動き始めた「時」
俺は手を伸ばしていた。
「ラヴィン!!!」
「ルイ!」
トネリコの木は、暴風の中で大きく揺れていた。
その木にしがみついているラヴィンは、風の中に連れ去られようとしている。
「ラヴィン!!!」
俺は激しい向かい風の中、必死にトネリコの木に一歩一歩、近づきもう一度、その名を呼ぶとラヴィンが手を伸ばしてきた。
(あと少しだ!!)
30センチ……20センチ……10センチ
そして、指先が触れた瞬間――――
俺は、窓枠しがみついていた。
窓の中には、金色の髪を靡かせた少女が腕を組んで立っていた。
「何をしているの?」
「いや、何をって言われても……」
顔を伏せてしどろもどろになる俺。
「早く来て」
「来てって……どこに?」
「私はここにいるわ」
戸惑いながらもう一度、顔を上げると、なぜか少女の髪が金色から銀色を纏った白い髪へと変わっている。
「ラヴィン??」
見覚えがあるその姿に、窓枠に手をかけたまま俺が尋ねると――――
▼▽▼▽
「ラヴィン?? …………ラヴィン!!」
俺は、大きな声を上げて起き上がっていた。
ドン!
壁が叩かれ「うるせえぞ!」というだみ声が聞こえてくる。
「す、すいません!」
慌てて謝りの声を上げた俺は、体中が汗にまみれていた。心臓もドクンドクンと激しく波打っているのが分かる。
(……夢か)
体を起こすと、壁の隙間からはほんのりと月明かりが差し込んでいるのが分かる。
庭師たちが泊まる、寝床しかない物置のようなこの部屋に窓なんてものはついていない。カプセルホテルのように、個室になっているだけましだろう。
(まだ夜中か……)
俺は手を、グー、パーと握ったり広げたりしていた。
少しずつ、心臓が落ち着き始めた。
(ふぅ……)
昨日、剪定で向かった迎賓館で出会った少女が記憶を呼び起こしたせいで、昔の夢を見ていたようだ。
(ラヴィン……)
千年の月日の中で一日たりともその名を忘れることはないが、彼女の姿はもはやセピア色の記憶の中にしか思い浮かばない。だが、昨夜の夢は確かに鮮やかに色づいていた。
そして……
俺が伸ばした手の先にいたのは、確かにラヴィンであり、そして迎賓館で見かけた少女だった。
(セシリア、か……)
木陰から、彼女をそっと【かんてい】のスキルで鑑定したときのことを俺は思い出していた。
名前:セシリア・ド・フローレス
種別:人族
年齢:17歳
性別:女
職業:勇者
レベル:107
攻撃力:9650
魔力 :8830
防御力:9580
精神力:9390
運 :81
スキル:【剣術(★★★★★:剣聖)】、【回復(★★★)】、【縮地(★★★★)】、【耐性(★★★)】、【灯り(★★)】、【集中(★★★★)】、【限界突破】、【■■■■】
レベルは107だったが、各ステータスは10,000近い数値を示しており、しかも職業は「勇者」。彼女が強者であることは確かなことだっただろう。
そして、★がついていない【限界突破】というまさしく勇者を示すような固有スキルまで生えている。
「【かんぱ】、いいかな?」
『是、ルイ様、お久しぶりです』
【かんぱ】との付き合いも千年を越えたせいか、当たり方も随分と柔らかくなった。【かんぱ】はスキルだけれど、この世界の全てを記録しているアカシックレコードに接続できるよAIのようなものだから、学習機能もついているのかもしれない。
「昨日見かけたセシリア・ド・フローレスという少女なんだけれど、この少女はラヴィンの転生体の可能性はある?」
『留、セシリア・ド・フローレスは、異世人の子孫ですので、可能性はあります』
「異世人? どれくらい前かな?」
『是、933年前、27代前の女性が異世人でした』
「933年前? ということは、ラヴィンの直系ではない、ということか……」
『是、ラヴィン様の直系ではありません。しかし、ステータスに表示されている伏字に何かが隠されている可能性が高いと思われます』
そう、【■■■■】という伏字が怪しいとは俺も思っていた。
俺が見たのは【かんてい】のスキル。ひらがなスキルは、通常のスキルのように★のレベルが示されないが、通常スキルの★5よりも高性能であることが多い。「鑑定(★★★★★)」では表示されない項目が見れても不思議ではない。
ただ、俺の【かんてい】スキルでも、伏字の内容は表示されなかった。ひらがなスキルで見れない項目が特別な意味を持っていることは確かだろう。
何より――――
セシリアの面影に、俺は自然とラヴィンを重ねていた。パーツパーツは違う。髪色も違う。
ただ、セシリアの魂が纏う雰囲気に、俺はラヴィンの姿が思い浮かんでいた。
「【かんぱ】、セシリアはなぜ、ここに来たんだ?」
彼女を見たのは迎賓館だ。迎賓館は、要人を招き入れるための施設だから、何かの重要な役目があって、この地――スタシーを訪れたんじゃないだろうか?
『是、88日後に、アンラビフォン迷宮でスタンピードが発生しますので、その対応に当たるためです』
アンラビフォン迷宮は、スタシーから数キロほど離れた場所にある迷宮で、「浅い迷宮」を意味している。階層は20階、この大陸にある迷宮の中では比較的小さな迷宮だ。
「スタンピード? ということは、他にも勇者が来ているのか?」
『否、今回編成された勇者は、セシリア様のみです』
「たいしたクラスではない、ということか……」
一人の勇者で対応できるスタンピードなら、上から3番目の「ガンマ」クラス、いや4番目の「デルタ」か5番目の「イプシロン」クラスか。
『否、発生するスタンピードは、アルファクラスです』
「は!?」
(うそだろ?)
ドン!
「うるせえ! 繰り返すんじゃねぇ、ボケ!!」
あまりに突拍子ない答えを聞いて、大きな声を出したせいか、再び壁ドンされた。
「アルファ」クラスのスタンピードをクリアするためには、千人の勇者が必要と言われている。たった一人の勇者で出来ることは、僅かな時間稼ぎに過ぎない。
このスタシーの人口は約100万人。勇者一人では、避難させることも困難だ。せめて王国の騎士団が来なければ話にならない。
「すいません、静かに寝ます!」
俺は謝って、【かんぽ】との会話を心の中で行うことにした。
(アルファクラスなのに、王国の騎士団がなぜこないんだ? まさか……見捨てたのか、スタシーを?)
『是、王国は、セシリア様がスタンピードの被害をスタシーのみで留めることを期待しています』
(はぁ……)
俺は大きなため息をついた。
(なるほど。国は、セシリアにスタンピードを鎮圧することを命じたのではなく、スタシーを犠牲にして7日間を持ちこたえろ、と命じたのか………)
アルファクラスのスタンピードが脅威であることは分かっている。だが、だからといって、誰かを犠牲にして、まるで見過ごそうとしていることを俺は容認することができなかった。いくら勇者といえど、たった一人なら、スタシーを砦として使ったとしても7日間という時間を耐えることすら難しい。
しかも、その見捨てられる対象であるセシリアは、もしかすると師匠の生まれ変わりかもしれないし……
まだ、真夜中だが俺は起きることにした。
(【かんぱ】、セシリアの今日と明日の予定が分かれば教えてくれ)
【しゅうのう】から着替えを取り出すと、音を立てないように気を付けながら身に着け始める。
『是、セシリア様の本日の予定は―――――――』
【かんぱ】の答えを聞きながら俺は、「時」が動き始めたことを感じていた。




