追憶(31)三つの満月が揃う夜に……
「え!?」
俺は、師匠の言葉が理解できずにいた。
(消滅? 消滅って、何が消滅?)
ぐるぐると頭の中を何かが渦巻いていく。
ふと師匠が微笑んだ。
「ルイ。大好きよ」
そして、俺の頭に手を置く。
「【じょうと】」
その言葉が聞こえたとき、師匠の手から俺の中に何かが流れ込んできたように感じた。
「……本当なら、私が持つスキルは、全てルイにあげたいのだけれど、もう魔力が足りないの。魔力を使わずに渡せるスキルは四つだけ。ごめんなさい。でも、今渡したスキルは、きっとあなたがこの世界で生きていくために役立つと思うわ」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
師匠は何を言っているんだ?
意味が分からない。
スキルを全て俺に渡したいけれど、魔力が足りない?
でも俺に、この世界で生きていくために役立つスキルを渡したって?
それは、いったい何を意味しているんだ!?
さっきから俺の体は震えが止まらなくなっている。
「質問はあと。残りの時間が少ないから、話せることだけ先に伝えておくわ」
「師匠!、ちょっと――」
「ルイ」
笑みを消して真剣な表情で、師匠が静かに俺を呼ぶ。ものを言わせぬ雰囲気を感じた俺は、何も言えなくなった。
「いい、ルイ。私がスキルの誓約を受けて、このトネリコの木になったことは、昨日話したわよね? そのとき一つ話さなかったことがあるの。普通、魔力は体を休めれば回復するわ。でも、トネリコの木となった私の魔力は回復しないの。そして、魔力を全て失った私は――――スキルの誓約により役目を終えるわ」
「え? や、役目を終えるって……」
俺は歯がカタカタ言い出したのが分かった。
(嫌だ!)
小さく首を振り続ける俺を見た師匠は、もう一度、微笑んだ。
「ふふふ。本当は分かっているでしょう、ルイ? ええ、ルイが考えた通りよ。役目を終えた私はこの世界から消滅するわ」
「う、うそだ……」
「もう、私に残された魔力はない。幸い、一か月後には三つの月がいずれも満ちる日になるわ。ちょうど、私がこの世界に転生してきたユヌフェ大陸に安全に転移するための条件が整った夜を迎える。だから――――」
「…………」
「その満月の夜が、お別れの日よ。ルイ」
「な、なんで……」
目が潤む。
そんな俺を、師匠はしっかり抱きしめてくれた。伝わってくる師匠の体の熱が、俺を哀しく包み込む。
「うっ、うっ、うっ……」
俺は師匠に縋り付くようにただ、泣き続けるしかなかった。
■□■□
それから――――
師匠は、簡単に何が起きたのかと、そしてこれからのことを話してくれた。
俺は地面に正座すると、下を向いたままただ黙って師匠の言葉を聞いていた。
魔草原で俺が見たのは、やはりボスだったようだ。それもダンジョンボスのような最終ボスではなく、師匠が言うには「階層ボスじゃないかしら?」ということだった。
以前、師匠は金色の魔草を見たそうだが、今回の小さな銀色の魔草の若芽が階層ボスに当たるなら、師匠が見たのはダンジョンボスという可能性が高い。
「小さな銀色」「大きな金色」というパターンだし。
そして、ボスの前で動けなくなっていた俺を、師匠は特別なスキルを使って救出してくれたそう。
その階層ボスというべき銀色の「魔草の芽」だが、実体化した師匠が俺の側に来た時にはすでに消えていたそう。【かんてい】のひらがなスキルを使う間もなかったようで、詳しいことは謎のままだ。
師匠の推測としては、ボスらしき「銀色の若芽」は、俺の魔力を一気に奪ったことにより目的を達成したのではないか、ということだった。その目的が何なのかは分からないし、もしかすると「銀色の若芽」が「金色の魔草」というダンジョンボスに該当する存在に進化したかもしれない、と師匠は考えていた。
とはいえ、今のところ、金色に輝く魔草は、見渡す範囲には見当たらないらしいが……
そして――
師匠は、俺を救出するために特別なスキルを使ったせいで、一気に魔力を消費してしまったようだ。
その消費した魔力がどれくらいだったのか、もしも消費しなかったら残された時間がどれくらいだったのか、詳しいことは教えてくれなかったし、言葉を胡麻化していたように思う。
――なんで、俺はあの時、銀色の芽を見つけたとき、すぐに魔草原から離れようという選択肢を思いつかなかったんだ!
――首筋の違和感を感じたのに、なんで自分のステータスを見ておこうと思わなかったんだ!
いくつもの後悔が、身を引き裂こうとしている。
もちろん、分かっている。その想定をしていなかったから、魔草原から離れる選択肢も、ステータスを確認する選択肢も思い浮かばなかったんだ。
だが、それは言ってしまえば、俺の油断だ。いや、危機感が足りなかっただけだ!
あれだけ師匠は、魔草原は危険な場所だと言い続けていたのに、毎日のルーチンが続く中で、知らず知らずのうちに、俺の中での危機感がだだ下がりになっていたんだ。
(くそっ、くそっ、くそっ!!!)
認めたくない。考えたくない。でも……師匠の時間を縮めてしまったのは俺だ!
