鎮魂の祈り
アンラビフォン迷宮前の広場は、つい一週間前の、人々が喧騒の中で屋台を練り歩くような賑やかさは影も形もない。
残されているのは、瓦礫と骸のみ。
数百メートル先に立っているはずの、スラリとした迷宮街アンラビの防壁はすでにその役割を担うことはできない。焼け焦げた炭化した部分からは薄く煙が上がっていて、ここで起きた異常から幾日も経っていないことを示していた。
ちょうど夕方の時間のはずだが、薄い黒い霧がかかっており、視界は保たれているものの、もはや人が生存できる環境にないことを、その霧は示していた。
瘴気だ。
瘴気は、スタンピードが自動的に終焉を迎えた際に発生する。いわば魔力を生み出す魔素が、毒化したような状態を指す。
そして、この状況は、俺にある確信を抱かせていた。
それは――
今回、どこかで発生した二つのスタンピードが、この迷宮の内外に繋がったこと。
おそらく、その2か所のスタンピードは、別の大陸で発生したのだと思う。
この世界には、7つの大陸があって、一つの大陸内ではどこかの迷宮が定期的にスタンピードを発生させているから、2か所のスタンピードがほぼ同じタイミングで発生したことは特に不思議なことではない。
偶然か必然かで考えると、スタンピードで発生した魔物や魔獣が他の場所に転移するという話すら聞いたことがないし、ましてそれが2か所同時に、となると作為的な何かが起きていることも疑わしいのだが……
まあ、それは今は考えずに置いておこう。
とにかく、この瘴気に包まれた状況は、そのどこかの迷宮で生じたスタンピードのボスが転移してきたこの場所で終焉を迎えた、ということだろう。
そして――
今、目の前が、悲惨な光景にも関わらず妙な静けさが保たれているのは、瘴気に覆われていることで生命体が闊歩することを許されていないからだ。
俺とセシリアが瘴気の影響を受けていないのは、【かいてき】を使っているから。
■【かいてき】使用魔力:1
環境や状況に関わらず、快適に過ごすことができるスキル。効果時間は24時間。
空気が存在しない宇宙であろうと深海であろうと、あるいは竜巻やブリザードの中であろうと、火山のマグマの中でも環境を気にせず快適に過ごせるとこのスキルのおかげで、瘴気の影響も受けずに済んだ。
もっとも、現在の黒い霧が立ち込めた生き物の気配がしないこの状況が快適なのかと聞かれれば怪しいところだが。
そして、広場にところどこに浮かぶ白い影が見えるが、それは、これからこの瘴気に包まれた地がアンデッドの聖地となることを示している。
俺は、数メートル先で倒れている老爺をその両腕に抱えたまま動かないセシリアの側へ、ゆっくりと向かった。
骸は、見渡す範囲で至る所に転がっている。そのほとんどが手を伸ばしているが、瘴気を吸い込んだ苦しみがその姿には現れているのかもしれない。
【まっぷ】で確認すると、生きている者は周辺5キロ以内に誰もいないことが分かる。魔物もいない。動物や虫たち、そして生きた植物も。全ての生者は、魂となってこの地から離れていった。
セシリアの爺――アルバートが、ここで倒れている意味は言われなくても分かる。
なぜなら、この広場で転がる骸は、アルバート以外、全てここから脱出する方向に向かって倒れていたのだから。
だが、アルバートの骸は、迷宮の入り口に手を伸ばすかのような姿勢を見せていた。
間違いなく、アルバートは迷宮に――セシリアの元へ向かっていたのだろう。
よく見ると、つい先日、一緒に行動した勇者小隊の鎧を着た骸も迷宮街アンラビの方向に向かって転がっているのが分かる。
ここで、いったい何が起きたのか?
