回想・2
初対面の女の子に、いきなり練習に付き合えと言われた時、どういう反応をすればいいのだろうか。
「演技の練習ってなに?」
結局、いい答えが思いつかず、僕は少女にそう問いかけた。すると、少女は薄い本を僕に突き出してくる。
「これ、読んでみて」
なんというか、かなり突き抜けた少女だなと思った。遠慮をしらないというか、なんというか。
「これって、台本?」
渡された本を見てみると、表紙には「喧噪の街角」と書かれている。
「えらく無骨なタイトルだね」
可憐な少女の見た目に反したタイトルに、僕は少し驚く。
「ジャンルは関係ないの。大切なのは、そのお芝居にどれだけの熱を感じるかだから」
少女はそう言って、胸を張る。なんだか、すっかり少女のペースに乗せられているけれど、果たしてこれでいいのだろうか。こういう情熱が爆発していますっていう人種とはあまり付き合いたくないのだけど。こういう時は、適当に話を切り上げて帰宅するに限る。帰って寝直すというのは貴重な休みを無駄に浪費する行動ではあるが、このいかにも面倒なオーラを漂わす少女に関わるよりははるかにマシだ。
「へー。そうなんだ。じゃあ頑張ってね」
そう言って、僕は去ろうとする。
「私、千堂美月」
唐突な自己紹介。というか……
「痛いんだけど」
少女の手が、去ろうとする僕の腕をがっちりと掴んでいる。しかも、妙に力強い。このまま腕を握りつぶすんじゃないかという勢いだ。にこやかに自己紹介しながらする行動ではない。
「私、千堂美月」
「それはもう分かったから、離してくれない?」
「私……」
「分かったってば! 何でそう何回も自己紹介するんだよ! 怖いよ! 君アンドロイドかなにかなの? だったら電気羊の夢でもみててよ! 僕は関係ないだろ!」
少女は、なおも爽やかに笑っている。恐ろしい。もはやホラーではないか。
「私が名乗ったんだから、あなたも名乗りなさいよ」
少女はさらりとそう言った。
「はい?」
「だから。自己紹介したんだから、そっちも自己紹介しなさいよ」
メチャクチャだ。どんな理論だよそれは。この少女は、頭のネジがゆるんでるんじゃなかろうか。初めて会った相手に、唐突に練習に付き合えと言われ、唐突に自己紹介されて、さも自分が正しいと言いたげなその態度は何事か。
「相葉一樹……」
と、心の中で思いつつも、こういう頭がどうにかしてる人の神経を逆なでするのは得策ではないので、一応僕も自己紹介をする。びびったわけではない。断じてない。
「ふんふん。一樹ね」
いきなり呼び捨てかよ。しかも下の方で。
「じゃあ、一樹は北村ね」
「僕は相葉なんだけど」
少女は、「知ってるわよ」と言いながら、僕に渡していた台本を取り上げ、ページをぺらぺらとめくっていく。
「はい。これが北村」
数ページめくった後、少女がその台本を僕に差しだす。そこには、「北村和夫」という役名と、簡単なプロフィールが載っていた。役名かよ。いきなり役を割り当てられても困るだろう。というか、台本にいちいち役のプロフィールなんて載せるものだろうか。
「台本って、役のプロフィールとか載せるものなの?」
北村のプロフィールを確認しながら、僕は千堂美月に問う。
「載ってないわよ」
「あのさ、じゃあこれはなんなの?」
台本に載って無い項目が載っているなら、これは台本じゃないというわけで。
「だって、それは写しだもの」
「写し?」
「そう。姉さんの台本を、私が写したの」
写したのって軽く言ってるけれど、それって凄くダーティな行動なんじゃないだろうか。
「それって大丈夫なの? それとももう公演が終わった台本だから、大丈夫とか?」
僕がそう問うと、千堂美月は全力で、それはもうこの上ない位全力で……
「全然大丈夫じゃない」
と答えた。全然大丈夫じゃないって簡単に言える君が、僕は全然大丈夫じゃないと思うよと言いたいが、そんなこと言って変なことでもされたら嫌なので、黙っておく。しかし、何故こんな事になったのか。こんな面倒極まりない状況になるのならば、時間の浪費と分かっていても、二度寝したほうが良かったではないか。これでは、時間の浪費どころじゃない。命の危機だ。全然大丈夫じゃないことを、まるで問題がないかのように発言できる狂った脳を持つこの女のことだ、きっと、僕のことなんてそこらの虫と同じ程度にしか見ていない。仮に、もし僕が二度寝していれば、不本意なこの役割を、僕以外の誰かが担っていたわけだ。自分の決断をこんなに後悔したのは初めてかもしれない。
「あのさ、全然大丈夫じゃないんなら、やめようよ」
僕は、精一杯の悲しみを込めて、そう言った。
「じゃあね、ここの台詞からね」
無視かよ。虫みたいな扱いをしたあげく、無視かよ。あんまりじゃないか。僕は反論しようとするが、千堂美月はそれを無視して、目を瞑る。
「あのさ、まだ付き合うって……」
言って無い。という言葉を、僕は呑み込んでしまった。それは、閉じた目を開けた彼女が放つ雰囲気が、あまりにも違っていたからだ。
目の前にいるのは、本当に千堂美月という少女なのか?
