ヘルエスタ王国物語(105)
「タイムトラベルは確かに過去や未来を変えられる便利な能力ですが、一方で変えられない現実がこの世界には存在しています」
紙芝居を読み聞かせる詩人のように、リアスは語り始めた。
「ルカは、伊波を追いかけてタイムトラベルをしました。ですが、相手がどの時代、どの時間に跳んだかなんて分からない。
当然、伊波も自分が追われている事に気づいている。
そう簡単に尻尾なんて出さない。
だからルカは、伊波が変えたであろう時間を、未来から観測することにした。
そしてその鍵になったのが、クレアさん、貴方です」
「わたしですか?」
にっこり、とリアスは微笑む。
「ルカはタイムトラベルを繰り返す中で、貴方だけは過去と未来に存在していない事を知った。そしてクレアさん、貴方が見て、知った物事は、どれだけ過去や未来を変えたとしても変える事は出来ない。
必ず、同じ道筋に戻ってきてしまう。
この事実に、ルカは伊波より先に気づいた。それからは計画を練り直し、クレアさんを巻き込んで、今に至るという訳です」
告げられた事実に、クレアは頭を抱えそうになる。
そんなクレアをよそに話は続いた。
「伊波ライもクレアさんの存在に気づき、そして動いた。しかし、その時にはもう手遅れだった。何故なら───」
「えるの口から『伊波ライが死んだ』ことをクレアさんが知ってしまったからですね」
話の腰を折られたリアスは「その通りです」と肩を落とした。
「でも、ルカの計画は少しだけ、えるさんの考えとは異なっています」
えるは沈黙し、続きを待った。
「ルカが俺たちに話した内容では、孤児院の子供たちに続いて、伊波ライの死体を見つけるのは『本物のクレアさん』のはずだった。ですが、孤児院に現れたクレアさんは偽物のクレアさんでした。
そして偽物のクレアさんの正体は、えるさん、貴方ですね?」
「続けてください」
「これは昨日の夜、アルがクレアさんから聞いた話を元に推理しています。
昨日の朝、クレアさんは自分の部屋から出ていない。
レイナ様に自分の部屋で待機するようにと、命令されていた。
ではどうして、クレアさんは孤児院に現れたのか。
クレアさんが動けない理由を知っている人物であれば、クレアさんに化けて孤児院に行くことが出来る。俺はそう考えました」
「その推理だと、レイナ様が一番怪しいような気がしますけど?」
「えるさんの言う通りです。ですがその時間、レイナ様はルカと一緒にいた」
「……───」
「そろそろ、ハッキリさせたらどうですか?」
しばらくして、えるの口が動く。
「優秀すぎる、というのも考えものですね。もうちょっと扱いやすい脳みそをしてくれていれば、えるの助手にしてあげても良かったのに」
「それじゃあ、昨日わたしの部屋に来たのは……レイナさんじゃなくて」
「えるですよ」
クレアの疑問に、えるは抑揚のない声で答えて、
「そして魔法でクレアさんになって、孤児院に行ったのもえるです」
「どうして……どうしてそんな事を……」
「決まっているでしょう。全てはルカ・カネシロを捕まえるため、仕方がなかったんですよ。……納得していただいけましたか?」
クレアは一度顔を伏せ、頭の中を整理してから、えるを睨んだ。
「昨日……わたしの部屋に来たのは、わたしが部屋から出ていないか、確認するためだったんですか?」
「いいえ、違います。えるがクレアさんの部屋に行ったのは、えるが孤児院に行っている間、誰かがクレアさんに接触していないか、それを確かめるためでした。ついでに、クレアさんの部屋に、えるの魔法を仕掛けるためでもありました。……まあ、網に掛かったのはルカではなく、伊波さんの方でしたが」
「……───」
淡々とそう説明され、クレアは言葉が出なかった。
脳が死に、考える事を拒んでいる。
クレアがずっと知りたかった───えるが自分の事をどう思っているのか───その答えを得たような気もしたが、それを口に出すのが怖い。
「えるが孤児院に行ったのは、発見された伊波さんの死体を確認するためです。
死体のあった場所から魔法で痕跡を辿り、犯人を突き止めようとしましたが、結局それは徒労に終わってしまいました。
手掛かりが切れてしまったので、レイナ様に貸し与えられた権限を使ってカネシロファミリーを徹底的に調べることにしました。
結果は上々、カネシロファミリーが西の街で薬物をバラ撒いているという情報を掴んだあとは、東と北にある彼らのアジトに向かい、全員を牢屋にぶち込んであげようと思っていましたが、えるが向かった時には彼らの姿はどこにもありませんでした」
