追憶(30)油断
翌日。
ここ数日の少しぐずついた空模様も、ようやく終わりを迎えたようだ。
いつもように、魔草原の近くまで降りてから空を見上げると、きれいな青空が広がっているのが見えた。
優しい風が、俺を通り抜けていく。隣には、宙に浮いた師匠がついてきてくれている。
昨夜は、お風呂場で師匠の述懐を聞き、不甲斐なく泣き崩れたしまったことが恥ずかしい。
最後に師匠が言ってくれた「大好きよ」という言葉が、いつまでも俺の耳に残っているだけに、今朝はまともに師匠の顔を見ることができなかった。師匠は、いつも通り、平然としていたけれど。
さらに師匠は、「本当に大切な愛しい人の将来を、ただ過ぎる時間だけの中に留めておくことは苦しくならない?」と俺に問いかけてくれた。俺のことを愛しい、と言ってくれたことは今思い出しても顔が赤くなる。
まあいい。
結局、島から俺が旅立つ話は有耶無耶になったけれど、師匠も俺のことを好いていてくれるようだから、とにかく師匠が納得してくれるまで、説得を続けよう。
そして今は、毎日のルーチンをしっかりとこなすことだけを考えよう。
「ルイ。今朝は魔草抜きが終わったら、私が転生したユヌフェ大陸のことを教えてあげるわ。私が、どういった立場だったのかを含めて」
師匠の声色が、今までよりも柔らかく、そして俺に寄り添うような雰囲気を醸し出しているのをなんとなくだけど感じる。少し嬉しい。
「分かりました」
俺は、素直に頷いた。
「じゃあ……ルイ、行きます!」
いつものように声を上げて、俺は走り出した。
■□■□
「うん?」
魔草原に足を踏み入れ、普段と同じように魔草を次々と引っこ抜く作業を始めていた俺は、目の前にキラリと何かが光ったのを見て、抜こうとした魔草から手を離した。
すでに、ポイポイと簡単に魔草を引っこ抜けるようになった今、一日50本のノルマは急ぐ必要がない。なので、ゆっくり丁寧に魔草を抜いている。
抜いた魔草は、魔草が持つ「魔力の散乱」の性質をもった薬液を作ることができるのだが、根も全てきちんと抜いた方が効率が良い。
師匠から、薬液の作り方については教わった。俺には★5の【調薬】スキルがあるからね。
すでに、俺の収納の中には、膨大な数の「アンチ・マジックポーション」が収められている。
キラリと光ったのは、魔草を抜いた先――数センチ先の地面だった。
「なんだ?」
そこには、銀色の芽のようなものが生えていた。高さは10センチぐらい。近づいて屈んでみる。
「なんだろう、これは?」
周りは魔草だらけだから、魔草の若芽と考えてよいと思うだが、4年以上毎日ここに来ていて、今まで一度もこのようなものを見たことがない。
魔草は抜いても、一晩で元の高さまで生え戻るから魔草ではないはず。
ということは、この若芽のような何かは、成長が遅い魔草と考えてよいのだろうか?
それにしても、銀色、という色が気にかかる。
その時――
突然、首筋から頭にかけてゾクッとした感覚が走ったのが分かった。
屈んでその芽らしき何かに伸ばしかけていた手を、慌てて俺は引っ込めた。
今、俺がいる場所だが、魔草はだいたい50センチ間隔で生えていて今日はこれまでに21本抜いたので、魔草原の端からは10メートルほど奥に入ったところになる。
ちなみに師匠が座っている場所から見ると、30メートルほど離れているだろうか?
