勇気ある者
「私が勇者になって、人から向けられるのは、願いと希望が多かったわ」
「願いと希望?」
同じ意味の言葉のように聞こえるけれど……
「ええ。『願い』はどちらかと言えばそれを言った人に向けられていて、『希望』は自分以外の人、社会全体にも向けられていることが多いかしら」
うーん、なるほど。
いずれにしても、セシリアに人々が向ける感情は、いわば他力本願のようなものの気がする。
「私は、自分の役割がどこに向かっているのかは分かっているつもりだった。爺からも、世のため人のために行動するのではなく、自分のためになる行動を意識することが、結果的に長く人々のためになる行動だと教えられてきたわ」
そうか。全ての人の願いや希望が、共通していない以上、それに答え続けようとすることは、常に矛盾の中で行動を強いられているようなものなのだろう。
そうではなく、自分の信念に基づいて、自分が正しいと思う行動を行うことこそが、心を壊さずに続けていくことに繋がるということか。
なんとなく、セシリアが感じている苦しみが分かったような気がした。
その苦しみからは解放してあげたい。
俺は、セシリアに語りかけた。
「――真っすぐに前を向いて歩き続けていくことは、その後ろに続く人にとってとても大切なことだと思うんだ」
「え?」
「勇者、って人々は何を求められていると思う?」
「私?」
「ううん、セシリアじゃなくて勇者」
「…………」
「これは、あくまで俺の意見なんだけれど――」
少しだけ断りを入れておく。
「勇者、って言葉は、勇気ある者、という意味を示していると思うんだ」
「……勇気」
「そう。だから、勇者の後ろに続く人々が見ているのは、その『勇気』なんだと思う」
「勇気、ね」
セシリアは何かを考えている。
「だから、セシリアに考えて欲しいのは、人々から向けられた願いや希望じゃない。人々にいかに勇気を与えるのか、ってことかな」
「…………」
「悪いことを考える人も人間だし、いいことを考える人も人間。そして、その考えをどう受け止めるかは、受け止めた人の考え方で変わる。何を言いたいかと言うと――」
セシリアが、じっと俺を見つめている。
「悪者の正義が、必ずしも善者の悪意とイコールにはならないってことかな」
「正義と悪意……」
「そう。もしも、今回の連続したスタンピードを誰かが企んだとしても、その悪意と正面から向き合う必要はない、ってこと」
「え?」
「今、俺たちが必要なのは、確かな事実だけ、ってこと」
「……そう、そういうことね。私たちに今求められているのは、今回のことが人災かどうか、ってことじゃなくて、起きるであろう事象をどう防ぐか、ってことね」
どうやら、俺が何を言いたいのかを分かってくれたようだ。
「そういうこと。セシリアは勇者だから、正しいことをしなくちゃ、って意識が強いようにおもうんだけれど、セシリアが意識するのは正しいことじゃなくて、それが自分が求めていることなのか、ってことだと思う。だって――」
俺は、セシリアに笑いかける。
「勇者が歩いた道は、勇気ある者が歩いた道だからね」
一瞬だけ、ポカンと口をあけたセシリアは、少ししてから笑い出した。
「そう。ルイは私のことをそう言ってくれるのね……ありがとう」
あまり話す必要はないのだけれど、言っておこう。
「瘴気って、俺達には害しかないように見えると思うんだ」
「……ええ」
「でも、この世界にとって瘴気は、ある意味、世界を正しい姿で導くためには不可欠な要因だって知ってた?」
「??」
「これは、これが正しいから、ってことじゃないんだけれど――」
「????」
「もしも、もしも世界中の人々が善人になったら、世界はどうなると思う?」
「悪人がいなくなる、ってこと?」
「そう」
「平和な世の中になって、皆が幸せに暮らしていけるんじゃない?」
「残念だけど違う。人々が考える善の基準は、個人個人で異なるってことは分かる?」
「ええ。それは分かるわ」
「だから、世界中の人々が善人になっても、世の中は今と同じで何も変わらない、ってこと」
「????」
不思議そうな顔をするセシリア。
ちょっと、とんちっぽい質問だったけれど、善という世界共通の基準が個人個人の感性で異なる以上、今の世の中は善人で溢れているといって良い。
自分から見て悪人と思う行動が、その悪人にとって善意の行動なんてことは世の中に嫌と言うほどある。宗教の対立など、それが過激派なのかどうかを横においたとしても、相容れることがなければ、善人の同士の対立といっても過言ではない。
「つまり、今も、自分は善であると考える人たちで溢れているんだ。一部の人は、特定の個人の価値観には相容れないから、その自分が善であると思う人たちからすれば悪人なのかもしれないけれどね」
もしも、俺の判断のみが「善」を示しているとして、世の中が善人たちばかりで埋まるようなことがあったら、それはそれで怖いことになる。
俺の中で「悪」と判断する要素が、俺の行動の中にある以上――もう、この手に数えきれない俺にとっての悪人の命を刈り取って来たから――、その善人の中に俺が入ることはできない、という矛盾が現れるのだから。
「……それが、瘴気とどう結びつくの?」
「言いたいのは、俺たちから見た瘴気は、悪の存在だけれど、瘴気を善として必要としている何かがこの世界にあるって、こと」
「必要?…………ああ、なるほど。そういうことね。世界を構成しているいろいろなものの一つでも瘴気を必要としているなら、それを失うことは、構成しているピースが欠けていく、ってことでいいのかしら?」
「そう。それでも瘴気が俺たちにとって迷惑な存在であることは確かだから、必ずしもそれを容認しなきゃいけないってことでもないんだけれどね。ただ、広義に世界を見渡せば、全ての物事は多かれ少なかれ、何かの意味を持っていると考えてよいし、善悪の全てを自分の腕で抱えきることは所詮無理なんだから、自分が手が届く範囲で、いろいろやっていけばそれで良いんじゃないかな」
「だったら……私は私が信じる道を、真っすぐに進めばそれでいいってことかしら?」
「うん。もしも、セシリアが間違った道を進もうとして、それに俺が気づけば手を引っ張って引き戻すから」
「…………ありがとう、ルイ」
沈んでいたセシリアの目に光が戻る。
「ということで、とりあえず今後の行動だけれど――セシリアが、こうしたいという道を示してくれる?」
「分かったわ。私は――」
セシリアは立ち上がった。
「アンラビフォン迷宮のスタンピードを討伐して、今回の騒動を終了させたいわ!」
「オーケー。じゃあ、それを目指して頑張ろう」
俺が同意すると、セシリアが嬉しそうに笑った。
その笑みを見たとき俺は、辺りには瘴気が漂う場所なのに、なぜか華やかな空気に包まれたように感じていた――――




