握った手の温かさ
「すまない、君」
少年が手にしていたのは魔草ではない。ただの雑草だろう。
セシリアに声をかけられた少年が振り向くと、立ち上がった。
「なんでしょう、お嬢様」
少年の顔を見たセシリアは、ふと首を傾げた。
この国では珍しい黒髪に、利発そうな澄んだ目。目を見張るような美男子ではないが、目を離すことができない雰囲気を纏っている。
――どこかで、会ったかしら……?
その雰囲気に見覚えがあったので、記憶を探る。
――ああ……迎賓館で庭の手入れをしていた人ね
セシリアは、昨日、少年を見かけたことを思い出した。
庭師なら、この道端で草をいじっていてもおかしくはないか……
「何をしていたのか、教えてもらえないだろうか? その草に何か変わったところでもあるのか?」
「はい。この草ですが――」
そして手にした草を抜いた少年は、セシリアにその根の境界線を見せた。
「この根元ですが、白くなっているのが分かりますか?」
「どれ?」
差し出された草の根元は確かに数センチ白くなっている。いや、どちらかというと白よりも半透明といった方がよいかもしれない。
「草の根元が白くなるのは、魔素が増加しているときなんです」
「魔素とは、大気中に含まれる魔力の元のことか?」
「ええ。その通りです」
「魔素が増加するとどうなる? 草花に影響が現れるのか?」
「僕は庭師をしているのですが――」
「昨日、迎賓館で剪定していなかったか?」
「え? あ、はい。そうです」
「私はセシリア。昨日、迎賓館を利用させてもらった」
「え? ご貴族様?」
迎賓館を利用できるのは、貴族や他国の王族に限られる。少年が慌てて跪いた様子を見たセシリアは軽く手を横に振った。
「いや、そんな畏まらないでくれ」
「は、はい」
少年が立ち上がる。
「それで、どうなんだ? その魔素が草花にどんな影響を現わすのか教えてもらえないだろうか?」
「はい、セシリア様。私はスタシーの街で庭師をしておりますが、最近、街中の草木に僅かですが、魔力を多く含み始めた兆候がみられるようになりました」
「魔力を多く含み始めた兆候?」
「はい。草木は大気中の老廃物や魔素を取り込んできれいにする性質を持っています」
それは聞いたことがある。セシリアは頷いた。
「この魔素を取り込む量が一定量を越えると、草花の中に魔石が作り出される場合があります。その兆候が見られたので、シティ周辺の状況を確認するよう親方から命じられて調べていました」
「魔石? ということは普通の草花が、魔物になるということか?」
「いいえ、違います。例えば活動以上のエネルギーを体に蓄積すると太ることになるのと同じように、生物が何らかの形で利用している魔素が利用限度をオーバーすることで体内に蓄積、魔石と言う形に変化することになります。魔物は、この魔石を作りやすい体質を持っています」
「ほう。少年は博識だな。ということは、草木も条件が揃えば魔石を作るということなんだな?」
「はい、そうです」
「そうか……知っていれば教えて欲しいのだが、もしかすると、魔草は、元は普通の植物が魔素を貯めることで変化したものなのだろうか?」
「さあ? 普通の植物が魔草に変化したという話は聞いたことがありません。魔草は最初から魔草なんじゃないでしょうか?」
「もう一つ。君が手にしているその植物が魔素の影響を受けて変化し始めているということは、このあたりに生えている魔草も成長しやすくなったり、増えたりするということなのか?」
「はい。この雑草も、このまま半透明の部分が広がり、やがて透明になると、その後再び白くなって内部に小さな魔石が作られます。つい数か月前は、そのような兆候が見られる植物は、この周辺にはありませんでしたから、おそらく魔素の量が増え始めているのだと思います。この状況なら、魔草も、確実に成長は早まります。そういえば――噂でそこの迷宮でスタンピードが発生するかもしれないと聞いたのですが……」
「ふむ」
セシリアは、少年をじっと見つめた。
見た感じ、強そうには思えない。だがセシリアとの受け答えをみても、最初のイメージ通りかなり利発ではあるようだ。そして、その瞳に邪なものは含まれていない。
ただ……
不思議なことにセシリアは、真正面から少年を見ていると心がざわついているのを感じた。
