ヘルエスタ王国物語(109)
リゼ・ヘルエスタ、五歳。
教会の応接室に朝から籠って書類の整理をしていたクレアは、もう何度目かも分からないため息を吐いた。
終わらない仕事への不満がある訳じゃない。
クレアの心配事は王城にいるリゼに向いている。
今日、リゼは初めて自分の従姉妹になる女の子と面会する。
名前は月ノ美兎。
クレアは事前にその子と会って話をしてみたが、とても礼儀正しく、母親似で、将来は絶対に美人になる。そう断言できるほど美しい黒髪の持ち主だった。
不安なのは、リゼが美兎と仲良くできるかという点だ。
いくら付き添いで戍亥が一緒にいたとしても、王城のメンバー以外と話すのはリゼにとってこれが初めての事である。
すんなり仲良くなれるかもしれないし、一瞬で決別するかもしれない。
クレアはまた、ため息を吐いた。
「大変そうね」
クレアの心労を察してか、リヴァネルは紅茶の入ったティーカップを、クレアが仕事をする机の上に置いた。
「ありがとうございます、リヴァネルさん」
「これくらい、別にたいした事じゃないでしょ」
「……そうですね」
憔悴しきったリヴァネルの笑顔を見てクレアは胸が痛んだ。
リヴァネルとこうして話すのは、クレアにとって二百年ぶりになる。その間、彼女がやってきた事といえば世界の選定とも呼ばれる行為で、この世界に存在するいくつもの国々を滅ぼして回っていた。
そんな二百年を過ごした彼女の見た目は少しも老いることなく、依然として若々しいままだったが、時折見せる笑顔には、クレアとは違った疲れを感じさせる。
「でも、教会の仕事って結構たくさんあるのね。日常に不満がある人がこんなにいるなんて思いもしなかったわ」
「今はそこまで忙しい時期でもないですよ。……どちらかというと、わたしはリゼ様の方が心配ですね。大丈夫でしょうか」
「……レイナの娘、よね?」
リヴァネルは確認するように質問し、クレアは笑って答える。
「そういえばリヴァネルさんは、リゼ様とまだ会ったことないんでしたっけ?」
「遠くからなら見たことあるけど、ちゃんと顔を合わせたことはないわね」
「初代ヘルエスタ王国の女王様なのに?」
「レイナが勝手に言ってるだけでしょ。ヘルエスタ王国はあの子の国よ。私のじゃない」
それに、と続く。
「ここには私が滅ぼした国から逃げて来た人たちもいるでしょ? 逃げた先にあった国が自分の国を滅ぼした相手の国だなんて思いたくないでしょ」
「……───」
「だから、私は女王様じゃないの。もしも名乗るなら、そうね……その時はヘルエスタ王国を滅ぼすときかしら」
しばらくの談笑があって、
「あ、そうだ。忘れるところだったわ。実は私にも子供が出来たの。年齢は確か、リゼちゃんと同じくらいか、ひとつ上だったと思う」
いきなり過ぎるリヴァネルの告白にクレアの思考は停止した。
「……え? リヴァネルさんが……け、結婚? 相手は……え、嘘ですよね?」
「すんごい動揺してるわね」
「だって……いや、そうですよね。一応、リヴァネルさんも女の子ですし……結婚、しますよね。あはは……」
自分の口に勝手に言わせておけば、祝福の言葉が出て来ない事に驚く。
クレアは一旦落ち着こうと、テーブルに置かれている紅茶に手を伸ばしたが、皿の上に乗っているティーカップはカタカタと揺れて、さらなる動揺をリヴァネルに伝えるだけだった。
「ふふ、別に結婚して子供作ったわけじゃないのよ」
「……どういう意味ですか?」
意味深なリヴァネルの言葉に、クレアは疑問符を浮かべる。
「自分でもよく分からないんだけど……私は誰かと子作りに励んだわけじゃないの。処女受胎なのよ、私」
「はえ?」
疑問と疑問が重なって、もうよく分からない事になっている。
クレアは真相を解明するべく、続けて質問した。
「寝ているうちに襲われたとか、そういう話ですか?」
「私の寝込みを襲える人間なんて限られてくるでしょ。それに、襲われたとしてもすぐに気づくわよ」
「いや、でも……リヴァネルさん。それくらい突拍子もない話ですよ? 処女受胎なんて……信じられません」
「まあね……私も最初は信じられなかったもの。自分のお腹に身に覚えのない赤ちゃんがいるなんて。錬金術で自分の子供を創るって方がまだ理解できるわ」
それもそれでどうなんだろう、とクレアは思ったが口には出さなかった。
「ちなみに名前って……」
「アンジュ・カトリーナよ」
「───ッ!?」
聞き馴染みのある名前にクレアは身を固くする。
「……アンジュ・カトリーナ」
クレアの呟きは虚空に向けられたものだった。
