ヘルエスタ王国物語(95)
『再会』
リヴァネル・スカーレットから向けられる眼差しには、安心と謝罪の気持ちが込められていた。
一方のクレアは、上手く動かせない体に四苦八苦しながら、成長したリヴァネルの姿を見て驚いてしまう。昔の彼女は少しとげとげしい印象だったが、今の彼女からは垢抜けた大人の魅力を感じる。
お婆ちゃんになりましたね、という意味ではなく───なんならリヴァネルは昔と変わらず美しい姿のままだ。胸の辺りはちょっと控えめだけど───雰囲気というか、纏っているオーラが以前とはまるで違う。
彼女と旅をしたクレアでさえ、一瞬、名前を呼ぶのを躊躇ってしまうほどだ。
「声は出せる?」
リヴァネルの優しい声音に反応して、クレアは口をパクパクと動かす。
「ごめんなさい、まだ少し調整が甘かったみたい。ちょっと待ってね……」
リヴァネルはそう言って立ち上がると、クレアの首にそっと触れた。小さな魔法陣がいくつも浮かび、クレアの喉を丸ごと創り変える。
やがて違和感が消えた。
「もう一度、声を出してみて。今度は大丈夫なはずだから」
クレアは首に手を当て、声の具合を確かめる。
「……あ」
赤ん坊が初めて言葉を発したみたいな、か細い声が出た。
しかし、たったそれだけの事なのに涙が出るほど嬉しい。見えない悪夢からようやく解放されたような、堪えようのない安心感が胸の内から溢れてくる。
「リヴァ……ネ、ル……さん……」
名前を呼ばれたリヴァネルは少し意外そうな表情を浮かべた。が、すぐに微笑み、返事を待っているであろうクレアに声を投げる。
「私のこと覚えててくれたのね。他に違和感のある場所はない?」
「体が少し。上手に……動かせ、ません」
リヴァネルは「ふふっ」と上品に笑って、
「それは馴染むまで時間が掛かるから、リハビリ頑張らないとね」
クレアをベッドまで運んだリヴァネルは、寝息を立てるクレアの額に手を当てた。
これからの計画の為にリヴァネルは封印式の向こう側がどうなっているのか知る必要があったからだ。
魔法を使ってクレアの記憶を覗き見る。
クレアがウル・モアと共に封印されていた七百年の記憶を───。
「───ッ!?」
魂に刻まれた記録が濁流となって、リヴァネルの頭に流れ込んでくる。
だが、その中に欲しい情報はあまりない。最初に見えた自然の景色だけが、リヴァネルの求めていた情報だった。
あとは痛みだけが続いていた。
七百年間ずっと。死んで生き返って、ただ痛いだけだった。
「ごめんなさいね……クレア。……ごめんなさい」
口を突いて謝罪の言葉が静かな部屋に溶けた。クレアがこれだけ頑張ってくれていたのに、自分たちは彼女を助けることが出来なかった。
今ここで眠っているクレアは、リヴァネルが魔法で助けた訳じゃない。
モアの王冠を使って、見た通りの未来になっただけだ。
それは未来でウル・モアの復活が決まっているのと同じであり、運命に沿って歴史を繰り返し演じるだけの木偶人形と変わらない。
「……───」
フクロウの声が聞こえて、リヴァネルは家の外に出る。
玄関前に飾り付けられた止まり木に、連絡用の白いフクロウが羽を休めてリヴァネルが来るのを待っていた。
フクロウの頭を撫でると、その体は途端に弾けて金の糸に変わった。空中に編み上げられた文字列に目を通す。メッセージはヘルエスタ王国にいるレイナ・ヘルエスタからの定期連絡であり、以前変わりないという報告だった。
読み終えたリヴァネルは、金の文字を再びフクロウに再構築し、メッセージを込めてレイナのいる王城に飛ばす。
見上げた空には、無限に続く、星の川が流れていた。
クレアのリハビリは一週間ほど続いた。
最初は歩くだけでもギシギシと骨を軋ませていた体は、今では何の苦労もなく動かすことが出来るようになった。
しかし、それでもまだ万全とは言えない。
最終的に走ることを目標にしてはいるものの、すぐに息が上がって、クレアの体は糸が切れたみたいに動かなくなる。
クレアはその度に、リヴァネルと一緒になって笑った。
「無理は禁物よ。時間をかけてゆっくり慣らしていきましょう」
「えへへ、すみません」
リヴァネルの使う魔法の風に攫われて、クレアは日の当たらない木陰に移動した。
緑の葉っぱが揺れる木にもたれる。あとから来たリヴァネルは、手に小さな籠を持ってクレアの隣に座った。
