第32話 Blue rose garden
星団連合所有の高層タワーの一階、華やかなパーティー会場にてジルベルトは鳴鳥達をテラスに残し、料理を皿に盛っていた。会場は広く、テーブルの上に並べられた料理も様々な国の名物から高級食材を使った物まで選り取り見取りである。分厚く切られたローストビーフやポークチョップソテーを取っていたジルベルトは背後から声を掛けられ振り向く。そこにはこれまで目の前にあった豚の丸焼きが居た。と、思えばそれは真っ赤な顔で怒り狂う豚、もとい汚職政治家のシュヴァイン・ヘルシャーである。
「これはどうも」
「何がこれはどうもだ!貴様、あの時の非礼を忘れたとは言わせんぞ!!」
それはテレンティアとの開戦直前の事、かの星のARKHEDの能力で洗脳された者達によるテロが起きた時にジルベルト達が駆けつけた場所がシュヴァイン宅であった。襲撃者を捕らえた後に召集が掛り、彼をその場に残したのだが、どうやら未だに根に持っていたらしい。
シュヴァインは唾を撒き散らしながら怒鳴りつけており、周りは何事かと思うが、関わり合いになりたくないのか、遠巻きに見ている。一緒に居たスティングが武力行使に出そうな気配を見せたが、ジルベルトは彼を抑えて媚びへつらう様に下手に出つつも反論する。
「その節は申し訳ありませんでした。しかし我々も上からの指示には従わないとなりませんので」
「なにぃ!?ワシよりも貴様らの上官の方が偉いと言うのか!!」
「いや、そう言う訳ではなく…。無事だったようならば良いではありませんか」
「無事だと!?ワシがどのような思いをしたのか分かっておるのか!!」
面倒な相手に捕まってしまったと頭を悩ませていたジルベルトであったが、彼の元に更なる厄介事が降りかかる。タタタと駆け寄り思いきり背中に抱きつく少女、それはふわふわとしたピンク色の髪をなびかせ、ヒラヒラとしたラベンダー色のドレスを着たアリーチェであった。
ジルベルトは抱きつかれた衝撃で手元の皿をうっかりと放してしまい、皿に盛られた料理が前方の宙を舞う。しまったと顔をしかめた瞬間にはソースや料理が豚顔にベチャリと乗っかっていた。怒りに打ち震えてワナワナと肩を揺らすシュヴァインに気が付いていないのか、アリーチェはジルベルトに会えた事を嬉しそうに語る。
「この人混みの中ででも出逢えるなんて、やっぱりアタシ達は結ばれる運命なのねー!」
「おい、アリーチェ」
「ん?なぁに?あ、ドレス似合っているって?やだもー!当たり前でしょう!でも嬉しいわ…!」
「いや、そうではなくてな、前を見てくれ」
「もぅ、なによー。ってこの豚のソース掛けがどうかしたの?なんだか脂身が多すぎじゃない?あっちに美味しい料理があるから行きましょう!」
無視された事にも苛立ちを募らせていたシュヴァインであったが、アリーチェの小馬鹿にした発言は火に油を注ぐ結果となり、彼は怒り狂いジルベルトに掴みかかろうとする。すると流石にこの状況を見かねたのか、スッとアランが二人の間に笑顔で割って入り、シュヴァインに自身の電子端末を見せた。その内容は見せた当人とシュヴァインにしか見えなかったが、これまで激怒していたのが嘘であったかのように、彼は目を見開き大人しくなる。そしてサァっと青ざめた顔でガタガタと震えていた。ニコニコと笑みを浮かべたままのアランはシュヴァインに近づき彼にだけに聞こえるように言葉を発して交渉をする。
「こ、これは…どうやって…」
「僕は正直貴方がどうなろうとも関係ありません。ですがどうかこの場は大人しく引き下がって頂けませんか?」
「あ、ああ、ワシも少々声を荒げすぎたな、ウム。して、その情報は―――」
「この場を収めてさえくれれば公表は致しませんよ」
