアリサの気が収まらないだろう、そう考えたジルベルトは自ら前に出て子ども達をひと睨みした。
「俺がパイロットだが、何か文句あるか?」
「うっ…。でかい…!」「でもオッサンだ!」「こんな奴で大丈夫なのか~?」
「誰がオッサンだ、誰が!」
子ども達の突っかかりの矛先がジルベルトの方へと向いていてアリサは少しだけ落ち着いたように見えるが、このまま人が行き通う往来で言い争いを続けていても迷惑であり、時間の無駄である。マリアンは溜息を吐くと前回の様に子ども達を散らしてしまおうと考え一歩前に出るが、背後から聞こえてきた黄色く騒がしい声に足を止めた。若い女達に囲まれて現れた人物、赤毛にピンと立つ獣耳、鋭い瞳、現チャンピオンであり、人気ナンバーワンレーサーであるフラヴィオ・フェデーリである。その姿を目にした途端、アリサに突っ掛かってきた子ども達は誇らしげに自慢した。どうやら一番身なりの良い少年の家がフラヴィオのARKSを提供しているらしい。
ジルベルト達に気がついたフラヴィオは取り巻きを置いて小走りで駆けてくる。さっそく宣戦布告かと思い構えるジルベルトを無視し、フラヴィオが向かったのは鳴鳥の元であった。
「ナトリちゃん、だよね?今日の勝利は君に捧げる。レースが終わった後には最高の店もホテルも用意してあるから楽しみにしていてくれ」
「え…?フラヴィオさん…っ…あっ!」
鳴鳥の手を取り跪きフラヴィオは手の甲にキスを落した。突然の出来事に皆は固まり、茫然としたが、取り巻き達の悲鳴が辺りに響いた。怨みの籠った視線が一気に注がれた鳴鳥は思わず手を離すが、逃れた手をフラヴィオは掴み直して立ち上がった自身の傍へと引き寄せる。その動作にまたもや悲鳴が上がるが、フラヴィオは全く気にしていない。大胆不敵な行為に呆気にとられていたジルベルトであったが、まだ勝者でもないのに鳴鳥に馴れ馴れしくするフラヴィオに苛立ちを感じる。鳴鳥も鳴鳥で遠慮しているのか、あまり抵抗をしていない事にも腹が立ち、間に割って入ろうかとするが、先に動いたのは別の者であった。
「彼女が困っているようなのでそろそろ放して頂けませんか?」
「あァ?なんだお前は」
「僕は彼女の同行者でクラインと言います」
不躾な視線をクラインへと向けたフラヴィオは舌打ちをして鳴鳥から離れた。一見穏やかな笑みを浮かべているようだが、クラインの有無を言わさない目線から逃れたく感じたようだ。バツの悪そうな顔をしたフラヴィオはクラインから視線を外すと今日の目的の一つである対戦相手、ジルベルトの姿を捉える。気を取り直すようにフンと鼻で笑うと高らかに宣言をした。
「今はナトリちゃんの事を預けておくが、覚悟しておけよ!ジルベルト・ジャンディーニ」
「…大口を叩くのは構わないが、後で吠え面をかかなければいいがな」
言いたい事を言いきり、フラヴィオはジルベルト達の元を去った。彼の取り巻き達は鳴鳥に対しブスだの地味だのワザと聞こえるように悪口を言っていたが、ジルベルトやスティングがひと睨みすると慌ててフラヴィオの後を追うように逃げて行った。アリサに突っ掛かってきた三人の子どもも小馬鹿にするような言葉を吐き捨てて逃げて行く。
辺りは絶えず人が行き交っており、お祭りの様に騒がしいが、フラヴィオ達が居なくなっただけで随分と静かに感じる。ひとまず落ち着いた所で鳴鳥は申し訳なさそうに皆に頭を下げる。
「あの…なんだかすみません。大事な時だっていうのに騒がしくさせたようで…」
「ナトリが気にする事は無いわ。全部あの狼男が悪いのよ!」
「そうっスよ。でもマリアンが狼男って…言えた義理じゃないっスね」
「コンラード喉が渇いたわ」
「は?だったらあっちに店が…」
「人数分、買って来なさい」
「いや、一人では無理っスよ」
「なによ?私に持たせる気?」
「あ、でしたら私も一緒に…」
「ナトリは良いの!ほら、さっさと動きなさい!」
有無を言わさないマリアンの笑顔に背筋に悪寒を感じたコンラードは渋々ながらも売店に向かった。ここでマリアンはすかさずギンジロウ、スティング、アランに目配せをする。三者はマリアンの狙いを察したようで、ギンジロウはアリサに何でも買ってやるからと言って屋台へ向かい、二人にクラインは付いて行った。スティングとアランはコンラードを手伝うと言って追いかけ、マリアンは化粧室に向かうと言う。残されたのは鳴鳥とジルベルトであったが、二人には先に控室に行くよう促された。
