ヘルエスタ王国物語(96)
リヴァネルが言ったレイナという名前の女性をクレアは知っていた。
前世で自分の母親だった人だ。おそらく同一人物だろう。
強くて愛らしい。
そんな憧れをかつての自分は抱いていたわけだが、今は別人として生きている。クレアの不安は募るばかりだった。
そもそも前世の母親とどんな会話をすればいいのか分からない。
前世では貴方の子供でした、なんて未来の話をしても、相手からすれば意味不明な事を言っている頭のおかしいヤツだ。信じてもらえるわけがない。だがこんな悩みもどうせ自分の悪い癖でしかなかった。
「はぁ……」
棚の整理をしながら憂鬱に溜息を吐く。玄関のドアを叩く音が聞こえてきた。
クレアはリヴァネルが帰ってきたと思い扉を開ける。
「……───」
「……───」
前世の母親と目が合った。レイナ・ヘルエスタはきょとん顔だったが、クレアは沈黙というか、ほとんどパニック状態だった。
レイナは母親似の美しい銀色の髪と、藤色の瞳を笑わせる。
「来ちゃった」
「……き、来ちゃいましたか」
心の準備も、覚悟もないまま、クレアは出会ってしまった。
ひとまず家に招き入れ、椅子に座っていただく。
クレアは棚から香りの高い茶葉を選んでティーポットに入れた。クレアがお湯を沸かしている間、レイナは頬杖をつき、意味もなくニヤニヤしていた。
「あのー……本日はどのような用件で……」
紅茶の入ったティーカップをレイナの前に置く。そのとき緊張のせいか、皿に乗ったティーカップがカタカタと空中で揺れた。
それを見ていたレイナは、くすっ、と頬を緩ませる。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」レイナは言った。「でも、緊張するってことは私が誰なのか、ネルさんに聞いてるんでしょ?」
「えーっと……ヘルエスタ王国の王様ってことは知ってます。それ以外は何も」
クレアは質問責めにされるのが怖くて、嘘をついた。
だがそんな不自然さは、レイナにあっさり見破られてしまう。
「へぇー、嘘つくんだぁ」
レイナは意地悪く笑った。
「う、嘘なんて……そんな……」
「本当はネルさんから色んな話を聞いてるんでしょ? 私が赤ん坊だった頃の話とか。夜におしっこを漏らした話とか。恥ずかしい話をいっぱい」
「それは初めて知りました」
「ふふん。素直でよろしい。……そろそろネルさんも帰ってくるみたいだし、二人で出迎えましょうか」
立ち上がったレイナについて行き、クレアは家の外に出た。レイナは思いっ切り背伸びをすると、ここ一ヶ月の話をクレアに聞かせた。まるで娘に、自分の絵本を読み聞かせる母親みたいに。
そうやって玄関の前で待っていると、リヴァネルが森の中から現れた。
レイナは右手を大きく振って、リヴァネルを迎える。
「おばさぁーん、サプライズだよ。驚いた? ねえ、驚いた??」
「驚いた。でも、おばさん呼びはやめて」
「じゃあ、お義母さんって呼ぶことになりますけど?」
「そっちの方がまだマシかしら」
楽しそうに話す二人を見ていたクレアは、二人が本当の親子のように思えた。再会の挨拶が終わって、クレアも二人の会話に混ざるようになった。
やがて夜になる。
リヴァネルの手料理が並べられた食卓に、酒が回り始めた頃。
「私にはお母さんが三人もいるんだよ!」
「……───」
複雑な家庭環境を安易に想像させるレイナの発言にクレアは困惑する。それを訂正したのはリヴァネルだった。
「正確には、リアが産んで、よるが育てて、私が引き取ったの」
「たらい回しにされたの。ひどいでしょ? ぐすん」
レイナはお酒で真っ赤になった顔に涙を落として、次の瞬間には笑っていた。前世の母親にこんな一面があったことにクレアは驚く。いつも城で見ていた彼女の背中はとても偉大で、遠いような気がしていたから。
「でも、どうしてそんな事に? リアさんはどこに行ったんですか?」
何気ない質問だった。
しかし、空気が悪くなるのをクレアは肌で感じ取った。さっきまで意気揚々と話をしていたレイナでさえ、黙ってリヴァネルを見つめている。
