ヘルエスタ王国物語(111)
リゼ・ヘルエスタ、十五歳。
西の教会、応接室だった。
扉を叩く音が聞こえ、クレアが返事をすると、神父服を着た三つ編みの好青年がクレアのいる応接室に入ってくる。
「緑仙さん、お久しぶりです」
「久しぶり……といっても、三日ぶりだけどね」
名前を呼ばれた緑仙は、軽く手を振って挨拶をしたあと、応接室に置かれているソファに腰を下ろした。その横顔は凛としていて、とてもカネシロファミリーを仕切っているボスには見えない。
「急に呼び出したのに……来てくれてありがとう」
「気にしないでください。それで? どうしたんですか?」
クレアとカネシロファミリーの繋がりは、三百年前のアルバーン・ノックスの宣言から今日までずっと続いている。
そして現在も、カネシロファミリーは王城のメンバーには属していない。
彼らはあくまでも、教会側のメンバーとして活動してくれていた。
「うん……」
と、緑仙は神妙な面持ちで頷いた。
「僕の方でも、えるについて、ちょっと調べてみたんだ」
「それは……」
クレアは三日前、緑仙にえるの事を相談していた。
というのも、最近のえるの行動に違和感があったからだ。
以前よりも目立たなくなったともいえるが、ここ数日クレアは、彼女が他の誰かと一緒に仕事をしている姿をクレアは見ていない。
……彼女はずっとひとりだった。
しかし、違和感を持ったからといって、クレアは調査のお願いをしていない。おそらく緑仙は個人で、えるの行動を探っていたのだろう。
「収穫は……ありましたか」
「なーんにも」
緑仙はあっけからんとした様子で言った。
「最初から何も企んでいないのか、それとも警戒心が強いのか。今のところハッキリとした答えは出せないかな」
「そうですか。……調査をしたファミリーの皆さんは大丈夫でしたか?」
ああ、と緑仙はクレアに笑顔を向けて、
「大丈夫、クレアが心配するような事は起きてないよ。むしろ、誰もケガをしなかったことに僕は驚いてる」
そう口にした緑仙の表情は、また厳しいものに変わった。
「……実は今回、えるを挑発してみたんだ。向こうも自分が怪しまれている事には気づいているだろうし、それに彼女のミスを誘発させられるかなと思って」
「危ないですね……」
「でも、全然ダメだった。挑発に乗ってくるどころか、鼻で笑われてる気分だったよ」
おどけるように笑う緑仙を見て、クレアはほっと胸に手を置いた。
「ひとまず、皆さんに何もなくて良かったです」
「僕がクレアに伝えたかったのはそれだけ。えるに追及されても答えれるようにしておきたくて。……クレアの方はどう? 何かあった?」
「そうですね……」クレアは少し考えて。「リゼ様が最近、加賀美さんたちと遊んでもらえなくてちょっと拗ねてました。今日ここに来る前も、アンジュさんと戍亥さんが必死にリゼ様を慰めてるのを見ましたね」
「あはは、そっちの方が大変そうだ。まあ、加賀美くんは忙しいから仕方ないような気もするけど……仕事が終わったあとでリゼ様と遊ぶのかな?」
五年前と比べて、加賀美の仕事量は二日に一回は徹夜しなくてもいいくらいには減っている。だが、いくら減ってきたとはいえ、加賀美は朝起きてから深夜までずっと働き続けていた。
休みの日もあるにはあるのだが、それも三か月に一回程度の割合だろう。
実際にはもっと少ないかもしれない。
「わたしは、加賀美さんに休んでほしいんですけど……」
「少なくともクレアには甘えてるみたいだし、都合のいい時間に教会で休ませてあげればいいんじゃない?」
クレアは思わず苦笑いを浮かべた。
「以前にもそう提案した事があるんですけど……」
「え? まさか断られたの?」
困惑した表情でそう尋ねる緑仙にクレアは頷いた。
「はい。『リゼ様との先約がある』と言われてしまって。加賀美さんは新しいおもちゃを持ってリゼ様のところに行っちゃいました」
「物好きというか、お人好しというか。加賀美さんには長生きしてほしいね」
「本当に……」
「直近の話題といえば、南の方で起こった爆発でしょうか」
