プロローグ(2) 運命の扉
過去に発生したアルファクラスのスタンピードは、記録に残る限り、いずれも近隣の複数の都市を壊滅させていた。残念ながら、アルファクラスのスタンピードを、人類が実力を持って終結させた前例の記録はない。
唯一、50年ほど前に起きた直近のアルファクラスのスタンピードは、開始後6日目で、発生した魔物が三つの都市を壊滅、そして四つ目の都市で突然全て消滅したが、対応に当たっていた「勇者」たちの実力ではそれが不可能だったことが分かっており、消滅の原因は謎のままとなっている。
人類が手を出せるのは、最強クラスの勇者を大勢揃えて、それでもベータクラスにようやく手が届くかどうか、といったところなのだから。
とはいえ、スタンピードが永遠に続くという前例も存在していなかった。
ダンジョンから現れた魔物たちは、大気中の魔素を吸収することができず、体内の魔素(魔力)を消費しつくした段階で消滅していく。
ただ、高ランクの魔獣は万単位のMPを抱えているため、一日二日では消滅には至らない。過去に発生したアルファクラスを検証した結果、その期間は一週間と言われている。
派手な高威力を魔法を都市に打ち込み自滅していく魔物たちをただ眺めているしかできないのが、アルファクラスのスタンピードに直面した人類に残された最善の道であることは確かだった。
さらに、討伐された魔物や魔獣たちは体内に残された魔素を大気中に放出、人々に資源を残すが、魔素を失い自然消滅した魔物たちは、人が近づくことを許さない瘴気を長い年月に渡ってその地に残す。
アルファクラスのスタンピードに襲われた都市の人々が、奪われた故郷に再び足を踏み入れることができるのは、数世代後の子孫ということになる。
現在、この大陸で確認されている人々の入植を許さない土地は7か所。
そして自由都市スタシーは、その8か所目になるはずだ。
だが、セシリアはなぜか悲壮感を感じていない。
「勇者」とは、危機に陥ると発揮できる力があるという。その力は、陥る危機が大きければ大きいほど比例して増大する。セシリアもその力を有するスキルを持っている。それこそ、歴代のこの世界で生まれた「勇者」と比べても随一と言ってよい力のスキルを。
そう、セシリアがこの地に向かうことを命じられた時に、その身に感じたのは「死」ではなかった。「希望」だった。
おそらくこの地には、セシリアの未来とつながる運命の糸がある。その糸は、必ず掴めると約束されたものではないが、掴むチャンスは必ず訪れるはずだ。
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最も最近に発生したアルファクラスのスタンピードは、先に少し触れた約50年前。正しくは、ボクゥ歴4322年の秋、今から52年前だった。
魔物と魔獣の総数は約200万。SSSクラスの魔獣が約100頭混じっていた、
記録が残る中で一、二を争うような規模のスタンピードだったが、魔獣たちの姿が消えた後、なぜか瘴気が発生していなかった。
さらに、魔獣たちが消滅したのは発生から6日後だった。
アルファクラス以外のスタンピードは、記録が残る以前を除き、ほとんどが討伐に成功していたが、それでも昔は討伐に失敗したことがある。そのときも、魔物や魔獣たちが消滅したのは決まって発生から7日後だった。
そのため、いつもよりも若干早かったものの、この大陸に入植を許されない8カ所目の地が生まれたのかと皆が思っていたのだが……その地は、すぐに人々が足を踏み入れることが分かり、大騒ぎとなった。
識者の間で、いろいろな説が議論された。
『実はベータクラスのスタンピードだったのでは?』
『瘴気が発生しない特異なケースのスタンピードだったのでは?』
まず、アルファクラスではなくベータクラスだったのでは?という意見はすぐに否定された。
SSSクラスの魔獣が100頭いたことは、高性能の鑑定ができる魔道具で確認されている。
ベータクラスなら、最強の魔獣はSSSクラスではなく、SSクラスになる。
瘴気が発生しないスタンピードだったのではないか、という意見については結論が出なかった。そんな事例は過去に発生していないが、否定はできなかったからだ。
『もしかして、誰かが討伐してくれたのでは?』という意見もあったが、当初は当然のように無視された。
SSSクラスの魔獣を「誰か」かが討伐する姿は確認されていないし、1頭だけならまだしも、100頭ものSSSクラスの魔獣を退けるために必要な人員は、最低でも勇者の数が10倍となる1,000人は必要になるからだ。
だが、協議が進む中で一向に結論が出ない中、その『誰かが討伐してくれたのでは?』という説は残り、今も研究が進められている。
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セシリアは、「偶然」や「奇跡」という冠がつくにしろ、物事に「絶対」はないものと信じていた。
勇者で剣聖でもあるセシリアの未来は、本当なら光り輝いていると周りには見えていたはずだった。いや、実際に光り輝いていたと言って良い。
勇者が持つスキルは、ちょうど一年前、16歳で剣聖の名をセシリアに与え、来年には伴侶も近隣の有力諸国から名が挙がることになっていた。
だが、数か月前、スタンピード討伐の命を受けることになったセシリアの未来は、その予定調和から大きく変わった。
それでもセシリアは、なぜか、絶望や達観、悲観といった負の感情が沸き上がることがなかった。逆に、胸には何かの期待感が沸き上がったのを感じた。
聖女の「予言」もある。
聖女は討伐の命を受けたセシリアに告げた。「途方もない困難の向こうで、貴女の望む未来が姿を現す」と。
元々セシリアは、家庭に収まることが自分の幸せだとは考えていなかった。
それよりも、自由に多くの場所を訪れ、そして知見を広め、仲間たちと苦楽を共にする冒険者のような人生を送りたいと思っていた。
だが自分には、有力貴族の子女としての義務がある。子を成し、家を継がせて領地を守ることが貴族の子女に課せられた義務であることを理解していたし、両親のため家のため、自分の心は隠したまま、その運命を享受していた。
しかし、新たな「運命の扉」がセシリアの前に姿を現した。
「剣聖」としてスタンピードに向かうよう、王命を受けたのだ。
その王命が、余人には例え死地への誘いに見えたとしても、セシリアにとってはそうではなかった。
待ち焦がれた「運命の扉」が現れたと考えていた。
セシリアは、自分の「望む未来」を掴むため、この地にやってきた。
もちろん、その未来は「約束」されたものではない。
運命の扉は現れたかもしれないが、それが必ず開くという確約はない。
それでも、不思議とセシリアに焦りはなかった。
セシリアに「予知」の力はない。だが、確信はあった。
唯一、心に翳りを落としたのは、爺のことだろうか?