嫌な感じではない。どちからといえば、懐かしさ、と言った方がよいだろうか……
「――君は、草木の知識が豊富なようだな?」
「はい。あ――――いえ。私はもう長く庭師をしておりますので。そのせいかと」
「なるほど」
―― 一緒に来てもらえると良いかもしれないわね……
少なくとも今、少年が口にした植物の知識を、セシリアは持っていなかった。
戦闘に役に立たない素人を連れて歩くのはいかがなものかと思う気持ちはあるが、まだ、迷宮はスタンピード前だから、大きな危険はないはずだ。
それに……
なんとなくだが、セシリアは少年と一緒に行動したいという思いを感じていた。
「私は勇者小隊を率いている」
「え? 勇者様?」
「そんな大層に思う必要はない」
セシリアは笑った。畏まる少年は可愛く思えた。
「それで私は、今君が言ったスタンピードの兆候について調べるために、ここに来たのだ。これから迷宮に向かうのだが、どうだろう、一緒に来てもらえないだろうか?」
「僕が、ですか? ご貴族様のお役に立てるのでしょうか?」
「ああもちろんだ。今、君が話してくれた内容は、私の知識では補いきれない。ちょうど、このあたりの魔草を調査しようと思っていたのだが、その植物の調査に手を貸してもらえないだろうか? 報酬は払うぞ?」
「はあ……お役に立てるのなら頑張りますが、親方に断りを入れてきてもよいでしょうか?」
「それなら私の小隊に向かわせよう。おい――――」
セシリアが手を上げると、一人の騎士が駆け寄ってきた。
「君は、どこの庭師なんだ?」
「はい。僕は、スタシーの八番街に拠点を持つマヌエル植木屋に籍を置いています」
「八番街のマヌエル植木屋だな。君の名前は?」
「ルイと申します」
「分かった。アルデ」
「はい」
「八番街のマヌエル植木屋に誰かを向かわせろ。ある調査を行うため、ルイを勇者小隊がしばらく借り受けさせてもらう、報酬も勇者小隊の方からルイに直接支払うからよろしくと伝えてくれ」
「はい。直ちに向かわせます」
そして、アルデと呼ばれた騎士は、道路向こうの騎士たちが集まる場所へと帰っていった。
それを見送ってから振り返り、セシリアがルイに手を差し出した。
「ルイ、よろしく頼む」
セシリアが差し出した右手を、ほんの一瞬凝視したルイは、ゆっくりと手を伸ばして握った。
――温かい手ね……
セシリアは、その温かさが、なぜか優しさに包まれているように思えていた。
▼▽▼▽
side ルイ
右手が差し出されるのを、ルイは思わず凝視してしまった。
(くそっ……しっかりしろ!)
それでも、自分の伸びす手がゆっくりであることを少し歯がゆく思いながら、セシリアの手をしっかりと握る。
(ああ……温かいな……)
まるでその温かさがセシリアの心の温かのようにルイは感じていた。
【かんぱ】から聞いたセシリアの行動予定に従い、この場所で庭師の仕事をしていると見せかけたのだが、どうやってセシリアと接触しようかと悩んでいたところ、向こうから声をかけてくれたのは助かった。
だが、上手くセシリアと接触することができたのは良いのだが、今はそれどころではない。
握った手の温かさに心が溶けそうになっている。
道路の向こう側にいる勇者小隊から視線が向けられているのが分かった。
(勇者小隊、か)
勇者を核にした勇者小隊は、ボクゥゲンス大陸では多くの国が有している部隊だ。その力は各国内でも有数とされ、実際、隊員たちから向けられている目は力強い。
もっとも、セシリアですら各ステータスはようやく5桁に届くかどうか、というところだし、さっき【かんてい】で確認したが、勇者小隊の騎士たちのレベルは200台、そしてステータスはせいぜい数千しかない。
確かに、この程度の強さしかない部隊なら、アルファクラスのスタンピードに向かえば、セシリアを含めて簡単に全滅することになる。
【かんぱ】は、勇者小隊がスタシーからの避難を進めると言っていた。庭師という自分の立場を考えておく必要はあるが、その避難計画を上手く手伝えるよう立ち回りたい。
セシリアが、師匠の転生体かどうかはまだ分からないが、少なくともこの手の温かさは、今回のスタンピードでこの少女が失われてはいけないと、ルイに伝えてくれているように感じていた。