「わ、わかった。ワシは寛大だからな。まぁ許してやろう…」
「御寛大な判断、有難く思います」
シュヴァインはお付きの者を引き連れて去って行った。どうにか危機は去ったが、ジルベルトとしては彼を黙らせたアランの情報収集能力に顔を引きつらせる。やはりコイツだけは敵に回せないなと改めて思うのであった。それでも、この場を収めてくれた事に一応感謝をしておく。
「済まないな、手間を掛けさせて」
「いいえ、この程度の事、大した事ではありません」
「と、言うが奴は公安部も捕まえられない程に巧みに悪事を隠しているだろう?よくそんな奴を黙らせる情報が得られたな」
「公安部が無能と言う訳でもありませんよ。告発する際上に腐った者が居れば、真実でも握りつぶされる。そう言う事です」
「そうか…。しかしお前はやはり中央勤務、調査部の方が良いんじゃないか?」
「僕は趣味で情報収集をしているだけであって、正義感などありませんから。あまり派手に動くと命を狙われますし。それとも僕が一緒ではご不満ですか?」
「いいや、助かっている。出来ればこのままであって欲しいと俺は思う」
「そうですか。僕としてもアルヴァルディは居心地が良いのでそう言って頂けると幸いです」
改めて互いの存在を認め合っていた二人であったが、彼らの間にアリーチェが割って入る。シュヴァインは片付けたが、コイツがまだ残っていたのかとジルベルトは肩を落とした。シュヴァインと彼女の所為で随分と時間を取られたとジルベルトは内心頭を抱え、これ以上鳴鳥達を待たせられないと思い、ややこしくしないようにアリーチェを突き放さなかった。彼女はシュヴァインとは違い、絡んではくるが、鳴鳥達の元に連れて行ってもさして問題はない。ここでは何だから静かな場所に行こうと彼女を言いくるめ、ジルベルトは新しい皿に料理を盛り直して鳴鳥達の待つテラスへと向かった。
ジルベルト達が料理を手にして戻ったテラスにはクヴァルしか残っておらず、鳴鳥とソフィーリヤの姿が見えない代わりにラウナが座っていた。二人は微動だにせず、目を瞑っていて眠っているようである。彼らを起こし、何があったのかと問いただすと、クヴァルはサッと目線を外し、ラウナは以前と変わらぬ無表情で二人はお手洗いに行った的なニュアンスで答える。だが、クヴァルが席を立って向かった先は会場ではなくテラスを降りた庭園の方である事にジルベルトは状況を察した。彼はラウナを軽く睨みつけ、皆に鳴鳥を探すよう指示を出し、クヴァルの後を追う。
「えー…、あの子達なら放っておいても…あ、待ってよ!」
「待ちなさい、アリーチェ・バルニエール。いいえ、セスデク・オク」
「…はぁ?今の名は誰の事よ」
アリーチェを呼び止めたのはラウナであった。いつもならばジルベルト以外の事はどうでも良いと無視をする所であるが、彼女が発した言葉に何故だか足が止まる。およそ名だと思えない言葉を瞬時に名だと判断してしまった事に驚きを隠せずにいた。ふと、その名を呼んだラウナを見てみると、彼女は無表情の様であるが、微かに笑っているように見える。
「役目を忘れた哀れな人形、貴女もこのままで居られると思わない方が良いわ」
「アンタ一体…―――っつ!!」
ラウナの言葉にアリーチェは頭に鈍い痛みを感じてよろける。けれどもその身体を支える者はこの場に居ない。なんとかテーブルに手を着いて体勢を立て直そうとするが、頭の中はノイズが掛ったようになり、まともな思考が出来なくなった。
「(なによ…これ…。ジル…助けて……っ!)」
激しい頭痛の中で名を呼ぶが、彼はこの場に居らず、助けを求める声は届かない。
第32話 Blue rose garden
