【閑話】丘の上で(前編)
side アルバート
「なんですと! 魔獣が迷宮に?」
勇者小隊、小隊長アメデの言葉に、アルバートは目を見開いた。
「そうだ。アンラビフォン迷宮に再び魔獣が現れた」
「またバトルシープが現れたのですか?」
「違う。バトルシープではない。現れたのは――ファイヤーシープだ」
アメデの言葉にアルバートは、今度は絶句した。
もちろんアルバートは、ファイヤーシープがどのような魔獣かを知っている。
ランクはSSS。この前、現れたバトルシープよりも一つ上のランクだが、その強さはワンランクアップでは済まない。
ステータスが倍増するわけではないが、それでもSSSランクの場合、全てのステータスが10,000を越えることになる。
セシリアは勇者だが、まだステータスは10,000に達していない。
SSランクのバトルシープでも、セシリアには荷が重かった。SSSランクには手が届かない。いや、届くはずがない。
「分かりました。隊長はどうなさるおつもりですかな?」
「無論、討伐に向かう。セシリア様がいないが、それが我が小隊の務めだからな。それに、タイミングが合えば、セシリア様が迷宮から帰還されるかもしれない」
「では、私も同行させていただきましょう」
「良いのか?」
「ええ、もちろん。姫――失礼。セシリア様に付き従うのが私の役目ですからな」
「分かった。では、これからすぐに向かおうと思うが良いか?」
「私の準備は整っておりますぞ」
「よし」
そして、アルバートは勇者小隊と共にスタシーから出発した。
■□■□
「動く様子はないか?」
「ありません。迷宮前でまるで彫像のようです」
ボロボロになった迷宮街アンラビの外壁の後ろで、アメデが隊員から報告を受ける様子をアルバートは見ていた。
隊員が言うようにファイヤーバトルは、迷宮前でまるで彫像のように動かずに立っている。
だが、もちろん彫像ではない。
さっきも、休眠している可能性を考え偵察に向かった隊員が近づくと、強烈な炎を口から噴き出していたからだ。だが、それ以上の攻撃はなかった。
「どうしますかな?」
アルバートが尋ねると、アメデは少しの間、考えていた。
すでに迷宮街アンラビは壊滅している。
辺りには焦げ臭いにおいが充満している。もう少し早くここに訪れていたなら、きっと熱気で足を踏み入れられなかったかもしれない。
これはやはり、SSSランクのファイヤーシープは手に終えなかった、ということだろう。
広場には、至る所に冒険者たちの骸が転がっている。
迷宮街アンラビの中には、生存者の姿は一人も見つけることができなかった。生き残った者はすでに避難を終えたようだ。
ファイヤーシープはアルバートたちがここに来るまで、迷宮街アンラビを蹂躙しまくっていたらしい。
迷宮街アンラビを隅々まで破壊した後、山を下りるとみられていたファイヤーシープは、なぜか迷宮の前に陣取っている。その理由は分からない。
不思議なことに、ファイヤーシープ以外の魔物や魔獣は見当たらないが、魔獣同士で仲間割れでもしたのだろうか?
「とにかく、このまま待っていても埒が明かない。3名は誘導部隊として正面からファイヤーシープに向かえ。残りは右から迷宮内に向かう」
「セシリア様を地上に戻される、ということで良いのですかな」
「ああ。それしか方法はないだろう。少なくともファイヤーシープは、ここにいる誰も倒すことができないからな」
アルバートは頷いた。
無茶な作戦ではあるが、今、もっとも状況を好転させるために必要なのは、勇者であるセシリアであることは確かだったのだから。
「それにしても、この迷宮は呪われているな」
「呪われている?」
「ああ。迷宮内には、ポイズンドラゴンが現れたようだし、迷宮前にはファイヤーシープが陣取っている。そして迷宮はこれから、アルファクラスのスタンピードが待っている。それだけ異常事態が集中する話など聞いたことがない」
アルバートも、その意見には同意せざるを得ない。
――姫は、無事だろうか?
それだけが、今、アルバートの気がかりだ。不思議な庭師の少年が同行しているが、数日、音沙汰がない。異常があれば、最長一週間は潜っているという話だったが、どうもアルバートの心が騒めいている。
崩れた壁から、アルバートはそっと顔を出してファイヤーシープを見た。
その巨大な羊は、黙然とした姿で佇んでいた。
■□■□
「よし、これから作戦を開始する」
アメデの言葉に隊員たちが頷いた。
アルバートも後ろで静かに立っていた。
小隊とは別に、アルバートも迷宮に向かうことにしていた。アメデの了承ももらっている。
アルバートが向かうのは左手から。
正面が誘導部隊、右手が部隊の本体、そして左手がアルバートと、分散はこれで十分だろう。
空を見上げると、東の空が白み始めている。まもなく夜明けの時間だ。
不思議とアルバートは、セシリアと過ごしたある日の光景を思い出していた。
■□■□
「爺、夜が明けたわ!」
ブッシュに潜んで魔物を避けていたセシリアが、空を指差した。
まだ太陽が昇ったわけではないが、確かに東の空は白みを帯びていた。
索敵の訓練は、まだ成人前の少女にとって易しいものではないはずだが、セシリアは苦にした様子を一切見せていない。
「では、向かいますかな。ポイントは覚えておられますか?」
「もちろん。道を歩かない、魔物の気配を感じたら止まる、魔物の攻撃があったらすぐに逃げる、これでいいのよね?」
得意げなセシリアの表情に、思わずアルバートは笑いそうになったが、なんとか留めた。
今は訓練の最中だ。気を抜いていい場面ではない。
「よろしい。ここはせいぜいEランクの魔物しか現れませんが、油断は禁物ですぞ」
「分かっているわ」
アルバートにとって我が娘と思っている少女が自信満々に頷く姿は、不眠不休の訓練の辛さも忘れさせてくれる。
朝露に濡れたブッシュから身を起こしたアルバートは、まだ暗闇の中に星明りを受けて緑の木々が広がる光景を丘の上から見下ろしながら、先に駆け出したセシリアのあとに続いた。
■□■□
――そういえば、あのときも姫は前だったか……
そう、いつからかセシリアは、常にアルバートの前にいた。だからアルバートはセシリアをいつも追いかけている。
セシリアは今、迷宮内で戦っているだろう。
強さを十分に手にしたセシリアに、アルバートが手を貸せる範囲は今はほんの僅かになったが、それでも皆無というわけでもない。
少しの時間、記憶に埋もれていたアルバートは頭を振った。
――よし!
そして、正面と右側に分かれた勇者小隊がファイヤーシープに向かうのを見たアルバートが、左側に走り出したとき――――
空間が揺れた。
※後編に続きます。