意図的に二人きりにされた事にジルベルトは気が付いていたが、鳴鳥は察していないようだ。相変わらず気まずい空気のまま二人は控室に向かう。
「(このままだと駄目だよね…。レースで勝負だけなら頑張らなくても良いのを、ジルベルトさんはフラヴィオさんに勝つ気でいる。前にも任せろって言っていたけれど、私の為…って事もあるのかな)」
チラリと横を歩くジルベルトの様子を盗み見るが、何時も通りの表情、仏頂面である。
自分が何を言った所で変わりはしないと自覚している鳴鳥であるが、このまま何も告げずに見送るのは良くないと思う。だが、自分の為に頑張ってくれていると思うのは自惚れていると感じ、上手く言葉に出来ない。その上昨晩耳にした言葉、ジルベルトが罪人だと言う事、以前より気になっていた枷の件に加え、また彼に対する疑問が増えたが為に言い出しにくい。どうしてよいか頭の中でぐるぐると掛けたい言葉や疑問が駆け廻り、何度もチラチラと横目で見て様子を窺っていると、急に視線が合い、鳴鳥は驚いてビクッと体を震わした後に硬直する。
何を言われるのか身構えていたが、ジルベルトは意外にも口元を緩めていた。
「俺が勝てるか心配なのか?安心しろ、奴の好きにはさせない」
「それは…!前にも言いましたけど、ジルベルトさんなら絶対大丈夫だって信じています」
「そうか…」
「はい…」
本当はもっと言いたい事があるが、言えない。それは鳴鳥だけでなくジルベルトもそうであった。このままモヤモヤした気持ちでは鳴鳥は純粋な気持ちで応援できないし、ジルベルトはレースに集中できない。意を決して、まずは昨晩の事から切り出そうとした二人は同時に向き直り口を開く。だが、互いの想いが伝わる前にジルベルトの身体が横にブレた。それは嬉しそうに満面の笑顔を浮かべて突撃してきたアリーチェの仕業であった。どうにかその場に踏みとどまり、ジルベルトは倒れずに済んだが、心底うんざりとした表情になり、深い溜息を吐く。彼の態度はあからさまであるが、アリーチェは全く気にしていないようである。
「やっぱり、この人混みで会えるのは奇跡じゃなくて運命よ!そうでしょう、ジル?」
「毎度毎度お前って奴は…」
うざったそうに身体に纏わりつくアリーチェを力尽くでひっぺ返し、熱い抱擁から逃れようとした。
アリーチェのお陰で微妙な空気は払しょくされた。けれどもお互いに言いかけた言葉は吞み込まれてしまい、伝える事が叶わなかった。良い面もあり、悪い面もある彼女の登場に鳴鳥は困ったように笑みを浮かべる。
再び目的地に向かって歩き出した鳴鳥とジルベルトとアリーチェは程なくして選手控室の前まで到着した。その道中もアリーチェがべったりとくっ付きジルベルトの腕を捉えている為、鳴鳥は話しかける機会を失っていた。
「それじゃあ行ってくる」
「ジルなら余裕だろうけど、頑張ってね!アタシの為に…!」
「あの…応援しています」
任せろ、という意味を込めた自信満々の笑み。その姿にアリーチェは心を射抜かれてメロメロであるらしく、暫く惚けた表情であった。
結局アルヴァルディの面々やギンジロウ達が現れなかった事に疑問を持っていた鳴鳥だが、さして深く考える事も無く、見送りを終えた事をマリアンに連絡しようと通信機を取りだした。が、その腕をがっしりと捕まえる者が現れる。それは先程までジルベルトの事ばかりを考え、愛情を口にしていた筈のアリーチェであった。彼女はにんまりと、何かを企むような笑みを浮かべて鳴鳥の手を引き駆け出した。
「あ、アリーチェさん?!一体どこに行くんですか!?」
「アナタには特別な席を用意しているのよ!」
「え…でも…っ!皆さんは…」
「いいからいいから!」
後の事は任せなさいと言い、アリーチェは鳴鳥の手を引き何処かへ向かう。
レース会場の来賓席の傍にある演台。そこには一人の少女が立っており、カメラや映像記録機を手にしたマスコミに囲まれていた。
