【閑話】王都に雪は降るか?(後編)
フローレス侯爵は、ごくりと息を呑み込んだ。
「では――セシリアに連絡を取ることはできないのでしょうか?」
「今朝、勇者小隊が早朝から山頂に向かった。ファイヤーシープや新たに出現した魔物たちとの戦闘は避けて、迷宮内に潜ることを優先、早急に勇者と連絡を取るよう命じた。果たして、どこまでそれが実現可能なのかは分からないがな」
勇者小隊は、並みの兵士よりも強いが、各ステータスは数千程度。
ファイヤーシープがSSSランクの魔獣なら、そのステータスは万単位のはずだ。真正面からぶつかっても蹴散らされて終わりだろう。
唯一、可能性があるとするなら、数の力を利用した攪乱戦術か。
「問題は、勇者の動向だ」
「セシリアの?」
「そうだ。勇者が潜ってからすでに三日が経過しようとしている。深階層を目指して進んでいるだけなら良いのだが、迷宮内ではファイヤーシープと同じSSSランクの魔獣、ポイズンドラゴンが出現したことが調査員の報告によって確認できている。そのポイズンドラゴンは勇者が倒したそうだが、調査員たちは全員が迷宮の外に避難しているから、その後、迷宮内がどうなっているかは分からない」
迷宮の外にファイヤーシープが現れ、そして迷宮内にはよりによってドラゴンタイプの魔獣が出現した?
ドラゴンタイプは、知能も高く戦略を考えて戦闘する個体も多い。
しかもSSSランクならば、フローレス侯爵が知る勇者の力では、彼女の切り札である【限界突破】を使ってようやく倒せるかどうかのはずだ。
セシリアが何を考えて、迷宮内に潜り続けているのかを、フローレス侯爵は分からずにいた。
いや、セシリアには教育係を務めたアルバートが常に寄り添っている。
歴戦の強者であった彼が、何かを助言しているのかもしれない。
「……アルバートは、セシリアと共に迷宮に潜っているのですか?」
「アルバート? ああ、勇者の教育係だな。彼は、勇者小隊と共にアンラビフォン迷宮に向かった」
フローレス侯爵の顔色が悪くなる。
ということは、セシリアは今、一人で迷宮内に潜り続けている、ということ――――いや、庭師を連れているという話だったか。
しかし、戦力として役立たない庭師は、どう考えてもセシリアの足手まといでしかない。
「とにかく、現況は非常に悪いと言える。しかも今朝、聖女から、アンラビフォン迷宮で発生するスタンピードが早まりそうだという報告が来た」
――そうだった
アンラビフォン迷宮は、まもなくスタンピードが予定されているからこそ、セシリアが勇者として向かったことを、フローレス侯爵は思い出していた。
「迷宮の中と外で、これだけ高ランクの魔獣が出現しているということは、すでにスタンピードが始まったのではないでしょうか?」
「いや、その可能性は低い。もしも、これがスタンピードなら、その開始時点で魔物や魔獣が迷宮の外に溢れてくるはずだからな」
そうか。アンラビフォン迷宮でスタンピードが発生したのなら、魔物たちは迷宮の外へと向かうから迷宮内は空になっているはずだ。また迷宮の外には100万単位の魔物たちが揃うことになる。
アンラビフォン迷宮での外で暴れている魔獣の数は、まだ100頭にも到達していないわけだし、何よりセシリアが迷宮内にいる。ということはスタンピードは始まっていない、と考えた方が良いだろう。
「ただ、今後の状況は予断を許さないことは確かだ。そこで、フローレス侯爵」
宰相の雰囲気が変わったことを察した侯爵は姿勢を正した。
「スタンピード対策で準備していた要員を連れて、直ちにスタシーに向かえ」
「……はっ」
一拍の間を置いたのは、三か月後と聞いていたスタンピードの対策は、まだ十分でなく、派兵ができる段階になかったからだが、スタンピードは準備が整うまで待ってくれることがないことは分かっていたので、フローレス侯爵ははっきりと首肯で返した。
もっとも、前回の会議で出たように、もしもアルファランクのスタンピードが発生したなら、王国軍が対峙したとしても留めることができるのは時間単位でしかない。
あのとき、リッカル宰相は最短なら数分しか留められない、と言っていた。
それを、準備も不十分なフローレス侯爵の私軍が対峙したとしても、紙の防壁ほども耐えることはできないだろう。
すると――
それまで沈黙のまま目を閉じていた王のしわがれた声が会議室に響いた。
「侯爵」
王が薄目を開けてフローレス侯爵を呼んだ。
「はっ」
「今年は……王都に雪は降ると思うか?」
「は?」
一瞬、フローレス侯爵は、さっきまで深刻な話をしていたことを忘れ、ポカンとした表情を浮かべた。
――雪? 雪が降ることとスタンピードと何が関係があるのだろうか?
だが、王は戸惑いを見せているフローレスの侯爵の様子を伺うことなく言葉を続けた。
「季節はいつもと同じように巡るものと民は皆が無意識に信じている」
「…………」
「だが、なぜ秋の次が冬でならねばならない? 秋の次に春や秋が巡ってきても良いと思わぬか?」
「…………」
春夏秋冬が巡る季節の中で暮らす人々にとって、各季節には大きな意味がある。
もちろん、秋の次が冬だと決めつけているのは人々の経験値によるものだ。天変地異が生じれば、その経験値が無になることもある。おそらく、秋の次に冬が来ずに春が訪れれば、人々は「禍の証」として捉えることになるだろう。
しかし、なぜ王は、こんな話をしているのだろうか?
フローレス侯爵は、混乱しながら王の言葉を聞いていた。
「50年で発生するスタンピードが、100年で発生するスタンピードと何が違うのかは誰も知らぬ」
王の視線に耐えられず、思わずフローレス侯爵は頷いていた。
「は、はい」
「真冬に燃え堕ちた屋敷の前で、晴眼者が見る景色と盲人が見る景色は、いずれも同じ景色のはずだが、片や絶望を覚え、片や暖を覚える」
フローレス侯爵は助けを求めるかのようにリッカル宰相に視線を送ったが、宰相の目からは光が失われていた。
――どうすれば良い?
だが、フローレス侯爵の問いに誰も答えることはなく、しばらくの間、沈黙が続いた。
「――――まあよい。あとは頼んだぞ」
それだけ言うと、王は再び目を閉じた。
フローレス侯爵は、王が何を言いたいのかが理解できずに、それでもその言葉の真意を必死に探り続けていた。