本当は、セシリアが物心ついたころから執事として側にいてくれる爺をこの地に連れてくるつもりはなかった。
剣の師でもあるが、17年間をセシリアと共に歩んでくれた爺のことは、半ば、父よりも家族と認識していた。もしも「扉」が開かなければセシリアはこの地で散る。それは、同時に爺の死も意味することになる。
だが、暇を出そうとしても、「では、余生は好きに使わせていただきますぞ?」と笑う爺が、側を離れることがないことをセシリアは分かっていた。
もちろん、セシリアに剣を教えた爺の実力は、王国の騎士団では相手にならないぐらいのものだ。Sランククラスの魔獣なら何とか相手もできるし、実践の経験を考えれば、剣聖の称号を得た今のセシリアでも、仮に命を懸けた戦いならばその勝負がどう転ぶかが分からない。
しかし、さすがにアルファクラスのスタンピードを乗り切れるだけのものではない。
いろいろな思いが渦巻く中で、セシリアは何気なく庭を見下ろしていた。
ふと、一人の若い庭師と視線が絡み合った。手には剪定鋏を持っているから、さっき樹木を剪定していた庭師のようだ。
黒い瞳がセシリアを見つめる。
黒、というよりも漆黒の深みがあるその瞳に、まるで吸い込まれるようにセシリアが感じたとき――
首にかけたタオルで額を拭いていた庭師の手から剪定鋏が地面に落下し、その体が揺れたのが分かった。
「あっ!」
倒れる、と思ったセシリアが小さな声を上げたが――見間違いだったようだ。
庭師は何事もなかったかのようにセシリアから視線を外すと、落とした剪定鋏を拾い上げて歩き出した。
こちらを見たのはたまたまだったようだ。倒れるかもと思ったものも気のせいだったのだろう。
だが……なぜかセシリアは、庭園の奥に向かうその庭師の後姿からいつまでも目を離せないでいた。
▼▽▼▽
ルイは、樹木を剪定していた剪定鋏を自分の体に立てかけると、首にかけたタオルで額の汗を拭いていた。
迎賓館の庭園は広く、ようやく、一通りの剪定が終わったところだ。作業を終えた仲間の庭師が、仕事道具をまとめ始めている。
仕上げは、ルイよりも上級の庭師が明日行うことになっている。
「ふぅ」
心地よい疲れを感じる。
幸い、まだ春は進んでおらず、陽射しは強くない。作業もさほど苦に感じることはない。
それでも長時間の樹木の剪定は、特に迎賓館という場所柄を考えると、かなりの気を使わなければならなかった。
小さな失敗はまだしも、大きな失敗は最善で職を失うことになり、最悪の場合は命に関わることもある。
ルイの仕事は、ルイが持つスキルを使えば、どうってことのない作業だ。
だが、目立つことはしたくなかった。
人よりも何かができる、ということは、人よりも目立つことを意味している。
それに……ルイは、こうした体を動かす労働は、日々を穏やかに過ごすための必要条件でもあると考えていた。
(人は、汗をかく仕事をしてなんぼだからな……)
ルイが、汗を拭きながら何気なく見上げると、2階の窓から誰かが見下ろしている。
(女性?……いや少女か。いや待て!)
ドクン!
ルイは、その少女の顔を見て、自分の心臓が跳ね上がったのが分かった。
同時に一瞬、軽い眩暈に襲われる。自分の腰に立てかけていた剪定鋏が「ガシャン」という音を立てて地面に倒れた。
セピア色の記憶が浮かんだのが分かったルイは、それでもなんとかそれ以上、自分の意識が記憶の奥へと潜り込もうとしたのを阻止していた。
急いで、剪定鋏を拾い上げると、できる限り平然としたまま、庭の奥へと向かった。
少女の視線が背中に刺さっているのが分かるが、意識は向けないように注意する。
少女の顔はルイに、古い古い記憶を蘇らせる。
髪色は違うし、もちろん神秘的なあの人が纏う気配を漂わせてもいない。
だが…………
いつしかルイの意識は、脳裏に浮かんだ千年前のセピア色の記憶の中へと埋もれていった――――




