第22話 Pale moon and wolf
ジルベルトは今更ながら後悔をしていた。ミリアムにああ言った手前、投げ出すようなことはしないが、この状況には判断ミスであったと反省せざるを得ない。
彼はタクシーから降りると、酒に酔って寝てしまった鳴鳥を抱えて宿舎の自分の部屋へと帰宅する。その姿は傍から見ればお持ち帰りをしている状態なのだが、そう言った気持ちは一切ない。周囲に誤解をされるのも癪だから、誰とも会わぬよう気配を探りつつ自室に戻る。運よく誰とも遭遇しなかったが、玄関の扉を閉める頃にはどっと疲れが出た。
鳴鳥は未だにすやすやと寝息を立てている。先程彼女はタクシーの中で悪夢を見て涙を溢していたが、今では安らかな寝顔を見せている。その身体は軽く、柔らかく、女性特有の良い香りがした。ジルベルトは彼女を自分のベッドに寝かせる。その瞬間、めくれたスカートから覗く白い太ももに目線は釘づけになる。
「(いやいや、俺の好みはでかいので、決してこんな貧乳の小娘じゃあ…)」
改めて自身の性癖を確認するために彼女の胸元を見る。そこに丘は無く、まっ平らな平原であり、一瞬グラつきかけた欲望に歯止めを効かせた。
「(それにこんなあどけない顔をしている奴に何をしようって言うんだ)」
鳴鳥の顔立ちは整っている。綺麗と言うよりか、可愛らしいといった方が良いだろう。そんな彼女の頬は赤く、唇には薄いピンクのグロスが塗られており、簡易照明に照らされて艶やかに光っていた。少女と思っていた彼女が見せる色香漂う光景にジルベルトはゴクリと生唾を飲み込む。
「(だから俺は何を考えているんだ。いや、まぁ男として当然の反応なのか?そうだ、そうにきまっている)」
自分にあれこれと言い聞かせながら鳴鳥を寝かせたジルベルトは、彼女にブランケットを掛けた後、自分より先に目覚めた時の為に着替えを用意し、寝室を出た。
「(…疲れた)」
キッチンの戸棚から薬の瓶を取り出し、三錠を水で流し込む。そしてネクタイを外し、上着を床に投げ捨ててソファーに身を預けた。薬の効き目が出るまではまだ時間がある為、アルヴァルディの面々へ次の任務についてのメールを出しておく。するべき事を終わらせた彼はソファーに寝転んだ。身長が高いせいか、足は肘かけに投げ出す形となる。次の任務の事、鳴鳥の事、悩み事は尽きないが、薬のお陰で深く考え込む前に意識は遠のいた。
第22話 Pale moon and wolf
ブラインドから差し込む朝日に眩しさを覚え、鳴鳥は目を覚ます。見上げた天井は知らぬ光景であり、見まわした部屋も知らない場所であった。簡素で飾り気のないベッドやテーブル、照明。最低限の物しか置かれていないその部屋は初めて来た筈であったが、ベッドに敷かれた寝具からは嗅いだ事のある匂いがした。
「(もしかして…)」
寝室らしき部屋を出て隣の部屋を覗くと、リビングルームのソファーにはジルベルトが眠っていた。鳴鳥の予想通り、ここはジルベルトの宿舎であるようだ。
そこで昨日の事を思い起こす。ミリアム達と会食をして、任務を受けて、その後は何故だか思い出せない。幸いな事に二日酔いによる頭痛はないが、今のこの現状をどうしたものかと慌てた。
「(あ…!)」
ふとそこで視界に入ったジルベルトの様子に気が付く。彼は自分にベッドを明け渡したが為に彼にとっては窮屈なソファーで寝ていた。その身体は朝になって少し冷えたようで、身を縮めているようにも見える。鳴鳥はそっと音を立てないように寝室からブランケットを持ってきて彼の身体に掛けた。
「(そういえば、私昨日の格好のままだ)」
寝室のテーブルの上にはTシャツとハーフスウェットパンツが置かれていた。着替えを置いておいてくれたのだろうかと判断した鳴鳥は厚意に甘えて着替えをする。ジルベルトのサイズのそれは大きく、Tシャツだけでも下まで隠せそうである。と、言うよりもハーフスウェットパンツは胴周りがぶかぶかでずり落ちてしまった。
「(ミニスカート丈になっちゃうけど良いよね)」
ひらりとその場で身を翻し、姿見で自身の姿を確認する。少々動きまわっても下着は見えないようなので良しとした。
