メモ
部屋を静寂が包み込む。
「セシリア?」
一瞬、唖然とした俺だったが、すぐに【まっぷ】で確認した。
だが、セシリアを示す点は消えている。
【ついせき】のスキルをセシリアにかけたけれど、その座標も示されていない。
さっきまで光っていた黒い床も、今はその光を失っていた。
(くそっ!)
壺の前にあった床は、転移する罠だった可能性が高い。そして、その罠が発動したから、床の発光が消えたと考えるのが自然だろう。
迷宮の中で、転移系の罠は比較的ポピュラーな存在だ。
大概の場合、転移先は今いる階層よりも深部になる。
迷宮の外に放り出された可能性もないことはないが、今のセシリアのステータスを思えば、それなら逆に安全だろう。
すぐに、部屋を出て深部に向かおうとした俺は、すんでのところで踏みとどまった。
壺だ。
俺は手を伸ばしてスキルを発動させた。
「【灯り】!」
手のひらの上に、小さな明かりが灯る。
さっき妨害されていた普通のスキルが今は発動している。
ということは、さっき、あの壺が何らかの力で普通スキルの発動を阻害していたのは、床に仕掛けられた罠と連動していた、ということだ。おそらく、罠が発動を終えた今、壺の役割も終わった可能性が高いが……
俺は、灯りを消して、壺に近づいた。
黒い床を目の前にした俺は、この床がもう一度、罠を発動してくれないかな、と考えた。
しかし、ゆっくりと踏みしめるが黒い床は何の反応も示さない。
まあ、この手の罠で、常に転移される先が一緒とは限らないから、発動されると、さらに困ることもあり得るんだけれどね。
壺に近づく。
もしも、この壺の役割がすでに終了していたなら……
「【かんてい】!」
(やっぱり)
■■ 保管するための壺 ■■
念のため、黒い床も調べたが同じく「転移の魔法陣が刻まれた床」と表示された。
発動時に魔法陣は見ていないから、俺が知る魔法陣とは違う仕組みなのだろう。
それでも一応、壺を開けてみると……
「これは?」
中には二つに折りたたまれていた、白い小さな一枚の紙が入っていた。
(メモ?)
それを開いてみると――――
■□■□
俺は、洞窟の中を【縮地】のスキルを使って進んでいた。
もちろん、「右手の法則」には従っている。
なんだかんだ言っても、移動する時間を最小にできるのなら、これが一番最短で次の階層に降りることができるからね。
もちろん、高速の移動だから、手を壁に添えてはいないが直線の通路なので問題はない。
右、右、右、右…………
幾度も曲がり、幾度も引き返しながら、気がつくと目の前に階段が現れた。
(よし!)
二階層に降りる階段だ。今のところ、魔物や魔獣の姿は相変わらず見ない。
ここまでかかった時間は、約8分。曲がったり戻ったりした回数は1,000回を超えているから、1秒に2回ほど分岐を通過したことになる。通路は分岐点まで常に100メートルぐらいなので、総距離は100キロ以上だ。
この迷宮の階層は、深度が変わっていなければ10階層。
(遅い!)
おそらく、セシリアが飛ばされたのは最下層だ。
今と同じやり方では、最下層までまだ1時間以上かかる計算になる。
階段の降りたところに【転移】を使って移動した俺は、使うスキルを【縮地】から【転移】に変えて先を急いだ。
「【転移】!」
■□■□
俺は、10階層に降りる階段の前にいた。
移動を【転移】のスキルに変えたことで、1階層当たり、約3分で通り抜けることができている。
ここまで30分で到達できた。
(ふぅ……)
この階段を降りたなら、たぶんボス部屋だ。
もしかすると、この迷宮の階層が深くなっていることも考えたが、今はそれがないとなぜか分かる。
不思議だ。
俺に予知や予兆のスキルは生えていない。直感が働くことはあるが、これだけ確信が芽生えることは滅多にない。
(その理由は……)
俺は、さっき壺の中から見つけた「メモ」のことを考える。
あの「メモ」に書かれていたのは――――音楽記号。
そう、あのメモには一曲の楽譜が書かれていた…………
■□■□
(楽譜?)
あの時、開いたメモに書かれた内容に、俺は最初、首を傾げていた。
俺には芸術に関する才能は宿っていないが、1,000年も過ごしている中で、ある程度の芸術を理解できるぐらいには、さまざまなものに触れてきた。もちろん音楽にも。
だから、楽譜を見て何もしなくても音が聞こえるほどではないが、頑張れば音楽を導き出すことはできる。
それでも……
その音符の並びは、俺の心を騒つかせていた。
(なんだろう?)
そして――
音符を辿ってみて脳裏に蘇った音のフレーズに、俺は思わず固まっていた。
♪♪~♪♪~♪♪♪♪…………
(こ、これは……!)
その音楽は、あの日――師匠と出会ったあの最初の日に、師匠が口ずさんでくれた音楽だった。
俺は目を閉じた。
俺を抱きしめてくれた師匠の姿が思い浮かぶ。
優しい調べが、俺の心を温かな陽だまりの中へと導いてくれた記憶が蘇る。
曲のタイトルは知らない。
聞いたことがない歌。でも、心に響くその歌を久しぶりに思い出した俺は、しばらくの間、動くことができずにいた。
――なぜ、師匠が歌った歌がここに残されていたのか?
そのメモを【かんてい】した俺は、さらに驚愕した。
(3,487年前?)
そう、メモを書いたのは師匠で、そのメモが書かれたのは3,487年前だった。
たぶん、師匠がこの大陸で冒険者として活躍していたときの頃じゃないだろうか?
師匠が口ずさんだ歌が目の前にあって、そして師匠の魂を内在しているはずのセシリアがこの部屋を訪れたことは、どう考えても偶然じゃない。必然だ。
もちろん、その必然を生んだのは、たぶんセシリアだろう。
メモは普通の紙だった。本当なら3,000年もの年月は、紙を劣化させているはずだが、まるで今朝書かれたばかりのような新しさを感じた。
――なぜ、師匠が書いた楽譜が俺たちの前に現れたのか?
因果、いやもしかすると因縁なのかもしれない。
師匠が出会ったことを、俺はただの偶然だと思っていた。
でも、もしもこれが過去から続く深い関りか何かを示しているのなら、俺と師匠の出会いも因縁により導かれたのではないだろうか?
俺は背筋に、ゾクリと何かが伝わったのが分かった……
■□■□
さっき、セシリアが消えた部屋で感じた何かが、もう一度、背筋を伝わった。
これが、何かを示唆しているのかは分からない。
だが、俺の拙い予感はこの下に――10階層のボス部屋でセシリアが待っていると告げている。
(よし!)
俺は、ゆっくりと階段を降り始めた――――
※117話「隠し部屋」の予約投稿が失敗していました。先ほど(8/18)、割り込み投稿しましたので、読んでいただいている方、よければご覧ください。




