異変
陽が随分と傾いたころ。
すでに途中の宿場町二か所は過ぎており、ルイたちは、迷宮に接する街アンラビがもうすぐのところまで来ていた。
ゆっくりと登坂しているルイたちを、冒険者が次々と駆け足で追い抜いていく。
アンラビフォン迷宮は、迷宮自体は小規模だが、ここシュドリー王国では最大の経済規模を誇る。そのため、迷宮に接している迷宮街アンラビは、時間をかけて開発されてきたこともあり、発展した街だった。
ギルドや国の施設はもちろん、宿屋、武器屋、防具屋、道具屋、飲食店、酒場といった迷宮に必須の店舗だけでなく、賭場や娼館、入浴施設など娯楽を楽しむ施設も備わっている。
今夜は、アンラビで一泊する予定になっている。
勇者小隊の一人が、先入りして宿をとってくれている。栄えているアンラビフォン迷宮だが、勇者は貴族専用の宿を使えるし、普通の貴族が迷宮に来ることなどたまにしかない。今回のような、突然の宿泊の申し出でに対しても、問題なく受け入れてくれるようだ。
見上げると、少し茜色に染まり始めた山頂付近の空に、迷宮街の高い防壁が聳えているのが目に入り始めた。
陽が落ちるまでにはアンラビに到着できるだろう。
迷宮付近の調査は、明日から行うことになっている。
「それにしても、ルイは結構体力があるのだな」
「僕は軽装ですので」
セシリアはちらりと、勇者小隊に目をやり、「そうか」と答えた。
勇者小隊は、魔物と戦える重い鎧を装着しているし、荷物を多く背負う隊員もいる。
夕方で暑さが和らぎ始めたとはいえ、泣き言など一切言わずに黙々とついてくる隊員たちは、相当、鍛え上げられているのだろう。
シャツとズボン、そして簡単な道具を入れた腰袋だけのルイとは比べるのは少し可哀そうだ。
「セシリア様」
「どうした、ルイ?」
「明日の調査は、迷宮に入るのでしょうか?」
「今のところは、周辺の調査だけを行う予定だ。どうした? もしかすると、迷宮に入ってみたいのか?」
「いえ。僕は庭師ですので」
「1階層や2階層なら、ルイを連れて入っても問題はない。ちゃんと守ってやれるぞ?」
「ありがとうございます」
「まあ、それでも明日は迷宮に入らない。迷宮の近辺で、魔草がどれだけ集まっているのかを調べたいからな」
「山を登りきると、向こう側は岩しかない斜面が広がっているはずですが……そこを調べるのですか?」
「ああ。もしもスタンピードが確実に発生する場合、その斜面は一面が魔草原に変わることになるだろう」
「このあたりにも、魔草は多くなっていますね」
細い山道の両側には、魔草が簡単に見つかるくらいに生えている。
「人が通る場所は、スキルを使って山道を登っている者も多いようだから仕方ないだろう。ルイ、どうだ? 魔素はいつもより多く感じるか?」
ルイは、魔素を感じ取れることをセシリアに告げていた。
さっきからスイスイと山道を登っていく冒険者たちがいるが、確かに何かのスキルを使っている。
そして、冒険者たちがスキルを使うために魔力を消費している。魔力を消費すれば、消費済みの魔素も放出される。常に冒険者たちがスキルを使って行き交うこの山道周辺は魔草が生えやすい環境だ。
ルイは、何度からアンラビを訪れたことがあるが、いつもよりも魔素の量は格段に増えている。まもなく発生するスタンピードの予兆だ。
「はい。そんなにしょっちゅう、ここまで来ることはありませんが、魔草の数は、いつもの三倍、いえ五倍くらい生えていると思います」
「そうか」
セシリアは、ルイの言葉を聞き、何かを考えながら歩いていた。
■□■□
坂道を曲がると、大きな門が見えた。高さのある防壁と組み合わされた鉄製の門は、まるで巨大な城門のようにも見える。
定期的にスタンピードが起きる迷宮近くの街としては、当たり前の設備だが、細い山道を登りついた先で見かけるその門は、異様なものに見えた。
立ち止まったセシリアとルイに、勇者小隊の面々が近づいてきた。
門の前は、縦横数百メートルはあるような、ここが山頂付近とは思えないぐらい大きな広場が広がっている。防壁に沿って多くの露店が軒を連ねているが、もう日が沈む時間ということもあって、半分近くは店仕舞いしている。まだ営業しているのは、これから迷宮から出てきた冒険者たちに酒を提供するような店だ。
すでに、少なくはない冒険者たちが、露店の前に設置されているテーブルに座っていた。行儀のよい冒険者もいるが、このまま夜が更けると大騒ぎの展開が待っているのは明らかだろう。
もっとも、実入りがあった冒険者は街中のギルドや店で換金するので、ここで街に戻らずに飲む酒はやけ酒なのかもしれない。だが、門の付近には、衛兵の詰所もあるから、治安は比較的守られているように見える。
左手には小さな丘があり、そこにはアンラビフォン迷宮の入り口がある。
街に設置されている門よりも二回りほど小さな門が迷宮の入り口に設置されていた。
まもなく陽が落ちる時間と言うこともあって、入り口は塞がれている。その前には二人の門番が立っており、中から合図があるたびに、門を開けていた。
広場全体にも、防壁にも、そして迷宮付近にも、今のところ魔草が繁っている様子はない。
「セシリア様は、アンラビフォン迷宮は探索したことがあるのですか?」
「ああ。随分と前になるが……5年ほど前だな。潜ったのは5階層までだが」
セシリアの年齢を考えると、探索したのは、12歳ころということだ。この世界では、地球よりも早く自立することを求められるが、それでも12歳は相当に早い。
「ルイは、このあたりはよく来るのか?」
「僕は、スタシーに来てまだ3年ですから。年に一度、庭園の整備で訪れるぐらいです」
「そうか……よしアメデ、とりあえず街に入るぞ」
セシリアが声をかけると、アメデ隊長が指示をした3名の隊員が門に向かった。先触れのようだ。
「ルイ、私たちも向かうか」
「はい。セシリア様」
セシリアの後を追うようにルイがついていこうとしたとき――
(これは!?)
ルイは、広場の左手、迷宮に目を向けた。
(魔力か?)
閉ざされた入り口から、目には見えない魔力の気配が漏れ始めたことに気がついた。魔力を意識してみれば、黒い靄のようなものが激しく、入り口から溢れ始めたのが見えた。
横を向いてセシリアを見るが、気がついていない。勇者小隊の隊員たちも同じだ。
露店で酒を飲んでいる冒険者たちも、先ほどから変化はない。異変を感じていないようだ。
(ちっ!)
「セシリア様!」
「どうした、ルイ?」
「気配が……迷宮から嫌な気配がしませんか?」
「何?」
セシリアが迷宮に目を向けた時――――
ドゴン!!!!!!
ルイは、大きな破壊音と共に小さな門が吹き飛び、同時に悲鳴と共に、血しぶきが舞ったのを見た。