その後、顔を洗った鳴鳥は朝食の支度を始める。外で取れば楽だろうと思われたが、昨晩あれだけ豪華な料理を食べた後は何故だか日本食が恋しくなる。ここ、アストリアの設備は便利なもので、欲しい食材が少量でもすぐに届けられる。タブレット端末で必要な食材を注文し、届くまでは部屋を掃除、落ちていたジルベルトのジャケットとネクタイを拾い上げハンガーに掛けた。
食材が届き、調理に取り掛かる。まずは小鍋に水と昆布を入れ、火にかける。お米も炊きたい所ではあるが、残念ながら炊飯器が無い為、レトルトで妥協する。おかずは簡単に作れる焼き魚と出し巻き卵とホウレン草のお浸し、汁物は昆布と鰹節から出汁を取ったみそ汁、具はわかめと豆腐だ。
「(久しぶりに料理をしたけど、こんなものかな。…あ、ジルベルトさんって結構量を食べていたような気が…。それに日本食お口に合うかな?)」
全て作り終えておきながら、色々と心配になる。けれどもそれは杞憂に終わった。
「…起きていたのか」
「わっ!」
背後に立つのは寝ぼけ眼のジルベルトであった。彼はスンスンと匂いを嗅ぎ、出汁巻き卵に手を伸ばして口に放り込み、モグモグと咀嚼して飲み込んだ。その表情は柔らかく、微笑んでいる。
「うまい」
「あ、ありがとうございます…って、ジルベルトさん、つまみ食いは駄目ですよ。それにその格好、スラックスにはもう皺が…。えっと、取り敢えず朝ごはんにしますか?シャワー浴びますか?」
「顔洗った後メシにする」
「分かりました」
「米、大盛りで」
「了解です」
ジルベルトが顔を洗いに行っている間に出来あがった朝食をテーブルに並べる。彼の分はご飯大盛りに、自分の分は少なめに。並べ終えた所で彼が戻ってきたので朝ごはんを二人で食す。心配であった味の方も好評だったらしく、ジルベルトは美味い美味いと言いながらみそ汁とご飯をお代わりした。
「ごちそうさん」
「お粗末さまです」
「いや、それにしても意外だな、お前が料理上手だとは。誰にでも取柄ってものがあるもんだな」
「む…。それって誉めているんですか?」
「褒めているつもりだ。これだけうまい飯が作れれば、嫁の貰い手には困らないな」
「…!!」
ボッと火が付いたかのように鳴鳥の顔は真っ赤に染まった。その様子にジルベルトも自分が言った言葉の意味に気付き、慌てる。
「いや、別に深い意味は無いんだぞ、あくまで一般論だ」
「あ…はい。えっと、私、洗いものをしますね」
「あ、ああ、済まない」
「いえ、昨晩はまたお世話になってしまったようですし、このくらいなんともないです」
「昨晩…」
頬を赤く染めたまま、鳴鳥は食器を片づけ始めた。ジルベルトは今更ながら彼女の姿に驚き目を見開いた。彼女はTシャツのみを着用していて下は穿いていないように見える。立ち上がった彼女の生足はスラっとしていて、昨晩の光景が思い起こされる。
「おま…っ。下は穿かなかったのか!?」
「え?あ、はい。ぶかぶかでずり落ちてしまうので…。折角用意して下さったのですが、すみません。あ、あと、着替え、ありがとうございました」
「そ、そうか…―――…っ!!」
何故自分は白いTシャツを選んでしまったのだろうかとジルベルトは後悔する。鳴鳥が屈んだ瞬間、身体が布に当たり、薄っすらと透けて見える薄ピンクの下着に、このままではマズイと察したジルベルトはタブレット端末で女性用の軍服一式を注文したのち、シャワーを浴びにバスルームへと急いだ。
ジルベルトは少し冷たい水を頭から浴び、邪な考えを頭から消しさるようにした。どれもこれも男なら仕方が無い生理現象であると言い訳を言い聞かせ、平常心に戻そうとする。どうにか気持ちを落ち着かせた所である事に気が付き、真っ青に顔色を変える。
「(しまった。慌ててシャワーを浴びに来たから服どころか下着が無ぇ)」
自分一人ならば全裸で室内をうろうろしても平気であり、室内に居るのが男なら腰にタオルを巻けば良い。だが、今居るのは鳴鳥である。いくら言い訳をしようとも、タオル一枚ではセクハラに捉えられるであろう。ならば彼女に服を用意して貰うか?それも駄目だ。年若い女の子に下着を持って来さすという行為もセクハラだ。どうしたものかと肩を落としながらバスルームを出たジルベルトは驚いた。衣服を置く場所には綺麗に畳まれたいつもの黒いシャツとズボン、ベルトに下着が置かれていた。それらを着て出ると鳴鳥が心配そうな顔をこちらに向けてきた。
