翌々日の朝
目を開けると、ぼんやりとした視界が、やがて年季が入った格子天井を捉えていた。さらに日差しが伸ばした手に熱を伝えている。
「ここは……」
軽い見当識障害に陥っていたセシリアだったが、宿泊していた迎賓館の一室であることに気がついた。
同時に……
――バトルシープ!!
ガバッと身を起こしたセシリアは、ついさっきまで対峙していたSSランクの魔獣を思い出した。
「姫様」
そこでようやくセシリアはベットの横に――たぶん見守り続けてくれていたのだろう――爺、アルバートが座っていることに気がついた。
「爺? ここは……いえ、私は負けたのね」
「負けたも何も、バトルシープは自然消滅したようですぞ」
「自然消滅? そんなはずはないわ。私は確かに見たわ、バトルシープの頭が弾けたのを」
「それは、5頭全てが、ですかな?」
「ええ。状態異常、バトルシープだから【フォーススリープ】のスキルだと思うのだけれど、それを受けて私はフラフラになったわ」
「姫様がおっしゃる通り、バトルシープが使ったのは【フォーススリープ】だったようですな。姫様を後ろで支えた庭師の少年ルイを除けば、強制的な眠りにつかされておりましたから。まだ皆が眠りから覚めておらず、姫様が最初になりますぞ」
「どれだけの時間が経ったのかしら?」
「今は、姫様が倒れられた日から、翌々日の朝になります」
ということは、丸一日以上昏睡していたということだ。しかもセシリアが最初に目覚めたことになるらしい。強制睡眠のスキルは強力だから、仕方がないのだろうけれど。
「そう……爺はずっと付き添ってくれていたのね。ありがとう」
「とんでもございません。その場で、姫様の側におることができなかった私の方こそ、大きな失態をいたしました」
深く頭を下げる爺に対して、セシリアは首を横に振った。
「ふふふ。失態も何も、あれは不可抗力の出来事よ。突然、アンラビフォンの迷宮からSSランクの魔獣が5頭も飛び出してくるなんて予見できるはずがないのだから」
「調査のため、現在もまだ迷宮は立ち入り禁止になっております。昨日、探索チームが5階層まで調べたそうですが、今のところ魔素溜まりや強化した魔物や魔獣の出現は確認されていないようです」
「そうね。何が起きたのか理解できる前に、全てが起きて全てが終わったという感じね」
今、思い起こしてみると、始まりはルイが言った『気配が……迷宮から嫌な気配がしませんか?』だったはずだ。
そこから、バトルシープが現れて、そしてセシリアが意識を失うまでの時間は、おそらく1分もなかった。いや、十秒ぐらいだったかもしれない。
「被害は?」
「迷宮の外では、【フォーススリープ】により強制睡眠に陥った者や、倒れた際の怪我を負った者はおりますが、死者はおりませぬ。ただ、迷宮内では入り口をバトルシープが吹き飛ばした際に巻き込まれた冒険者3名の死亡が確認されております」
「そう……」
言葉少ないセシリアの心中を、爺は察していた。
「ところで調査を行っているということだったけれど、今回のバトルシープの氾濫は、スタンピードの兆候と確認できたのかしら?」
「まだ断定はされておりませぬが、おそらくその発表がされるかと」
本当なら、迷宮周辺で地道に調査するはずが、調査を始める前に砕け散った感じだ。
「爺は聞いたことがあるかしら? スタンピード以外でボスクラスの迷宮の魔物が外に出現するという話を?」
そう、今回は単なる魔物の氾濫ではない。スタンピード以外で、SSランクの魔獣が迷宮外に氾濫した事例をセシリアは知らない。しかも、今回現れたバトルシープは、このアンラビフォン迷宮で確認されたことのある魔獣ではない。
「いいえ。聞いたことはないですな。ただ今回のバトルシープは、迷宮内の魔物や魔獣と同じく、体が魔石を除いて完全消滅しておりましたからな。前例はございませぬが、どう考えても、スタンピードの前兆と見てよろしいと思いますぞ」
「そうよね……」
セシリアも、バトルシープの出現はスタンピードの第一段階だと思っていた。そして、前例がない第一段階は、本番がきたとき、どんな災害を生むのが少し恐ろしい。
「――――それよりも、さっきルイが意識を失わなかったって言ってたけれど……本当なの?」
「はい。といいますか、迷宮街アンラビ内でも、【フォーススリープ】のスキルを受けて、大半の人々が強制睡眠に陥っておりましたが、代官と護衛の一部は状態異常を防ぐアイテムを身に着けていたので、強制睡眠にかからずに済みました。そして彼らが急いで広場に向かったところ、唯一、ルイだけが眠らずに起きていたそうですぞ。しかも、姫様をしっかりと支えていただいたと聞いております」
「…………本当なの、それは?」
広場にいた人々の中で、ただ一人、ルイだけが意識を失わなかったことを教えられたセシリアは、しばらく言葉を失っていた。
「はい」
「鑑定する暇がなかったけれど、【フォーススリープ】が私の防具で増幅された精神力をすり抜けたとなると、バトルシープの精神力は1万オーバー、レベルも500前後はあったはずよ?」
「はい。最初にバトルシープが確認されたのは、迷宮3階層の浜辺だったそうです。そこから、一直線に地上を目指したようですが、途中、バトルシープに遭遇、鑑定した冒険者がおりましたが、その者の話では、レベルは一番低いバトルシープが510、一番高かったのが588、攻撃力7,000~8,000台、精神力8,000~10,000台だったそうですぞ」
「……化け物ね」
再びセシリアは言葉を失った。
レベルが588はまだしも、各ステータスが10,000近いとなると、セシリアと大差ないことになる。少なくとも、勇者小隊の面々は、【フォーススリープ】を受けていなかったとしても、勝利することは困難だったはずだ。
「それで、さっきバトルシープたちは自然消滅した、と言っていたけれどそれはなぜ?」
「理由はそれ以外、考えられなかったからです。精神力が10,000オーバーのバトルシープが放つ【フォーススリープ】を受けながら、それを無効化できる者は限られますからな」
「ルイは、なぜ【フォーススリープ】を避けることができたのかしら?」
「本人が言うには、仕事柄、毒草に接することも多いので、状態異常を軽減できる薬草を飲んでいたということでしたな」
そう話す爺の表情は、どこか嬉しそうに見える。
薬草を使えば、確かに状態異常を軽減することはできるだろう。
だが、精神力10,000オーバーの魔獣が放つ【フォーススリープ】に対抗できる薬草などあるのだろうか?
少なくとも、セシリアは知らなかったし、爺も知らないのだろう。
それでいて、どうやら爺は、少年のことを認めているようだ。その理由は分からないが。
――そういえば……
セシリアは、意識を失う直前、体がふわりと浮いた感覚を覚えたことを思い出していた。夢かと思ったのだが、あれが本当だったなら、倒れるセシリアの体をルイが後ろで支えてくれたということだ。
「今、ルイはどこにいるのかしら?」
「働いているマヌエル植木屋に戻っておりますが……呼び出しますか?」
「そうね……」
少しの間、セシリアは考えた。
「じゃあ、私を支えてくれたお礼ということで、今夜の夕餉に招待してもらるかしら?」
「承知しました。場所はこちらで構いませぬか?」
「ええ」
「では、さっそく」
立ち上がった爺が一礼して部屋を出ていくのを見ながら、セシリアは自分の背後にいた少年の『は、はい』という少し怯えたような声を思い出していた。