今日は実験を行うため、昨日よりも深く魔草原に入り込んでいる。30本抜いたら、そこを中心に円形に20本の魔草を抜く予定だ。少し師匠からは離れているが、それでも師匠の声は、十分に聞こえる場所だ。
一応、一時間なら抜いた魔草を使った実験をしても構わないという許可が昨日、師匠から出たからね。
屈んだまま、もう一度、俺は目の前の銀色の若芽を見つめた。
辺りは、毎日と同じ風景が広がっている。静かに、魔草が風に揺れているだけだ。その風景に違和感はない。これまで4年以上見続けてきた光景と何ら変わるところがない。
魔草原の奥に足を踏み入れることは、今日が初めてというわけではない。
一度、魔草をかき分けながら100メートルほど進んだこともあった。もちろん師匠からは、声が聞こえづらい遠くまでいっちゃダメ、と真剣に怒られたが。
少なくとも今は、振り返れば師匠の姿も見えるし、50センチ幅の真っすぐな10メートルほどの直線が続く道に、何かの影が現れたりとか臭いがしたりというような危険な兆候も見られない。
おかしいのは、目の前に現れたこの銀色の若芽だけ。
振り返ると、こちらを見ている師匠は、いつものように穏やかな表情で見ている。だが、首筋のチリチリとした違和感が止むことがない。
(戻るか……)
俺はいったん師匠の元へ帰ることにした。
それは、まだ魔草抜きチャレンジを始めて間もないころ、「油断しない人が油断するときって、どんなときか分かる?」という師匠の言葉が思い浮かんだからだ。
確か師匠は、「その人にとって、当たり前のことが起きているときなの。いつもと同じことだから、いつもと同じ結果に結びつく、それが何度も繰り返されて無意識の中で当たり前と考える結果に結びつくはず、という時に起こるイレギュラーを油断と表現することがあるの。分かるかしら?」と言っていた。
目の前の銀色の若芽は、毎日のルーチンである魔草抜きの中で起きたちょっとした異常状態だが、この若芽がもしも「イレギュラー」な出来事だったなら、放置しておくと師匠が言っていた「油断」につながるんじゃないだろうか?
同時に俺は、昨夜の浴室での会話を思い出した。
冷静に考えてみれば、あの会話は何かの「フラグ」だったようにも思える。そして、もしも昨夜、何かの「フラグ」が立ったのなら、今、感じている違和感に対して慎重になるべきだろう。そして、そのフラグを圧し折る必要がある。
振り返った俺が師匠に、「一度、戻ります!」と声をかけようとしたとき――俺は、師匠がいきなり横に倒れたのを見た。
魔草が一斉に横に凪いだように風景がおかしくなり、頬に冷たさを感じる。
(師匠!!!)
呼びかけようとしたが、声が出ない。逆に次の瞬間、なぜか倒れたはずの師匠が、そのまま横向きの状態で俺に向かって走り出した。
――違う!
俺は突然気がついた。
(倒れたのは、師匠じゃない。俺だ!!)
頬に触れているのは冷たい地面。風景がおかしくなっているのは、魔草が横に倒れたように見えたから。
なぜか、体を動かそうとしても動かない。
何が起きたのかが理解できずにいたとき、師匠が境界線上のところで立ち止まり、そして俺に叫んだ。
「ステータスよ!!」
(ステータス?)
そして、反射的に俺が「ステータスオープン」と心の中で呟くと……
名前:ルイ
種別:人族(異世人)
年齢:11歳
性別:男
職業:■■■■
レベル:54,314
攻撃力:54,314
魔力 :10,688
防御力:54,314
精神力:54,314
運 :54,314
(え!?)
昨日は、オール54,293だったはず。21上がっている。今日、これまでに抜いた魔草は21本だからそれはいい。
だが……
魔力がなぜか10,688に減っていた。
(なんだ!? 何が起きた?)
確かに、この魔草原では常に魔力が奪われているから、減っていること自体が大きな問題ではない。
問題は、その減っている量だ。10秒で1しか減らないのに、まだ数分しかたっていないはずだが40,000以上減っている。
「今すぐ、ポーションを飲んで!!」
師匠の言葉に、今の不調が起きた原因が、急激な魔力の減少にあることがなんとなくわかり、【しゅうのう】から魔力ポーションを取り出そうとしたけれど、体が動かないから何もできない。
(くそっ!)