「あの、その服で間違っていませんでしたか?」
「ああ、これで良い。済まないな」
「いえ、こちらこそ、服を用意して下さってありがとうございます」
鳴鳥の手には先程注文した女性用の軍服がある。その様子ではジルベルトの服を用意した事に対して特に意に介していない様である。内心ホッと溜息を吐きつつ、ジルベルトは鳴鳥にバスルームを貸した。ドアを隔てた先で鳴鳥はシャワーを浴びているが、今はもう気にならない。
「(そう言えば、色々と気遣いが出来る奴だったな)」
思い返してみれば、フェルスボウデンで自身を顧みず盗掘者に立ち向かったり、小惑星群宙域に救難のため飛び込んだり、正義感に突き動かされているような衝動的な行動ばかりが目につくが、グレゴリオ達の行く末を心配したり、テレンティアへの任務の途中ではアリーチェを手伝って夕食を運んだり、気遣いができる子であった。
自分に特別な感情を抱いての行動ではないと思い至ったジルベルトは落ち着きを取り戻し、動揺していた事を恥じた。
「(…何年たってもこういった事は慣れないな。まぁ慣れてしまっても仕方が無いのだが)」
綺麗に片づけられた室内を見回し、彼女の旦那になる人物は幸せであるだろうなどと他人事のように感じていた。
その後、支度を済ませた二人はアルヴァルディに向かった訳だが、嗅覚に優れたコンラードに同じボディーソープとシャンプーの香りがすると言われ、アルヴァルディの面々にあらぬ疑いをもたれてしまった。
目的地であるヴィルト・ルイーネはアストリアからさほど離れておらず、ノックス・トランスポートの時空転送路が直通である為、昼前に発って夕刻には到着する。今回は急ぎの任務とのことで時空転送路を使ったが、初めての転移航行に鳴鳥は窓の外を食い入るように見つめていた。大きなリング状の中は空間が歪んでおり、虹色のぐにゃぐにゃとした景色が広がっていた。
何事も無く辿り着いた先、そこには一つの星が在った。青い海に高低差のある岩場と荒野、巨木が密集する大森林、火山が噴火する溶岩洞窟、吹雪が舞う雪原渓谷、そしてそれらの自然の中に点在する遺跡の数々。あまり近未来的な開発が進んでいない自然が残された惑星ではある特徴があった。
「お店がいっぱい…。でも…」
ドックに入港し船から降り立ち、広がっていた光景。所狭しと軒を連ねるのはARKSの部品や兵装を取り扱う店ばかりであった。
「この星ではARKSのレースが行われている星なんっスよ」
「なるほど、そうなんですか。コンラードさん、なんだか嬉しそうですね」
「まさか任務でこの星に来れるとは…。嬉しいっス!」
その理由はコンラードの説明通り、この星の至る所がARKSのレース場となっているからである。点在する遺跡も人工的に造られたものであり、レース場を彩る景観の一部であった。
わくわくと浮かれているコンラードはパーツ屋を覗きに行きたそうにうずうずと落ち着かない様子だ。一方で彼以外のアルヴァルディの面々は興味が無いようである。ジルベルトは任務内容がよほど億劫なのか、仏頂面であり、マリアンとアランはさして興味無いようであり、スティングはいつも通りのクールな表情だ。
一行は宿にチェックインしたのち、宿の一階で夕食を取る。屈強な男が客に多いせいか、料理の量も多く、味付けも濃いものばかりである。
「あら、船長、食欲が無いの?」
「…いや、そう言う訳ではないがな」
マリアンに指摘されたジルベルトは確かに箸が進んでいない。いつもと様子が違う彼はただ単に任務に対する懸念に悩まされているという風ではなかった。何故なら、前回の任務の方が遥かに頭を悩ませた筈だが、彼はその時普通に食事を取っていた。
「体調優れないんですか?」
心配そうに声を掛ける鳴鳥の顔を見て、本人は原因が思い当たる。けれども彼はそれを素直に口に出す事は出来ず、適当に誤魔化した。
「いいや、体調は問題ない。問題あるのはこの食事だ。…味が濃い、量も多い」