「確か、騎士団が調査に向かったんだよね?」
緑仙の耳の早さに驚きつつ、クレアは言う。
「今朝、何か大きな力がぶつかったとレイナさんは言っていました。それで騎士団が動く事になったんです」
「なるほど……」
緑仙は呟いて、
「それって、僕たちも調査に行った方がいいのかな?」
判断を仰ぐ緑仙の視線に、クレアは首を振って答える。
「そこまで急ぐような事でもないと思います。爆発があったといってもヘルエスタ王国に被害が及ぶようなものではないですし。緑仙さんは引き続き、ヘルエスタ王国の内部調査をお願いします」
「……分かった。今回は僕たちの出番じゃなさそうだね」
緑仙は持ち前の勘の良さでこちらの事情を察したのだろう。
気にはなっている様子だが、それでも追及はしてこない。
「すみません……」
「別に謝るような事じゃないって。これは僕のお節介なんだからさ」
緑仙からの微笑みを、クレアは申し訳ない気持ちで受け取った。
この問題はレイナの招集で、える、クレア、フレン───この三名が王の間に集められた。
しかし、それはあくまでも形だけだ。
レイナは南の問題を最初からフレンに任せるつもりだった。そして他二人───えるとクレアには、この問題には関わらないよう釘を刺したのである。
フレンが戻ったあと情報を共有するという話だったが、南の問題について、クレアは何もすることが出来ない。
緑仙が個人で調査しようにも、貴族街はヘルエスタ王国の警備隊が固めている。
カネシロファミリーが動けば、それはすぐに王城に伝わるだろう。
そこまで考えたところで、クレアが座っているすぐ後ろの窓ガラスを長髪の男───長尾景が叩いた。
「報告します!」
クレアが窓を開けると、長尾は慌てた様子で言う。
「王城で問題発生……それと、セラフが俺たちを裏切りました!」
───王の間。
クレアが王城に戻ったのは、すべてが終わる直前だった。
「あらあら、クレアさん。随分と早いおかえりですね」
「……───」
えるの言葉など耳に入らない。
今、クレアの頭の中は、目の前の状況を整理することに精一杯だった。
自分を含めた王の間には、える、戍亥、リゼ。そしてそのリゼと向かあうように玉座に座っているレイナの五名がいる。
しかし、それだけの人数がいて王の間には賑やかさはない。
眠たくなるような沈黙だけがこの場を支配していた。
クレアの視線は自ずと、リゼの横に立っている、えるに向けられる。
「もうすぐですよ」
「何を……」
クレアの呟きを無視して、えるは玉座で見つめ合っている二人に近づいた。
「それではレイナ様、最後に言い残すことはありますか?」
「貴方に言うことは……とくにないわね」
「そうですか、残念です」
えるは笑顔で続ける。
「それではリゼ様、レイナ様を殺してください」
「───ぇ?」
本当に小さな疑問。
だが、その疑問の答えを知るまで、さほど時間は掛からなかった。
リゼの体が……レイナに向かって倒れる。
レイナは倒れてくるリゼを……両腕で抱き締める。
リゼの体をレイナが抱き締めた瞬間……戍亥はその場に力なく崩れ落ちた。
それだけ。
クレアに理解できたのは、それだけだった。
青い花たちが鮮やかに光る道を作っている。
そんな花のにおいが混ざる温室で、えるとクレアは向かい合っていた。一定の距離を保ちつつ、そして言葉を探しつつ、どちらが先に感情を剥き出しにするかの我慢比べは花の温室に静寂を落としている。
その勝負は、明らかにクレアが不利だった。
クレアは今、自分の中に生まれた新しい感情に困惑している。
だが、心の内側から噴き上がってくるその感情には正当性があった。例え、思い浮かべた行動を実行に移しても、誰も自分を責めないだろう。
いや、誰に責められたとしても、この胸にある気持ちを晴らせるのなら、それでいいとさえ思える。
だから『私』は、今すぐにでも───えるを、コロシタイ。
飛びかかり、えるの白い首を締め上げてしまいたい。
「───ッ」
しかし、出来ない。
自分と彼女の実力差くらい、クレアは知っている。
