オーゼロ迷宮
名前だ。セシリアの名前が「セシリア・ド・フローレス」から、ただの「セシリア」に変わっている。
この世界で、名前は大きな意味を持つ。
貴族を示す「ド」の文字と家系を示す「フローレス」が消えている。
そして貴族を承認するのは、その国の王だ。
ということは、セシリアが貴族籍を失ったのであれば、セシリアがアンラビフォン迷宮で亡くなったと国が認定したか、あるいはシュドリー王国が滅んだか、フローレス家自体が貴族籍を剥奪されたのか……
まあ、可能性がもっとも高いのは、アンラビフォン迷宮でセシリアが亡くなったと認定されたということか。
俺たちが国を離れた時はまだ、シュドリー王国が亡国になってはいなかったからね。
「あら?」
どうやら、セシリアも自分の名前が変わったことに気がついたようだ。
「だ、大丈夫?」
「え? なぜ?」
俺が心配して尋ねると、不思議そうな顔をした。
「これで身分を完全に失ったことになるんだよ?」
「ふふふ」
すると、セシリアは笑った。
「言ったでしょ? 私の『運命の扉』はルイ、あなただって」
そう言えば、そうだった。
「家名や貴族の籍はね、私を縛り付けるだけだった。もちろん、貴族の責任というものは分かっているわ。一族が私に、何を期待していたのかもね。でもね……私の中にある何かが教えてくれるの。長くない生を後悔なく生きるために、何が必要で何が不要なのかを」
(何か、か……)
それが、まだ覚醒していない師匠の魂なのか、あるいは自由を求めるセシリアの心なのかは分からないが、貴族という立場はセシリアにとって大切なものでなかったことだけは確かなのだろう。
「私の実の父が、私に対して臨んでいたのは、勇者と言う役割か、他貴族との婚姻での結びつきだった。娘として、私が望んでいたものに目を向けることはなかった……」
「…………」
「それに……私の本当の家族はもういないわ」
「セシリア……」
セシリアが言う、本当の家族が何を意味しているのか分かる。育ての親と言える爺、アルバートのことだ。
たぶん、セシリアは注がれることがなかった愛情を、アルバートから与えられたことで、この世界と自分との絆を確認していたように思う。
「勇者」という地位も、彼女にとってはアルバートとの関りを示すことができることに意味を見出していたんじゃないだろうか?
セシリアにとって、家名は大きな意味がなかったのは確かなんだと思う。その表情を見れば、家名を失くしたことを全く後悔していないことが分かるから。
その時――
「でも――――ルイが私の家族になってくれんでしょう?」
いきなりセシリアが俺に爆弾を投げつけてきた。
手を後ろで組んで俺を少し見上げるように見るセシリア。
(か、家族?)
セシリアは、分かって言っているのだろうか?
俺は、少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
(まあ、いいか……)
言ってしまえば、今の「セシリア」という名は、この世界がそれを認めたということだから、これまでと違う人生がこれから始まるということなのかもしれない。
(ふぅ……よし!)
俺は、気合を入れた。
今、やらなきゃいけないことを、見失ってはいけない。
「と、とにかく、迷宮に潜ろう。あ、その前に……【まもる】、【ふやす】!」
俺は、セシリアにひらがなスキルを発動させた。
俺が何も答えなかったせいか、少し不満そうにしていたセシリアだったが、俺のスキルを受けて、不思議そうに自分の体を見ていた。
■【まもる】使用魔力:1
指定した対象を全ての事象から守る。魔力を1消費する。
■【ふやす】使用魔力:1
対象の項目を任意の値に増やす。魔力を1消費する。
「これは?」
「俺のスキル。【まもる】がセシリアの身を守ってくれて、【ふやす】がセシリアの各ステータスを10倍に増やせるスキルなんだ。これで安全に戦えると思うから」
【まもる】は、反則的なスキルと言って良い。例え、SSSランクの魔獣が放つ見知らぬ攻撃であっても、完全に防いでくれるからね。
あとは、【ふやす】で6桁に到達した攻撃力で蹂躙できるはずだ。
それと、アンラビフォン迷宮でかけた【けいけん】のスキルは、有効期間が過ぎていないからまだ効果が残っている。
■【けいけん】使用魔力:1
レベルアップに必要な得られる経験値を任意の値で乗算する。指定できる値は2~1,000のいずれか。有効期間は最大100日間。魔力を1消費する。
このオーゼロ迷宮は、それほど強い魔物はいないはずだけれど、スタンピードの影響でもしかするとSSランク、SSSランクの魔獣が溢れているかもしれない。もしもそうだったら、セシリアのレベルアップには大いに役立つはずだ。
【かいてき】のスキルは、この大陸に転移する前にかけ直したから、もしも、迷宮の中に瘴気が溢れているようなことがあっても大丈夫。
「あ、ありがとう、ルイ」
少し下を向いて照れているセシリア。可愛い。
とりあえず、これで準備完了だ。
■□■□
砂浜の奥に穴が開いた大きな岩がポツンと立っていた。
これが、オーゼロ迷宮の入り口だ。
ピクシー族は、アンラビフォン迷宮のように、誰かが常駐して管理しているわけではない。だから入り口も、扉すらない。
「中に入ると、まずは階段を下りる形になるから。それと、ここは洞窟型の迷宮だけど、かなり広いから距離感覚を見失わないように注意して」
「洞窟型の迷宮ね。わかったわ」
俺たちは、穴の中にゆっくりと足を踏み入れた。建物で言うと、三階分ぐらいの階段が続いているのが見える。
「ここを降りるのね」
「うん。迷宮と外を繋ぐ階段は、魔物はいないはずなんだけれど、スタンピードが何か影響しているかもしれないから気を付けて」
頷いたセシリアは、興味深そうにあたりを見渡していた。
階段は乾いているけれど、ヒカリゴケが淡い光で照らしてくれている。歩くのに困ることはない。魔物の気配は感じないし、念のため【まっぷ】で確認してみたけれど、この階段のところで映っているのは俺とセシリアだけだった。
階段を降りると……
「…………洞窟型、ってこういうことなのね」
「うん」
セシリアは、まるでどこまでも続く体育館のような光景に、しばらくの間、見入っていた。
真っすぐに伸びる道は、幅も広く高さもある。この、何も音が聞こえることがない洞窟の中に敷かれた道路は、異様な雰囲気を漂わせていた。




