コモンラビット
迷宮の一階層は、草原だ。
入り口からは遠くまで一望できる。ところどころに丘や谷があるが、基本、ただ原っぱが広がっているだけ。木々もあるけれど、まばらに生えているだけだ。
空には、太陽が飾られていて、一階層は一日中、昼間の時間帯が続く。太陽は、天頂近くのまま動かないから、それを認識できればここが地上でないことが分かるけれど、一見しただけでは、のんびりとした牧歌的な光景にしか見えないだろう。
見渡せる範囲にいるのは、ラビット系の魔物たち。
ランクは低く、角も生えていないから、この迷宮に入場を許されるFランクの冒険者でも討伐は容易い。
それでも、二階層に降りれる辺りには、Eランクの角が生えたホーンラビットが出現し始めるので、Fランクを卒業できて初めて奥地に行けるようになる。もちろん、一階層の奥に行くのにバリケードが設けられているわけでもなく、ギルドカードを見せる必要はないから、初心者でも入り込めるが、何かあれば自分の命でその代償を払うことになる。
「ラビットたちがたくさんいますね」
「あれね。コモンラビットよ。Gランクの魔物だからルイでも倒せるし、私がいれば近づいてこないわ」
「そうですか」
少し先の丘の上に、ラビットが群れているのが見えた。コモンは地球の言葉で「ありふれた」という意味だったはずだから、魔物だけれど、普通のウサギを意味しているのだろう。
「危なくないんですか?」
「コモンラビットは突進しかしないし、攻撃力も50くらいだから簡単な武器さえあれば子どもでも倒せるわよ」
俺は、ふとこの世界にやってきたばかりのことを思い出して、少し顔をしかめた。
攻撃力が50ということは、自分の防御力が50あれば即死させられる危険はほぼない。この世界の子どもたちなら、レベル5あれば大丈夫ということだ。
だが、レベルが1上がっても、ステータスが常に1しか上がらない俺は、もしもこの世界に来たばかりの時なら、この世界の子どもたちでも平気なコモンラビットと戦うことになっていたらヤバかった。
「ルイ、戦ってみる?」
「え? 僕ですか? ……いえ、戦闘は得意じゃないので……」
「そう。じゃあ、とりあえず今日はこのあたりをぐるりと回ってみたいと思うわ。何か気がつくことがあればすぐに教えてね」
「分かりました」
俺は、植物の専門家として同行しているから、草たちの様子がおかしくないかを確認する役目だ。
もっとも、すでに【まっぷ】で、一階層全体は確認済み。デフォルトの設定である俺の敵を示す点は何も現れていない。
念のために、魔草も指定してみたが、何も表示されなかった。
平和だ。
俺はゆっくりとセシリアの後ろについて歩き始めた。
■□■□
「ルイ、これはどうかしら?」
セシリアが、草原の途中で立ち止まり、少し背が高くなった草を示した。
「これは……ただの草と思います」
一本だけ、ぴょこんと背が高いから目立っているけれど、【かんてい】を使っても「草」としか表示されない。魔草でもないただの草だ。
一階層は、草原が広がっているけれど獣道のようなものはないから、草原を踏みしめて歩く感じだ。もしも少し背が高い草が茂っていると、掻き分けて進まなければならない。
俺がただの草だと言うと、「そう」と少し残念そうな言葉を口にしながらセシリアは、そのまま先へと進み始めた。
(…………)
前から少し思っていたのだけれど、セシリアは淑女ではなく、脳筋なのかもしれない。
もしも、目の前の草が魔草だったら、意気揚々と剣を揮っていたのではないだろうか?
まあ、それでもその心意気は、俺にとって非常に好ましいものであることは確かなのだけれどね。
師匠は少なくとも淑女ではなかった。
隣に立って、お互いが命を預けあう間柄だったし、俺たちの関係性は強く深い「信頼」という基盤の上に成り立っていたと思う。
セシリアも、実力のほどは置いておくにしても、俺が「信頼」を覚えるには十分な性格だった。
「ししょ……いえ、セシリア様。頑張って進みましょう」
「そうね」
周りに一生懸命だったようで、うっかり「師匠」と言いかけたことを気がつかなくて助かった。
セシリアは、律儀にスタンピードの兆候がどこかにないかを、確認しなが歩いている。
ピョコン
その時、進もうとした草むらから、一匹のウサギが飛び出してきた。たぶん、地面の穴から飛だしてきたみたいだ。
長い耳をピンと立てた真っ白なウサギは、前足を上げて黒いまん丸の目で俺たちをじっと見ている。
「コモンラビット、ね」
「可愛いですね」
「そうね」
そう、コモンラビットは魔物だけれど、見た目は可愛い。それに理知的な目をしている。地球ならペットの需要は限りなく多くあったはずだ。
「噛みついたりしないんですか?」
見た目は可愛いウサギでも、いきなり牙を剥いて豹変するのではと思ったが、セシリアは「それは大丈夫よ」と言って笑った。
「コモンラビットの攻撃は突進ぐらいしかないわ。迷宮に潜れる人なら、だいたいレベル10には到達しているから怪我をすることもないわ。それに、そう人たちにとってコモンラビットは、何匹倒してもレベルが上がらないから、あまり相手にする人はいないわよ。狩るとしたら、食肉用ぐらいかしら?」
食肉用というセシリアの言葉に、コモンラビットの体が一瞬、びくりとする。目もうるうるし始めたように感じる。
おお……可愛い。
「もしかすると、言葉が分かるんでしょうか?」
「さあ? 魔物の生態は、分かっていないことが多いからどうかしら? でも、確かに今の様子を見ると、私の言葉が分かったように思えるわね」
そして、セシリアはコモンラビットの前にしゃがみ込んだ。
(何をするんだ?)
「君は、私の敵かな?」
(…………?)
何を言っているのかが、俺には理解できなかった。
魔物にとって、ヒトは敵だ。
襲うそぶりを見せなければ、目の前のコモンラビットのように警戒度は下がるようだけれど、それでも普通はヒトに懐くことはない。
俺の場合、【ていむ】のひらがなスキルがあるから、眷属化させることができるけれど、目の前のコモンウサギを眷属にしてもペット以上の需要はないからしない。
だが、どうやらセシリアは、このコモンラビットが気に入ったようだ。
「それとも仲間になる?」
敵か仲間になるかを聞かれたコモンラビットは、セシリアの顔と俺の顔を交互に見た。
俺は魔力を込めて首を横に振った。
(やめとけ)
どうやら俺の心の言葉が伝わったのか、コモンウサギはいきなり振り返り、ぴょんぴょんと草むらの中へと帰っていった。
「あ……」
その後ろ姿を追いかけるように手を伸ばすセシリア。
「セシリア様、どうやら自分の意志で三つ目の選択肢を選んだようですね」
「そ、そうね」
三つ目の選択肢――コモンウサギは逃げるという選択肢を選んだのでしょう、という俺の言葉を分かってくれたようで、セシリアは少し恥ずかし気に頬を染めて顔を背けて立ち上がった。可愛い。
(うん、こういうのは……いいな)
俺は、まるでデートのような迷宮での散策を、いや探索を、楽しんでいた。