ライトアップされた庭園には噴水があり、上方に吹き上げられた水は光を浴びてキラキラと輝いて落ちる。真っ青なバラのアーチをくぐり抜けた先には池があり、石造りの橋が架かっている。薔薇の生垣も美しかったが、水辺に浮かぶ睡蓮も綺麗な花を咲かせていた。
「わぁ…!素敵ですね!」
半ば強引に誘われた鳴鳥であったが、美しい景色を前にはしゃいでいた。けれども会場から離れるにつれて人影は疎らになり、姿が見えたとしても男女の組み合わせ、カップルが多く、そのどれもが仲睦まじそうに寄り添っていた。そういった光景を目の当たりにし、鳴鳥は急に気恥ずかしくなり、隣を歩いているフラヴィオから少しずつ距離を取る。
「んー?どうしたのさ?俺の事意識したのか?」
「え、あ、は、はい…。その、なんだか場違いな気がして」
「それじゃあこうすれば場違いじゃなくなるな」
「ちょ…っ!」
フラヴィオはニヤッと笑うと鳴鳥に近づいて彼女の腰に手を回して自分の元へと引き寄せる。突然の事で無防備だった鳴鳥はされるがままに彼の胸元に収まった。
心臓の音が聞こえそうなほどに近い距離、フラヴィオからは石鹸の様な良い香りが漂い、今でも早鐘を打つ心臓が更に鼓動を早める。彼の事が嫌いな訳ではないが、こういった事に慣れていない鳴鳥は思わず突き飛ばすように両手で押しのけようとした。
「あらら、こういうの望んでいたんじゃねェのか?」
「そ、そんな訳ではありません!」
「そっかそっか」
フラヴィオは以前と違い、一度拒否を示せば強引に来る事はなかった。それは彼が以前の彼とは違うからか、理由は分からないが、訊ねる事は出来ない。記憶を失くすと言う事が彼にとって辛い事なのかもしれないと思うと、深く探りを入れるのは躊躇われた。
彼の事を憐れんでいたせいか、自然と鳴鳥の表情は悲しげなものになっていたらしく、その事に気付いたフラヴィオは首を傾げつつも察したようで苦笑いを浮かべた。
「優しいんだな。ハッキリ言うと俺みたいな奴は好きじゃないだろ?」
「そんな事…!最初は怖かったですけど、今ではそんなことありません。それに、フラヴィオさんは優しい人です。さっきも無理強いはしませんでしたし」
「まぁ今優しくしているのは下心がある訳だが」
「…そ、そうなんですか」
「まぁお前を手に入れるのはレースの後だって決めているからな」
そう言いつつニカッと笑みを浮かべるフラヴィオであった。彼はよほど腕前に自信があるのだろう、既に勝ったものだと言わんばかりに先の事を話す。彼のプランではジルベルトを完膚なきまでに叩きのめした後、鳴鳥を手に入れてこれまで通りヴィルト・ルイーネでレーサーとして暮らし、たまの休暇に二人で遠出をするというものらしい。
「俺がこれ以上の良い景色を沢山見せてやるぜ」
「そ、それも素敵ですけど…」
ふと鳴鳥は対戦相手のジルベルトの事を考えた。彼はフラヴィオ達の協力を得る為に仕方なく決闘を受けるようであり、フラヴィオの様に自分の事を欲している訳ではない。理解していたつもりだが、こうも違いが見えてくると何故だかチクリと胸が痛んだ。
「しっかし今日の事も俺は忘れちまうんだよな…」
池に架る石造りのアーチ橋の上で欄干に背を預けていたフラヴィオが呟いた言葉に鳴鳥はハッとする。へらへらと笑うフラヴィオであるが、やはり辛いのであろう。彼は悲しげな瞳をしていた。
今の所鳴鳥にはARKHED所有者が背負うリスクである枷が無い。リスクが無いのは良い事なのだが、こうして目の前で苦しんでいる姿を見ると、自分だけが楽をしているようで後ろめたく感じ、何か彼らの為に出来ないのかとも思う。
「枷を…無くす方法はないんでしょうか?」
「今のところは、な。連合の機関でもその点は研究を継続しているらしいが、そもそも機体の中枢がブラックボックス、いまだに解明されていないからな」
「でも、可能性はゼロではないんですよね」