「どうしたのよ?なんだか年寄みたいな事を言っちゃって」
「五月蠅い。ならお前が食え」
「やーよ!太っちゃうでしょ。これでもスタイル維持には気を付けているのよ」
「なら俺が食っちゃっても良いっスか?」
「…私も頂こう」
「皆さん、程々にして下さいよ。食べすぎで動けないなどならないように」
「アランはもう少し食って身体を鍛えた方が良いと思うっスよ」
「…そうだな」
「いやはや、スティングさんにまで言われるとは…。困りましたね」
ジルベルトが食べない分をコンラードとスティングがぺろりと平らげる。そしてコンラードは困り顔のアランの取り皿に無理矢理大量の肉を載せた。一方ジルベルトは顔をしかめながら食事を食べていたが、チラリと鳴鳥の方を向き、すぐさま目線を逸らした。その様子に彼の意図を何となく悟った鳴鳥は顔がニヤけるのを手で押さえた。
「(それって私の料理と比べていて…なのかな。だとしたら…嬉しいかも。そうだ…!この任務が終わったら、また何か料理を作ってみようかな。ってこれ、フラグみたいじゃない!)」
今回の任務では危険な事など無い筈、そう言い聞かせて鳴鳥は残りの夕食を食べた。しかし彼女が別の意味でピンチに陥るなどこの時は思いもしなかった。
夕食後、ジルベルトとマリアンとスティングは歓楽街に、鳴鳥とコンラードはARKSのショップに、アランは宿でPCを使い、情報収集を行う予定だ。この星にも連合の警備隊は常駐している。しかし相手が少々変わった性格をしている為、公的機関を動かして話し合いに持ち込むと断られる可能性が大きい。その為ジルベルト達が遣わされた訳である。
各自の小型端末に転送された探し人の顔写真、一人目の名はフラヴィオ・フェデーリと言う名の男性で、赤色の肩までの長髪に小麦色の肌で筋肉質ではあるが細身の長身で、何よりも特徴的なのは耳としっぽがある事であった。彼は狼系の獣人種と人間のハーフらしい。鋭い目つきであるが、整った顔立ちに胸元の開いた派手な衣服、見た目通りの軽薄な性格らしく、見つけたらまず連絡をするようにとジルベルトから忠告がなされた。
「特にナトリ、お前は気を付けろ」
「何をですか?」
「奴はその…女に目が無い」
「え!?」
「どんな女でも食っちまう」
「どんな女って…。むむ!今、貧相な身体でもって思いませんでしたか!?」
「そうだ、幼くてもヤれそうだったらヤる奴だ」
「ちょ、そこは否定して下さい!」
鳴鳥の抗議はサラっとスル―して、ジルベルトはもしもの時は容赦なく撃てと言った。彼の指示にある通り、鳴鳥は銃を携帯している。それはテレンティアでの任務の際に渡された電撃を放つ銃であるが、結局彼女が使う事はなかった。久城の襲撃という危機的状況にあったにも拘らずだ。その事を反省した鳴鳥は腰に下げたその冷たい感触を手で確かめて深く頷いた。
「そんなに気を張らなくても大丈夫っス。俺が一緒なので安心して良いっスよ」
「コンラードさん…。よろしくお願いします」
「任せろっス!」
コンラードの笑顔と言葉に鳴鳥は緊張を解いた。しかしマリアンはコンラードだと心配だとか、ジルベルトも何かあればすぐに連絡しろと言い、彼の力量を信じていない様であった。口を尖らせてコンラードは文句を言うが、彼の抗議もサラっとスル―してジルベルトは説明を続けた。
もう一人の探し人はラウナという名の少女である。空色の長い髪をツインテールに括り、無表情な彼女はフラヴィオとの接点が疑わしい程の小さな女の子である。フラヴィオはヴィルト・ルイーネの名物であるARKSレースの人気レーサーであり、ラウナは彼のスケジュールを管理するマネージャーであった。
「二人は常に一緒に居るようだが、夜はフラヴィオが女漁りに飲み屋街を出歩いている為、別々に行動している可能性が高い。ラウナの方は融通が利かない性格であるが、フラヴィオを説き伏せれば彼に従う筈だ。一応見かけたら連絡するように。彼女の元にフラヴィオが戻ってくる可能性もあるからな」
任務の再確認を済ませ、各々が持ち場に赴く。日中はあちこちのレースに出ずっぱりな為、プライベートな時間である夜の方が捉まりやすいし交渉がしやすい。可能性としては飲み屋街や色街にフラヴィオは居るであろうから、鳴鳥とコンラードは気楽なものであった。