無策で彼女に挑んでも返り討ちにあうだけだ。
クレアは冷静に、実現不可能な夢を噛み潰す。
「慰めてもらうために、えるに会いに来たんですか?」
「……───」
えるからの不意の質問に、クレアは息をして、上手く答えられなかった。
何度も口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返し、ようやく呼吸が落ち着いてくるとクレアは悔しさに声を震わせた。
「違います」
小さな呟きが、えるを否定する。
「では、えるを殺しに来ましたか?」
「───ッ!」
今度は否定できなかった。
「やめておいた方がいいですよ。クレアさんでは、えるの相手になりませんから。それともカネシロファミリーの皆さんに助けてもらいますか? そうすれば、えるに手傷のひとつくらいは付けられるかもしれませんよ」
クレアはまた、息を吐いた。
体に溜まった熱を逃がすために───。
そして、
「どうして……レイナさんを、リゼ様の家族を殺したんですか」
精一杯、クレアは問いかける。
感情を表に出さないよう努めたつもりだったが、感情は正直に、クレアの表情を苦痛に歪ませていく。しかし、仕方のない事だった。えるはリゼ・ヘルエスタを使って、リゼの家族を皆殺しにしたのだ。
クレアにとってそれは、自分の家族を殺されたのと変わらない。
リゼに、家族を殺させた理由。
そこにどんな意義を並べられても、クレアは絶対に許すつもりなどない。
「寿命ですよ」
「……───」
えるからの予想外の返答に、クレアの思考は停止する。
「よく……聞こえませんでした」
「だから、寿命だと言ったんです。えるに同じことを二度言わせないでください」
呆れたように言って、えるは続ける。
「人間とエルフの血が混ざったハーフエルフ。そんな人たちがエルフと同じ寿命を持っているわけがないでしょう?」
「理由が……寿命?」
ほうけた顔でクレアは呟く。
「嘘です。だって、レイナさんはずっと元気で───」
「ハーフエルフとは、エルフから一部の特徴を継承した者たちのことを言います。そしてその特徴は、ある一定の年齢を過ぎると彼らの見た目は変化しなくなり、内側だけが老いていくというものです。ここまで教えれば想像できるでしょう?」
えるは屈んで花を愛でる。
あまりにも美しいその動作に、クレアは思わず見惚れてしまった。
「えるがヘルエスタ王国に来て三百年、えるの知らない年月を含めればもっと早くにレイナ様は寿命を迎えていたでしょう」
「……───」
理解が追いつかない。
えるは一体何を言っているのだろう。
「本来、ハーフエルフの寿命は三百から四百前後が一般的と言われています。レイナ様はそれよりも遥かに長く生きたわけですから、間違いなく、世界で一番長く生きたハーフエルフですよ」
「でも───」
と、クレアは言葉を続ける。
抵抗するように。
「でもそれは、リゼ様に家族を殺させた理由にはなりません。貴方はどうして……レイナさんを殺したんですか。ちゃんと答えてください!」
「前置きも分からないんですか?」
えるはそう言い捨て、全身から殺意を漲らせる。
睨みつけられたクレアは恐怖で一歩引いてしまった。
「ひとつ、昔話をしてあげましょう。旧ヘルエスタ王国が滅んだ後の話です」
「……───」
「かつて、ヘルエスタ王国があった場所には新しく、クソ人間共の国ができました。そこで行われていたのは世界に生きる異種族たちを材料に使った実験です。クレアさんは実験と聞いてどんなものを思い浮かべますか?」
えるの氷の上に笑顔を描いたような、形だけの表情を見ながらクレアは答える。
「薬を混ぜたり、新しいものを作ったり……そんなイメージです」
「間違ってはいませんね」えるは続けて。「何も知らないクレアさんに良いものを見せてあげますよ。ほら───」
そしてクレアは絶句する。
めくり上げられた服の下、えるの胴体にあるへその下、何かを抉り取った痕のようなものが残っていた。その傷は中心に向かって渦を巻いている。