「俺が生きている間に解明されて欲しいもんだが」
「開発者が生きていれば…あるいはその資料が残っていれば…」
「それも望みが薄いな。今の所全く手がかりが無く、新たな機体が発掘されるばかりだ」
「そう…ですか…」
現時点で打つ手はないと知らしめられて鳴鳥は肩を落としてしょんぼりとする。その姿にフラヴィオは気にする事など無いと言いたげに笑顔を見せた。
「ナトリちゃんは枷が無いんだろ?そこまで気に病む事は無いんじゃねェか」
「私は…なんだか自分だけが…って思って。皆さんが辛い思いをするのが居たたまれなくて…」
「まぁ俺は毎朝手間がかかるだけであって大したことはねェな」
「先程と言っている事が違う気が…」
「さっきのはアレだ。今日のナトリちゃんがあまりに可愛いからつい、な」
男には時として虚勢を張る事があるのだが、そのような事を女性の前で言える筈も無い。それでも何となく強がっているのだと感じた鳴鳥は無理をしなくても良いのにと思いつつ、眉をハの字にして苦笑する。思い返せばジルベルトも自分の体質、不死である事を使えるものは使うと言い切っていた。
「ジルベルトさんも不死である事を気にしていない…と言うか、便利だと言い切っていましたが、お二人とも心が強いんですね」
「は…?クソ野郎がなんだって?」
「あ…っ!」
鳴鳥は思わずしまったと言う風に口を手で塞ぐ。何だかんだと言いつつ、フラヴィオはジルベルトを敵視している。うっかり彼の前でジルベルトの名を出した事で機嫌を損ねてしまったのではと焦り、恐る恐る彼の表情を覗くが、意外にも彼は驚いたように口を半開きにしていた。慌てる鳴鳥に対し、フラヴィオは先程の発言をもう一度と聞き返す。
「えっと…お二人とも心が強いと…」
「その前だ、あのクソ野郎の枷が不死身だって事だ」
「え…?違うんですか?」
「ああ、それは願いを叶えた方だ。契約者にはARKHEDの力を得る事と、一つの願いが叶えられる。その代償が枷なんだが、不死と言う事が枷な筈が無い」
「そんな―――」
「此処に居たのか」
声を掛けながら歩み寄ってきた者、それは険しい顔をしたジルベルトであった。
赤い髪を目印に、ソフィーリヤは庭園の中を捜し回っていた。直ぐに見つかるかと思われた鳴鳥達であったが、野外は照明が全てを照らしてはいないので見渡すには困難であり、男女の組み合わせというのも多く、見間違える事もあるせいで姿を捉えるのも難しかった。更に恋人達が逢瀬を交わす中を女一人で歩くと言う行為は勇気が要るもので、つい人の視線が気になり身を潜めてしまう。こんな事では駄目だと思いつつも場違いな自分に焦りが募り、早くこの場を脱したいと願う事で注意力は削がれてしまった。
「(あら…?)」
噴水がある広場を通り、青い薔薇のアーチをくぐり、薔薇の生け垣を道なりに進んでいた筈だが、気が付けば木々が生い茂る場所にポツンと立っていた。そこにはもう人影が全く無く、こんな所にまで来てしまうくらい気が動転していた事に慌てた。ソフィーリヤはすぐに此処ではないと思い立ち、踵を返すが、そこに立っていたのは捜し人で無く自分のいつも傍らに居る者であった。
「クヴァル…私よりもナトリさんを捜さないと…」
「彼女なら奴が捜すだろう。放っておけば良い」
「ジルが戻ってきたの?」
クヴァルは同意の代わりに頷いて答えた。するとソフィーリヤは小さく「そっか…」と呟き、笑顔を浮かべてテラスに戻ろうとする。だが、その表情は無理をして作られたものだと察したクヴァルは彼女の手を掴んでこの場に引き留めた。
「その顔で戻るつもりなら止めておいた方が良い」
「そう…ね。ありがとう、少し休んでから行く事にするわ」
