開いた『運命の扉』
「セシリアは、この瘴気の中に取り残されたと考えられていると思うから…………」
俺は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「知り合いの前にはもう顔を出せない、ってこと」
そう、セシリアがアンラビフォン迷宮に潜ったことは、この王国は把握しているはずだ。そして、今、迷宮の外が瘴気に溢れている以上、セシリアが戻ってくることは非常に困難であることを。
この世界の常識で言えば、セシリアはすでに亡き者として捉えられているはずだ。
一瞬、俺が何を言っているのかを考えたのか、少し戸惑う表情を見せたセシリアだったけれど、すぐに微笑んだ。
「……そうかもしれないわね。でも、大丈夫」
「ごめん」
「ふふふ。ルイが謝る必要なんてないわよ」
セシリアは立ち上がると、俺の側にやってきた。
そして、俺の肩にそっと手を乗せた。
俺はセシリアを見上げた。
「爺を失った私に、家族はもういない」
悲しそうな、いや哀しそうな彼女の言葉が指す意味を俺は分かった。
「でもね、私が言ったでしょう? このスタンピードの討伐を命じられた時に、もしかするとこれが私にとって『運命の扉』なんじゃないかって思ったこと」
「……うん」
「もともと、アルファクラスのスタンピードに真っすぐに私が立ち向かっていたら、私の役割はスタンピードを討伐することじゃなく、王都まで到達する日数を、何日遅らせることができるか、ということだったわ」
「…………」
「それでも、今回のスタンピードが私に何を招くのかを考えた時、絶望よりも希望の色が濃かったわ。なぜか」
「そして、ルイとこうして一緒に過ごして、はっきりと分かったわ」
「セシリア……」
何が分かったのかを尋ねたかった俺だけれど、その真っすぐな瞳を見ていると、俺に思い浮かんだ言葉と一致するのかに不安を覚えたせいか、その言葉を口にすることができなかった。
「だから…………一つだけ、ルイにお願いがあるの」
「何?」
「――――貴方に付いていってもいい?」
俺の胸が大きく高鳴る。
射貫くようなその目は、真っすぐに俺に何かを訴えかけていた。
しかし――その目を見たとき俺は、「もちろん」という言葉をすぐに言い出すことができなかった。
セシリアが師匠の転生体じゃないかって思っている俺は、ついてきてくれるならもちろん嬉しいし、それが俺の望みだと言って良い。
ただ、どこまで話して良いのかが分からないけれど、師匠のことを知ったとき、セシリアが俺のことをどう思うのか、っていう不安はある。
何より、気丈な様子を見せてはいるが、彼女は大切な家族を失ったばかりだ。たぶん、血が繋がった家族との絆は、とうの昔に切れているようだから、今はいわゆる「吊り橋効果」に近いんじゃないかと思う。
この状況の中で俺が、優しい言葉をかけることが、セシリアにとって本当に良いことなのか――いや、正しいことなのかを俺は迷っていた。
だから――
「一つだけ、尋ねてもいいかな?」
「ええ」
「なぜ、俺についていこうと思ったの? 確かに、セシリアにいまのままで、この国に居場所を作ることはできないと思う」
その時、四隅に置かれた【灯り】のスキルで作られた光が揺れた。スキルで作られた光は風に揺らされることなどないはずだけれど、瘴気の影響を受けたのだろうか?
ただ、俺は空気が変わったのが分かった。
その変化は、決して重いものへと変わったのではなく、どちらかと言えば灯りが柔らかさを保ったまま眩しくなったように思えた。
俺の肩に置かれたセシリアの手が、僅かに震えるのが分かった。
「そうね……たぶん私は死んだと思われているだろうし、もしもそれで生きていることが分かったから、私が持つ『勇者』の肩書はより一層の重みをもつことになるわ。そして、それが何を意味するかはルイならわかるでしょう?」
「……うん」
この終焉を迎えたスタンピードの中からセシリアが生還したら、しかも、これまで発生したことがない複数の同時発生したスタンピードの一つを終了させ、さらにこれから発生するアンラビフォン迷宮のスタンピードを無事に終わらせたらなら、彼女の名は歴史に残ることになる。
もちろん、国がそれを放っておくはずはない。
彼女は、このシュドリー王国のヒロインとなり、象徴となる。それは、彼女が負わなければならない「義務」だ。そして、同時に「自由」という権利を放棄しなければならないことを意味する。
「でも……本当は私にとって、そんなことはもうどうでもいいの」
そして、セシリアの目に涙が浮かぶ。どうやら、彼女にとってその「権利」と「義務」に意味はないようだ。
「私の心が震えるの。そして教えてくれるの――――この手を放しちゃいけないって」
ドキッ
俺は、自分の心臓が大きく跳ねたのが分かった。
「放しちゃいけない……?」
「ええ。私の――私の『運命の扉』は……」
ギシッ……
俺の心に、小さく、何かが軋んだ音が聞こえた。
「――――ルイ、貴方だと私の心が訴えかけているわ」
その時――
確かに俺の肩に乗せた彼女の手に、俺の中から何かが流れていったのが分かった。
そして同時に、脳裏に『ルイ』と呼びかける声が聞こえた。天女のようなその声は、俺に懐かしさと苦しさを一緒に蘇らせる。
あの師匠に別れを告げた三つの満月の光が交差する中で、呼び掛けられたことを…………
俺は、そっとセシリアを【かんてい】した。
(!!!!!)
ギシリ
今度は、はっきりと止まっていた歯車が軋む音が脳裏に響いた。
(ああ、そうか……)
ゆっくりと、その歯車は動き始めたことが分かる。
俺が鑑定した結果は――
名前:セシリア・ド・フローレス
種別:人族
年齢:17歳
性別:女
職業:勇者(■■■)
レベル:1,000
攻撃力:132,494
魔力 :107,727
防御力:107,440
精神力:122,844
運 :84
スキル:【剣術(★★★★★:剣聖)】、【回復(★★★)】、【縮地(★★★★)】、【耐性(★★★)】、【灯り(★★)】、【集中(★★★★)】、【限界突破】、【鑑定(★)】、【魔力剣(★)】、【お■■■】
確かに、セシリアの『運命の扉』は開いたのだろう。
彼女の職業に、新たな伏字が加わり、そしてスキルの伏字だった■の一つに「お」の文字が現れていた――――