僕の困惑をよそに、千堂美月は言葉を紡ぐ。
「あなたが生きている理由はなに?」
寂れた公園には似合わない言葉。だが、千堂美月が紡いだその言葉は、寂れた公園の空気の色をも変化させる。自分が今どこにいるのかということを忘れさせるほど、その言葉は馴染む。
台本か。
そうだ、彼女は演じているのだ。僕はそれに気付く。だが、「演じる」ということは、ここまでのものなのか。
困惑する。
僕は困惑する。だが、応えなければと思った。彼女が纏う空気を、壊してはいけない。何故かそう思わせる「何か」を、千堂美月は持っていた。僕は手元にある台本を見る。先程、ここのページからと言っていた部分を見ると、美月が紡いだ言葉がそのまま載っていた。その次は、北村の台詞。つまり、僕に割り当てられた役の台詞だ。たどたどしく、僕はその台詞を読み上げた。
「別に、生に愛着があるわけじゃない。ただ、証が欲しいだけさ。それが理由じゃ、不服かい?」
「ふ」
ふ? 千堂美月がそう漏らす。台本(写し)とは違う言葉を発している。
「ふふふ……ああもう駄目!」
そう叫んで、千堂美月は笑いだす。腹を抱えて、大声で。
「棒読みだし、クサイ台詞は似合わないし、もう面白くて」
千堂美月は、笑いながら僕に近付き、台本を奪って駆けだした。
「ちょっと!」
僕は、自然に千堂美月を呼びとめる。面倒で恐ろしい女を、何故僕は呼びとめてしまったのか。自分でも分からない。それほど自然に、彼女を呼び止めてしまった。
千堂美月はくるりと微笑んで、僕に言った。
「今日って、四月七日だよね」
そう問う彼女の笑顔は妙に輝いている。
「そうだけど」
僕がそう返すと、千堂美月は少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「四月って死を連想するから、三十日間テンションが上がらないんだけど、今日はいい日だね。やっぱり、七日だからかな。ラッキーセブンな出会いに感謝だね」
それだけ言って、千堂美月は再び駆けだした。今度は、僕が呼びとめても振り返ることはなかった。
「千堂美月」
僕は、彼女の名前を呟きながら、ベンチに座った。彼女が去ったことで、公園は色合いを無くし、元の寂れた公園に戻っていた。僕はベンチの背もたれにだらりともたれる。無駄に青い空を見ながら、千堂美月の姿を思い出す。
情熱的。
自分勝手。
力が強い。
全然大丈夫じゃないと笑顔で言い放つ。
マイナスなことばかりが思い出される。だが、それを帳消しにするほどの体験を、僕はした。空気を変えるほどの演技。もはや、どちらが演技で、どちらが本当の千堂美月なのか分からなくなるほどの演技。初対面で、どちらが本当の彼女の姿なのだろうなどと考えるのはおかしいかもしれないけれど、僕は彼女の二面性に惹かれていた。
惹かれていた?
おかしな言い方だ。これではまるで、僕が千堂美月に恋をしたようではないか。
だが待てよ。そういえば、今こうして千堂美月の顔を思い出してみると……
「可愛かったな」
僕の言葉は、寂れた公園に溶け込んで、すぐに消えてしまった。