しばらくして、リヴァネルが言った。
「リアはね、もうこの世にはいないの」
「え?」
「死んだのよ。殺されたの。レオス・ヴィンセントにね」
その男の名前をクレアは覚えていた。
「レオス・ヴィンセントって、昔リヴァネルさんと一緒に街で見かけた……」
「よく覚えてたわね。七百年も経ってるのに」リヴァネルが笑う。「でも、本当のことよ。リアもヘルエスタ王国もレオス・ヴィンセントに滅ぼされたの。他にもたくさんの国がその男のせいで滅んだわ」
話しを聞いたクレアはやるせない気持ちでリヴァネルを見た。それから質問しようとしたが、慌てて口を閉じる。
リヴァネルの表情が、苦悶に歪んでいたからだ。
「タイミングが悪かったのよ」
続ける。
「ウル・モアを封印したあと、私とリアはウル・モアの被害にあった国を周ったの」
「よるさんは一緒じゃなかったんですか?」
「彼女は獄王と無茶な取引をしたせいで、もう地獄から出られないのよ。だから、リアと私の二人っきりの旅だったわ」
リヴァネルは空になっていたコップに酒をそそいだ。
一気に飲み干す。
そうしないと話の続きが出できない、とでも言うように。
「タイミングが悪かったっていうのは……」
リヴァネルが酒を飲み終わったのを見計らって、クレアは聞いた。
「リアが子供を産んで疲れてたっていうのもあるけど、主な原因はウル・モアとの戦いで負った傷ね。かなり無理をしていたはずだから。旅も……モアの王冠を持っていなかったら続けられないくらいだったのよ」
「そんなに……」
クレアは横目でレイナの様子を窺った。彼女は母親譲りのエルフ耳を立てて、話の続きを待っている。そこでクレアはおかしな点に気づいた。
「あれ? ちょっと待ってください。リヴァネルさん、さっきヘルエスタ王国は滅んだって言いましたよね?」
「言ったけど……変だった?」
「いえ……じゃあ、レイナさんがいるヘルエスタ王国っていうのは何処なのかな、と」
リヴァネルとレイナは顔を見合わせた。
「クレア、少し待ってて」
「はい」
クレアは頷いた。二人は立ち上がって後ろ向きで何やらコソコソと話だした。
その様子を見ていたクレアは、自分が間違ったことを聞いてしまったのではないかと不安になる。
二人が戻ってきた。
リヴァネルは困ったように笑って、
「えーっとね、今のヘルエスタ王国がある場所は、私が七百年前に住んでいた国なの。クレアなら覚えてるでしょ?」
「リヴァネルさんと最初に出会った国ですよね。もちろん、覚えてます」
同時に。
ウル・モアと一緒にクレアが封印された場所でもあった。
「え? もしかして……」
「せいーかぁーい!」
クレアの横に座ったレイナが、肩を組んで答える。
「私のヘルエスタ王国はましゃに! その場所に新生したのでした!!!!」
国の誕生から今に至るまで、クレアはリヴァネルから話を聞いた。
レイナは酔いが回っていたせいもあり、今はクレアが使っていたベッドに倒れ、気持ち良さそうに眠っている。だからクレアは、ヘルエスタ王国の初代国王であるリヴァネルから直々に話を聞くことができた。
「初代国王といっても、私がヘルエスタ王国の為に何をしたって訳じゃないの。各地から人を連れて来たのはレイナだし、私は場所を提供しただけ」
「本当に……良かったんですか?」
「私も初めは反対したわ。なにせ、ウル・モアが封印されてる場所だからね」
でも、とリヴァネルは続ける。
「レイナはそれを承知であの場所にヘルエスタ王国を作ったの」
「どうして……」
「さあ? もしかしたらリアの仇を取ろうとか考えてるのかもしれないけど……私には分からない話ね」
「……───」
クレアは言いかけて、口を閉じた。
しかし、よくよく考えてみれば、自分がこの場所でリヴァネルやレイナと話をしている時点で質問の答えは決まっているようなものだった。
その問題を口にする勇気がクレアに無かっただけで───。
「大丈夫よ。私がなんとかするから」
責めるような言い方ではなく、糸を解くように優しく、リヴァネルは言った。
「え?」