真っ白のロングツインテールは毛先が虹色に煌めき、ぱっちりと開かれた瞳に長いまつ毛、あどけない容姿であるが、体の発育は良く、身に着けた白いレザーのビスチェからはたわわに実った二つの果実がこぼれそうであり、二段フリルのショートレザーパンツからは白くスラっとした足が覗いている。
愛らしい少女は絶え間ないフラッシュを浴びせられ、プライベートの質問などに極上の笑顔を振りまいていた。
「ルミナさーん!目線こっちに下さーい!」
「はぁーい!」
「ルミナさん、噂の俳優の彼氏とはどうなんでしょうか?」
「えぇー!?ルミナはー宇宙に生きる皆のアイドルだからお付き合いなんてしていませんよ」
「ズバリ、今回のレース、どなたが優勝されると思いますか?」
「モチロン!優勝はフラヴィオ様に決まっているわ!でもでも、みんな頑張ってね!ルミナはみんなの事を応援していまーす!」
来賓席の入り口でルミナの様子を窺っていたアリーチェはギリギリと歯を鳴らし怨みの籠った視線を向けていた。一方、無理矢理連れて来られた鳴鳥はこの隙にとマリアン達にメールを送信しておいた。
「聞いてよナトリ!あの腹黒女、ジルの事馬鹿にしたのよ!許せないわよね!万死に値するわ!」
「そ…そうなんですか…。でも万死って…」
アリーチェもバルニエール商会の社長として来賓席に招かれた訳だが、どうやらそこでルミナと口喧嘩になったようだ。マスコミも現チャンピオンのフラヴィオを支持したらしく、腹を立てたアリーチェは来賓席を飛び出してきたらしい。ただの愚痴ならわざわざ鳴鳥をここまで連れてくる必要はない。何故連れてこられたのかを問いかけようとした鳴鳥の元に一人の男性がトランクケースを持って現れた。スーツをかっちりと着こなし、サングラスを掛けた屈強な男性はアリーチェに荷物を手渡す。。
「さぁこっちよ!」
「えっ!?ちょ、アリーチェさん!?」
トランクを手にしたアリーチェは鳴鳥の手を引き来賓客の控室に向かう。そこで開かれたトランクの中身に鳴鳥は驚き、嫌な予感を感じて逃げようとするが、アリーチェの部下であるスーツを着た女性に捕らえられ、有無を言わさずにされるがままになった。
ルミナへのインタビューも終わりが見え、マスコミは撤収しかけていた所に満を持してアリーチェは登場した。彼女に対しては注視されなかったようだが、後ろに居る鳴鳥は違った。もともと先の戦にて多大な功績を残し、その後も活躍をしているだけあって、鳴鳥の存在は無視できない。その上彼女は周りの視線を一気に集める姿をしていた。
「あ、アリーチェさんっ…恥ずかしいです…っ」
「胸を張りなさいよ!アナタ、巷では戦乙女、ヴァルキュリアなんて呼ばれているのよ?堂々としていなさい!」
アリーチェの言った通り、鳴鳥の姿は羽飾りのついた額を隠す兜、髪は三つ編みで纏められて後ろでお団子に、胸元には銀色に輝く胸当てが、ヒラヒラとした純白のスカートは前が短く後ろは長いフィッシュテール型で覗いた足はロング丈の編み上げブーツを履いている。その姿は神話に出てくるようなファンタジー色の強い戦乙女の格好である。
通り名通りの姿に一瞬呆気にとられたマスコミの面々であったが、すぐさま我先にと鳴鳥の元へと駆け寄りフラッシュを焚く。その勢いは。ルミナの時とは段違いであった。
一気に注目を鳴鳥にさらわれてしまったルミナは、これまで浮かべていた満面の笑みを崩して納得いかないという風にギリギリと歯ぎしりをした。
「な、なんなのよー!あの子はー!?」
「あーら、腹黒アイドルさん、ご機嫌はいかがかしら?」
「アリーチェ・バルニエール!この性悪女!アンタの仕業ね!」
「ハァ…?何の事かしら?アタシはただ、ミリアム議長の穴埋めを連れて来ただけです~」
「白々しい!わざわざあんな格好にさせたくせに!」
「あら?イベントを盛り上げるよう働きかけるのはスポンサーとして当然でしょう?」
「むきーーーっ!!」
キャットファイト寸前まで睨み合いを続けるアリーチェとルミナ。二人は今にも取っ組み合いを始めそうだが、その一方で鳴鳥も詰め掛ける報道陣に気圧されていた。