木々が生い茂る遊歩道、そこには一つのベンチがあった。クヴァルは手慣れた様子でハンカチを取り出して腰掛ける部分にそれを広げ、ソフィーリヤをエスコートする。そして彼は当然であるかのように彼女の傍らに佇んでいた。
静かな林道には生き物の気配は無く、風が木々を揺らす音だけが響いている。ここにはパーティー会場の賑やかな声も、ワルツの音色も届かない。
沈黙に耐えきれなかったのか、口を開いたのはソフィーリヤであった。
「それにしても、こんな所に居たのによく私を見つけられたわね」
「君の事なら何処に居たってすぐに見つかる」
「…そう考えてくれるのは嬉しいわ。ありがとう」
感謝の言葉を述べるが、彼女が心底喜んでいない事をクヴァルは知っている。自分がどんなに彼女の事を考えていて尽くしても、彼女には届かない。未だ彼女の中には忌々しいあの男が居るのだと思うと今すぐにでもそいつを殴りに行きたい気分である。けれどもソフィーリヤはその男を敵視する事を由としない。悔しい所ではあるが、目を瞑るしか、彼女を陰ながら支えるしか出来なかった。
次に口を開いたのはクヴァルであった。彼にはあの時から、そして今日も彼女に対して思う所があった。
「先程もそうだが、君は私の事について深く探りを入れないのだな」
「先程もって…。ああ、クランド機と交戦中の事ね」
「そうだ。気にはならないのか?それとも、私になど興味は無いという事か?」
「興味が無いわけでもないし、気にはなっているわ。でも、貴方が話し辛そうにしているのだから、無理に聞き出すなんて野暮なことはしないだけよ。全部、話したくなったらでいいの」
「済まない…気を遣わせたな」
「それはお互いさまでしょう」
「そう…だな」
すれ違っているようで、互いに相手の事を想っている。その事を再確認した二人は顔を見合わせて苦笑する。
こんなにもクヴァルは自分の事を想ってくれていると知りながらも、その気持ちに答える事が出来ないソフィーリヤ。そして大切に想いながらも全てを打ち明ける事が出来ないクヴァル。この関係は二人が軍学校に通っていた頃より続いており、10年以上たった今も変わらないままである。既にこの関係を壊す事を二人は恐れているのかもしれないが、少しずつ、変化の兆しが見え始めていた。
パーティー会場を離れ、庭園を歩き、池に架った橋の上で鳴鳥はフラヴィオと普通に会話をしていた。以前とは違い、彼は紳士的で、鳴鳥が触れるのを拒否すればそれ以降は手を出してこなかった。行き先を告げずに席を離れてしまったのは心配させる原因であるが、駆けつけたジルベルトは必要以上に怒っているようである。彼は眉間に皺をよせ、荒々しく足音を立てて二人の元に近づくと鳴鳥を背に隠すように間に割って入る。
「どういうつもりだ。まさか約束を忘れた訳ではないだろうな?」
「…勘違いして欲しくないな。俺達は普通に話をしていただけだぜ?そうだろ、ナトリちゃん」
「あ、はい、そうです。でも、なにも言わずに離れてしまってすみません」
心配を掛けた事を謝る鳴鳥にジルベルトは深く溜息を吐いていた。すこぶる機嫌が悪そうではあるが、一先ず怒りの感情は消え去ったようだ。
鳴鳥の手を取るとジルベルトは会場に向かって歩き出す。彼に引かれるまま歩き出した鳴鳥であったが、離れて行くその手を引き留めようと空いていた手をフラヴィオが掴む。立ち去ろうとした所を邪魔されたジルベルトは振り向いてフラヴィオを睨みつけるが、彼は全く怯む事など無く、逆に納得いかないとガンを飛ばす。ピリッとした空気が漂う中で睨み合う二人の男に手を引かれた鳴鳥はあたふたと慌てながら互いの顔色を窺っていた。
「おい、まだ謝ってねェだろーが」
「…そう言えばそうだな。勘違いをして悪かった」