その呟きを聞いたリヴァネルは「そうよ」と頷いて返事をする。
「私とは違って、錬金術の才能に恵まれてる子でね。だから私のスカーレットじゃなくて本家の『カトリーナ』って名前を付けることにしたの。あ、私の本家が錬金術の家系だったって、クレアは覚えてる?」
「はい。覚えてます。忘れるわけありません」
嬉しそうに話すリヴァネルの顔は、レイナと同じく、自分の子供が可愛すぎて仕方がないという親の顔だった。
クレアは、先ほどの動揺が嘘のように、ただ一点を見つめている。
ありえない話ではなかった。
確かに前世でアンジュの母親が誰なのか聞いていない。
物心ついた時には近くにいて、アンジュ・カトリーナはリゼの親友と呼べる存在になっていた。
だから、リヴァネルと出会って『カトリーナ』の名前を聞いたとき、クレアはこの人がアンジュの祖先なんだろうなと勝手に思っていた。
しかし、千年も生きれば、リヴァネルこそがアンジュの母親だったのだと、今更ながらになって気づかされる。
───それにしても処女受胎って。
疑問は尽きない。
考えれば考えるほど浮かんでくる。
だが明らかに、前世の道筋とは異なっていた。
「……レア」
───そもそもの話。前世のヘルエスタ王国に『える』はいただろうか?
いや、いなかった。
彼女の姿は影も形もなかった。
「……ちょっと」
───今のリゼには兄上も、姉上もいない。ひとりだけだ。
つまり、王位継承権を争う必要もない。
どうなっている?
「……クレア」
何かがおかしい。何かが───。
「ちょっと! クレア、クレアってば!」
「え? あ、はい!」
リヴァネルに肩を揺すられ、クレアは椅子から立ち上がる。
「お、驚かさないでくださいよ」
「呼ばれてるわよ」
リヴァネルに続いて、応接室のドアが叩かれる。
「私は少し街の様子を見てくるから。また後でね」
「はい、分かりました」
クレアは息を整えて、
「どうぞ、入ってください」
「し、失礼します」
クレアの返事を受けて、ひとりのシスターが部屋に入ってきた。
彼女は顔をきょろきょろと動かし、落ち着かない様子で言う。
「お忙しいところ申し訳ありません。ですが、その……急いで北の教会に向かっていただけないでしょうか」
シスターからの説明を受けて、クレアは北の教会に向かっていた。
どうやら北の方でひと悶着あったらしい。
要点をまとめれば、突如として現れた全裸の男が北門を破壊した、という話だった。
初めはその場にいた兵士たちと一般人とで全裸の男を止めようとしたのだが、手が付けられず、最終的に男への対処はフレン・E・ルスタリオに一任されたという。
騎士団が動いたのであれば、暴れていた男は今頃、王城の地下牢だ。
クレアの権限では手が出せない。
しかし、どういう訳か、フレンと戦った全裸の男は今、北の教会にいる。
どうやらフレンとの戦いで瀕死の重傷を負ったらしく、一刻を争う状態らしい。王城も現在は国民以外の患者を受け入れていないので、最後の拠り所として教会に運び込まれてきたそうだ。
「すみません、遅れました。運ばれてきた男の人は今どこにいますか?」
息を切らしながらクレアが尋ねると、顔色を悪くしたシスターが近づいて来て、男のいる場所まで案内してくれた。
「ありがとうございます。……戻って休んでください」
シスターはお辞儀をすると、口元を押さえてすぐに部屋を出ていく。
ひとり、部屋に残されたクレアは、唖然と、男の顔を見つめる。
ベッドに寝かされている男の顔に見覚えがあった。
「ベルさん?」
呟いて、瞬きをする。
クレアはもう一度自分の目を疑って、目の前にいる男の顔を眺めた。
「……───」
それは紛れもなく、ベルモンド・バンデラスだった。
千年以上前───ウル・モアがこの場所に落ちてきた時に行方不明になり、クレアは死んだとばかり思っていたが、まさか生きていたなんて。
だが、感動の再会に思いを巡らせている場合でもない。
ベルモンドの体はフレンとの戦いで腕がぐちゃぐちゃになっている。出血も酷い。いつ死んでもおかしくない状態だ。
しかし、教会にはまともな医療設備はない。
タンスの中をひっくり返しても、せいぜい、風邪薬が出てくる程度。
ベルモンドの体を完全に治癒するとなれば、エリクサーを使うしかないが───本当に使っていいのだろうか。
クレアがどうするか決めかねていると、部屋のドアが勢いよく開いた。
「やっほー、クレア。なんだか面白いことになったね」
「ドーラさん……」
紅い髪に、全身を紅蓮の鱗で覆った竜種。今は人の姿をしているが、ドレイクの姿に戻ればこの協会などひとたまりもないだだろう。