籠の中身は、リヴァネルの作ったサンドイッチだった。
「こうしていると三人で旅をしたのを思い出します」
サンドイッチをひと口食べたクレアが笑顔で伝えると、リヴァネルは困った顔でクレアを見つめた。
「……そうね。懐かしいわね」
気持ちのいい風が二人の間を通り過ぎる。
クレアはその風に感謝した。
「リヴァネルさん」とクレアが言った。「わたしが封印されたあと、世界はどうなったんですか?」
リヴァネルは沈黙する。話すべきか思案しているようだった。
クレアも今日まで遠回しにその事を聞いてきたが、リヴァネルは頑なにその話題を広げようとはしなかった。焦らされてきたクレアとしては、自分がウル・モアと封印された後の世界を知りたかった。
それが良い方向に進んだのか、悪い方に進んだのか。
どちらでもいいから彼女に答えて欲しい。だがリヴァネルはまるで、誰も幸せになっていませんよ、とでも言いたげにクレアから顔を逸らした。
「……リヴァネルさん」
「ごめんなさい。まだ話すべきか悩んでるの。だって、クレアがあんなに頑張ってくれたのに、私たちは何も出来なかったんだから」
リヴァネルは時間をかけて、ゆっくり息を吐き出した。
「もしも、クレア……貴方が封印されてからどれくらいの時間が経ってると思う?」
「えーっと……」
今のクレアの体はリヴァネルが錬金術で作ったものだ。
自分の肌感覚で予想するのは難しい。だからリヴァネルの変化と合わせて、クレアは漠然と予想してみる。
「多分、五十年くらいでしょうか?」
「七百年よ」
「……───」
驚いた。
間違っていると思った。
「そ、それならリヴァネルさんが……七百歳のお婆ちゃんという事に……」
口に出してみて「え?」というシンプルな疑問。
クレアは七百年も死に続けたことよりも、リヴァネルの若さに驚いた。
いくら魔法で若さを誤魔化せるといっても、七百年も変わらず、美しい姿のままで生き続けられるものだろうか。魔法とはそこまで出来てしまうのか。クレアの思考はあっちこっちに飛び回り、辻褄を合わせようとした。
結局、答えは出なかった。
魔法って便利なんだろうな、と浅い結論に至ってしまう。
「歳は重ねたけど、まだまだキレイでしょ?」
ふふん、と鼻を鳴らしてリヴァネルが笑う。
朝日に触れた紅い髪が、生きた宝石のように輝いていた。
「本当に……びっくりするくらい……」
「まあ、ズルはしてるんだけどね」
「ズルですか?」
首を傾げてクレアは聞いた。返事はすぐだった。
「モアの王冠を使ったの。……どうしても、死ねない理由があったから」
リヴァネルは顔を落とした。魔女のとんがり帽子に隠れた表情は読み取れないが、隙間から見えた口元は自虐的に笑っている。
「モアの王冠……は、今もリヴァネルさんが持ってるんですね」
「持ってないわよ」
「はえ?」
バカっぽい声が出る。
リヴァネルは堪えきれず、小さく笑った。
「今はリアの娘が持ってるの。継承したって言い方が正しいかな」
「……リアの娘」
新しい情報に殴られ、クレアの思考は停止する。
そして世界を一周した脳みそは、自分が封印されてから七百年も経っていることを改めて思い出した。
「そ、そうですよね。七百年も経ってるんだから、皆さん結婚して、子供もいて当たり前ですよね。……あはは」
愛想笑いで返して、なるほど、とクレアはようやくリヴァネルが大人になった理由を悟った。彼女は結婚して子供がいるから余裕のある大人に見えているのだ。今は子供も一人立ちして、平和な世界を満喫している最中なのだろう。
「一応言っておくけど」
リヴァネルが言った。
「私は結婚してないから。今はまだ子供もいない」
「七百年間?」
「そうよ」リヴァネルは頷いた。「結婚して子供が産まれたのはリアとよるだけね」
「その間、リヴァネルさんは何をしてたんですか?」
「研究よ。魔法と錬金術のね」
「そういえば錬金術でこの体を作ったって、リヴァネルさん言ってましたよね」
サンドイッチを食べ終えたクレアは、リヴァネルと一緒にストレッチを始めた。
足の裏から感覚を確かめていき、熱を持った背中をほぐしていく。首、肩の辺りで辛い物を食べたあとのような、ピリッとした痛みがクレアを襲った。
「痛かった?」
「少しだけ。でも、大丈夫です」