おおよそのことは想像できるが……
ザッ
「――私は勇者失格ね」
俺が近づいたことが足音で分かったのか、座り込んでアルバートを抱いたままのセシリアが呟いた。俺は、地面に跪き、胸に右手を当て、この大陸で一般的とされる死者への弔いを示した。
おそらく、セシリアも俺の返事は求めていないだろう。
「なぜ、迷宮の外で異変が起きていることを気がつかなかったのかしら?」
「なぜ、爺が私を探し求めてこの地に訪れることを考えていなかったのかしら?」
「私は、自分が勇者として力をつけていることだけを考えていたわ。そして、それが嬉しかった。いえ、正しいことだと思っていた」
「揮える力を持つことと、その力を正しく使えることが違うことを、違うことに気がつかされることを考えていなかった」
ツーッ
セシリアの頬に一筋の涙が伝う。
力を持つことは間違いではない。持たないことで失うものが多いことを俺は知っている。
だが、力を持つだけでは生じる問題が解決しないこともまた真理だった。力は、どう揮えるのかが大切なのだから。
どんな強大な力であっても、その揮い方を間違えれば失敗することもある。
おそらく、勇者であるセシリアは、今回と似たようなシチュエーションを経験したことがあるのだと思う。そして、一度手から零れ落ちた何かが、もうその手に取り戻すことができないことも知っている。
俺はふと、遠い昔に師匠の姿が虚空へと消えていった光景を思い出していた。
昔は、太いナイフが胸に突き刺さったような痛みを心に覚えた光景も、なぜか今は痛みよりも苦みを覚える光景になっていたことに気がついた。
「時間は最良の薬」と言うらしいが、彼女がそれを実感できるのは、まだかなり先のことだろう。
やがて、陽が沈み大気中に広がる瘴気が見えなくなるまで、俺たちは鎮魂の祈りを捧げていた。
■□■□
「――ルイ、ありがとう」
すでに暗闇に覆われているが、四方が【灯り】のスキルで照らされた中、セシリアはようやく立ち上がることができた。
まだ目元が赤いが、その目の光はどこかけじめをつけたように彩られていた。
アルバートの亡骸は、俺が【しゅうのう】から出した柩に納めている。
「もう……お別れは大丈夫ですか?」
「ええ。爺はいつも言っていたわ。自分にもしものことがあったら、それを嘆くのはどこか見知らぬ丘の上に設けた墓標の前だけにしなさい、と」
なるほど。セシリアは、アルバートを父親だという認識でいるけれど、それはアルバートも同じだったのだろう。いや、セシリアよりもより強く家族としての絆をセシリアに重ねていたのかもしれない。
少なくとも、俺はアルバートの気持ちが分かったし、それは不快なものではなかった。
「分かりました。じゃあ、この柩は墓標をどこに定めるのか決まるまで、僕の方で大切に保管するということで良いですか?」
「ええ。お願いするわ、ルイ」
そして俺は、もう一度、しゃがみ込んで胸に右手を当ててから【しゅうのう】のスキルを使った。
「――じゃあ、現在の状況確認と、これからどうするのかを話しましょう」
「それは、この場でいいのかしら?」
「構いません。今、この地は瘴気に包まれていますから、第三者が訪れることもありませんし」
「やっぱり、これは瘴気だったのね。というか、平気なのはさっきルイがかけてくれたスキルのお陰なのかしら」
「はい。【かいてき】というスキルをかけてありますから」
「かいてき?」
「はい」
そして、俺がそのスキルの働きを説明すると、セシリアはクックッと小さく笑った。
「ごめんなさい。こんな場所でも快適に過ごせるスキルがあるのが少しおかしくて」
「いいえ、構いません。僕が知らずに聞いたら、同じように笑っていると思いますし」
俺も笑う。
【かいてき】のひらがなスキルを手に入れたのは、この世界に来て一年が経過したころだ。師匠の後ろについて、ひたすら魔草抜きをしていたあの頃のことは、今も淡い思い出として俺の心の奥深くに大事に仕舞われている。
俺は、【しゅうのう】から椅子とテーブルを取り出した。
「セシリア様、座ってください」
「ありがとう」
セシリアと一緒に椅子に座った俺は、まず、現在の状況を説明することにした。




