追憶(28)嫌です!!
その日の夜。
心配していた夕食は、ニンジンのフルコースではなかった。助かった。
ありがとう、師匠。
夕食後、いつものように師匠と共にお風呂に入る。というか、入れさせられている。
さすがに11歳になると、いろいろ意識しそうで怖いのだけれど、まだ肉体は性徴を迎えていないようで助かっている。
まず最初は頭を洗い、そして次は体。もちろん、俺が師匠を洗うのではない。師匠が俺を洗う。ただし、背中とお腹、そして手足だけ。下半身は俺が自分で洗っている。性徴は迎えていなくても、羞恥心はあるのだ。
洗い終わったら、一緒に浴槽につかる。
浴室は広い。
獅子がお湯を吐き出している、といったような豪勢な浴槽ではないけれど、それでも縦長の浴槽は師匠と俺が足をしっかり延ばして入っても、まだ余裕たっぷり。師匠に、背中から抱きかかえられるようにして浸かっている。
入浴はとても心地よい。たぶん、師匠が「つうはん」で取り寄せてくれているのか、入浴剤の香りが浴室内を包み込んでいる。
お風呂の温度はぬるめ。
師匠が好きな温度だ。
「……ねえ、ルイ」
「何、師匠?」
背後から聞こえてくる師匠の問いかけに、小さな声で俺は答えた。
「そろそろ、この島から出ていきたいと思っている?」
「え?」
「ほら、もうステータスも目標だった5万に達したでしょう? 『ひらがなスキル』もいくつも生えたし、安全に暮らしていくには十分だと思うわよ?」
俺は、スーッと血の気が引くのが分かった。
(師匠と別れる……??)
「…………」
言葉が出てこない。
いや、こういう時がいつか来ることは分かっていた。
いつもなら100年に一度、一か月しか起きていないと言っていた。なのに師匠はもう4年以上も休眠することなく、いつも俺と過ごしてくれている。
俺の勝手な思い込みを差し引いたとしても、俺と過ごすことを師匠が自ら選んでくれたことは確かだろう。
でも、初めて師匠に具体的な「別れの時」について言及されたことに、俺は大きく動揺していた。
心臓がバクバク言っているのが分かる。
師匠に気づかれないだろうか?
「……俺が我儘になったから? 師匠はもう、俺と一緒に居たくないの?」
たぶん精神年齢は、肉体年齢に引きずられているのはないかと俺は考えている。
記憶はないけれど、俺の知識は成人男性がこんな言葉を言わないと告げているのだが、少年のような言葉が自然と口をついてしまった。
俺が後悔しているのは、今日の出来事。
師匠から見れば、魔草原で俺が調子に乗っていたように見えたのだろう。いや、確かにあの時、俺は自分に陥るかもしれないリスクのことを一切考えていなかった。
あれでもしかすると、師匠に嫌われた? 心配して言ったのに、渋々同意したと思われた?
違う。絶対違う。俺は、師匠の言うことに逆らおうとはこれっぽっちも思っていない。
肉体は少年でも、少なくとも心は成人を越えていると思っている。それとも、肉体に引きずられて、今さら反抗期を迎えたのだろうか?
だったら、万が一、師匠に対して反抗する気持ちが僅かでも湧き出したのなら、今すぐにそれを両手で心の外へと掻きだすから!
だから、だから……師匠、俺と離れるなんてことを言わないで欲しい!!
すると……
「そんなことはないわ」
ぐるぐると不安が渦巻いている俺を、師匠がギュッと抱きしめてくれた。豊かな胸の膨らみが俺の背中で柔らかく潰されているのが分かるが、今はそんな感触に目を向けている場合ではない。
師匠が、何かを考えながら呟く。
「でもね、いつかはルイをこの島から送り出す日が来る。もしも……」
俺のことを抱きしめる師匠の手に、力が込められたのが分かった。
「――もしも、その日が来るのなら、その日を迎えるまでの時間……ルイとの大切な時間を、しっかり向き合って過ごしたいと思っているわ」
師匠の言葉を聞いた俺の胸に熱い何かが込み上げてきた。そして――思わず俺は口走っていた。
「嫌です!!」
「えっ?」
「この島から俺は絶対に出ていきません!」
「ルイ……」
「そうだ! 師匠、俺と一緒にこの島を出て、世界を旅しましょう! 師匠のひらがなスキルの【じったい】を使えば、大丈夫でしょう?」
「ルイ」
「そうか、それでも途中で魔力を失うことになれば消えてしまうことも心配した方がいいのか……だったら、師匠の【じったい】がいつまでも維持できるようなひらがなスキルを俺に生やします! そうすれば、一緒に旅できますよ!」
「……ルイ」
「だから……師匠が俺と一緒に旅ができるよう、必ず俺が支えるから、そのときまでこの島にいさせてください。それとも――――」
師匠の手を振りほどき、俺は振り向くと「師匠は、俺に出て行って――」欲しいんですか!と言いかけて、師匠の顔を見てしまった。
「師匠?」
俺をまっすぐに見つめるその瞳には、大粒の涙が溢れていた。
ツー
一粒の涙が、頬を伝う。
さらに、悲しみが、いや哀しみがその瞳には浮かんでいる。
「師匠……?」
小さな小さな声で呼びかけるけれど、何も師匠は答えず、「ふふふ」と笑みを浮かべた。
ズキン
俺の胸に、何かが浅く突き刺さったのが分かる。
でも、師匠はそんな俺に構わず、俺をしっかりと胸に抱きしめた。
「少し、私の昔話を聞いてもらってもいい? ルイ?」
俺は何も答えることができなかった。
そして、師匠の胸に抱きしめられたことに動揺したのか、師匠の言葉に動揺したのかを考えていた…………
■□■□
「私が、この世界を訪れたのは一人じゃなかったの。双子の妹と共に、この世界に召喚されたわ」
師匠の胸が、激しくドキドキしているのが分かる。もちろん、俺の胸も師匠以上にドキドキしている。その師匠の豊かな胸が俺の頭をしっかり埋めてくれている。それでも、俺の心には僅かばかりの不埒な想いも沸き上がることはない。
逆に、師匠の声色に戸惑いが膨らんでいく。
そして師匠は、俺を抱きしめたまま、ゆっくりと話し始めた。




