プロローグ(1) 「勇者」の少女
「え? まさか……!」
「残念だが、まさかでは済まないんだ。三か月後だ――――この街で、スタンピードが発生する」
「…………」
ソファーから立ち上がった、勇者の告知を聞いたこの街の領主である男は、言葉を失っていた。
「……だから、セシリア様、貴女がお越しになった?」
「まあ、そういうことになるな」
向かい合う、まだあどけなさの残る表情を見せている少女は、輝くような長い金色の髪に似合う白い鎧を身に纏い、剣をまっすぐに床に向けている。抜き身なら間違いなく床に刺さっていた……いや、床を突き抜けて下の階にその剣が落ちていたとしても不思議ではないように思えた。
もっとも、剣が鞘に入っている今も、勇者が手にする聖剣は床に食い込んでいるように見えたのだが…………
勇者セシリアの後ろで立つ、モノクルをかけた執事服の男性が、気の毒そうな目を向けているが、領主の男は気づかない。
「予想される、スタンピードの、ら、ランクは?」
「聖女の予知によると……残念だが、アルファだそうだ」
「あ、アルファ!!!!」
小さな声で悲鳴を上げた領主の男は、そのままドサッと倒れ込むようにソファーに座り込んだ。
「ぜ、前回のアルファクラスは50年前だったはず……なのに、ま、またアルファクラスが発生するのですか?」
動揺しているのだろう、領主の男の声が震えている。
「物事には常に例外が発生する。残念だが」
ダンジョンが何らかの原因により、ダンジョン内部の魔素が飽和することで魔物が無限湧きすることになるスタンピードは、全てのダンジョンで起こりうる。
そのランクは五段階に分かれており、上位のものから「アルファ」「ベータ」「ガンマ」「デルタ」「イプシロン」と呼ばれていた。
なんでも名付けたのは異界から転生や転移でこの世界に訪れた異世人と呼ばれる人のようだが…………
「アルファ」クラスは、もっともランクが高いスタンピードであることを示しており、ダンジョンから溢れる魔物の数は最低でも100万を超えることになる。過去最高であれば、300万という伝承が伝わっている。しかも、溢れる魔物のランクはSSSランクも多く混じる。
もちろんこの数は、ダンジョンに隣接する都市を文句なく破壊しつくすことになるのだが、この街を任されていた男は、その不幸が、それも最大の不幸が自分の街に舞い降りることを信じられない思いでいた。
この大陸にあるダンジョンは全部で100超を数える。そしてスタンピードが発生するのは1年に一度、どこかのダンジョン。
特にアルファクラスのスタンピードの発生は、大陸全てのダンジョンがランダムにスタンピードする中で、たった一つが該当すると言われていた。
そして前回発生した、アルファクラスのスタンピードは約50年前だった。
これまでアルファクラスのスタンピードが100年に一度だったことを考えれば、少なくともあと50年は発生がないはずだったのに……
「い、異世人の召喚は?」
「それはない。分かっているだろう? 今回はアルファクラスのスタビードになる。異世人を招いたとしても防ぎようがない。今回は見送りだ」
「そ、そんな……」
下二つのクラスのスタンピードは、この世界の強者がいれば討伐できる。実際、これまでそうしてきた。
だが、「ベータ」と「ガンマ」クラスについては、Sランク以上の魔獣が複数出現するため、異世界から「異世人」を召喚して討伐にあたるのがこれまでの常だった。
そして、最強の「アルファ」クラスは、例え異世人を招いても討伐に成功した事例は、過去、存在していなかった。
「すぐに、住民の避難を始めたまえ」
幾分、憐れみを含んだ目で見ている勇者の言葉に、ごくりと領主の男は息を呑んだ。
「さ、三か月しかないんですよね?」
「違うな。三か月もあるだ。明日から、避難を開始すれば一日の避難民は数千人で済む。どうだ? 簡単な話だろう?」
冷ややかな視線を向けられた領主は、今、告げられたのが、この自由都市「スタシー」の死刑宣告であることを理解していた。
■□■□
「ふぅ……」
「姫様、ティーをどうぞ」
迎賓館に設けれた居室に戻った勇者セシリアは、執事が優雅にテーブルに置いた紅茶に口をつけた。
観音開きタイプのフレンチウインドウからは、暖かさを含んだ春の風が入ってきており、部屋の雰囲気を柔らかなものに仕上げてくれている。
「爺、ありがとう。はぁ……この一杯が貴重よね」
「それで姫様。いかがなさるおつもりで?」
「いかがもなにも、やるしかないじゃない。まずは、避難を先行させないと」