「待ってください……」
そよ風のような細い声で、クレアが言った。
「カネシロファミリーの皆さんが……西の街に薬物をバラ撒いていたっていうのは、本当なんですか?」
驚いているのは何もクレアだけじゃなかった。
質問を受けたえるもまた、クレアと同様に驚いている。
「あら、本当に何も知らないんですね。てっきりえるは、リアスさんが嘘をついているものだとばかり」
「……───」
クレアは訴えかけるような目で、リアスとアイクの顔を交互に見た。
しかし、二人は何も答えない。
ただ黙って、えるの言葉を肯定していた。
「貴方たちのアジトに行ったとき、えるのためだけに残されたような、メッセージがありました。最初は時間稼ぎだと思いましたが、ご丁寧に妖精文字を使って書かれている。そして二枚目のメッセージカードを受け取ってすぐに、クレアさんの部屋に仕掛けておいた魔法陣に反応があったんです」
冷ややかな笑みを浮かべながら、えるは自分以外の誰の声も聞こえないこの状況を楽しんでいた。
「反応は数秒で消えました。リアスさんの話を聞いた後だと、おそらく伊波さんはえるの仕掛けに気づいてタイムトラベルをしたのでしょう。
見失って当然ですね。
それからすぐに、えるはクレアさんの部屋に行きました。そして床に落ちていた手紙を見つけたんです。
手紙には多少、不可解な点もありましたが、重要な部分はひとつだけでした」
「この場所が指定されていたんですね?」
「ええ」
アイクの予想を聞いて、えるは静かに頷く。
「伊波さんがどうしてクレアさんを呼び出したのか、理由は分かりませんが、えるはこの場所で伊波ライが来るのを待っているだけで良かった。手紙を読んだクレアさんも、ちゃんとあとから来てくれましたしね」
「でも、貴方は固まってしまった。ライラ・アストロノートというイレギュラーを見てしまったから」
数秒、えるは沈黙した。アイクの口から飛び出した『イレギュラー』という言葉について考えているのだろう。クレアも目を伏せる。
次にクレアが顔を上げたとき、えるの赤い瞳と目が合った。
「あの手紙を書いたのは伊波さんだと思っていました。でも実際に、目の前に現れた彼女は疑う余地もなく本物で、本当に……彼女の存在は大きかった」
「それはおそらく……」
アイクは顎に手を当て、
「伊波ライが作ってしまったイレギュラーなんでしょうね。僕たちの知っているライラは、この時間のヘルエスタ王国には訪れていない。
本来の彼女は『ライラ・アルストロエメリア』になるため、真っ直ぐ過去へ向かうはずだった。しかし、伊波ライが干渉してしまったせいで、彼女はこの時代に寄り道する理由ができてしまった」
「先ほどライラさんが言っていた『脅されて書いた手紙』ですね? その脅してきた相手がまさか伊波さんだったとは……えるは残念で仕方ありません」
悲しげな表情とは裏腹に、えるの声音はおもちゃで遊ぶ子供のようだった。
普段のクレアであれば、人を人として扱わない彼女の発言に、心がざわつき、イヤな気持ちになっていただろうが、今のクレアはいつもの自分を忘れ、この場で飛び交う情報の整理に追われている。
感情など、二の次だった。
「ところで、ライラさんはどうやってあの腕輪を手に入れたんです? 時間を旅する腕輪なんて、そう簡単に手に入るものではないでしょう」
「恩人から貰ったモノだと彼女は言っていました。なんでも、その恩人にはもう必要のなくなった代物だそうで。……その恩人が誰なのか、僕たちは知りません」
「……そうですか」
沈黙を埋めるための小さな呟き。
そして睨むえるの瞳を、リアスは言葉をもって跳ね返す。
「まあ、つまるところ、ルカも伊波も同じことを考えてたって話ですよ。ただ、二人の違う点は、クレアさんを頼ったのか、クレアさんを殺そうとしているのか、その違いだけですね」
「伊波さんがクレアさんを狙う理由は? どう説明するんです?」
「クレアさんだけが、自分の見てきた現実を変えられる可能性があるからですよ」
「おや? それはおかしいですね。クレアさんが見てきた現実は、絶対に変えられないはずでは?」
リアスは頷いて、えるの言葉を肯定する。
「そこに落とし穴があります」
「……───」
「もう一度、前置きをしておきますが、これはあくまで可能性の話です。実際にそうなるとは限りません。俺の推理を信じるか、信じないかは、えるさんに任せます」