「おお、最新の武器が出ている…!」
大型の銃を眺めながら、コンラードは興奮した様子であった。けれども値段を見て愕然とする。最新だけあって値は張るようであり、特務部の経費では申請しても落とせそうもない。自己負担で兵装を揃えても良いが、そんな余裕は無かった。
「ナトリさんは良いっスよね~。ARKHEDに乗れるから、武器なんて出し放題じゃないっスか」
「それはそうなんだけど、想像するのは難しくって…」
ARKHEDは搭乗者の意志により、武器も自在に操れる。ただ、操縦者の想像力が足りなければ折角の高性能な機体も汎用機と変わらぬ強さになる。鳴鳥の悩みに閃いたコンラードは嬉しそうに提案した。
「それなら俺に任せて欲しいっス。武器に関しては自信があるので、説明をするっス」
「ホントですか?ありがとうございます…!あ、でもいいんでしょうか?一応私達任務中ですよね?」
「目的の人物ならきっと歓楽街に居るだろうし、平気っスよ」
「そうですかね…」
「そうっスよ!」
生き生きとしたコンラードに背中を押される様に、鳴鳥はARKSの兵装を見て回る事にした。そしてそんな彼女を見つめる視線があるとは夢にも思わなかった。
青白い月が空に昇る夜、宿場エリアの裏路地で男はヒリヒリと痛む頬をさすっていた。真っ赤な肩までの髪に小麦色の肌、鋭い目つきに胸元が開いた派手な衣服、そして特徴的なのはピンと立った獣耳とふさふさの尾っぽであった。彼こそがジルベルト達が捜すフラヴィオなのだが、彼は今、すこぶる機嫌が悪かった。不機嫌な理由は何故かというと、その赤く腫れた頬にある。今日も酒を浴びるほど飲んで、酒場で女の子を引っかけてお持ち帰りと言うより、路地裏で事に至ろうとした訳だが、強引過ぎたのか、頬を叩いて逃げられてしまったのだった。
「(まぁ同じレーサーだったから力が強くて当然か)」
テキトーに理由づけて表通りに歩き出す。何処かに手ごろな女は居ないか、もう一度歓楽街まで行くのは面倒だなと考えていると、通りを歩く少女が目についた。栗皮茶色の髪をえんじ色のリボンでツーサイドアップに括り、浅葱色のタイトなワンピースの上にオレンジ色のパーカーを羽織った彼女は、黒いタイツを穿いた足はほっそりとしており、スレンダーな体型である。この辺りでは見ない可愛らしい少女は、気の強い女にしてやられた後に狙うには丁度良い獲物だ。彼女の隣にはパーカーを被った緑髪の幼い顔の、一見女にも見える人物が居たが、フラヴィオのカンはその人物が男であると察知した。
「(こんな時間にデートかよ…。ったくいい気なもんだぜ)」
他人の女を寝とるのはゾクゾクするタチなフラヴィオは二人の後を人混みに紛れて追跡する。一応この星で有名人である彼はフードを被り、伊達眼鏡を掛けた。
「(ん…?夜の公園じゃなく、ARKSのショップに行くのか?)」
恋人達の不審な行動にフラヴィオは眉を潜める。彼が疑問に思った通り、近くをさりげなく通ってみると、男の方が女の子の方に熱心に武器の話をしていた。
「(おいおい、デートじゃないのか?いや、男の方は気があるが、片想いか。ククッ、空回りしているようだが…)」
一生懸命に武器の解説をする男に対し、女の子はちゃんと頷いて聞いているようだ。しかし彼女の様な可愛らしい子がARKSに乗るようには見えない。これは気を遣って話を合わせてあげているのだとフラヴィオは納得した。
「(…性格も良い子だな。まぁ一晩遊ぶのに、性格は関係ないが)」
従順で優しい子を凌辱するのもフラヴィオは好みである。どうにか付け入る隙は無いかと探っていると、程なくして男の方がお手洗いに向かって行った。残された女の子の方は武器を熱心に見ている。これはチャンスであると目を光らせたフラヴィオはターゲットに近づいた。
「今晩は、お嬢さん」
「え?はい、こんばんは…」
突然見知らぬ男から声を掛けられた少女は驚きつつ振り返る。近くで見るとますます愛らしい顔立ちであり、フラヴィオは内心舌なめずりをした。