「酷い傷でしょ? これ、子宮を抜いた痕なんですよ」
「……そんな、誰に」
「ああ、同情しなくてもいいですよ。この傷は、えるが自分で付けたんです」
「自分で……?」
「はい」
えるは答えて、白い指先で傷跡をなぞる。
そうやって傷痕に触れている間、彼女は頬を赤らめ、幸せそうに微笑んでいた。
「どうして……」
「クソ人間に犯されないためです。言い換えれば、ハーフエルフを産まないためとも言えますね。かなり痛かったですけど……苦労したかいあって、えるはクソ人間共に犯されずにすみました」
返す言葉もなく、クレアは呆然とえるの顔を眺めた。
遠い、遠い、絵画のような美しいエルフ。傷痕の向こうには、今のクレアが抱いている感情と同じもので満たされている。
クレアは、自分の中にあった感情が急激に冷えていくのを感じた。
「一体……何があったんですか……」
震える声で尋ねる。
めくっていた服を元に戻し、えるは懐かしむように言う。
「える以外にも、エデン共和国にはたくさんのエルフが捕らえられていました。その主な役割は二つ。実験材料とハーフエルフを産むというものです」
クレアは話を聞きながら、ライラとシェリンの事を思い出していた。
当時はなんとも思わなかったが、今更になって、旧ヘルエスタ王国に向かったはずの彼女たちがエデン共和国の遺物を持ち帰ってきたのか疑問に思う。レイナも最初からエデン共和国のことを知っているみたいだった。
しかし、クレアの抱いた疑問は、続くえるの言葉によって吹き飛ばされる。
「実験材料にも限りはありますからね。彼らはハーフエルフを使って材料をかさ増ししようと考えたんです。実際、ハーフエルフの子供十人で、エルフと同じ品質の材料になりましたから。クソ人間にとっては大成功と言えるでしょう」
「そんな……そんな事って……」
命を何とも思わない鬼畜の所業に、クレアはゾッとした。
「まあ、えるも同族が弄ばれているのを黙って見ている事などできないわけで。……ですので、エデン共和国にいるクソ人間共を皆殺しにました。聖樹様の力も借りましたが、えるはその事を後悔していません」
「エデン共和国にいたエルフの皆さんは……どうなったんですか」
「殺しましたよ。エルフもハーフエルフも、何もかも───誰も生き残ってはいません。全部、えるが壊したんです」
淡々と、えるはそう告げた。
クレアはその微笑みに初めて、えるの本心を見たような気がした。
彼女の心はもうとっくの昔に壊れている。
「……───」
「話が長くなってしまいましたね」
口を結ぶクレアの横を、えるが通り過ぎる。
「クレアさんの質問に答えますと、えるもレイナ様がずっと王様でいてくれたならリゼ様を使おうだなんて思いませんでした。しかし、レイナ様が王冠をリゼ様に譲ると宣言した時に、えるは決めたんです。ヘルエスタ王国は、えるが守ろうと」
「リゼ様は、おもちゃじゃありませんよ」
「……クレアはさんは少し勘違いをしているようですね」
えるは溜め息をついて、
「えるはリゼ様のことをヘルエスタ王国を守る『道具』とは思っていますが、おもちゃだなんて思ったことは一度もありません」
「同じですよ……」
「いいえ、違います。おもちゃは好き嫌いができるのに対して、使う道具は好き嫌いができないじゃありませんか」
えるの声に、クレアの膝は震えた。
これまでずっと彼女が人間嫌いの理由が分からなかった。
しかし、話を聞いた今となっては、彼女の絶望がエデン共和国から始まったものだと理解できる。そこから生まれた価値観が今の彼女を作り上げているのだ。
慰めの言葉も、労いの言葉もない。
彼女は救われるべき時に、救われなかったのだから。
「戸締り、よろしくお願いしますね」
後ろから聞こえてくる声に、クレアは「はい」と返事をする。
だが、しばらくは温室から動けなかった。
顔を伏せ、じっと、静かに泣いていた。
翌日の朝。
赤い髪の少女の死体が、北の森で発見された。
その報告を聞いた戍亥は、誰に何を言うでもなく、ヘルエスタ王国を去った。




