【閑話】丘の上で(後編)
――何が起きた!?
平衡感覚を完全に奪われて倒れたアルバートが前を見ると、ファイヤーシープが苦し気に上を向いているのが見えた。
――何が起こった?
何かが起きたのは確かだ。
一瞬、勇者小隊の誰かの攻撃が通ったのかとも思ったが、彼らはまだ広場を渡り切っていない。というか、立ち止まってアルバートと同じように戸惑いを覚えているかのように見える。
嫌な予感が沸き上がってくる。
だが、ファイヤーシープが動かない今がチャンスだろう。
アルバートは立ち上がると【縮地】のスキルを使って、一気に迷宮の入り口を目指した。
しかし……
ドン!!
衝撃が体を襲い、再び体が地面に投げ出されてしまった。
キーンという耳鳴りが聞こえる。
横を向くと、どうやらアメデ隊長たちもアルバートと同じ考えに至ったのか、スキルを使って突っ込んだようで、並ぶように倒れている。
ふらふらとした体を気力で支えて立ち上がったアルバートが見たのは――
目の前にいるファイヤーシープが、黒い何かに包まれている姿だった。
「ま、まさか……」
隊員の誰かが唖然とした声を上げている。
――なんだ、これは?
だが、その答えをアルバートは持っていなかった。
「し、瘴気だ!」
しかし、アルバートは隊員の呟きに何が起きたのかを理解した。
――終焉のときか!
スタンピードで地上に溢れた魔物や魔獣は7日を過ぎると瘴気に変わり、その地を人が足を踏み入れることができない不毛の地、いや禁足の地へと変える。
――ということは……
このSSSランクの魔獣がこの地に現れたのは、スタンピードが関係している可能性が高い。もしかすると、気がつかないうちに、すでにアンラビフォン迷宮のスタンピードが発生していたのだろうか?
そして、今、セシリアは魔獣たちを地上に逃さないように迷宮内で戦っているのだろうか?
ある部分で正解を引き当てていたアルバートだったが、考察の時間は残されていないことは確かだった。
目の前で、ファイヤーシープの姿が霧散し始めたのだから……
「逃げろ!!」
勇者小隊の隊員たちは、一斉に迷宮街アンラビに向けて駆け出そうとした。
だが、明らかに平衡障害が現れているようで、立ち上がることすらできないでいる。
アルバートは――
這いながら、迷宮の入り口に向けて進み始めた。
――姫様!!!!
だが……
十秒も経たないうちに、霧散したことで発生したファイヤシープの瘴気が辺りを包み込む。
すでに呼吸ができない中、アルバートの意識は深く深く沈みこんでいった。
■□■□
『爺!!!!』
いとし子の声が聞こえ、アルバートの意識が朧げに浮かび始めた。
だが、すでに生者ではなく肉体からも離脱した魂は、はっきりとした認識を覚えることができない。
失われたはずの肉体は、まだ魂とつながっている部分があるのか、いとし子の手に抱かれているのがなぜか分かった。
ただ、そのいとし子の声は、アルバートの魂を激しく揺り動かしていた――――
■□■□
次にアルバートの魂が覚醒したのは、どれくらいの時間が経ったときだろうか?
それがいつなのかはもう分からない。
だが、アルバートは大きな木が生えた小高い丘の上にいることが分かった。
地面に埋められているのは小さな墓標で、その上には、アルバートがいつも身につけていたモノクルが掛けられている。
墓標の少し離れた隣には、古びた祠が並んでいる。
そして…………
墓標の前には、少年と少女が並んで祈りを捧げていた。
――姫様……
もちろん、アルバートの魂は少女がセシリアであることが分かった。少年は、セシリアと共に迷宮に潜ったルイという庭師だろう。
墓標の上に浮かぶアルバートの魂は、この場所が特別場所であることを認識していた。
死者だからこそわかるのかもしれない。
言い知れぬ聖なる気配に包まれている。
丘から見下ろしたところには、一面に魔草が植わっているのが分かる。
これだけ大規模な魔草原は、アルバートは見たことがなかったが、その神聖な気配に包まれているせいか、静寂の中で厳かな雰囲気が伝わっている。
だが、この光景で一つの確かなことが分かったアルバートの魂は安堵していた。
それは――
セシリアがアンラビフォン迷宮のスタンピードを乗り切ってくれたこと。
おそらく生前に自分が言っていた「自分にもしものことがあったら、それを嘆くのはどこか見知らぬ丘の上に設けた墓標の前だけにするのだ」という言葉を忠実に守ってくれたのだろう。
そして、今、アルバートの墓標の前に佇んでいるということは、あのスタンピードを生き残ったということだ。
魂でしかないアルバートだったが、信仰していた神に深い感謝の念を捧げた。
もうこれで思い残すことはなくなった。
『ここが……ルイが育った場所なのね』
『うん、この世界に来てから最初の数年間をここで過ごしたことになるかな』
話している内容は、少し分からない部分もあるが、どうやら、この場所はルイの故郷のようだ。
見渡す中では人家は一切見えずに、魔草原が広がっているだけだが、何かの理由があったのだろう。
おそらく少年にとって大切な場所に、自分の亡骸を埋葬してくれたことをアルバートは感謝していた。
『見渡す限りに見える草原が、魔草原なのね』
『そう。間違ってもあの中に足を踏み入れようとはしないこと』
『わ、分かっているわ』
『ははは。ちょっと言い過ぎたかも、今のセシリアのステータスなら、一定の時間は大丈夫だよ』
二人の会話を聞いている限り、確かな絆が育まれているように見える。
それはアルバートにとって、娘を思う父の心で見ればとても嬉しいことだった。
ルイのことを詳しく知るわけではないが、アルバートにも読み切れない強さを信念を持つことだけは確かだった。
『まあいいわ。ところで、この木が?』
『うん。トネリコの木。この世界にとっては世界樹としての位置づけでいいかな』
『そう。伝説にある世界樹って、これなのね』
――この木が世界樹なのか……
伝説と呼ばれる木の側で永眠できることに、アルバートの魂は誇らしさも感じていたようだ。
『それより、ルイ。ありがとう、感謝しているわ』
『えっ?』
『爺を、ルイの大切な場所に埋葬させてくれたこと。ここならきっと、爺の魂も安眠できると思うの』
『……うん、そうだね』
――ああ、これから間違いなく安眠できますぞ、姫様
アルバートの魂は笑っていた。
優し気な風が、大きな木と祠と、そして墓標の間を流れていくのを感じながら、アルバートの魂は幸せな想いに包まれて――静かに世界の中に抱かれて消えていった。