心の中で悪態をつく。
ついさっき、油断しちゃいけないって考えていたはずだが、俺はしっかり油断していた。本当なら、あの首筋に起きたゾクッとした違和感はステータスに関する何かだったことに気がつかなきゃいけなかった。
だって今思えば、レベルアップ時に体を覆うジュワンとした感覚と似ていたのだから……
俺がステータスを確認しなかったのは、そういった異常が起きることを想定していなかったからだ。
(くそっ!!)
真っすぐに、ただ師匠を見つめる俺の瞳から状況を察したのだろう、「ルイ!!!!」と大声で叫んだ師匠が再び駆け出したのを見ながら、俺は意識が遠のいていくのを感じていた。
無意識の中で、俺はもう一度、「ステータスオープン」と呟いていた。
名前:ルイ
種別:人族(異世人)
年齢:11歳
性別:男
職業:■■■■
レベル:54,314
攻撃力:54,314
魔力 :124
防御力:54,314
精神力:54,314
運 :54,314
ほんの数秒で、魔力が124まで減っていることを見て、この異常状態はやはり魔力の減少のせいか、とぼんやり考えていた。
そして、今日は師匠が転生してきた大陸の話が聞けるはずだったのに、となぜか残念な気持ちが沸き上がるのを感じながら、俺は意識を失った。
■□■□
ポタッ
「うっ……」
何か頬に感じた俺は、うっすらと目を開けた。
視界が白く滲んでいる。
やがて――
視界がはっきりしてきて、大切な人の泣き顔を見た俺は、「ここは……」と呟いていた。
「良かった」
ポタッ
師匠の目から零れ落ちた涙が、俺の頬に落ちる。
――ああ、さっき感じたのは師匠の涙だったのか……
そして、同時に記憶が蘇る。
そう、魔草原で変な銀の若芽を見たあとで、俺は一気に魔力を喪失、体も動かせなくなり意識を喪失したのだろう。
原因はよく分からないが、銀の若芽が何かボス的な存在で(小さいけどボス、というのはよくあるパターンだ)、体も動かせなくなったのは何かスキルによる影響だったのではないだろうか?
今、俺は師匠に膝枕をしてもらっている。柔らかく温かな師匠の膝は離れがたいが、いつまでもこうしてはいられない。
ゆっくりと体を起こした。
今いるのは、魔草原の境界線上に近い場所。どうやら師匠が俺の体を魔草原から引っ張りだしてくれたようだ。
陽は傾いているが、日付が変わっていないなら経過時間は数時間、というところか。
「……どれくらいの時間が経ちましたか?」
「ルイが倒れてから6時間ぐらいよ」
予想通りだった。
すると――
突然、師匠が俺をギュッと抱きしめた。そのまま低い声で俺に声をかけてくる。
「ルイ。いい、このまま静かに話を聞いて」
「は、はい?」
「疑問も全てあとで答えてあげる。だから、まずは私の話を聞いて欲しいの」
少し焦ったような師匠の声に、一瞬、心がズキリと痛んだがそんな俺の様子に構うことなく体を離して肩を掴んだ師匠が、俺の目を覗き込むようにじっと見つめた。
その真剣な目に、嫌な予感が沸き上がる。
「まず――残された時間は、あと一か月なの」
「残された時間? 何が残された時間なんですか?」
師匠の視線が僅かに陰る。同時に、俺の心にむくむくと現れた予感が黒い靄となって広がっていく。
(耳をふさぎたい)
そう、俺は師匠の言葉を聞いてはいけないことを、なんとなく悟っていた。体が震え始めたのが分かる。
さっきまで聞こえていたはずの、風の音も俺の耳に入ってこなくなった。
俺は、目の前にいるはずの師匠が、果てしなく遠くにいったように感じてしまった。
師匠が何かを言おうと口を開き、そして留まった。
「…………」
「師匠?」
やがて―― 一瞬だけ目を閉じ、そして大きく息を吐いた師匠が、もう一度俺の目をまっすぐに見た。
「いい、ルイ――私がこの世界に留まっていられる時間は残り一か月。三つの月が揃って満月を迎える夜に…………私は消滅するわ」