本当は謝りたくなどないのだろう。ジルベルトは目元をピクピクと痙攣させつつ、軽く頭を下げて謝罪の言葉を口にした。そこで片が付いたかと思われたが、フラヴィオは鳴鳥の手を離そうとしない。今度はジルベルトが咎めるような目つきで文句を言う。
「俺達は人を待たせている。いい加減手を離してくれないか?」
「ハァ…?今の状況が分からなかったのか?俺様とナトリちゃんは楽しくお話をしていたワケ。それを邪魔しといて何だよその態度は」
「そうなのか…?」
怪訝そうな顔で訊ねてくるジルベルトに対し鳴鳥は小さく頷く。楽しくという部分は違うが、普通に話をしていただけで、嫌な思いなどしていない。気を遣っていてくれたフラヴィオにも悪いと思い、鳴鳥は彼を庇いだてるように弁明をした。
「あの…。会話の途中だったのは本当です」
「…そうか」
ジルベルトはバツの悪そうに顔をしかめる。ふとそこで先程フラヴィオと話していた内容を思い起こし、その事について彼に問いかける事が出来るのだと気が付いた。けれども彼は鳴鳥の手を離し、背を向けて冷たく突き放すような言葉を口にした。
「邪魔をして悪かった。皆には伝えておくから好きにしろ」
掴まれていた手から温もりが消え、背中が遠ざかる。
ジルベルトと約束をしていたわけでも無く、皆には彼から事情を伝えて貰える。フラヴィオと過ごす事が嫌な訳ではない。それでも何故だが、離れて行く彼を追わなければと体が動いた。だが、左手はフラヴィオに掴まれたままであった為に追いかける事が出来なかった。
「すみません、フラヴィオさん。私、ジルベルトさんを追いかけたいんです」
「俺と居るよりアイツの方が大事なのか?」
「それは…」
「今のは意地悪な質問だったな。悪い、俺はお前にこんな顔をさせたい訳じゃねェ」
「すみません」
悲しげな表情は見たくないとフラヴィオは引き下がる。スッと手を離すが、彼は自分の事を鳴鳥の心に残すようにと、顔を近づけて頬にキスをした。急な事に驚いた鳴鳥は顔を真っ赤にして硬直する。その姿を見てフラヴィオはクツクツと笑うが、ぼんやりしていても良いのかと背中を押すように彼女を見送る。その言葉で目が覚めた彼女はぺこりと頭を下げてジルベルトの元へと向かって行った。
「(今はいいさ。いずれ俺のモノになるんだからな)」
逃がしてしまった事を惜しくも感じるが、レースに勝ちさえすれば良いと自分に言い聞かせる。それでも彼女が選ぶのは自分ではなく、忌々しい相手なのだという現実は覆せない。記憶を忘れる事など大した事ではないと強がっていたが、今日ばかりは自身の境遇を呪った。以前約束を交わしたという鳴鳥は写真の姿より更に可愛らしく、事前の情報以上に、想像以上に心を揺さぶられる存在であった。何故彼女の事を覚えていたいと、記録を残したのかが会話の中で感じ取れた。そして今日の事も忘れてしまうと考えると歯がゆく感じる。
「(枷を外す…呪いを解く方法か…)」
何時からか諦め、受け入れてきた事。それは彼女の言葉に、存在により忌まわしいものとなり、見過ごしては置けない事に変化していった。
駆け足で追いかけたせいか、鳴鳥は直ぐにジルベルトの背中を捉える事が出来た。けれども彼は怒ってでもいるのか、早歩きである為、まだ歩くスピードを落とせない。
薔薇が咲き誇る生け垣の庭園では仲睦まじく雰囲気の良い男女が居るが、空気を読まずに呼び止めたい者の名前を叫ぶ。だが、ジルベルトは歩調を緩めるどころか益々早歩きになっていった。聞こえなかったのかともう一度名を呼ぶが、彼が歩みを止めて振り向く事は無かった。
「あ…っ」
さほど高くは無いヒールであったが、履き慣れていないせいか、鳴鳥はバランスを崩して躓いてしまった。無様に倒れ込んだ姿にすれ違う男女はクスクスと笑い声を上げて去っていく。咄嗟に手を着いたため、膝に怪我はしていないが掌はジンジンと痛みが走り、挫いた足首も痛む。転んで泣くなど子どもではないのだからと言い聞かせようとするが、じんわりと涙は瞳に溜まって溢れそうであった。こんな所で泣く方が恥ずかしいと目尻に浮かぶ涙を指で拭っていると、彼女の元に影が差した。