まずは邪魔な男から引き離さなければならない。と、すると気遣いの出来そうな子を連れ出すには困った風を装うのがベストであった。
「すみません、いろいろ見て回っている途中で財布をスられたみたいで。自分はこの辺りに詳しくなくって困っているんです」
「それは大変ですね…!」
驚き不幸を憐れむ彼女は間違いなくお人好しだ。そう悟ったフラヴィオは畳みかけるように親切な彼女に頼る。
「取り敢えず、警備隊の居る駐在所に行きたいのですが、道に迷ってしまって…」
「ちょっと待ってて下さい…。あ、ここですね。この店を出て左に曲がって―――」
通信用小型端末で調べ地図を表示して場所を説明する。親切なようだが、一緒には来てくれないらしい。仕方がないとフラヴィオは心細そうな顔をした。
「すみません、女性にこのようなお願いをするのは気が引けるのですが、どうにも不安で…」
「あ、そうですよね。お財布取られた後って人混みとか怖いですよね」
「…はい」
「少し待ってて貰えますか?今、一緒に居た人がお手洗いに行っているので、彼が戻ってきてからで」
「クレジットカードとかもあるんですが、大丈夫でしょうか」
「…!それは急いだ方が良いですね。分かりました、彼にはメールしておきます」
「ありがとうございます。とても助かります…!」
見事に釣れたと内心喜ぶフラヴィオは礼を言い、彼女と共に店を出た。
「困っている人は放っておけないので」
「優しいんですね」
「…ある人にはお人好し過ぎると馬鹿にされていますが」
あははと笑う彼女は確かにお人好しであり、彼女を馬鹿にした者は正しい。実際この少女は悪い狼に騙されているのだから。この優しい少女を蹂躙するとどんな声で鳴くのだろうか、今から楽しみで仕方がないフラヴィオの口元は弧を描いているが、少女は気が付いていない。
「あの、お名前は何と言う名なのですか?」
「私の名前ですか?えっと、な…ナトリ・ナナツカと言います」
「ナトリさんですか。今回のお礼はいつか必ずしますので」
「お礼だなんて、この程度の事、気にされなくて結構ですよ」
「ナトリさんは本当にお優しいですね」
「い、いえ、そんな事はありません!」
優しく耳元で囁くように褒めると、鳴鳥はカァッと頬を赤らめて距離を取る。先程の口ぶりからあの邪魔な男とは男女の関係ではない事が確定している上に、あまり男慣れしていないようだ。ますますこの少女を、穢してやりたいという願望が渦巻く。
「あ、あの、貴方のお名前は?」
「自分はフラヴィオ・フェデーリと言います」
「え!?」
「…!」
名前を名乗った途端、鳴鳥は足を止めて呆然と立ち尽くした。土地勘が無いことから、彼女は外惑星から来た観光者であるかと思い、本名を名乗ったが、レーサーとして名が売れていた事が仇になってしまったかと内心慌てる。このままだと嘘がバレて逃げられかねないと危惧したが、彼女の反応は意外なものであった。
「フラヴィオさんって、あのレーサーのですか?」
「あ、はい…そうですが」
「ほ、ホントですか!?良かったぁ…優しそうな方で」
「は…?」
ホッとしたように強張っていた肩を落とし笑顔を見せる鳴鳥であるが、フラヴィオには彼女の事情が全く呑み込めない。最初はファンの子かと思いきやどうやらそれも見当違いであるようだ。彼女は少しだけ時間を下さいと言い、通信機で何者かと連絡を取ろうとする。彼女のマイペースさに流されそうになるが、このままでは獲物を逃してしまう。フラヴィオは慌てつつ止めようとするが、彼女の口から発せられたある人物の名に目を見開いた。
「あ、お財布ならきっと大丈夫です、ジルベルトさんは結構何でもこなしてしまう凄い軍人ですし、アランさんは情報収集のスペシャリストですし」
「今…ジルベルトって言ったか?」
「え?はい…。あ、お知り合いでしたっけ?」
「ジルベルトとは、ジルベルト・ジャンディーニの事か!?」
「は、はい…そうですけど」
「…っ!」
「えっ!?あっ…何をするんですか!?」
その名を聞き、フラヴィオは理性を抑えきれず、無理矢理に鳴鳥から通信機を奪った。彼の表情はこれまでの人当たりのよさそうな、困っている青年の顔を脱ぎ捨てて、本来の獰猛な形相に変わっていた。