彼女はベッドに横たわるベルモンドを見て、にやにや、と笑った。
「この人、凄かったよ。フレン相手にあそこまで耐えられるとは思わなかった。助けてあげないの?」
「助けますよ」
迷いなく答えて、クレアは応接室に向かった。
窓際にある机を下から覗き込み、鍵穴を探す。ネックレスにしてずっと持ち歩いていた鍵を挿し込めば、何の変哲もなかった机の上部分が外れた。そして一本のエリクサーがクレアの前に顔を出す。
クレアは赤い秘薬を掴むと、小走りでベルモンドの所に戻った。
「教会にそんなモノがあったなんて知らなかったなぁ」
「内緒ですよ」
意識のないベルモンドの口に赤い液体を注ぎながら、クレアはドーラの口笛を聞いていた。ほどなくして、ベルモンドのぐちゃぐちゃになっていた手足は元に戻り、その意識を回復させていく。
「ここは……」
ベルモンドと目が合う。
「気分はいかがですか?」
「う、うわああああああああああああ!!!!!!」
優しい声音で話しかけたクレアだったが、ベルモンドはクレアの顔を見るや否や、絶叫を上げ、そのままベッドから転がり落ちた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あはは!」
心配するクレアと、笑うドーラ。
立ち上がったベルモンドは、顔を振り、他に人がいないか確かめる。
「あの女はいないのか? あの……バケモノみたいな強さの女は……」
困惑するベルモンドに、ドーラは明るく、
「とりあえず、落ち着きなよ。ここは安全な場所だからさ。でも、もし暴れるならその時はアタシが、アンタを殺すから。そのつもりで」
警告を受けたベルモンドは、また一段と警戒心を強くなる。
「あんまり怖いことを言うのはダメですよ、ドーラさん」
「クレアは甘いねぇ……」
「そうでしょうか?」
「うん、抜けてるっていうか、なんていうか。よく今日まで生きてこれたなぁって、アタシは不思議でしょうがないよ」
クレアにとっては耳の痛い意見だった。
しかし、自覚がある以上は、それを受け入れるしかない。
ドーラは厳しい眼差しでベルモンドを睨みつける。
「アタシはさ、助けてくれた恩人に敵意を向ける男って最低だと思うんだよね。尊様の言葉を借りるなら、義理がないっていうのかな? 起きたばっかりで混乱してるとは思うんだけど、とりあえず感謝の言葉のひとつくらい欲しいよね」
「……俺を助けてくれたのか?」
「そう言っているでしょ」
ドーラはため息を吐いて、
「ところで、自分が誰なのか分かる? それともフレンに殴られて記憶とさよならしちゃった?」
ドーラの質問に、ベルモンドは顔を伏せる。
答えを探しているようだった。
時間を置いて、彼の口から予想外の答えが返ってくる。
「実は思い出せないんだ。気づいたらこの街にいて……暴れてた」
「全裸で?」
「不安だったんだ。全員が敵に見えて、自分が分からなくて。そしたらあの女がやってきて……そ、それで……うぅ」
「まあ、後半の方は見てたから同情するよ」
頭を抱えてその場に膝をつくベルモンド。
ドーラもからかうのを止めて、苦笑いを浮かべている。フレンとの戦いは、ベルモンドにとって最悪の思い出になっているらしい。
「名前が分からないなら、わたしが名前を付けましょうか?」
クレアの提案を受けて、ベルモンドから「え?」と声が漏れる。
「それと、貴方の今後についてなんですけど」クレアは言った。「できれば、教会で保護したいと考えています。別に変なことはしないので安心してください。ここで仕事をしているシスターさんたちと一緒に働いてもらうだけです」
「そ、それは……ありがたい話だが……」
隣りでその話を聞いていたドーラは楽しそうに笑う。
「あはは、クレアも物好きだね。こんな得体も知れない男を引っかけようだなんて。もしかして好みの雄だったのかな?」
「そういんじゃありません。ただ、シスターとして放っておけないだけです」
苦しい言い訳だが、ベルモンドが忘れている自分の名前をクレアが知っている方が逆に不自然だろう。この流れなら自然に彼の名前を伝えられる。
あとはベルモンドがこちらの申し出を受け入れてくれるかだが───。
「受け取っておきなよ。アンタ、この人にとんでもない借りを作ってるんだからさ。今更、一つや二つ変わらないって」
「わ、わかった。でも、変な名前はやめてくれよ?」
最後はドーラのひと押しが合って、ベルモンドは頷いた。
ふふ、とクレアは笑って、
「では今日から、貴方はベルモンド・バンデラスさんです」