「ジルベルトさん…」
「足、挫いたのか?」
「だ、大丈夫です―――っ!」
「…お前って奴は」
しゃがみ込んでいた鳴鳥に近づいて来たのは去った筈のジルベルトであった。彼は腰を下ろすと痛みを感じていた右足首を見ていた。
怪我をしていても気丈に振舞おうとする鳴鳥であったが、痛みには耐えられない。すぐにまたよろけてしまい、ジルベルトに支えられてしまう。こんな時は強がる必要などないのにと苦笑した彼は軽々と鳴鳥を抱え上げた。
「ひぁ!じ、ジルベルトさん!?」
「じっとしていろ」
「で、でも。重くは無いですか…?」
「軽くは無いな」
「うぅ…。すみません」
「悪いと思うなら手を首に回してくれ」
「は、はい。えっと…こうですか?」
「ああ、そのまま大人しくしていろよ」
「はい…。すみません」
体と体が密着する事に心臓は早鐘を打つ。足首が痛んでいた筈だが、今は痛みよりもこの状況に意識が囚われていた。
鳴鳥を抱きかかえて歩くジルベルトは注目を浴びるが、すぐさま鋭い目つきで睨みつけ、好奇の目線を逸らさせる。大人しく抱えられた鳴鳥は恥ずかしさと緊張で胸が張り裂けそうになり、顔をジルベルトの首元に寄せるよう、回した手に力を込める。
この格好のまま会場に戻るのは悪目立ちすると判断したジルベルトは庭園を抜け、通用口に、なるべく人目を避けて医務室へと向かった。
広大な建物だけあって、設備も整っているようであり、医務室には常勤の看護師や医師が居た。既にそこには酒を飲み過ぎた者などが運び込まれていて慌ただしくもある。
看護師に事情を説明後、ジルベルトは席を外そうとするが、不安になった鳴鳥は彼のスーツの裾を思わず掴んでしまった。困ったように笑みを浮かべる彼は通信機を取りだして連絡を入れるだけだと言い、医務室を出て行った。
治療はすぐに済み、最新鋭の機器のお陰か、足首の痛みは引き、掌の擦り傷も綺麗に完治した。医務室を出るとそこにはジルベルトが待っており、鳴鳥は彼の元に駆け寄り礼を言う。
「あの…ありがとうございました。それと、手間を掛けさせてすみません…」
「気にするな。…俺の方こそ悪かった。お前が追いかけているのに気付いていながら立ち止まらなかったからな」
「いいえ!ジルベルトさんは悪くありません。私が何も告げずにフラフラしていたのも悪かったですし、折角迎えに来て下さったのに無下な態度を取ってしまって―――」
「いや、楽しく話をしていた所を邪魔したんだ。お前は別に―――」
互いに謝り合っていると何故だか可笑しく感じ、鳴鳥は笑みを溢してしまう。そう思ったのはジルベルトも同じらしく、彼も口端を緩めていた。このままではキリがないと二人はこれ以上頭を下げる事も謝罪の言葉を口にする事も無くなった。
「そろそろ会場に戻るか」
「は、はい」
会場に向けて歩き出す二人であったが、ジルベルトは鳴鳥の少し後ろを歩く。それは彼女がいつ躓いても良いようにという配慮なのだろう。いつも通りの憮然とした様だが、彼は自分の事をいつも見てくれている。先程の事もそうだった。フラヴィオと一緒に居ると知り、身を案じてくれたのだ。その事を考えるとむず痒くも感じ、嬉しくもある鳴鳥であった。
フラヴィオの言葉。ジルベルトの枷が不死である事ではないというのならば本当の枷は何なのか、不死を望んだにも拘らず、その事を忌々しげに話していたのは何故なのか、気になることは沢山あるが、今は忘れて、祝いの場を楽しむ事にした。
「(いつか…話してくれると良いな…)」