「大丈夫じゃないでしょ」
我慢したのがバレた。クレアとしては彼女に心配をかけないよう無意識にそういう発言をしたのだが、リヴァネルはその事を責めなかった。
リヴァネルはクレアの首に手を当て、痛みのあった場所を探っていく。
「ここは……痛くない?」
「はい。痛かったのはもう少し下……首の付け根のあたり……そこです」
じんわりと温かい手が、痛みのあった箇所に触れる。
それだけで痛みが引いていくような気がした。
「球体関節はズレてない。他の部分も正常に機能してる。これは多分、筋肉痛かな」
「き、筋肉痛ってこんなに痛いんですか? ハンマーで後頭部を殴られたみたいなんですけど……」
心配になって、痛かったことを素直に告白するクレア。
リヴァネルは意地悪く笑い、怯えているクレアの背中を優しく叩いた。
「クレア人間の体じゃないから、遅れて痛みがきたんでしょうね。ある意味、筋肉がついてる証拠だから。これは自然の摂理だと思って我慢して」
「そんなぁ……」
弱音を吐きながらクレアは頭に昇ってくる痛みに耐える。
昼になる頃にはもう全身が筋肉痛になっていた。ストレッチが終わったあとはリヴァネルと一緒に森に入って、キノコを取りに行く予定だったのだが、今はベッドの上から動く勇気もない。
「あ、リヴァネルさん。おかえりなさい」
「ただいま。今日は良いものがたくさん取れたからラッキーだったわね」
ご機嫌に、リヴァネルは手に持った籠の中身をクレアに見せた。サンドイッチの籠には色とりどりのキノコが入っている。
いかにも毒キノコでしょ、みたいな見た目のもあった。
「なんか……人の顔みたいな模様のキノコがありますけど……」
「見た目はアレだけど、食べてみたら美味しいのよ。一応、生でも食べれるけど」
食べたい? とリヴァネルは聞いてきたが、クレアはその申し出を控えめに首を振って必死に断った。
「正直、全身痛すぎて食欲が湧きません」
「私の見立てでは、明日の朝までは動けないでしょうね」
「今夜が峠……ですかね」
空笑いを浮かべるクレアの頭に、リヴァネルはそっと手を置いた。
「物騒なこと言わないの。リハビリが終わったらレイナにも会わせるって、伝えちゃったんだから」
「レイナ……レイナって」
「リアの娘よ。今は……ヘルエスタ王国で王様をやってるわ」
そして頭痛は息を吐くように、突然やってきた。
「あ、ぐ……ぅ」
頭を抱える。
痛みが限界にきたクレアの体は痙攣をはじめた。
「クレア!!!」
枕元に座っていたリヴァネルは立ち上がる。急いでクレアの容体を確認するも、問題のある箇所は見受けられない。だからこそリヴァネルは、問題の原因が自身の触れる事の出来ない、クレアの魂の部分にあるのだと察した。
出来る事があるとすれば、クレアが感じている痛みをほんの少し和らげるぐらい。
「───ッ!!?」
変化が起こった。
確かにクレアの体には問題がない。そのはずだ。毎晩コツコツ確認してきた。だがここにきて、クレアの体はリヴァネルの作った人形の素体を、より自分らしく、より女性的に作り変えられていく。
ようやく痛みが引いて、
「リヴァネルさん、わたし……」
クレアは汗ばんだ腕をリヴァネルに伸ばす。
そしてリヴァネルの手を握るとすぐに意識を失った。一方でリヴァネルはただ、目の前で起こった光景に息を飲んだ。
「……───」
球体関節だった部分は人の肌に覆われ、人体の関節と比べても何ら遜色ない。服を脱がせて隅々まで調べてみたが、結果は同じだった。
まさに完璧。
ベッドの上には、リヴァネルが理想とする完璧な肉体が再構築されていた。
「どういう事……以前はこんな……」
そう呟きつつ、リヴァネルの頭には答えが浮かんでいた。
これは奇跡だ。そして奇跡を意図的に起こせる道具をリヴァネルは知っている。
「まさか……クレアに向かって誰かがモアの王冠を使ったの?」
でも、誰が?
ウィスティリアじゃない。彼女はすでにこの世を旅立っている。ウィスティリアからモアの王冠を受け取ったチャイカも行方不明。
あとはレイナ・ヘルエスタだが、その可能性は低いだろう。
「考えても沼に落ちるだけね」
だが、これだけは言える。
リヴァネルは運命に捕まった、痛々しい少女を見つめた。
「誰だか知らないけど、この子をまだ……戦わせるつもりなの……」