実の所、鳴鳥がこの場に連れてこられたのは本来来賓として招かれていたミリアムが来られなくなった為の代役であり、その原因はソフィーリヤとクヴァルがアストリアを離れてクライン…久城の監視任務につく所為であった。そのような大事な事を簡単に説明し、アリーチェはルミナの鼻っ柱をへし折る為に鳴鳥を利用した訳だが、計画は上手くいったようだ。だが、彼女の些細な復讐心が後に思わぬ事態へと発展する。
報道陣からの注目を浴びる鳴鳥の姿に大会運営の一人はある事を思い出した。それはとある人物から提案されたことなのだが、この様子だとその提案を受け入れるべきであると判断し、急きょプログラムに加えられる。その内容は当人に告げられぬまま大会はいよいよ開催される運びとなった。
ARKHEDとは違う低い重低音、ARKSの稼働音が響くスタート地点。耐Gスーツを着用しているジルベルトは最終動作確認を行う。
ここ何日かで昔のカンは取り戻しつつあるが、レース直前の空気は何年過ぎようが慣れない。以前、ただひたすら優勝を目指してレースに挑んでいた時とは違い、今は背負うものも無く、気負いする事は無い。だが、このレースでは負けられないという気持ちが強く、操縦桿を握る手に力が籠る。理由としてはフラヴィオの事が気に食わないというのもあるが、彼に負けたくないのは鳴鳥の事があるからだ。フラヴィオが勝った場合、鳴鳥は彼のものとなる。具体的に何をするとは言わなかったが、女に対して目が無く、手の早い彼のやる事と言ったら簡単に見当が付く。その事を考えていると以前協力の約束を取り付ける為にこの星に来た時の出来事、鳴鳥がフラヴィオの手によって辱めを受けていた場面を思い起こし、苛立ちを感じた。そうさせない為にもと大きく息を吸い、吐き出して深呼吸し、気合を入れ直す。
最終チェックも終え、レースに集中しようと目を瞑る。と、そこで通信機に連絡が入った。レース前に何だと思っていたが、相手が相手だけに無視は出来なかった。通信機に映し出された姿、瑠璃色のロングヘアに右目を前髪で隠し、眼鏡を掛けた女性、ソフィーリヤであった。彼女はいつもの連合軍服ではなく、動きやすいパンツスーツスタイルである。どうやらクライン…久城の見張りの任の為に来たようで、彼女の後ろには不機嫌な面のクヴァルも居た。
「こちらの事は心配しなくて良いから、頑張ってね」
「ああ、すまない。奴の事、頼んだぞ」
ソフィーリヤ達は既に観客席いるらしいが、そこに居る筈の者が居ない。不審に思ったジルベルトであるが、問いかけると妙に勘ぐられそうな気がしたので止めておいた。だが、視線を彷徨わす仕草にソフィーリヤは気付いたらしく、クスクスと笑いながら彼女がどこに居るのかを教えた。
「ナトリさんなら演台に居るわ。気が付いていなかったの?ミリアム議長の代役に選ばれたらしいんだけど…」
「…!?」
現在、来賓席の傍にある演台では開会式が行われている。正直な所、スポンサーの紹介や、来賓の挨拶などは興味が無かった為、見ていなかったが、そこでは思わぬ事態が起こっていた。
開会の挨拶は通信映像でミリアム議長が述べているが、来賓席に座るのは鳴鳥であり、彼女の姿に驚き目を見開いた。
「何だあれは…」
「良く似合っていると思うわ」
「いや…そうではなくて…」
凛々しさの中にある愛らしさ、戦乙女の姿をしている鳴鳥は確かに似合っていた。けれども何故この場でコスプレなのだと呆れて絶句する。恥じらっている様子から彼女が進んで着替えた訳ではない、大方隣に居るアリーチェの仕業だろうと得心がいったジルベルトは溜息を吐きつつ乾いた笑い声を上げた。鳴鳥の姿を確認し、安心するよりも呆気にとられた訳だが、緊張感は程良く解れた。
一方、来賓席から自分の衣装に戸惑いつつも、眼下の中空で待機する機体を眺めていた鳴鳥はジルベルトの機体を見つけてホッとする。
「(ここからじゃ、声は届かない…。でも、気持ちは伝わる…よね?)」
胸の前で手を組み、目を閉じて銀色の機体に乗る者の事を考える。どんな時にでも助けてくれる彼ならば心配はいらない。けれども応援したいという気持ちはまた別である。自分が応援しても大した力にならない事は自覚しているが、願わずにはいられなかった。真剣にレースの行方を見守る鳴鳥に対し、隣に居るアリーチェは堂々としている。心の底からジルベルトの事を信じており、高みの見物をしているようであった。