「貴方が気にする事じゃないって言ってるの。だから、自分を責めないで。クレアは十分すぎるほど、よく頑張ったんだから」
リヴァネルに抱き締められ、クレアも戸惑いと安心を彼女の背に回す。
「今日は一緒に寝ましょうか」
リヴァネルから言われて、クレアは自分の使っていたベッドに振り返った。レイナは相変わらず起きる様子もなく、キレイな口からむにゃむにゃと涎を垂らして眠っている。ソファで寝てもいいかな、と考えたがリヴァネルがその提案を断った。
「じゃあ、お願いします」
クレアがそう返事をすれば、リヴァネルはほっと息をついた。どういう理屈か、魔法なのか、彼女の吐く息には酒のニオイが混ざっていなかった。
「あれ? リヴァネルさん、お酒飲んでましたよね?」
その質問を受けて、リヴァネルは魔法陣から水色の瓶を取り出した。
「お酒を飲む前にこれを飲んでおいたの」
「……それは」
「私が作った、アルコールを分解する魔法薬よ。昔、リアは酒癖が悪いって言ったでしょ。それと同じでレイナも酒癖が悪いの。だから彼女たちと飲むときはこの薬が欠かせないってわけ」
「変なところが似ちゃったんですね」
リヴァネルは過去を懐かしむように笑った。
「クレアはお酒を飲んでないから別にいらないでしょ?」
「気持ちは未成年ですから」
「ふふっ。クレアってば、まだまだ若いのね。私も見習わなくちゃ」
「リヴァネルさんも若いじゃないですか」
「見た目だけはね。心はすっかり……こいうのが良くないのかしら」
笑い合う。
そしてレイナを起こさないように部屋を出た二人は、一緒のベッドで眠った。
───翌日。朝になって。
「レイナ、ちゃんとクレアの面倒を見るのよ?」
「もちろんです。娘さんの事はお任せください!」
冗談を言って笑うレイナの横で、クレアは重い荷物を持ったまま首を傾げた。
今のクレアの体を作ったのは確かにリヴァネルだ。色々な事実を並べていけばクレアはリヴァネルの娘だと言えなくもない。
うーん、と。
考えに考え抜いたあげく、クレアも悪ノリすることにした。
「いってきます、お母様」
リヴァネルは一度肩を落とし、それから微笑む。
「そんな冗談を言う子に育てた覚えはありません」
別れの挨拶が済むと、リヴァネルから家の前に並んで立つよう言われた。クレアはレイナの隣に立ち、そしてリヴァネルは持っていた杖を軽く振った。紅色の魔法陣が二人を囲うように描かれる。
「私もたまには様子を見に行くから。クレア、それまでちゃんと元気にしてるのよ?」
お母さん口調でリヴァネルは言った。
「それと毎日運動すること。いくら体が思い通りに動かせるようになったとはいえ、まだまだ本調子じゃないんだから、無理は禁物。問題が起こったらレイナを通じて私に連絡してちょうだい。分かった?」
その発言を聞いたクレアは思わず笑ってしまった。
「なに? 私、変なこと言った?」
「いえ、なんだか本当にお母さんみたいだなって」
「……楽しんできて、クレア」
リヴァネルがもう一度杖を振ると、紅色の魔法陣はよりいっそう光を増した。
「レイナ、王城じゃなくていいのね?」
「ええ。彼女に今のヘルエスタ王国を見せてあげたいから」
「そう」
短い会話が終わる。
瞬間、光に包まれた。地面から一瞬足が離れたような感覚があって、次にクレアが瞼を上げたときには、すでに別の場所に立っていた。
「見える? アレが私の国。ヘルエスタ王国よ」
レイナに指を差されるまでもなく、クレアの視線はその方角に向いていた。
まだ城壁に囲まれていない未完成の国は、前世の自分が知っているよりもずっと解放感あって、防御面でとても頼りない。
だがクレアは、心の底から懐かしいと思った。
ようやく、自分の知っているヘルエスタ王国に帰ってきたのだ、と。
「良い国ですね」
ぽつり、とクレアは呟いた。
瞬きもせず、ただ目の前の王国をずっと眺めていたかった。
「それじゃあ、行きましょうか」
「そう、ですね……」
レイナの声で我に返る。
そしてクレアは、前を歩くレイナの背中を追いかけた。
───リゼ・ヘルエスタ誕生まで、あと三百年。