「このスタシーには100万もの民が暮らしております。たった三か月では半分も逃げ出せないと考えますが?」
「それは財産を込みの話でしょ? 体一つであれば、一日3万強の人を脱出させることができれば一か月で空にできるわ。ただ……」
「あの領主が領民を納得させられますかな?」
「無理ね」
執事の言葉に、セシリアは迷うことなく首を横に振った。
「たぶん、避難させられるのはせいぜい10万人、というところかしら。それでもアルファクラスのスタンピードなら、10万人が生き延びることができれば御の字よ」
「なるほど。それを読まれて10か所の都市に声をかけてきたのですな」
「悲観すべき予想でも、その予想の範囲内は確実に救いたいわ。都市ならば1万人の避難は容認できる範囲なのだから」
「爺は、姫様が各都市の領主に恨まれそうで心配ですが」
「それはいまさらよ」
セシリアが笑う。
「今回のスタンピードがアルファクラスであることは、各領主、皆が承知しているわ。私が少しでも足止めしてくれることを期待しているようね。どこまでできるかは分からないけれど」
執事が難しい顔になる。
確かにセシリアが言う通り、各領主が期待しているのはセシリアの力による時間かせぎだろう。
アルファクラスといえど、ダンジョンの外に出た魔物や魔獣が活動できる期間は一週間。
セシリアが勇者としての仕事を最大限に成し遂げれば、このスタシーの都市だけでスタンピードが終了することも十分期待できるし、各領主はそれを望んでいる。
もちろん各領主は、セシリアがスタンピードを防げるとは考えていない。それはセシリアも同じだった。
セシリアにできることは、時間稼ぎのみ。
しかし、勇者の肩書を持つセシリアができることは、討伐や時間稼ぎ以外でも確かにあった。今回手掛けている避難計画もその一つだ。
セシリア自身、勇者、そして剣聖の名に恥じない働きをするつもりでいる。
「人口が少ないこの西方地帯でも、町や村は200以上あるわ。100人でも200人でも引き受けてもらえるようにしなきゃね」
「争いが起きるかもしれませぬな」
執事は、今度は顔を歪めた。
「そのための『勇者』の肩書でしょう?」
セシリアが苦笑しながら立ち上がると、執事は「それもそうでしたな」と小さく肩を竦める。
領主がセシリアを迎え入れたこの都市の「迎賓館」は、王都に設けられた迎賓館ほどの華やかさは備えていないが、それでも100万都市に相応しい絢爛さは持ち合わせていた。
立ち上がったセシリアは、窓に近づき外を眺めた。
「きれいね……」
窓から広がる景色を見たセシリアは、小さく感嘆の声を上げた。
その光景は、さっきの不毛な領主との会見で、少しささくれ立っていたセシリアの心を癒してくれたようだ。
高台からは広大なスタシーの街並が一望できた。この二階に設けられた居室からの眺望だけは、どうやら王都の迎賓館から見える景色に優に勝っているように思える。
地上を見下ろすと、幾人かの庭師が庭園の整備を行っていた。
パチン
乾いた音は、一人の庭師が庭園の樹木の剪定を行った音だ。細い枝が地面に落ちる。
三か月後にこの庭も魔物たちに踏み荒らされることになると知らされたら、彼らはどうするのかしら、と思ったセシリアだったが、その答えは考えるまでもないことに気がつき、青空と調和するように広がる街並みへと目を移した。
パチン
「姫様。最後にもう一度だけ確認を」
剪定の音を聞きながらセシリアは、斜め後ろに控える執事から聞こえた声に顔を向けず「ふふふ」と笑った。
執事が何を確認したいのかは、言葉にしなくても分かる。
「その言葉は、私が言いたかったことよ?」
「私は姫様に仕える執事としての役目を全うするだけです」
「……ありがとう」
セシリアがこの街を訪れたのは、国王の命を受けてのものだ。
勇者であり剣聖でもあるセシリアが、アルファクラスのスタンピードに向かうのは当然でもあった。
だが、アルファクラスのスタンピードへの出陣命令は、イコール、死地へ迎えとの意味合いが込められている。
セシリアの死は同時に、連なる者たちの死も意味する。セシリアが生まれた時から仕えてくれている執事も例外ではない。
このスタシーの街はスタンピードを乗り切れない。
そして、対峙することになるセシリアも執事も、スタンピードの終了後には死者の列に名を連ねていることになる。
普通ならば。
読んでいただき、ありがとうございます。
楽しく読んでいただけるように頑張って投稿してまいります。
初回は10話分、以降は一日1話で投稿の予定です。
ブックマークや、評価ポイントで応援いただけますと嬉しいです!!
どうか、よろしくお願いいたします。