「……聞きましょう」
リアスは、えるが息を吐くのを待って、先を続けた。
「クレアさんが見てきた、知った過去は俺たち他人には変えられない。だけど、クレアさんがまだ知らない未来なら、変えられる可能性がある、という事です」
「それがどうしてクレアさんを狙う理由になるんです?」
「順を追って説明しますよ。
まず、タイムトラベルが出来るようになった伊波ライは時間旅行を楽しんだ。
そして現代に戻ってきた伊波は『自分が死んでいる』という事実に頭を抱えた。
次に彼がとった行動はおそらく、過去にタイムトラベルをして、自分が死んだ原因を突き止めようと考えた。だが、いくら過去を変えても『伊波ライが死ぬ』という未来は必ず訪れてしまう。
でも、伊波は諦めない。まあ、誰だって死ぬのは嫌ですからね。
この辺りの気持ちは、俺もなんとなく分かりますよ。
そうやってタイムトラベルを繰り返してきた伊波は、ルカと同様に、現代にしかいない奇妙な存在に気がついた」
全員の目がクレアに集まる。
リアスは笑って、
「伊波がどこまで気づいているのかは分かりません。でも、クレアさんが関係する方法以外は全部試しているんじゃないでしょうか」
「なるほど、だからクレアさんを殺して自分の死が変わる可能性に賭けていると、そういう訳ですか。……では、手紙の件はどう説明します?」
「手紙はクレアさんの行動を縛り付けようとしたのでしょう。ルカも似たような手を使ってクレアさんを西の街に閉じ込めようとしていましたから。
まあ、あえて理由を付けるなら───。
ライラさんは、クレアさんと仲が良かった。だから彼女の手紙なら、クレアさんを確実にこの場所に呼び出せる、そう思ったんじゃないでしょうか」
え? とそこでクレアは間の抜けた声を出した。
リアスと目が合う。
「クレアさん、ルカと再会した時のことを覚えてますか? メモを渡してきた、一番最初のルカです」
「それなら覚えています。その後すぐに、もうひとりのルカさんが来ましたけど……もしかしてその時ですか?」
「はい。ルカはクレアさんにメモを渡すことで、未来は変わらなくてもクレアさんが何処に行くのか、予測しやすいようにしていました。貴方を守るためだったとはいえ、ルカはそのことを心の底から後悔していましたよ」
「そう、だったんですね……」
謝罪の言葉を聞きながら、クレアは自分に価値がないと思いはじめていた。
自分の価値が人間的な部分ではなく、クレアという特別な存在を評価されている。それはクレアの『中身』を無視したものだ。肉体的な価値、存在的な価値はあっても、精神的な柱にはなれない。
クレアはその悔しさに歯を喰いしばり、拳を握りしめた。
「さて、これで聞きたい事もなくなってしまいましたね」
えるは軽く剣を振り、コツコツ、と足音をさせてこちらに近づいてくる。
「その前にひとつ、カネシロファミリーと取引をしませんか?」
リアスはここが勝負所と見るや、アイクとクレアを隠すように前に出た。
「取引? この期に及んでまだ何か隠していることがあるんですか?」
「いいえ、違います。俺とアイクは抵抗しない。かわりに、えるさんにはクレアさんと協力して伊波ライを捕まえるっていう簡単な取引です。どうですか?」
その取引の最中、リアスの顔がクレアの耳元に近づき、聞こえるか聞こえないくらいの囁き声で言う。
「いいですか、クレアさん。彼女の言う通り、確かに僕たちはヘルエスタ王国に薬物を広めました。ですが、一番最初に薬物による利益を得たのは僕たちじゃありません。カネシロファミリーは横取りをしただけなんです」
「え?」
アイクはそれだけ言うとクレアから離れた。
「えるは構いませんが……クレアさんはどうなんです?」
「……え? あ……わ、わたしもそれで構いません」
「それじゃあ、取引成立という事で」
その言葉を最後に、リアスとアイクは、えるに連れられ王城に足を向ける。
残されたクレアは最後に伝えられた言葉の意味を考えていた。
あの言葉はクレアの選択を尊重し、これからの結末を委ねている。
カネシロファミリーにとって、それは正しい選択とは言えないだろう。
だが、どれだけ自分勝手な思いを抱えて、どれだけ人を信じても、決着はどこかのタイミングで必ず訪れる。
彼らはそのすべてをクレアに託した。
自分たちでは選び取れなかった未来を、彼女ならきっと掴んでくれる。
そう信じて───。