しかし、そんな俺の考えを読んだかのように師匠は首を横に振った。
「いい、ルイ。確かに私は魔力を消費したけれど、私に残された魔力はいずれにしても有限だったわ。悠久のときを過ごす時間は、ルイに初めて会った時からもう残されていなかったの」
「ルイ。人はいつか必ず終わりを迎える。だからその終わりを迎えることは必然である以上、不幸なことではないわ。そして私は、終わりを迎えることよりも、その終わり方が大切だと思っている」
「あなたに見送ってもらえる終わり方は――私にとって、これ以上ない幸せなことよ。ルイにはつらい思いをさせてしまうけれど……」
「だから――――ルイが、もし私のことを大切に考えてくれているなら、私との別れをあなたの成長の糧にして欲しい」
「ルイは、地球での知識を持っているから分かると思うけれど、時間が経過することは、記憶の鮮度を下げてくれる。辛い記憶もやがて客観的な出来事へと変えてくれる強力な作用を持っているのよ。だから、ヒトは思い出を抱えて生きていくことができるわ」
時の流れがヒトの感情を落ち着かせる働きがあることは、確かに俺の知識の中にあった。
だが、その知識が俺の感情を今すぐに和らげる働きを持っているはずがない。
俺が、感情を爆発させなかったのは――そうすることが、ただ師匠を悲しませることを知っていたから。
師匠が守りたかったのは俺だ。そして、師匠は成功した。俺を確かに守り抜いた。
残された時間が少ない師匠の心を、僅かでも曇らすことを俺はしたくなかった。
だから、俺は黙ったまま、師匠の言葉にただ頷いていた。
■□■□
「じゃあ、ルイ。これから私は休眠に入るけれど、一か月後の三つの月が満月で揃う夜に目覚めるわ。残された時間は数時間になるけれど、その時間で、最後のレクチャーをするわね」
この世界には、三つの月が空に浮かんでいる。その三つの月が揃って満月となって地上を照らすのは3か月に一度だけ。次の三つの満月が揃う夜は、ちょうど一か月後にあたる。
そして、その満月の夜、師匠が持つ転移石を使うことで、師匠の故郷「ユヌフェ大陸」へと安全に転移ができるという話だった。
もちろん、今すぐにでも転移することは可能だけれど、エラーが発生する可能性は常にあって、それが限りなくゼロに近づくのは三つの満月が揃う夜だけだそう。
だから師匠は、その満月の夜に俺をこの島から外の世界に、転移させるという話だった。
相変わらず、俺は下を向いたまま何も喋らす、黙って師匠の言葉を聞いていた。
■□■□
師匠が、さっき俺に使った【じょうと】というひらがなスキルは、「譲渡」のスキル。
魔力をすでに失っていた師匠は、魔力を使わずとも譲渡できる4つのスキルを俺に渡してくれたそう。
本当なら、今すぐ師匠がくれたスキルを確認すべきなのだろうけれど、その気持ちが俺の中にどうしても沸き上がってこない。
俺は、一生懸命、歯を食いしばっていたのだと思う。
そして、師匠には気づかれないように頑張りながら、俺は祈り続けていた。
――――何もいらない。何も求めない。いや、俺が持つすべてを差し出していい
――――だから、だから、だから、この世界にもし神様がいるのなら、師匠をこの世界に留めておいてください!
――――師匠が生きてこの世界にいるなら、あとは俺が一生をかけて、師匠と共に過ごせる時間を取り戻します!
――――だから、だから、お願いです!神様!!!
でも…………神様が答えてくれることはなかった――――
■□■□
「怒っているわよね、ルイ。あなたの前からいなくなる私のことを」
何も言葉を口にすることができない俺だったが、慌てて首を横に振った。何度も、何度も……
「ふふふ」
師匠が笑みを浮かべる。その笑みは、これまでと違い、吹っ切れているように感じた。
俺は師匠を凝視した。
――――いなくならないで!!
一瞬、叫びそうになったが、俺は何とか堪えた。
この言葉を言ってしまえば、再び師匠の笑みに悲しみが混じることになるのが分かっていたから。
師匠が、俺の体を引き寄せてくれた。
柔らかい。そして……温かい。
どれくらいの時間、そうしていただろうか……
やがて――
師匠が体を離す。
師匠の頬に涙が伝っているのを見た俺は我慢ができなくなっていた。
(もう、ダメだ!!)
「師匠!」
「……何? ルイ」
「師匠、俺は、俺は…………師匠のことが大好きです! い、いつまでも――いつまでも一緒にいたい!!」
「ありがとうルイ。私もあなたと――――」
「あなたと?」
わずかに微笑んだ師匠は、最後の言葉を口にせず、煙のように空中にその姿が溶け込んでいく。しかし、その瞳は、確かに何かを俺に伝えようとしていた。
「師匠!!」
慌てて手を伸ばすが、師匠の姿はもうどこにも見えない。
気がつくと――
空には一つの月が満月で浮かんでいた。
目が覚めた時点では、まだ陽があったが、いつの間にか夜になっていたようだ。
随分と長い時間が過ぎてしまった。
(くそっ!!!)
ドン!
俺は、両手を握り、思い切り地面を叩いた。
少し離れた場所では、月に照らされた魔草たちが音もなく凪いでいる。
(くそっ、くそっ、くそっ!!)
俺は頭を抱えた。
――――苦しい。胸が苦しい。
――――苦しい。息ができない。
――――苦しい。心がひび割れそうだ。
でも……
一番、苦しいのは師匠だ。
最後に俺が見た師匠の瞳は、深い深い哀しみに彩られていた!
あの哀しみは、俺に向けられていた!
師匠は、「一緒にいたかった」と言おうとしたんじゃないだろうか?
たぶん、「一緒にいたい」じゃなく「一緒にいたかった」という過去形の言葉が示す師匠の哀しみが、俺の心に突き刺さる。
そして――――
「師匠!!、師匠!!―――――――ラヴィン!!!!!」
空に浮かぶ月を見上げながら、俺は大声で愛しい人の名を叫んでいた――――