「アリーチェさん、落ち着いているんですね。私は選手でもないのになんだか緊張します」
「当たり前でしょう?ジルなら心配なんていらないわ。それに、絶対優勝をするわよ。なんてったって―――」
アリーチェが自信満々に言った直後、開会式で今回の優勝者に贈呈される商品が発表された。司会者が紹介する品…と言ってもそれは普通のレースでは考えられない規模のものであり、その内容に鳴鳥は驚いた。
ARKSの機体に武器兵装を取り扱う大手企業バルニエール商会からは、来季に発売される最新機体を好みにカスタマイズして贈呈され、先進惑星で流通している食品を生産から加工まで行うハイアット・プランテーションからは経営する飲食店の食事券一年分、交通機関や時空転送路を管理するノックス・トランスポートからは一年間の無料航行券、主要エネルギーである精神結晶の採掘から精製まで担うGEファウンデーションからは一年間分の精神結晶を、といった風に量も価値もすさまじかったが、何より一番歓声が沸いたのは、宿泊や娯楽施設や観光事業を経営しているRECから贈呈されるリゾート小惑星丸ごと一つであった。
あまりの規模の大きさに鳴鳥は深い驚きを吐き出すように溜息を吐いて呟く。
「す、凄いんですね、優勝商品…」
「でしょう?で、これだけ積まれればジルも本気出す事間違いないわ」
「あ…」
当人は否定しているが、お金が絡むとシビアになるジルベルトの姿を思い浮かべ、鳴鳥は呆れつつ笑う。そして彼女の中にあった自分の為になどという自惚れは豪華賞品の前に消え去ってしまった。
既に優勝した気でいるアリーチェはジルベルトと過ごすリゾート惑星を想像し悦に入っている。その様子に困ったように愛想笑いを浮かべている所に大会の運営委員の人からスターターピストルを手渡された。レースのスタートを告げる合図、それは会場に来られなかったミリアムの代わりである鳴鳥の役目である。プロテクターを耳に装着し、ピストルを天に掲げる。戦乙女という姿にピストルの組み合わせは妙であるが、始まる前から白熱したレースを前に疑問を抱く者はいない。
張りつめた空気の中、自分がスタートを切る事に緊張する鳴鳥であったが、レースに挑む者、ジルベルトはその比ではないと思い、目を閉じ、引き金を引いた。パァンと小気味の良い音が響いたと同時にゲートに張られていた透明のシールドが消え失せる。そして一斉にスタートを切ったARKSが我先にとゲートを潜り駆け抜けて行った。
荒野に切り立つ断崖から見下ろす先、そこにはスタートしたばかりで団子状態のARKSが砂埃を巻き上げ突き進んでいる。その様子を窺っていた黒衣を纏うエメラルドグリーンのショートカットの女性は獲物を狙う様に鋭い眼をしていた。彼女はインカムでここには居ない者へと確認を取る。
「ヴァレリー、準備は良いかしら?」
「ああ、既に制御下に置いている」
「任せたわ」
「クキャキャ!我に不可能は無い!」
しわがれた声、ヴァレリーとの通信を終えた女は彼女の背後で楽しそうに笑みを浮かべる双子の少女、それぞれロングヘアの金髪と銀髪を左右対称にワンサイドアップにし、黒衣を身に纏った者達へ向き直る。
「セルベリア、私達の出番はまだかな?」「早く暴れたいよ!」
「落ち着け、デクセス、デクセプ、今回の目的を忘れた訳ではあるまいな?」
「モチロン!今回は捕獲だよね、デクセプ」「バッチリGETするよね!デクセス」
「理解しているようならば問題ない」
「でーも、もしかすると邪魔が入るかもだし」「邪魔者は排除しなくちゃねー」
「邪魔が入る事を楽しんでいるようだな」
「あら?セルベリアこそ」「笑ってるー!」
「そうだな、楽しみだ」
不敵に笑う三人の視線の先、そこには今回のレース会場の観客席があり、来賓席にターゲットが居る。
戦が終わり、その終戦記念として開催されたレース、そこに先の戦を起こした元凶となる者達がまたもや暗躍をしているとはまだ誰にも気付かれていなかった。彼女らは網を張り、獲物が掛るのを虎視眈々と狙い、それにジルベルトや鳴鳥が巻き込まれるのは程なくしての事である。




